60話 誤算
「アトラタス合同課外授業にて、合計156キログラムもの虹色水晶を収集し、魔龍を退けた闇の賢者、カノミ=ユリカ二級騎士および引率講師のゼルイド=クルスタス二級騎士、そして木星華之団の騎士団員全員の昇格儀式を行います。これで闇の賢者、ユリカ=カノミ騎士がこれまでに収集した虹色水晶は合計164キログラムとなり、タケル=ヤマト特級騎士の記録を超えて歴代一位となりました! 拍手でお迎えください!」
柔らかいが元気な声の女性案内役が拡声器で叫ぶと、一斉に会場全体から火がついたように拍手が向けられる。ユリカとゼルイドはついに一級へ昇格、俺たちももともと四級だったので三級へ昇格することになる。クマソは一人だけ五級だったが、校内戦で見せた強力な詠唱から、木星華之団の主力攻撃要員と推察されたのか、特例の級飛ばしが行われて一緒に三級となった。100キロの塊は古代遺跡から発掘されたことを伏せ、地面から掘り出したことにしてある。それで俺たちは親父の記録を超えてしまったのだ。
観客の拍手に押されて特設会場の舞台へ上がると、拍手はいっそう大きくなり、国民感情は完全にユリカの味方であることが分かる。特に年配の女性たちは、華々しい活躍を見せながらも謙虚なユリカにぞっこんで、まるで自分の娘や孫が活躍しているかのように感じているようだ。あれだけ紙伝に情報を流せば、それはもう親近感の増大は信じられないほどになっているだろう。今では『月刊闇の賢者』なる本まで刊行され、ユリカの活動を庶民にも分かりやすく解説しているのだ。その売れ行きは新刊でありながらも他の月刊誌をあっという間に抜き去ったという。
シルベスタ爺様は信用のおける出版社と極秘に協力契約を結び、その月刊誌に太陽王についてのことや大いなる災いについても詳しく載せていくようにさせていた。ただし、太陽王については俺のことではなく、初代や二代目のことだけだ。それにしてもここまで庶民に愛される賢者というのは、今までいなかったに違いない。
この本の売れ行きが良いこともあって、大いなる災いが近いという意識は世界中へ共有され始めた。こうやって少しずつ情報を流していかなければ、突然災いが来たように感じられて世界恐慌が起きてしまう。ユリカの活動展望の特集では、大いなる災いをどのように防ぐことができるかの議論が、そうそうたる識者たちと記者との対談によってまとめられ、密かに世界へ安心を伝えていた。これも爺様の発案だ。ただし、災いは必ず来るという前提だ。
この月刊誌を読んでいる人は太陽系の構成や木星軌道についても、それまでよりはるかに詳しくなり、まだユリカの活動を詳しくしらない人へ、薀蓄を語るように伝えていくことで、月刊誌を読まない人にまで情報は伝わっていった。人々はとても詳しく書かれた内容については、真実だと思いこむ癖があるのだ。その裏に別の真実が隠されていようとも、あまりにも詳しく書かれればそれ以上は無いと考える。この一連の動きが、爺様の代に確立した隠密情報戦略だ。
ユリカが2つの星印がついた騎士証を返却し、大きな1つ星の騎士証をシスカ王から受け取った姿が大型映像機に映し出されると、爆発的な歓声が会場を包み込む。特例の三級から騎士活動を開始したとは言え、学生のうちに一級に昇格というのは史上初だ。中には涙を流して感動している者すらいる。もはや、ユリカはこの地球にとって救世の英雄という感覚で、太陽王の俺なんて霞んでしまうほどだ。俺が民衆の前に太陽王の身分を明かしたところで「ああ、賢者様の旦那さんになるんだね」という認識しかされないかもしれないが、崇められるのはちょっと困るので、まあそれもアリだろう。
ゼルイドもようやく、その力に相応しく一級の騎士証を得られた。さきほどから舞台の下をちらちら見ているので、アイデインと目で会話しているのだろう。「これもアイちゃんのおかげだ」という声がまるで聞こえてきそうな殊勝な態度が俺たちの笑いを誘う。13歳になるゼルイドの娘は友人たちと先に会場へ来ていたようで、さきほどからしきりにアイデインの隣で「父上~!」と叫んでいる。彼女にとっても誇らしい父親なのだろう。その隣にいる彼女の友人と思しき女の子たちも笑顔で手を舞台に向けて振っていた。
「それでは皆様、お待たせいたしました! シスカ王陛下の御前にて、特別加護戦を開始いたします! 皆様、会場をご覧ください。幅、奥行き、高さともに15メートルの巨大な標的が係員によって作り上げられていきます。これをわずか3分間で全て崩すのは、騎士と言えども至難の業でしょう。さあ、今年はどんな詠唱が飛び出すのでしょうか? 一回戦の第一試合は、第四高校と第六高校、入場です!」
彼らも共にアトラタスを生き延びた騎士だ。どのような戦い方をするかは非常に参考になる。だが俺たちは風の加護を使って密かに伝えられてくる、隠密団の行動状況の方に注目していた。今日は一斉逮捕に動く日なのだ。赤い火星の構成員は火星副市長を除いて、すべてここにいるということが分かった。隠密団を分散せず、一度に動かせるのだから効率が良く、失敗も少ないだろう。
のうのうと観戦している風王家の長男ウイング=ダブスを筆頭に、宰相のコーエン=ユウチ、ヤマタイ国主オロチ=ミコト=ヤマト、火星の都市・マズル市長のコライド=ユウチ、それから大蔵大臣も一枚噛んでいることがエスバンの証言によって分かった。彼ら5人を逮捕すれば組織は頭を失い、崩壊する。他は逮捕が漏れても問題は小さいのだが、ウイングとコーエンだけは逃してはならない。
しかしここで問題がある。ヤマタイ国主の扱いだ。オロチだけは丁重に同行を願うという形を取らなければならない。外交上の問題も含むので、取調べは品位のあるものにしなければならないし、捕まえるときに怪我をさせてしまったということでは、余計な問題が増えるだけだ。だからオロチの捕縛については近衛兵が行うことになった。
逮捕の瞬間は彼らの気が一番抜けると予想される、二回戦、俺たちの試合の直前だ。一回戦だと周囲を警戒しているだろうが、二回戦にもなれば意識が緩むだろうという予測なのだ。逆に決勝戦では観客たちが興奮していて、犯罪者がそれに紛れて逃げ出したりすると危険になるので諦めた。
風の加護を使ってどこからか隠密たちが俺たちの控室へ接続してくる。風の障壁を細く長く作り出し、他に声が漏れないようにしつつ目標の人物にだけ声を届けるのだ。一般人に偽装した隠密たちの配置は完了し、現在は周囲に防衛の隠密が同じように偽装していないかを探索中という。だがそれも数が少ないようで、完全に警戒を忘れた犯罪者たちの命運は、これからまさに尽きようとしていた。
「見事、強力な火の詠唱が障壁を突き破って決まりました! 拳術班を3人にして詠唱に集中できた第四高校が勝ちあがりです! 皆さん拍手を!」
会場では強烈な詠唱を相手陣の標的に叩きつけた第四高校の騎士たちが、2連勝で第六高校を破っていた。それでも標的は崩しきれずにいたが、どちらも力は同じように見えた。差があったのは統率力と連携力なのだ。たったそれだけで組織の行動力は激変するということがよく分かる。うまく詠唱を発動する順番を組み合わせ、多少予想外のことがあっても臨機応変に対応できるようにするのは、組織を率いる者がどれだけ優秀かによって変わるからだ。
天気は朝から崩れ気味だったが、やはり夏が近づくと王都・ウルは雨が多くなる。黒い雲が怪しげな風とともに海上から近づき、海側では雨が降り始めているようだった。だが会場周辺の観客がいるあたりはまったく問題が無いのだ。何故なら係員たちが風の加護で雲を吹き飛ばしてしまうからだ。個々人による気象変更は法律で禁止されているが、王家の承諾があればしても良いことになっている。彼らは下降気流を作り出して雲をかき消しているのだ。雨雲が雨を降らす前に消えているのだが、さらには火の加護で、一緒に落ちてくる細かい雨粒も蒸発させてしまう。
「カケル、これなら大丈夫そうだね。一発で終わるよ」
ユリカは優勝請負人としての注目度合いからして、必ず達成しなければならないその要件を、簡単なものとして捉え始めていた。だがその認識は甘いわけではなく、正しいものだろう。
「ええ、そうですねユリカ様。それでも油断せず、全力を尽くしましょう」
何事も油断は禁物なのだ。一応控室とは言え、周囲には一般人もいるので執事兼、団員のフリは続けなければならないが。
「いやいや、全力を出したらもう話にならんべ…でも御前加護戦は手加減なんて、するべきもんでもないべか。さくっとぶちかますか?」
そう、どうせ今日の目的は赤い火星の逮捕なのだ。せっかくだから派手な花火を打ち上げてしまえばいい。それで犯罪者たちも気が抜けてくれればいいのだ。
俺たちは今回、御前加護戦に向けて特に何も特訓をすることがなかった。というより、アトラタスでの活動がそのまま特訓になっていたというべきか。最終的にはいくつかの複合加護を練習してできるようになっていたので、最初から皆それを使うつもりなのだ。拳術についても既に皆達人級となっていたし、本来なら全て崩すことは難しい、敵の標的を全壊させるのに3分も必要なく、一瞬で試合は終わるだろう。出てくる戦団すべて、俺たちの敵にはなりそうもなかった。別に彼らが弱いわけではない。俺たちは目標が違うので強くなりすぎてしまっただけなのだ。
「第三試合は第二高校がなんとか勝ちあがりました! さあ皆さんお待ち兼ねの、一回戦第四試合です! 第一高校と第八高校の試合が始まります! 盛大な拍手を!」
「さあ! みんながんばって行こうー!」
案内役が真打の登場を大声で張り上げると一際大きく歓声が上がり、俺たちのいる控室に大量の撮像機が向けられる。こんな状態に慣れているのはユリカだけだ。力強く足を踏み出し試合場へ向かうユリカの背中は、まるで親父を見ているように大きかった。
「1! …2! …3! …4! …5! …6!」
クマソは校内戦に引き続いて参謀を務める。俺たちに出している合図は次元数の数字だ。低次部分を無詠唱化し、発動時間を合わせるために必要な合図となっている。最後にクマソの合図で、最高次部分のみ発言詠唱を合わせれば『ユリカ型複合詠唱』のできあがりだ。低次部分はものすごく長いので、一つ一つをクマソの声に合わせて心の中で複合させるのだ。相手もやる気満々で俺たちの標的を崩し始めているのだが、この後現れる障壁を見て青ざめることだろう。相手は2人ほどが拳術班としてこちらへ攻撃を差し向けているが、あろうことかユリカとミューに襲い掛かり、逆に返し技を喰らって放り投げられている。知ってさえいれば、この2人に攻撃することがどれだけ命知らずなのかが分かるのだが。2人とも強い心を持っているので体術による妨害を受けていても、心の中の詠唱は途切れるわけもない。
「囲え!!!!」
「「「「「五色の障壁を張り給え!」」」」」
ギインと金属のような音を立てて不思議な障壁が組みあがる。太陽王のみが扱える『光之障壁』を参考にした、五色詠唱による障壁だ。黒い色の混じった虹色の巨大な障壁が自陣の標的を覆っている。同じ五色の攻撃詠唱でなければ打ち破れない障壁であり、時空加護を使えるのはユリカだけなので、実質無敵の障壁だ。多少標的は削られてしまったが、それもこの後の俺たちの攻撃で解決することだ。
「次、攻撃! 1! …2! …3! …」
クマソが攻撃詠唱への切替を促すと、相手は俺たちの障壁を見て青ざめている場合ではないことに気づき、自分たちの標的を何重にも障壁で覆い出した。だがそれもすぐに無駄になるのだ。
「行け!!!!」
「「「「「天空を穿つ五色の光矢を降り注ぎ給え!!」」」」」
今度は低い音、しかし飛空船の音より遥かに大きな音が天から迫ってくる。観客たちは驚きの表情で空から落ちてくる虹に魅了されていた。一本の巨大な虹色の柱が地面と天をつなぎ、震える地面からは豪快な爆音が轟く。やがて柱が消えると、そこには深い穴が出来上がっていた。
これをやると多少疲れるのだが、2回の連続くらいなら問題が無く、次の試合との間には休憩時間もあるので加護が尽きるということも無いのだ。ただ、一試合終わった後はしばらく動けなくなるだろう。
「うまく決まったね~」
「む? むう?」
ミューが可愛らしい笑顔でアルに抱きついている。アルは気恥ずかしいのか、手のやり場が無くなって自分の後頭部に手を当てている。
「お疲れだべ! このまま連勝といくべさ!」
クマソは第一区分を終えて戻ってきた俺たちを労う。クマソも心の中で一緒に詠唱を唱えているのだろう、その時間管理は完璧だった。
「驚きの複合詠唱です! まさに瞬殺、開始から僅か30秒で第一区分が終わってしまいました! 強すぎる第一高校、これでは賭けも10日前に締め切られて当然ですね」
この詠唱は加護戦映えするからちょうどいいだろう。それにユリカを暗殺しようなんて二度と考えないように、犯罪者たちに見せ付ける意味もあった。観客席を見るとシスカ王は飛び上がって喜んでいる。この複合詠唱には、実は俺の光も混ぜていて六色詠唱なのだが、ここまで混ぜこぜにしてしまえばばれないのだ。だが、シスカ王にはそれが分かったのだろう。この力を使って俺たちは木星圏の衛星を改造できるかどうか、試さねばならないのだ。
次の区分は防御せず、攻撃だけを行った。どうせすぐに試合は終わるし、五色詠唱の三連発をするとくたびれて20分くらい動けなくなるのでさっさと終わらせたいのだ。だが、この考えは甘かったことを思い知らされる事態が起き始めていた。
「第一高校、見事一回戦を突破です! いやあ、本当にすごい詠唱でしたね! 最後まで諦めずに戦った第八高校にも拍手を!」
案内役が俺たちの勝利を告げると歓声は雷鳴のようになった。おそらくほとんど全ての人が俺たちに賭けているのだろう。まばらに、手に紙を持っている人たちがいる。そこには恐らく賭けた金額と、木星団の名前が打刻されているのだろう。
「うーん、カケルー。体が重いよぉー」
ユリカは腕をぷらぷらさせて足を引きずるように歩く。観客に応えるために手を上げようとしたようだが、それができずに諦めたようだ。
「派手にやりましたからね。ユリカ様、背負いましょうか?」
「いやいやいや! さすがにカケルにはそこまではさせられないって。それにカケルも体動かないでしょ?」
確かにそうだ、俺も体が動かない。ユリカを背負ったら2人して地面に突っ伏すことになる。
「はっはっは、少し休めば体も軽くなるさ」
同じように気だるそうなマスタが俺たちを励ますが、彼も自分に言い聞かせるように言っているだけだ。
観客たちは盛大な歓声で俺たちを迎えてくれたが、次第にざわつき始めた。ざわつく要因など何もないはずなのだが、人々は空を指差して訝しい表情で見つめている。俺たちはその方向を見て「しまった」という思いに囚われる。
よく見ると、黒い小さな点が空に浮かんでいる。次第にその点が大きくなり、動いていることが分かる。そしてその形がはっきり見えるようになると観客たちは一斉に逃げ出し、会場は狂騒状態となってしまった。あれは…そう、まさかの魔龍。何故この時に来てしまうのか。奴は、マスタの記憶を持っている。だからこの御前加護戦で俺たちが動けなくなるのを待っていたのだ。
「まずいな…」
アルは顔つきを苦く顰めている。
「これじゃ戦えない。逃げないとまずいね」
駆け寄ってきたイリスは逃亡を提案するが、その通りにするしかないだろう。
「よし、作戦は中止。逃げるぞ」
「了解…でもあれ、明らかにこっちに来てるよね。私たちだと分かってるの!?」
悔しいが逮捕作戦は中止だ。この騒動がひと段落してからでなければならないだろう。会場にはけたたましい警報音が鳴り響き、人々は我先にと逃げ惑っていた。俺たちも重い体を引きずって、華之団のみんなの肩を借りながら避難することにしたが、魔龍は俺たちに向かってきている。だがすぐに近衛兵の一部と隠密団が俺たちを取り囲む。ユリカは次元扉を開こうとして失敗している。これでは避難ができない。しばらくは戦いながら体を休めるという、困難な行為を強いられることになるだろう。