第一夜 真田幸村
「豊臣、徳川。織田や武田にも断られた。ああ、本当にお前は利用価値もないな。――情けだ。お前には真田のもとに嫁いでもらう。もう二度と顔を合わせることもない」
奥州独眼竜伊達政宗。その妹として生まれた紫荻は兄から掛けられた言葉に俯く。
心から信頼していた兄の言葉は、どこまでも冷たく辛辣なものだった。
奥州で一、二位を争うといわれた美貌は顔にできた大きな火傷で失われ。
戦場で適うものなしと言われた刀の腕も、両足の健を切られた今、そこらの幼子にも勝てないだろう。
身だけは綺麗な着物を纏わされ、兄の前へ連れてこられた。
そこで受けたのは絶縁にも近い宣告。
あの冷静な聡明さはどこへ行ったのか。諦めと、呆れにも近い感情が襲う。
それでも兄を見捨てたくはなくて、最後の希望にすがるように。腕に抱きつく女を抱き留めながら、こちらを冷たく見下ろす左目を見据える。
「兄上!目をお覚まし下さい!そんな女狐に現を抜かすなど――」
「――うるさい。耳障りだ。連れていけ」
その希望も空しく。兄の一声で、紫荻は腕を掴まれた。
自由に動かない足で引きずられるように、無理やり。
「兄上!兄上!!聞いてください兄上!その女は――!!」
「黙れ!」
最後の記憶は冷たい兄の視線。頭に走った衝撃。揺れる視界とぼんやりと広がった床。
誰かに頭を殴られた。――ぼんやり理解しながら、闇の中に落ちてゆくのだった。
闇の中で思う。なぜ、こうなってしまったのか。
兄も、友人も、みんななぜ変わってしまったのか。
走馬灯のように記憶が流れ込んでくる。
――。
――時は戦乱の世。
各国の武人たちが天下を掴み、名を残さんとする争い奪い合う時代。
そんな戦国の世に、紫荻という女は生まれた。
生まれは奥州。
父の名を伊達輝宗。母の名を義姫。
――表向きはそうなっている。
本当は生まれなど知らない。
本当の父の名を、母の名を彼女は知らない。
生れ落ちたその時に捨てられ、伊達家に拾われたのだから。
名だってその時につけられたもの。自身の本名ですら彼女は知らない。
なぜ伊達家が身寄りもない赤子を拾ったのか?それも簡単なこと。
“人質”として、都合がよかったのだ。
当時勢力をつけていた尾張の織田家。その織田に送る道具として。
身勝手に捨てられ、利益のために利用され、さぞや彼女は両親を恨んだことだろう。
なんて、別に紫荻はこのことで両親を恨んでもいないのだが。
顔も知らない本当の両親を憎むなんて無駄なことだし、今の両親がやったことは自身の国のために仕方がないことだったと理解しているからだ。
人質先の人間を恨んだことも一度もない。
整った容姿を持ち、色素の薄い茶色の髪、見たこともない青い瞳。
織田の当主であった信長は紫荻の容姿をえらく気に入って、何かと目をかけてくれた。
何よりも養父としてあてがわれた竹中半兵衛は優しく、武家としての身の振り方や剣術。兵法などもできる限り教えてくれた。
その結果、正直まったく苦ではない3年間を過ごせのが事実だ。
――むしろ半兵衛が本当の父親でないと知ったときのほうが衝撃だった。
伊達に戻ってきてすぐに初めて両親と再会して、二人の兄を紹介された。
母の腕の中で聞いていたが、正直他人事であったことを思い出す。
というか、その時初めて政宗に出会ったのだが。
これがあまりに暗くて、暗くて。苔でも生えてきてしまいそうで。
子供心にひどくイライラしたのを今でも覚えている。
そこから――。
そこから何があったのだっけ?
確か兄と大切な約束をした気がする。
「――ん」
ぼんやりとした意識の中。狭苦しい見知らぬ部屋の中、紫荻は目が覚める。
ゆらゆら。ゆらゆら。体揺れている。
ここは、どこだろうか。なぜ自分は自室以外で寝ていたのか。働かない頭で思い出す。
「……ああ、そうだった」
数分。いや、数秒か。
兄とそのそばに勝ち誇った笑みを浮かべる女を思い出す。
ゆらゆら揺れる狭い箱――。これは篭の中に違いない。
「つまり追い出されたわけか……」
簡単に導き出された答えに大きくため息が出る。
「いや、ふざけるな!すけこまし!」
すぐに苛立ちがこみあげて、床をたたくのだが。
「助平!バカ兄貴!ついに残った左目も濁ったか!!」
もういない兄に対して、これでもかと暴言を吐く。どうせ嫌いな妹の祝言の旅路には、まともな人間一人つけてないと気づきながら。
しばらく吐き捨てるように兄に暴言を叫び、肩で息をする。苛立ちを儘に、篭の扉を乱暴に開く。にやにやと下卑た、こちらを子馬鹿にするような笑みを浮かべている周りの者たちに声を荒げた。
「笑っている暇があるなら紙と筆を用意しなさい!あのバカなんてこっちから縁を切ってやる!」




