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第一夜 真田幸村 9

 


「……」


 夜――。

 紫荻は静かに貰った髪紐を見つめていた。

 決して高いものではない。ほかの奥方と比べれば、かなり劣る代物。

 嬉しいか。嬉しくないか。そう問われれば、分からないとしか言えない。

 それよりも、どんな顔で、いつ使えばいいのだろう?それも分からない。


「――紫荻様」

「!」


 ふと、部屋の外から声がした。

 それが佐助であることはすぐに気が付き、慌てて髪紐を袖の中に隠す。


「はい、なにか?」

「若旦那様がお会いしたいと」


 何か用かと思えば。昼に続き、再び幸村が来たらしい。

 心臓が跳ねる。正直今はまだ準備ができていないというか。あまり会いたくない。

 いや、首を小さく横に振る。


 今更夫に対して、何を戸惑っているのか。

 それに昼間の件を思い出す。あの時、言いそびれたことを言わなければ。


「ええ、どうぞ」


 声をかけて、しばらく。

 足音が一つ遠のいたと思えば、別の足音が近づく。

 一呼吸を置いたのち、ゆっくりとふすまが開いた。


「……失礼する」

「――。こんばんは、幸村様」


 簡単な言葉が一つ。

 どこかに行っていたのだろうか?

 昼間とは違い、外出用の赤い着物を纏った幸村が立っていた。


 彼は、無言のままに部屋の中に入ってくる。

 その後ろから佐助が姿を現し、部屋の入口にふすまに背中を預ける形で佇む。

 今回は佐助もいるとは珍しい。

 そう思っていると、気が付けば幸村は目の前まで来ていて、一メートルほど離れた先で彼は腰を下ろした。


「……」

「……」


 二人の間に何とも言えない空気が流れる。

 幸村は紫荻に視線を送り、気まずそうに視線を外す。そればかりで何も口にしない。

 用があると言ってきたのはそっちなのに、なぜ何も言わないのか。彼の悪い癖だ。

 10年前なら詰め寄っていたことだろう。けれど、今は違う。

 少なくとも今は彼の返答を待つ。


 彼が無言でいる間。紫荻は今の幸村を改めて見る事となった。

 蒼い瞳はまず彼の髪を映す。昔と変わらない手入れが行き届いていない髪。その中に本当にわずかに白髪が見える。

 童顔なのは変わらないが、年を取ったし。もしかして疲れているのだろうか?

 瞳の奥も、輝いていた10年前と違い、少し濁っているような。


 昼間は気が付かなかったが。

 ――ああ、彼も年を取るのだな、なんて。


「――なんだろうか?」

「あ、い、いえ」


 そんな紫荻の視線に幸村は気が付いた。

 怪訝そうな色合いで紫荻を見て、首をかしげ。

 さすがに「年を取りましてね」なんていえず、紫荻は笑みをこぼす。


「それで、私に何か用ですか?」


 慌てて話を変えようとして、結局自分から話を振ってしまった。

 幸村が再び口を閉ざす。ため息をこぼしたのは後ろにいる佐助であった。


「紫荻様。今宵はお訊ねしたいことがあり、まいりました」


 何度も言いよどむ幸村と違い、佐助は本題へとすんなり入る。

 無駄に引き延ばすのは面倒なのだろう。紫荻は視線を幸村へと戻す。


「聞きたい事?相談ではなく?」


 ――話がある。なんて、最近は特に珍しいことだ。それも訊ねたいことなど。

 子供が出来てしまったとはいえ、この10年。正直幸村とは夫婦とは言い辛い関係であった。


 これでも戦上手で通ってきて、いろんな家とも繋がりがある紫荻だ。

 各戦での立ち回り、大名との付き合い方。それらを幸村に教えてきた。

 正直言ってしまえば、夫婦より相談役といった方が正しいと言えるほどに。


 それもここ2年は、豊臣の勢力が強まったおかげか大きな戦もなく、相談といえる相談もない。

 紫荻自身が幸村に会いに行くことはできないし、彼も顔すら見せに来ないので夫婦でありながら、殆ど会うこともなかった。

 実は、昼間に顔を見せたのが2週間ぶりというほどだ。

 だからこそ、昼間の髪紐にも、今のこの時間にも驚く。


 その時に気が付いた。ひどく困った表情でこちらを見つめる幸村と、険しい表抒情を見せる佐助。これは只事でない。

 着物をきつく握りしめて、幸村の目を見据える。


「それで、なんでしょうか?」

「……お前は、徳川と懇意にしていたな」

「?――はい」


 重々しい空気の中、問われたのは思いもしない質問であった。

 紫荻は素直にうなずく。徳川――。家康とは親しくしてもらっていた。それは事実だ。

 それが何の問題になるのか?


「最近もか?文とか、なにかかかわりを持ったか?」


 首を横に振る。確かに昼間は花の一件を沈めたく、家康に助けを乞おうとしたが、まだ実行には移していないし。そもそも嫁いでからは文のやり取りすらしていない。


 それは世話係の佐助が一番よく分かっていることだろう。

 彼には何度か兄への文を届けてもらうのを頼んでいたし、奥方に怪しい動きがないか監視をしているのも、彼なのだから。


「もしかして、家康公が何か動いたのですか?」


 夫からの質問を受け、不吉な予感を感じて背中に冷や汗が流れる。

 幸村は静かに視線を外した。それも僅かなこと、重々しく口を開く。


「先日。大阪城で、秀吉公が各国の大名を呼んで宴を開いた。そこで、政宗殿……。義兄上も……。奥方と供にいらしていたのだが」

「ちょっと、お待ちください」


 初耳なのだが。先日から幸村がいないことは知っていた。昼間の一件から奥州へ行っていたと思っていたが、これはたぶん。いや、確実に秀吉公のお呼ばれだったに違いない。

 それも政宗が妻である花を連れてきていたとなれば、もしかして正室もお呼ばれしていたのでは?

 しかし、竹姫の様子から彼女がこの一件を知っていたとは思えない。

 何故竹姫に言わなかったのか。頭が痛くなる。


「い、言っておくが、呼ばれたのは俺のみだ。あれはおそらく、あちらが勝手に」

「――」


 そんな紫荻の表情を感じ取ったらしい、慌てた様子で幸村が口をはさむ。

 おもわず佐助を見る。彼は奥方の世話役のほかにも、幸村の側につく忍びでもある。彼ならば詳しいこともしているのでは?そう思ったのだが。


「知りませんよ。先ほど帰って来て早々にこんなこと言い始めたんですから。俺だって、ただ町へ繰り出していたものかと……」

「さ、佐助は知らん。――数人供を付け、他には誰にも何も言わずに出た」


 ――それは、問題だろう。小国とはいえ、一国の大名となる方が、何を――。


「また、花姫ですか?」

「……」


 頭を抱えてつぶやく。

 そんな馬鹿な真似、あの女が関わっているに違いない。

 これが図星らしく、幸村は何も言わず頭を掻く。

 佐助も同じ気持ちらしく、幸村を見る目が若干冷たい。吐き捨てるように言った。


「……花姫の生誕を祝う宴らしいですよ」

「こら佐助――!」

「幸村様――!」


 話の腰を折るようで悪い気もしたが、さすがに我慢できなかった。

 バカな宴のために、バカな真似をしたのだろう。


「いい加減にしてください!竹様も苦言を漏らしています。夫がいる女に現を抜かすなど、真田にも伊達にも迷惑であることを理解していただきたい!」

「い、いや。分かっている。分かっているん、だが」


 問い詰めれば幸村は声が弱々しくなっていく。


「俺には竹や、妻がいる。花にも夫がいて。だから、こんな不純なことやめなければと、分かっているのだが――」


 視線をそらし、きつく手を握りしめ、振り絞る声を吐き出す。


「それでも。だめだ、だめだと思えば思うほど。年月が過ぎればすぎるほど、彼女の事が頭から離れなくなって。――どうしても、忘れなれなくて……。俺は、花を――」


 そこまで言って幸村は言葉を詰まらせた。

 その時の彼は本当に苦しそうで、今にも爆発してしまいそうで。

 紫荻は苦言を叩きつけようとして、しかしそんな幸村に見て、言葉を飲み込む。

 馬鹿馬鹿しく思うが。あまりに彼が苦しそうであったから。


「……それで、その宴で何があったのですか?」


 言いたいことを我慢して、話を戻す。

 幸村の肩の力がわずかに抜けるのがわかった。

 おずおずと口を開き、話を続ける。


「……その宴には家康公と、そのご子息である秀忠殿もきていたのだが」


 まぁ、各国の大名たちが呼ばれているとなると、彼らが呼ばれるのも当たり前といえば当たり前。

 様子から察するに、そこで何か問題があったのだろう。

 そして、その予想はあたり当たっていた上に、異常なほどの大問題であった。


「宴も終わりの頃、秀吉殿が言ったのだ。徳川と上杉と正式に同盟を組みたい。――各々の嫡子を花の第二婿とする……と」

「……はぁ?」


 狂っている。一番に浮かんだ言葉がこれ。

 一瞬聞き間違いとも思い、幸村を見つめる物の彼は口を噤んだまま。

 その目に嘘偽りは感じ取れなかった。幸村は続ける。


「これに上杉は不服を申し立てた。いくら豊臣の命でも、夫がいる女に跡継ぎはやれない。そんなことを言っていた」


 当たり前だ。それが真っ当な思考だろう。


「だが秀吉公は一夫多妻制があるなら一妻多夫制があってもいいんじゃないかと」


 紫荻は苦虫をつぶした表情を浮かべる。

 秀吉公。前はもっとまともだったはずだが。

 今年で40前半のはず。まだ若いながらに痴呆を患ったか?

 なんにせよ、頭がおかしくなったのは違いない。


 しかも天下が近い分、今この日ノ本で一番発言力がある男でもある。

 ほとんどの大名が秀吉を支持しているのだから、今の上杉は下手なことは言えないだろう。


 そうなれば、頼みは織田の時代から権力を持つ徳川だけになる。



「皆が押し黙るなか、家康公が笑いながら言ったのだ」


 そして期待通り、思った通り。徳川は拒絶をした。


 ――秀吉殿は酔っておられるので?

 貴殿の妹君は確かに美しいが、我が息子と比べれば、ずいぶんお年を召しているではないか。子宝もまだできていないというし。徳川はお家断絶などできませぬ。

 ああ、龍の姫君であれば考えていたやも知れませんな。


 にこやかな笑顔で、それでもはっきりと、そう言い切ったという。

 もちろんだがその瞬間、場が凍ったのは言うまでもないだろう。

 紫荻からすればよく言ってくれた、それしか言えないが。

 だが、事態は思っているより深刻そうであった。


「これに秀吉公は大層おかんむりとなった。花……。妹君を侮辱したと、その場で刀を抜き、家康公に切りかかろうとした」

「……」


 それは、そうなる。

 いや、怒っていたのはきっとそれだけじゃない。きっと政宗(兄上)も怒ったに違いない。

 それでも家康は言葉を撤回しなかった。ただひどく眉を顰めて、嘆かわしそうに周りを見ていたという。

 話はそこで終わらない。


「特に花も家康公の言葉でかなり怒っていた。――自分がお前と比べられたのが許せなかったらしい」

「……は?」


 ここで思わずと声が出る。なぜここで自分の名前が出たのか。理解が追い付かない。

 これに答えを出したのは佐助であった。


「家康公が言った龍の姫君、たぶんこれを貴女だと受け取ったんですよ。現状“りゅう”なんて異名が付いているのは政宗公だけですから」

「は、はぁ?」


 当たり前だが声がこぼれる。

 何をいまさら、竜の妹など。もう真田に嫁いで10年になるのに。

 たとえ自分だとしても、なにを張り合っているのか。

 しかし、ここで最初の幸村の言葉を思い出す。


「なるほど……。だから、先ほど私に徳川と懇意にしているか聞いたのですね」


 幸村は無言になる。それは肯定と取れた。

 もちろんだが、紫荻は何もしていないし、知らないが。

 そもそも武勇に優れていたとはいえ、もう使い物にならないただの女に過ぎないというのに。徳川が自身をほのめかす名を出さないでほしい。花もそんなにムキにならなくてもよかろう。


「徳川とは10年以上連絡もとっていません。もしかして私が家康様を篭絡させたと思いで?」

「いや、それは――。ないと、思いたいが……」


 なぜそこは言い切らない。昔のように舌打ちがこぼれそうになる。

 それとも何か?昔に懇意にしていたから、このいざこざを諫めるように連絡してほしいということとか?それこそ無理な話だ。徳川は何もおかしいことは言っていないだろう。

 それに彼方が謝罪すれば、嫡男を花の婿にやるなんて、理解できない婚姻を結ばされるかもしれないのだから。


「この件は私にできることはありません。昔に懇意にしていたからと言って、血のつながりも、家のつながりもないただの女が出る幕はない。むしろ、これは豊臣が悪いです。謝るべきなのはあちらかと」


 はっきりと出来ないと伝える。

 しかし、幸村はこれに食って掛かるように眉を顰めた。


「いや、花や豊臣を貶めるような言葉を吐いた徳川がおかしいだろう」


 おかしいのはお前らだ。なぜそこで急に花をかばいだす。苛立ちが募る。

 本当にいい加減目を覚ましてほしい。

 昔のように頬の一つでも叩いてやろうか。そう考えた時だった。


「それに、秀吉公はこの一件で徳川に兵をあげようと考えている」

「…………は?」


 再び、理解を拒む言葉が発せられた。




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