第五十二話:打倒
「ラァァァァァ!」
雄叫びを上げて、〈抜刀〉による斬撃を当てる。そのまま〈連閃〉につなげようとするが、怯むことなく前足を振るってきたので諦めて〈ハイジャンプ〉を発動。
空中に逃れ、噛みつきを〈エアステップ〉で回避。
着地点めがけて衝撃波を放ってきたので、即座に〈瞬歩〉で横に跳ぶ。
STの余裕がないので、〈錬気〉は一度保留。ただし六割強のチャージが溜まったので再度の攻勢に出る。
前足スタンプは見飽きた。もう当たってやることはない。
掠めるギリギリの距離で前足を避け、〈抜刀〉と〈連閃〉の二連撃。
かつてはまともにダメージが通らなかった硬い毛皮でも、今の俺ならそれなりのダメージを与えられる。
胴を蹴りつけて足場にし、跳躍して距離を取る。STとチャージの回復を待つため再度の時間稼ぎだ。
足は止めない。木々の隙間を縫って走れば、怒り狂った虎が木をなぎ倒しながら追いかけてくる。
ある程度走ったところで、強く地面を蹴り、勢いを殺して反転。身を屈めれば、飛び掛かってきた狂虎が頭の上を通り過ぎていった。
「グルルルルルァァァァ!」
この戦いが始まって、いったいどれくらいの時間が経っただろうか?
漠然と頭の中に浮かんできた、小さな疑問を獰猛な笑みで噛み潰し、目の前の強敵に集中する。
時間がどれくらい経ったか、そんなことはどうだって良い。
集中するべきは、目の前の強敵の一挙手一投足を見逃さないこと、そして打ち倒すことだ。
狂虎の目に宿った、仮想とは思えない殺意の熱量に充てられて、俺の闘志も尽きることなく増していく。
怖い。息苦しい。疲れた。
余計な感情が頭の中に浮かんで、次の瞬間には闘志の薪になる。
黒色の爪が、空間を抉るように振るわれる。膝関節を曲げ、右側へ倒れるように重心を崩して避ける。肩を掠めた――いや、気のせいだ。証拠にHPは一ドットたりとも減っていない。
右の瞳が虎の目を睨み返していて、左の瞳が振りぬかれた爪の行方を追っている。右足を突っ張って腰を捻り、左足を後ろに引いて支えにする。
左手がバランスを取り、右手が無意識に柄を握って、脳に直接送られてきた情報が八割という数字で、認識したころにはスキルのトリガーを引いていた。
――見える。動く。斬れる。
「〈抜刀〉」
腰の鞘から奔った斬撃が爪の根元を捉えて、クリティカルが発生。バキン、と音を立てて爪を断ち切る。
痛みで引こうとした前足が逃げるより先に〈連閃〉。こちらは切っ先が当たっただけで、大したダメージにはならなかったようだ。
一連の流れで俺も後ろに下がり、〈納刀〉を発動して刀を鞘に戻す。
この辺りで冷静な思考が追いついてきた。
……やば、今ほとんど反射で体が動いていた気がする。
何も考えていないわけじゃない。けれど、頭で考えたことと体の動きにタイムラグがほとんどない、奇妙な感覚だった。
それどころか、脳の片隅では別のことを考えていて、体の動きも無意識の部分があって。脳と体、それぞれに意識した部分と無意識の部分があり、二つずつに分かれたよう。
いいや、体に関してはもっとバラバラに分かれて、全身のパーツが敵を倒すという意思のもとで、個別に最適解を叩きつけていく。
見えた視界の情報を脳が瞬時に処理して、先を予測し、手足の動きを先行で入力していく。
現実という楔から解き放たれた脳が、仮想の体を最善手で制御していく、一種の全能じみた感覚が最高に気持ちいい。
ケンさんが教えてくれた『フルダイブVRに最適化された脳』という意味が、なんとなくだけれども、実感できた気がする。
今なら勝てる。そう信じられた。
距離を維持し、STの余裕を見て〈錬気〉を発動。チャージを回復。
グッと虎の体が沈んだ。咆哮のモーション。衝撃波――ではない、拘束技の方だ。
狂虎の大咆哮で身がすくむ。体の動きを封じられ、そこへ飛び掛かり攻撃がくる。
通常なら回避不可能な距離でも、〈土竜突〉で最速に飛び乗れば、牙の端が掠っただけで済んだ。
ただ、HPは大きく削られている。七割削れたHPをポーションですぐさま回復し、二度目の飛び掛かりはギリギリまで引き付けて〈ハイジャンプ〉。
空中に逃れ、虎が真下に来たタイミングに合わせて〈月断〉で勢いよく上下に折り返す。
背中に一撃、からのバックステップ。
呼吸を忘れていた。一息吸うと、視界がもう一段クリアになったと錯覚する。
暴れる巨大虎をいなし続けたおかげで、気が付けば周囲の木々は軒並みなぎ倒されていた。
地面には爪で抉られた跡がいくつも刻まれ、さらに俺が走り抜けた跡も残っている。
美しく穏やかな泉の気配はどこにも残っていない。泉の水を飲みに来た小動物も、枝葉に揺られて歌う小鳥もいない。毛皮に無数の裂傷を負った虎と、荒い息で笑う剣士がいるだけだ。
だが、その勝負も間もなく決着になるだろう。
牙や爪を折られ、満身創痍ながら戦意の衰えない狂虎。
そしてこの極限の集中が途切れれば、一撃で命が消し飛ぶ俺。
相手の体力が尽きるのが先か、俺の気力が尽きるのが先か。
「グルルルルルルァァァァァァァ!」
「オラァァァァァァァァァァァァ!」
互いに吠え、攻撃を繰りだす。
折れた爪を突き出し、俺の体をへし折らんとする狂虎。
耐久度が目減りし、攻撃力が衰えてきた居合刀を構える俺。
互いの攻撃が交差し――否、交差などさせない。俺の方が先に、上に行く。
迫りくる殺意に怯えず、恐れず、俺は前へと体を動かす。
〈瞬歩〉と〈ハイジャンプ〉をほぼ同時に発動。体が斜め上に弾け飛び、狂虎の爪を飛び越える。
脳天直上。捉えた。タイミングを合わせ〈月断〉を発動。
俺の体が真下へ向かって急加速する。
「これで終わりだぁぁぁぁぁぁぁ!」
叫び、気合と共に居合刀を振り下ろす。渾身の一撃。
切っ先が狂虎の頭蓋を捉え、真っ二つに断ち切った。
着地し、刀を鞘に戻す。頭部から激しいダメージエフェクトを散らす黒毛の狂虎は、最後まで俺を睨みつけている。
その目をまっすぐににらみ返し、高らかに宣言する。
「――俺の、勝ちだ!」
因縁の強敵は、ついに砕け散った。
・黒毛の狂虎の裂爪
非常に鋭い爪。数多の獲物を仕留めてきたこの爪は、黒毛の狂虎の最大の武器である。
・黒毛の狂虎の毛皮
黒毛の狂虎の強靭な肉体を維持する、丈夫な毛皮。特徴的なストライプ柄は、見るものを威圧する。




