表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜空を見上げる少女等は孤独  作者: 九頭坂本
23/30

消失少女


 赤黒い血溜まりの中、ぐったりとした様子で、その

猫は力尽きていた。

 寂しげな夕陽に照らされたその亡骸は、命ある生物

としての、純粋な美しさを纏っている。

 人間を殺したとしても、こうはならない。

 人間は、醜く足掻いて歪に死ぬ。

 許しを乞う、恨むと言う、暴言を吐く、諦める、自

分を失う、そうやって、ろくな死に方をしない。

 そこに美しさを見出す人間もいるのかもしれないが、

僕にはどうにも理解出来ない。

 美しい猫の死と、醜い人間の死。

 猫と人間。同じ哺乳類で、ただの動物であるはずの

僕等は、どうしてこうも違うのか。

 人間という生き物が、いかに狂った生き物かという

ことが、死に方一つとったとしても、よく理解出来る

はずだ。

 さて、そんな狂った人間が決めた正しさには、凡人

達が群がる正しさには、何の価値があるのだろうか。

「紺」

 無論、そんなものはない。正しさに価値なんて、あ

る訳がない。

 凡人が凡人に正しさを武器として振り翳すなら、見

えない力としての価値はあるかもしれないが、果たし

て、どうだろう?

 正しさを振り翳すことは、正しいことだろうか?

「ぼーっとしないで。紺」

 大衆の正しさに支配された世界。

 大衆の正しさに当てはまらない部分の自分は、殺し

てすらしまう、人形になりたがる、狂気の人間達の世

界。

 この世界は、正しくはない。

 正しいとか間違っているとか、そういうものは結局、

個人の価値観でしかないのかもしれないが、僕は、こ

んな世界が正しいなんて信じたくない。

「紺!」

 初めて聞いた藍の大きな声に、僕は目を覚ました。

 泥のような甘くて粘っこい思考の渦の真ん中から、

強引に引き摺り出されたような感覚がある。

 彼女は僕の両肩を強く掴み、激しく揺すっていたら

しい。切迫した彼女の表情は、現実から逃げようとし

た僕の脳内に、認めたくなかった事実を蘇らえらせる。

 あれは、あの猫の死体は、ノアのものなんだろう?

 片方の欠けた耳、半分に千切れた尻尾。

 そんな見た目の猫なんて、これまで僕は、ノア以外

に見た事もない。

 つまり、僕が、殺したんだ。

 元々、ノアが外に出たがっていることを、僕は知っ

ていたはずだった。

 そしてその外で、彼女が死にかけているところに、

僕は出くわしていたのに。

 僕の用意した杜撰な飼育環境が、ノアを殺してしま

ったのだ。初めてできた友達を、僕の手で殺したのだ。

「紺」

 死体に近づき、様子を見てきたのだろう。

 血の匂いのする方からこちらに小走りで近づいてく

る足音と、大人っぽい、僕をほんの少しだけ安心させ

る、藍の声が聞こえた。

 顔を上げると、無自覚なうちに溢れていた涙が凄惨

な現実をぼやかして見せた。

「泣かないで。ほら、大丈夫、大丈夫、だから」

 藍は僕を抱き締め、頭に手を回し、顔を胸に埋めさ

せてきた。僕を慰めてくれようとする彼女の気持ちと、

温かい彼女の体温が僕の深いところに伝わってくる。

 藍もノアの死に、衝撃を受けているのだろう。彼女

の心臓から鳴る心音の間隔が、異様に早かった。

「見てきた、あの、猫の死体」

 僕の耳元で囁くように、藍は言った。

「片耳と尻尾が、半分に千切れてて、あの猫は、もう

死んでる。でも、あれは」

「聞きたくない」

 咄嗟に出た言葉だった。あの猫は、死んでいるのだ。

 しかし、藍は口を閉じることは無かった。

「あの傷、まだ新しかった。耳と尻尾は、何かに噛み

千切られたみたいなんだけど、傷痕からして、それほ

ど時間、経ってない。数時間程度」

「耳と尻尾が切れてから、数時間しか、経ってないっ

て、そんな訳、ないじゃん。あんな特徴的な身体の猫、ノア以外に、いるわけがないじゃんか」

 藍は数秒間を空けて、困ったように再び話しだした。

「結論、というか、私の予想、なんだけど」

「何」

 彼女の声は、不気味な昂りと、熱を纏っていた。

「ノアだよ。あの猫を、こんなやり方で殺したのは」

 ノアが、あの猫を殺した?

 何の為に?

 どうして、そんなことが分かる?

 脳内が錯乱し、言葉を紡ぐことすら出来なくなった

僕へ、藍は淡々と説明を始めた。

「あの猫の死因は、出血死だった。片耳と尻尾、あと、

お腹に、牙みたいなものでつけられた、外傷があった。

耳と尻尾が切れてから、数時間しか経ってないってこ

とが、どうしてあの猫の死体がノアのものじゃない証

拠になるかってのは、言わなくても、分かるよね。特

徴的なのは、それ以外に、全く傷がないこと。これが、

何を意味するかって、いうと」

 藍は僕の頭を優しく撫でた。

「食べるためとか、そういう理由は全くなくて、ただ、

殺すことが目的だったってこと。私達が人間を殺すの

と、同じ。快楽殺人、みたいな」

「何の、ために、ノアがそんなこと」

 言いながら、心の内では、ノアの行動について、納

得している自分がいた。

 ノアと生活していて感じた、彼女の感情豊かさと、

異常な賢さ。それに伴って生じた、猫であるはずのノ

アの強い人間臭さが、僕をそうさせたのだと思う。

「ノアは、仲間だった猫達を、恨んでるんだ」

 自分を半殺しにした、かつての仲間への復讐。

 片耳と尻尾を噛み千切り、命を奪う殺し方。

 そうやってノアは、彼女の体感させられた痛みと恐

怖を、味わわせてやろうとしているのだ。

「猫の死体とか、血の跡を辿っていけば、ノアのいる

所に、辿り着けるはず」

 藍は僕の体に絡めていた腕を離し、僕の右腕を掴ん

で引っ張る。

「ほら、行くよ、紺。急がないと、日が、落ちるよ」

 目に溜まっていた涙を自由な左腕で拭い、前を向く。

 藍の背中は、逞しく、格好良かった。

 思い出したのは、僕の死にかけたあの夜。

 二度、僕を絶望の中から救ってくれた彼女は、僕の、

ヒーローに違いなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ