17話 渦まく知識/Brainstorm
ブレインストームって響き自体が好き。
自宅の布団で、意志も思考も闇に溶ける熟睡──
人間の生理現象において、これほどの幸福は存在しない。
至上の幸福だと認識すらできない幸福は、人間は眠るために生きているのではないかと結論付けてしまうほどに。
長い長い時間心身を包んでいた安らぎの闇に別れを告げ、瞼が光を取り込んでゆく。
熟睡から覚醒した夜永春斗──ハルは自室のベッドで目を開けた。
激動の半日を乗り越えて自宅のマンションに帰り着いたハルは、空腹を満たす軽い食事と身体のベタつきを洗い流すシャワーもほどほどに、丸十二時間という一日の半分を睡眠に費やした。
異世界という幻想の概念を現実として体験したこと。ワニ頭のクマという未知の生物に、この世界とは異なる法則。自分や幼馴染たちの命の危機。そしてフィクションのキャラクターのように超常的な力を振るうことができる魔剣。
──もしかしてあれらの出来事は、長い眠りの最中に垣間見た夢ではないのか。
現実に基づいた堅実な思考を性分とする身としては、そう考えたほうが精神衛生上いい気すらする。しかし──
「⋯⋯。Elvandhar」
ベッドで仰向けのまま、右手を天井に軽く突き出し、例の発動コードを唱える。
すると、カーテンを閉め切った自室がダークパープルの光に包まれ、右手に魔剣、《楽園と冥府の剣》が顕現した。
天井すれすれまで届く刃渡りの長い黒の魔刃が、およそ高校生の生活空間にふさわしくない不気味な輝きを帯びる。その様は、主に対して「さっさと現実を受け入れろ」と諌めているようだ。
「夢じゃないことくらい、わかってるさ」
ハルはふんと鼻を鳴らし、召喚したばかりの魔剣を早々に光にして消した。
魔剣を収納すると同時に、充電コードに挿したスマートフォンが枕元で通知音を鳴らしながら振動した。
「ぷっ⋯⋯これ、絶対フユだな」
ハルはチャットアプリを開くなり、思わず吹き出してしまう。
夜永春斗、牧夏海、和泉秋大、小山内冬華の幼馴染四人で登録しているグループチャット。
グループ名は、グループ作成した当時から昨日の時点までは、『春夏秋冬カルテット』だったはずだ。
だが、グループ名を表示する欄を見てみると──
──『魔剣士ギルド Four Seasons(4)』──
「ノリノリだな、あいつ」
人見知りの可愛らしいオタク女子が、ウキウキ気分で考えたのだろうと想像しながらチャットを開いた。
NATSU︰おはよー! みんな起きてるー???
FUYU︰おはよう 今起きたとこだよ
NATSU︰ハル起きてるー? 昨日が昨日だし心配だよー!
NATSU︰へーんーじーしーてー!! ハールーくーん!!!!
HARU︰文字でもやかましいな お前は
NATSU︰あ! おはよー!
FUYU︰おはよう 身体はどう? 一番無理して倒れちゃったし
HARU︰おはよう 心配するな ぐっすり寝たからな
HARU︰みんなはどうだ? 普通じゃない現象が身体に起きたんだ どんな影響があるか わかったもんじゃない
NATSU︰あたしは元気だよ!(*^▽^*)
FUYU︰私も むしろいっぱい寝すぎて しんどいくらい
HARU︰アキは起きてるのか?
AKI︰熟睡中
HARU︰ところでフユ ↑のグループ名 変えたのお前だろ
FUYU︰あ バレちゃった ダメかな?
NATSU︰あたしは いいと思うよー(*´∀`)
HARU︰まあ 俺もなんでもいいけどな
HARU︰それでみんな 昼頃にうちに集まれそうか?
HARU︰昨日のことを改めて話そう
FUYU︰うん じゃあ13時に行くね
NATSU︰あたしハルの家でごはん食べたい!
HARU︰いいけど 今うちに大したものないぞ
AKI︰おお じゃあ途中でコンビニ寄ってくわ
HARU︰お前起きてんじゃねーか
こうして四人は、ハルのマンションに集まることになった。
◇
夜永春斗が一人暮らしを営む3LDKのファミリーマンションは、幼少期より両親と共にずっと住んでいたものだ。
だがハルが高等学部に進学してから間もない頃に、父と母は職場を大阪本社に栄転という形で関西に移住することとなり、息子も選択を迫られることに。
大阪に転校するか、地元八王子に残留するか。
地元とコミュニティを愛する若き漢、ハルは、迷うことなく八王子に一人残ることを選んだ。
心配した両親が家政婦を雇うことを提案するもそれを断り、持ち前の要領の良さで勉学と家事を両立させていた。
能力的、精神的に早熟しているとはいえ、一人で住むにはここは少しばかり手広で、時折家族が身近にいないことを物寂しく思うこともなくはない──が。
「んー! 美味しいっ! ねえねえハル! おかわりある?」
「フライパンに少しだけ残ってるから、好きな分だけ取れ」
「いやー悪い悪い、ハル。財布見たら146円しか入ってなくてよ。ゲーム買って素寒貧なの忘れてたわ。土産はコーラで勘弁な」
「アキお前、昨日ラーメンか松屋行こうって言ってたろ。それじゃラーメンどころか牛丼の小盛りにも足りてないだろうが」
「ハル⋯⋯。ここでなら魔剣、出してもいい? もっと観察と、検証を進めたくて⋯⋯」
「みんなが食べ終わったらな」
「あっ、そうそう聞いて! フユってば、自宅の部屋で魔剣召喚して家族にバレかけたらしいよ? 部屋がピカーって光ってさ。お父さんたちが慌てて駆けつけてね」
「! ナツ⋯⋯! ナイショにしてって、言ったのに⋯⋯っ!」
「いやお前それヤベェだろ。部屋に入ったら、真っ暗な部屋で怪しい刃物をニヤニヤしながら眺めてる娘。親どんな気持ちだよ」
「病院か、子供相談センターフリーダイヤルだな」
「部屋、真っ暗じゃないし⋯⋯ニヤニヤなんかしてない⋯⋯っ! 部屋、鍵かけてたし⋯⋯すぐ消したから、バレてないもん⋯⋯っ!」
リビングに広がる、幼馴染たち四人によるやいのやいののコミュニケーション。
こうして騒がしい日々のせいで、そして温かい日々のおかげで、孤独を感じることはなかった。
「──で、腹も膨れたことだし、スマブラでもやるか?」
「えー、あたしマリオカートがいいな」
「何のための集まりだ。昨日の話をするって言ったろうが」
「んー、じゃあまたみんなで魔剣出す? 調べるんだよね?」
「異世界だと⋯⋯帰る方法ばっかりで、それどころじゃ、なかったもんね⋯⋯。ハルの家なら⋯⋯バレずにじっくりできそう」
ハル以外は実家暮らしなので、どれほど気をつけたところでリスクをゼロにはできない。フユのやらかしがいい例であり、四人にとっての『アジト』であるここ以外では不用意に魔剣は出せない。
「それも大事だが、体力とタイムリミットの問題があるからな、後回しにしよう」
「ん? なら優先する話題ってなんだよ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「ハル?」
「⋯⋯今後、異世界に行くつもりがあるのかとか、異世界に行ったところで何するんだとか、色々話をするつもりだったんだけどな。どうにも引っかかる」
「なにが?」
「魔剣を手に入れたあの工場だ。俺たちは何かを見逃してる⋯⋯そんな気がしてな。確証はないが」
「⋯⋯! それ、私もだよ⋯⋯っ!」
フユが身を乗り出してハルに同感の意を示す。
「私も、なにか⋯⋯引っかかってるの⋯⋯。魔剣なんてあった場所だから、当たり前なのかも⋯⋯しれないけど⋯⋯」
「でもあの作業服のお姉さん、魔剣を見て『オモチャ』って言ってて、なにも知らない感じだったよね。他の誰かが置いたってことじゃないの?」
「てかそのおかげで助かったしな。ハルの劇団員設定で上手く丸め込めてなきゃどうなってたんだか。⋯⋯でもよ、ハル。昨日たしか、魔剣が工場にあったこと自体は重要じゃないって言ってなかったか?」
「ああ。あの女従業員が魔剣と無関係ならな。そもそも俺たちが昨日あそこに行ったのは、お前が噂の『幽霊が出るスポット』を確かめようって話を持ち出したからだ」
ハルがそう言うと、思案しながら話を聞いていたフユは、全ての発端となる話題に切り込む。
「⋯⋯ねえみんな。私も前から『幽霊が出る無人工場』の噂のこと、知ってたけど⋯⋯みんなはどこで、『それ』を聞いたの?」
町外れに幽霊が出る無人の廃工場がある──学校の生徒たちを中心に広まっているオカルト話だ。
言い出しっぺはアキだったが、その噂自体はハルもナツもフユも以前から知っていた。
ちょっとした刺激的な冒険のつもりで訪れたあの場所が、結果的に大いなる非日常への扉を開くことになるなどと、その時には夢にも思わずに──。
「⋯⋯あ? そういやどこだったっけか? 誰かが言ってたって気はすんだけどな」
「俺は廊下で話してるのが何度か聞こえてきた程度だ。知り合いでもなんでもない生徒だな」
「あたしは委員会の友達からちらっと聞いたのを覚えてるよ。でも、その子が誰から聞いたかまでは⋯⋯やっぱわかんない」
「この噂って⋯⋯有名だよね。ソースが不明な割に、不特定多数の⋯⋯色んな人たちが、知ってるって感じ⋯⋯」
「怪談やら都市伝説やらって、基本そーゆーもんじゃね?」
「あ、ねえねえ! ここまで有名ならさ、あたしたちより先に突入した人が何人かいてもおかしくないよね? その人たちは魔剣を見つけられなかったのかなあ?」
「もしいるとしたら、その時点では魔剣はまだ置かれてなかったか、そもそも見つけられなかったかの二択になるな。⋯⋯ただ、あの工場はそんなに大きな規模じゃない。不法侵入までして見逃すとは考え辛いか」
「うん⋯⋯。ずっと、魔剣があそこにあったのなら、見つけられなかったっていうのは⋯⋯ないと思う。明らかに、怪しい光だったし⋯⋯」
「最初はその光が『幽霊騒ぎの元凶』だと思ったもんな。それが幽霊どころか魔剣に異世界だぜ? 斜め上の展開にもほどがあるわ」
「無人ってウワサなのに、結局、関係者いたもんね。異世界から帰ってきた直後にバッタリだもん。夜も遅い時間だしビックリしちゃった」
「無人⋯⋯廃工場⋯⋯夜遅い⋯⋯」
──だーいじょうぶだって! ウワサじゃ無人らしいし、ちょっと中を覗くだけ! なあ?
──まあ、ウワサ通り無人ならいい。行くなら行くで、誰か来る前にさっさと済ませるか
「無人⋯⋯!! 『夜の無人の廃工場』に、なぜ『作業服の従業員』がいる!?」
ハルは声を張り上げながら椅子から立ち上がる。
辿り着けそうで辿り着かず、届きそうで届かず、掴めそうで掴めない、そんな焦燥感と違和感。思考が四苦八苦していたそこへ、ようやく指先が掠めた。
「へ? そりゃお前、あの作業着の姉ちゃんが言ってたろ。潰れたからって関係者がいないわけじゃないって。借金で夜逃げしたとかじゃないなら普通いるだろ」
「俺が言ってるのはそういう意味じゃない。どうして『夜の九時』に、『稼働していない工場』で、『作業着姿の関係者』がいるのかって話だ!」
「⋯⋯へ?」
「それって?」
「────っっ!!」
「お前も聞いた通り、あそこはもう以前から潰れてるんだ。あの女本人もはっきりと言っていた」
──言っときますけど、ここ、そーゆーのじゃないから! 結構前に潰れちゃったけど、普通に関係者いますから!
──ほら、今日はもう家に帰りなさい。私もさ、潰れちゃったとはいえ、ここの書類とか設備の処理とか色々あるの。いい?
「残った後処理の仕事があると言っていたことから、それは工場作業のことじゃない。設備が稼働してないのなら『作業着』の意味も必要もないからな。設備の解体やら撤去にしたって、若い女一人がやるわけがないし、かと言って他に関係者は見当たらなかった」
「そ、それに『夜九時の時間』⋯⋯! 変だよ⋯⋯っ! そういう書類とかの仕事があるなら、日中にやればいいだけ⋯⋯っ! やっぱり作業服を着る意味ない⋯⋯! どうしてあの人、私たちが異世界から帰って来たタイミングで現れたの⋯⋯!?」
「この推理が気のせいじゃないとしたら、理由は一つしかない」
ハルは背中に冷たいものが走るのを感じながら、その謎の見解を述べた。
「俺たちに『工場関係者』だと印象づけるためだ。実際、俺たちは帰れるかもわからない異世界から帰ってこれたことや、不法侵入した後ろめたさの心理状態で、些細な疑いをかける余裕もなかったからな」
「お、おいおいおい⋯⋯それじゃあ、昨日工場で会ったあの女は何者だっつーんだよ!?」
「わからない⋯⋯が、それ以外にもあの工場自体が色々と曰く付きだ。昨日工場に入る前にお前が言ってたろ」
──工場の名前わかんねえから、MAP検索でここらの住所検索してみたんだけどよ。ここの名前も、動いてんのか潰れたのかも、なーんも出てこねえ。
「工場の名前もわからず、なぜかネットで調べても詳細が一切出てこない工場。それに、中に入って工場内を調べてる時もそうだ」
──マジでなんなんだよここ。検索してもなんも出てこねえしよ。てかそもそもなに作ってるとこなんだ?
──食品工場って感じじゃないよね。でも服とか、機械の部品とか⋯⋯んー、なんなのか思いつくものがないよー。
「何を作ってるのかも、そもそもどんな作業をするための施設なのかもわからない。これらの違和感は、異世界に飛ばされる前からわかってたことだろ?」
「い、言われてみりゃあ、そういう話したよな。魔剣を見つける直前によ」
「それが直後に魔剣を見つけて、異世界に飛ばされた先でモンスターと生きるか死ぬかのバトル、帰ってこれるかもわからない異世界サバイバル⋯⋯。こんな現実離れした展開が立て続けに起こったことで、すっかり抜け落ちてしまっていた」
「ならあの工場って、工場じゃない『謎の何か』ってこと!?」
「かもしれないな。無人と噂の廃工場に現れた作業着の女⋯⋯。クソっ、昨日詳しく聞いておくべきだった。『出くわした関係者からその場をいかに切り抜けるか』ばかり気がいって⋯⋯。あの工場について、もっと本人に追及すべきだったんだ⋯⋯!」
取るべき策と読みが甘過ぎたことを悔いるハルに、アキたちが否定の声を上げる。
「い、いやでも仕方ねえだろ! あん時のオレらは不法侵入やらなにやらでリーチかかってたんだぜ!? むしろ即興で劇団員のていで抜けられたお前のファインプレーだろがよ! 作業着のヤツが工場に現れたら、百パー『その工場の関係者』って信じて当たり前じゃねえか!」
「そ、それに、まだこの話が正しいとは限らないよ! ただ単に深読みしすぎってことも⋯⋯!」
「ああ、それもわかってる」
それでも勘ではなく論理的な意味での確信があった。
あの女性や言動や態度は、あまりにも自然で、どこから見ても工場の関係者そのものにしか見えなかった。
だからこそ今の話し合いで浮き彫りになった、複数の不可解な点、多くの不自然な要素に説明がつかないのだ。
あの時は上手く騙すつもりが、全て掌の上で踊らされていたのではないかと──。
一度湧き上がった疑念と疑惑が、みるみる膨らんでいく。
魔剣の件も、異世界の件も、自然な振る舞いを装っていただけで、何もかもが全てお見通しだったのか──?
最後に去りゆく自分たちの背に掛けられた言葉を反芻する。
──まったくもう⋯⋯。君たち気をつけて帰りなさいよー! 帰ってゆっくり休みなさい!
ぎり、と苦々しく奥歯を噛み締めてしまう。
その時の彼女は、果たしてどんな表情をし、どのような意図でそんな発言をしていたのだろうか。
「だから魔剣の検証は後回しだ。あの工場を調べ直すぞ! 俺たちは昨日みすみす致命的な何かを逃した。あの『嘘つき女』を見つけるんだ!」
※読み飛ばしOKのおまけ
タイトル名《渦まく知識》は、マジック︰ザ・ギャザリングにおいて、3枚ドローして2枚手札をライブラリートップに戻す、青の1マナインスタントカード。
青の代名詞的なカードの一つ。
一度に大量のドロー (情報確定)はできたが、手札情報を整理した結果、謎が増えてしまった状況と、みんなで情報と知恵を出し合うブレインストーミングの二重の意味。




