91話 実現して欲しくない暗殺
ユア・リナーデルは今現在死んでいる。
もちろんそれは客観的事実ではなく、気分的な話である。
友達のウィンターが魂の抜けたような虚ろな目で学校の机に突っ伏したユアの顔を覗き込む。
「そんなにテストの自己採点悪かったの?」
「……テスト勉強からここ、張り詰めてた糸が……完全に切れた」
「結果の程は?」
「赤点は回避した……と、思う」
「よくできました」
ウィンターがねぎらうようにユアの頭を撫でるが、クラス内でも勉強が出来る方であるウィンターが余裕そうなのが余計にユアの地頭の悪さを証明しているようでユアは素直に喜べない。
その態度がウィンターにも伝わったのか、彼女は少し考えるそぶりを見せるとオウルに手を振った。
「うーん、反応イマイチ。やっぱり彼ピに撫でられないと上手く復活しないかぁ。おーい、オウル!」
「なんだ、急にどうしたウィンター?」
「恋人にテストを頑張ったご褒美をあげては如何でしょうか!」
「そんなもん俺も頑張ったわ」
「うわっ、ガキっぽい返し!」
「中学生はガキだっつの」
身も蓋もない返しと共にため息をついたオウル。
彼からすれば、これで赤点なら勉強に付き合ったクアッドの時間が全てパアになるほどユアの頭がパアということになるのでむしろ赤点を回避して貰わないと困るのだろう。
それはそれとして、その気になれば全科目100点は余裕なオウルに慰められるのは余計に惨めなので気合いを入れて俯いた体を起こす。
「もうすぐいいことがあるから慰めは不要!!」
「あははは、期末テストが終わったんだもんね。嗚呼、麗しのサマーバケーションが目の前に!」
「そうよ、夏休みよ! 夏と言えば白い砂浜が広がるビーチで泳いで、トロピカルジュースと美味しい肉料理に舌鼓を打って、夜は夜景を楽しみながらホテルの一室で優雅に過ごすものなのよ!」
力強く宣言するが、金欠のユアがそんな豪勢な旅行を行える筈もない。
しかし教会の牧師曰く、神は人の頑張りを見ている。
ならば今日までの壮絶な頑張りに見合った見返りを神は用意している筈だ。
多大な願望を過大に膨らませるユアを見つめたウィンターは、にやりと笑うとオウルを肩肘でつついた。
「おい彼ピ、甲斐性見せるチャンスだゾ」
「俺は割り勘派だ」
「うわっ、つまんない返し!!」
「何とでも言え! 俺だって遊ぶ金は欲しいわ! だいたい男が甲斐性を見せるという考えが古い! 男女平等万歳!」
――もちろんオウルがその気になれば最高級ビーチのスウィートだろうと取り放題だが、彼はあくまでユアの護衛であって接待要員ではないので期待はしていない。
それに、別に夏は海だけが楽しみではない。
夏フェス、夏イベ、山のレジャーにプール。
ジルベス合衆国においても夏休み期間は経済が回り、国民の財布の口を緩めるシーズンになる。
幾らユアが貧乏でも数多の娯楽の一つくらいは楽しむことが出来る筈だ。
「中一の初夏休み! 青春の一ページを刻むよ、オウル!」
「具体性が皆無すぎる! せめてなんか一個目標絞れよ!」
「じゃあ海!」
「へいへい、叶うといいですね……」
ちなみにユアの友達の一人、エレミィが「UMA探しに海に行こう!」と彼女めがけて叫んでいるが、その場の全員が一切目を合わせようとしないし聞こえないふりを貫いている。
何故なら、彼女に付き合ったら遊ぶどころかとんでもない辺境に付き合わされかねないからである。
――そして、数日後。
「海だ~~~~~~!!」
潮の香り、さざ波の音色、さんさんと照りつける太陽を反射する白い砂浜を水着で駆けるユアの弾けんばかりの笑顔が声に乗って響き渡る。
周囲の海水浴客が微笑ましそうにはしゃぐ彼女を見送る中、同じく水着ながらやや微妙なテンションで彼女の後を追うオウルはため息をつく。強い日差しが皮膚を焼く感覚がどうにも気に食わないが、日焼けを遮断して真っ白な肌でいるのも不自然なので市販の日焼け止めしか使えなかったのが内心不満だった。
それにしても、まさか数日前のやりとりからいきなり海に直行することになるとはオウルも思わなかった。背中にクジラ型の大きなフロートを背負った殺し屋などシュールにも程がある。
「ユアの願いがこんな簡単かつ穏当に叶う筈ないんだがなぁ……」
二人がいるのはジルベス合衆国の三大ビーチと呼ばれるジルベス南西沿いの一大リゾート地、ヘクラーネ島に広がるヘクラーネ海岸。その砂浜の長さはなんと約5kmもあり、サマーバケーションに押し寄せたジルベス合衆国民をして埋め尽くすことの叶わない、まさに最大のビーチだ。
ヘクラーネ島は一大リゾート地と銘打ってはいるが、高級リゾートというよりは旅行で海を楽しむ際のど定番という感じの場所で、高級なホテルやレジャーもあるが庶民向けのプランも充実している。なのでユアが夏休みに遊びに来るには無理のない場所だ。
しかし、行けないことはないが即断で行くと言えるほどユアの懐事情は温かくない。
それが何故急転直下で行くことになったのかというと、原因はユアの後見人である彼女のおじにある。
「まさかおじの務める会社の慰安旅行直前にシュトロイエンザの集団感染が起きて人数合わせが必要になるとは。人の幸せとは誰かの不幸の元に成り立っているとは、ありゃ真実だな」
「いやまったく」
オウルの後ろでうんうん頷くのはライフガード用の高い椅子から二人の様子を見るテウメッサだ。
彼はアルバイトの体でビーチにやってきているが、これはユアの護衛に最適だからだ。
テウメッサは違うが、ユア、オウル、そしてミケは人数合わせでタダの旅行に参加している。
サーペントは例によってネット越しに目を光らせている。
椅子から飛び降りいたテウメッサがサングラスを光らせて後方に立ち並ぶ海水浴客向けのホテルに視線をやる。
「会社は既に代金を支払済み、ホテルは準備済みの最悪のタイミングで人がいなくなり、規定に基づくキャンセル料を払いたくない会社がなんとか人を集めろって言いだしたらしいけど?」
「旅行業界じゃ一時期ライバル企業を減らす為の悪質キャンセルによる営業妨害が横行したからな。今時のホテルは殆どがキャンセル時に違約金を払う契約をしないと団体予約を取らない」
「ユアちゃんからしたらおじさん大好き! って感じか」
「おかげで俺らはおじさんと面つき合わせることになったがな」
ユアのおじにして後見人のカレラ・リナーデルは姪の彼氏にずっと興味津々だったらしく、しかもここに到着するまでの飛行機でオウルの隣の席に来たもので、それはもう様々な質問をされまくった。馴れ初めから普段の様子まで根掘り葉掘り聞く様はユアも恥ずかしがって途中で止めに入るほどであり、なんというべきか、カレラの無邪気さが覗えた。
おじとはいえリナーデル家の血のつながりか、彼からはユアと少し似ている人畜無害さを感じる。つまり、護衛としてはユアが二人に増えた気分である。
「おかげで動きにくいわおじの護衛も並行してやらなきゃなんないわで散々だ……」
「ミケがあっちの護衛請け負ってくれてるからいいじゃない」
「あのイカレネコだから心配なんだ。殺しはしないまでもカレラを籠絡して俺の義理の母になるとか訳分からんことをしかねん」
「ああうん……どんまい」
堂々と肌を露出したきわどい水着で――とはいえ、それくらいの水着はリゾート地では取り立てて珍しい訳ではないが――カレラと彼の同僚たちにサンオイルを塗りたくって魅了してゆくいる様は、もはやそういう商売の人間にさえ見える。彼女のやらかしをありありと想像できたのかテウメッサがわざとらしくばつが悪そうに謝ってきたのが妙に腹立たしいオウルであった。
と、海水を足でかき分けてはしゃいでいたユアがオウル目がけてぶんぶんと手を振る。
「ねー! いつまでそこにいるのー!? クジラフロート持ってきてよぉー!」
「今行くよー! ……はぁ、連絡怠るなよ。人食いサメの最初の犠牲者になりました、なんてオチは最悪だ」
「ああ、サメ映画の金字塔の。後追い映画の出来がだいたい最悪な」
「実際にはサメはシャチには勝てない訳だが、なにせ自然のやることだから用心はしないとな……」
パニック映画ならユアとオウルは最初にサメの犠牲になる馬鹿なカップルといった所だろうが、オウルはユニットを所持した殺し屋だ。
【ビッグジョー vs U.N.I.T.】……映画館で見かけたらまず時間を無駄に浪費するクソ映画間違いなしの悪夢の組み合わせが実現しないことをオウルは切に願った。
※この頃大変な時期だったせいかうっかりおじさんの名前別キャラと被ったまま書いちゃったので名前修正しています。




