21話 漆黒の淑女と若き執事
「ははは…やるときはとことんやるってか」
翌朝ヤグラ家に配達された紙伝を見て、俺は心から笑いながら独り言を吐いた。結局あの後、とんでもない目に遭ったのだ。俺ではなく、ユリカが。
結論から言えば、あの遭難はわざと行われた演技だったのだ。飛空船が三合目の山小屋へ降下して報道陣に囲まれたときは、何が起きたのか正直分からなかったが、遭難者、あの近衛兵の顔をもう一度よく見て、この報道陣に囲まれた姿から結びついてやっと彼の名前を思い出した。彼は最近よく紙伝を賑わせていた王族の一人、マスタリウス殿下だったのだ。
俺の表情に気づいた、遭難者だったはずの火王家の親王殿下・マスタリウス=ダブスが片目を瞑って舌を出してみせたことで、シスカ前王、いやまだ王権移譲していないのでシスカ王、がかなり行動力のある人だと分かった。シスカ王の指示でこのようなことをしたのだろう。この先に起きるであろう、ユリカの国民的偶像化まで含めての計画なのだ。
中央王家は6代前に火王家から養子を取ったのだから、血縁の近い火王家は信頼できるだろう。そしてこの若き親王も乗り気で、ユリカを祭り上げるために一芝居打ったのだ。
捜索は真面目にやったつもりなんだけどなあ、100メートルしか離れていないし、あの吹雪で出歩くのは少しおかしいとは思ったんだ。さすがにあの吹雪では、どんなに山に慣れていたとしても、俺のように光の加護がなければ遭難するに決まっている。だから出歩くわけがないのだ。おそらく俺たちの修練の成果が出るまで、最初からあそこにいたんだろう。そういえば七合目の周囲に雪の解けた跡があったのはそのせいか。
紙伝、これは風伝と違い、本と同じように紙の上に黒い文字を印刷しているものだ。情報の速度は風伝に劣るが、撮像が記事に添えられていることがあり、記者の考察や推測なども読めるので、これはこれで重宝するのだ。ときに時代を象徴するような撮像が紙伝を大きく飾り、その撮影者は名声を高めていく。
今朝の紙伝の一面は、マスタリウス殿下と彼を救助した女子高生ユリカが、手をとって喜びを表現している瞬間の撮像が、紙面の半分近くを覆うほど大きく載せられている。国民に人気の若い王族と、女性にして騎士志望の美少女だから絵になっている。俺もその撮像の脇に、顔が半分切れながらもようやく載っているが、これだけ見ると俺の顔つきのせいでそこに女性がいるようにしか見えない。
――アイラで遭難のマスタリウス殿下、騎士志望の女子高生が決死の覚悟で救助
昨日午前11時ごろ、アイラ登頂を目指していたマスタリウス殿下は低気圧接近による猛烈な吹雪に遭遇し、標高4000メートルの七合目付近で身動きが取れなくなった。しかし食料と保温の為の力石がこの吹雪を乗り越えるには不足していることが分かり、麓の山小屋へ風伝で救助を求めた。ユリカ=カノミさんは同じ頃、登頂後の下山中に九合目で嵐が過ぎ去るのを待機していたが、殿下が遭難しているという風伝を麓の山小屋から伝えられると、殿下の身を案じて忠義を果たすために、10メートル先も見えない状況ながら決死の覚悟で七合目付近まで急速に下降。すぐにマスタリウス殿下を見つけ出し、体温の低下していた殿下を介抱した。もう数十分遅ければ、殿下は危険な状態に陥っていたという。
殿下を救出したユリカさんは、カノミ物流社副社長の長女で王立第一高校に通う2年生、女性としては珍しく騎士になるための修行として召使いと共に、厳しいことで知られる冬のアイラへ登頂していた。このユリカさんによる忠臣の鑑と言うべき救出劇、そしてマスタリウス殿下ご無事の報には、シスカ王陛下もお喜びになり、本日午後にはユリカさんは王城の晩餐会へ招かれ、陛下が労わりの言葉を述べられるだけでなく、女性ながら騎士志望であるとのことなので急遽、個別に加護適正試験を行うという――
うーむ。シスカ王も狸親父だなあ。つまり闇の賢者発見をこの後世界中へ盛大にぶち上げるつもりだ。囮というか、これはもう別物だ。だが笑えるので許せる。シスカ王は、こういうことにはとことんまで演出を盛り込む性格なのだろう。師匠も一枚かんでいたと言って笑っていた。ところで俺は召使いということになっているようだが、太陽王ということはかけらも行間から滲んでこないから、これでいいのだ。
火王家のこの親王は冒険好きで、いつも冒険で新発見した成果は彼のおどけた顔とともに紙面を賑わせていた。俺たちと同じ17歳、若くて美形な王族なのだから、国民の関心は高い。それにしても、王族というのはため息が出るほど美形揃いだ。代々、美形な妃を娶ったからだろう。彼が加護を得て騎士を志望すれば、個人学習だったのが王立第一高校へ編入となるだろう。よくある王族の進学コースだ。つまりこの先一年、マスタリウスという強力な味方が得られたのだ。
さて、こういう事態になるのならおそらく最初の連絡係が今日の午前中にはやってくるだろう。状況を見るに、俺が知らないうちに師匠とは既に会っていたのかもしれない。
サノクラ家の前には記者たちが屯しているのでユリカは動きが取れないだろう。さらには機伝も知人たちからの祝伝のようなもので鳴りっぱなしだろうな。だがこういうときのために風伝があるのだ。風伝は個々の風伝板との連絡が取れる機能を基本としているのだが、本来国民が使用する頻度が高いのは、紙伝を発行している伝聞社が用意する総合風伝機体、区分番号200番台への接続だ。紙伝が配達されるよりも早く記事が読めるのだが、撮像は無いし記事の文字量も限られているため、結局ほとんどの国民は紙伝も読むことになる。
そちらは無事? ―――――外に出れないので部屋で勉強。
午後に呼ばれて晩餐会とか記事に書いてあったから衣装の用意を ―――――気づかなかった。お母様と2人で頑張って探す。
ハハハ。大慌てで似合いそうな衣装を探す2人の姿が思い浮かぶ。きっとサーシャさんが持っている衣装をあれこれ着てみて考えるのだろう。どんな衣装を選ぶのか、ちょっと見てみたいが俺は召使いという扱いなので呼ばれることはないのかなと思っていると、玄関で呼び鈴が鳴った。…連絡係が来たかな。
俺はヤグラ家の正式な家人ではないので、自室でしばらく待っていると、師匠の奥方であるテリシアさんが俺の部屋の扉を叩いた。テリシアさんへは大雑把に太陽王のことについてだいたいのことは伝えている。ただしそれを子供たちには伝えないようにお願いした。子供の口に戸は立てられないからだ。
「カケルさん、お客様がお見えですよ」
「ありがとうございますテリシアさん。すぐに伺います」
今日は平日なので、師匠は本社高楼の最上階で執務に勤しんでいるだろう。長男のカノスは中学、下の子のエリシアちゃんとマルシアちゃんは小学校だ。さて、どんな奴が連絡係で来たのか、楽しみだな。
客間へ足を踏み入れると、年季の入った掃除夫のような灰色の服を着て、みすぼらしい雰囲気をした老人が、席に座りもせず立ったまま俺を待っていた。やや腰が曲がっているようにも見えるが、掃除夫として長いこと働いているのか背筋はかなり元気に伸びている。俺の姿を認めると白い歯を見せてにかっと笑う。良い笑い皺をしていて、見ているだけでこっちも楽しくなる笑顔だった。
テリシアさんは彼が座らないことに首を傾げながら、器に入ったお茶を二つ机に置いていた。話している間は部屋に入ってこないようテリシアさんに小声で伝えて、俺は老人に向き直った。
「いらっしゃいませ。初めまして、ですね? どうぞお座りください」
俺が声をかけると、老人は俺に跪いた。つまり、この人はすべて知っているようだ。彼のこの行動は、連絡係としてただ言葉を伝えるだけでなく、太陽王の臣下として行動しますという意味を伝えているのだろう。しかし彼の自己紹介を聞いて、俺は一瞬立ちくらみがした。
「カケル王。お目通りが叶い、このシルベスタ、この身が震えるほどの喜びに打ち震えております」
「シルベ…ええっ!? シルベスタ先王様でしたか!? お顔を上げてください!」
俺はシルベスタ先王の手を取り、一緒に立ち上がった。よく見れば確かに、俺が紙伝の撮像で知っている姿よりは年齢を重ねていたが、シスカ王の父君、引退したはずの先王だった。
「は、その一生を貴方様の探索に費やした、シルベスタ=ラー=ダブスでございます。先王様などとお呼び下さいますな。呼び捨てでも結構でございます」
「いやまさか、ご隠居された先お…シルベスタ殿がいらっしゃるとは思いもよりませんでしたので驚いています。お体の調子はよろしいのですか?」
少し前に隠居してからは、確か体の調子がすぐれないということだったが、まだまだ元気そうだ。いや、確かシスカ王は隠密団の長を寄越すと言っていた。体調を崩したのは演技で、彼は隠密団を組織して、この国の裏から国民を見守っていたのだろう。
「だいぶ体も悪くなってきておりましたが、貴方様が見つかったと聞いてから、小生も10年ほど若返りましたぞ。もともと、隠密団を率いておりましたので体調には何ら心配はございません」
「それはよかった。とりあえず、立ったままというのもなんですので、お座りください」
「は、かたじけのうございます」
「…それにしても、どうしてそのような格好を? とても王族の方が着るような格好とは思えませんが。まるで掃除夫ですよ。隠密団というのはみんなそのような格好を?」
「フフフ、敵を欺くには味方すら欺けるようでないとなりませんからな。掃除夫の格好をして王城から出てくれば、誰も小生とは思わないのですよ。そう、小生の部下ですら気づかない者もおるでしょう。この格好はちょっとした趣味で、新しく入った部下の驚く顔を見るのは面白うございますよ」
「なるほど。それは良い手ですね。自分もいつか使わせていただきます」
本題は今日の晩餐会のことだった。俺も行けるようなのだ。ただし、ユリカの家の執事とか、お付の者みたいな格好で。あとでテリシアさんに出してもらおう。表向きはユリカのための晩餐会なのだが、裏の目的として俺を歓迎するものでもあるらしい。存分に楽しんでくれということだった。
紙伝にも書いてあったとおり、晩餐会の余興で黒水晶の間に行き、ユリカの加護が発現するのをわざと多くの人間の目に見せ付けるらしい。シスカ王のことだから丁寧に記者まで呼ぶのだろう。さて、一応今後のことも聞いておかなければならない。
「あの様子だと、マスタリウス殿は完全に味方になってくれたのですか?」
「はい、あの子は太陽王と同じ歳でいられたことを大変喜んでいました。火王のマーテルは息子が太陽王と学友になれると泣いて喜んでいましたぞ?」
「高校の中に味方が常にいるのは心強いですね。それと、神官主のほうはどうなっていますか?」
「イーノルス殿は自分の予知が的中したことに満足していました。いずれ行われる太陽王継承式で、神官主として携われる代に生まれたことに誇りを感じているようです」
「火王家、神官家、ともに問題なし…か。会ってみたらまた分かるでしょうけどね」
「それでは、小生はこれにて。今後の連絡は小生がこちらへお伺いすることもありますし、部下がお邪魔することもあるでしょう。ですが皆口は堅く忠義の塊のような者たちですので、ご心配なさらないでくだされ。お呼びだていただければすぐにカケル王のもとへ参りますぞ」
「そうですね、彼らの加護流は既に黒水晶の間で感じ取っておりましたので信用しています。今日は、ご連絡ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
最初の挨拶以外は要件を手短に済ませ、すぐにシルベスタ先王は帰っていった。うーん、どうみても掃除夫にしか見えない。彼は俺と話していた間に発していた人間的魅力、王としての威厳をあっというまに消し去る技術を持っているのだ。どこからどう見てもみすぼらしい老人に変わることができるというのは、高度な隠密技術なのだろう。
「テリシアさん、ありがとうございました」
「カケルさんの声が部屋の中から聞こえたときは驚いたわよ。先王様だったとは」
「ああ、ちょっと俺も驚いて声が大きくなってしまいましたね」
「それで、テリシアさんに相談なのですが」
「ええ、なんでしょう?」
「師匠が冠婚葬祭で着るような衣装はありますか? 王城の晩餐会に出ないとならないようです」
「まあ! いいわねえ! 私もあと10歳若かったら着いていきたかったわ」
「10年どころか、テリシアさんは今でもお綺麗ですけどね」
「カケルさんはだいぶ口がうまくなったのね。まったく、誰に似たのかしら?」
「ああ、師匠に似てきたかもしれませんね。父親みたいなものですから」
「そうね…口ぶりが似てきたわ。そうだ、衣装だったわね。すぐに出しますからね。背格好も同じだから多分似合いますよ」
「ありがとうございます」
テリシアさんは奥の部屋の箪笥からごそごそと礼服を取り出してきた。その黒い生地はしっかりしているようなので、これを着ていれば礼は失しないだろう。
「まあ! ぴったりよー!」
「師匠と…俺も同じ肩幅になったんですね。感慨深いですよ」
試しに袖を通すと、自分のために仕立てられたように綺麗に肩が合う。袖の長さもちょうどいい。師匠には申し訳ないが勝手に貸してもらおう。16時には出ないといけないが、まだ時間があるな。俺が迎えにいくことをユリカに風伝で伝えておこう。
…言葉を失うというのはこういうことなのか。普段の活動的なユリカの格好からすると、まるで別人だ。黒一色で整えられた上着と腰巻。それらはひらひらとした飾りが付き、銀の刺繍があちこちに施されている。手には黒い長手袋、黒い羽根のついた大きめの帽子を被り、かかとの高い黒い靴を履いている。華美すぎず、しかし地味でもなく、美しく結い上げられた黒髪と合わせた衣装一式は、まさに闇の賢者の名に相応しいものだった。だがその黒い色が、普段は表に出すことの無かったユリカの白く細い足をさらに際立たせていた。
「ユリカ様、お綺麗でございます」
「カケル、ありがとうっ! カケルもなかなか…立派な執事さんみたい…」
「今日からユリカ様の執事でございます」
「ぷぷっ」
俺もちょっと調子に乗ってみる。うん、執事という扱いもいろいろと便利だろう。付いてまわっても文句を言われることは無い。
「さてさて! この玄関を開けるとえらいことに…」
「多くの人がユリカ様をお待ちのようです。さ、その美しいお姿を皆さんにお見せしてください」
「やだぁもうカケルー! 美しいなんて…」
ユリカは両手を頬に当ててもじもじと腰を捻っている。その格好でそんな仕草は反則だぞ。俺の中に何かの衝動が突き抜けてこようとするが必死に抑えながら、直視しないようにしてユリカのために扉を開ける。途端、激しい光の点滅が玄関の外から連射される。撮像を撮りまくられているのだ。敷地の外には既に火力車が待機していた。もはや有名人、いやそれどころか偶像化されているな…
「ユリカさん! 加護試験はどのようなお気持ちで臨まれますか!?」
「ユリカさん! 今のお気持ちを!」
記者たちがユリカに質問をぶつけている。生半可に答えると明日の紙伝一面はその言葉で埋まるぞ?
「え~と…私は太陽王のために、この身を捧げる気持ちで適正試験に臨みます」
記者が欲しかったそのままの答えだったのだろう、人の波が避けて火力車が走れるようになっていた。この人たちは答えが出るまで車の前を塞ぐつもりだったのだろうか? 商売に熱心なのはいいことだが。
先に車の後部扉を開け、ユリカが乗ろうとするのを頭を下げて待ち、乗ろうとするユリカの手を取って後部座席へ座らせ、扉を閉めて反対側の扉へ向かう。うん、どうみても執事だろう。
バタンと扉を閉めると、運転手の老人が後部座席を振り返ってニヤリと笑う。あっ。この人もいたずら好きだなあ。撮像の光を放ち続ける記者たちを尻目に、すぐに火力車は発進した。中央王家隠密団というのは神出鬼没なのだ。国を動かすというのは奇麗事ばかりではない。おそらくこうやって裏から支えてくれる者がいなければ成り立たないのだろう。
「シルベスタ先王、わざわざお出迎えいただきありがとうございます」
「ええっ!! 先王様なの!? はわぁ、気づかずにすみませんっ!」
「ええ、今日はカケル王のお祝いも兼ねていますから、隠居したじじいも少し手伝いたくなりましてな」
「ユリカ様。シルベスタ殿が今後連絡係となってくれるそうです」
「カケル王は執事のフリかね? フォッフォッフォッ、お互い好き者ですな」
「あ、あの、先王様、連絡係になっていただいてありがとうございます。今日みたいな場は初めてなので、粗相をしないように気をつけます…」
「フォッフォッフォッ、今度の闇の賢者は、なかなか可愛いお嬢さんですな」
談笑しているうちに、先王が直々に運転する火力車は大手門へ到着していた。