89話 限定的な暗殺
飛び去った黒いユニットの反応が完全にロストしたことを確認し、イーグレッツはアクティブシールドとライオットバトンを量子格納し、重い足取りで倉庫だった場所を後にする。
ドアは辛うじて残っているが、もはやそこから出るのが馬鹿馬鹿しいほどに壁が少なく、骨組みが剥き出しな部分も少なくない。
これだけのことをして、イーグレッツは何の成果も得られなかった。
むしろやったことと言えば虎の尾を踏んだだけだ。
しかし、イーグレッツは諦めた訳ではない。
「目的の為、大義の為なら国民すら犠牲にすることを厭わない……そういう性質の存在であることは再認識出来た。あのしぶとさも薬品に頼ったものだろうと予想はついた。同じ手は二度と喰らわない」
必死に自分に冷静たれと言い聞かせるが、それでも己への不甲斐なさから自然と拳を握りしめ、【ゼピュロス】のマニピュレータがギチギチと不快な摩擦音を立てる。生身の腕なら、きっと自分の爪で掌の皮膚を突き破っていただろう。
だが、拳が不意に緩む。
「この不甲斐なさは、別の何かにぶつけるか」
彼の脳裏を過ったのは、以前同じ事をして出血した際に叱られたユアの言葉だった。
「いろいろ考えるのは分かるが、己の身体は労れ……か」
人を助け、悪を挫くためにはどのような危険も受け入れるつもりだったが、思えば選択を迫られたあのとき彼女を思い出せて良かったのかも知れない。
ただ顧みないだけなら誰にでも出来るが、それは自棄と変わらない。
また一つ、彼女に感謝が増えた。
倉庫を出ると、既に離れた場所で実働部隊の拘束が終わっていた。
「これで全員か?」
イーグレッツの問いに、鎮圧装備を着込んだトーリスが答える。
「鎮圧時に六名死亡、三名が重傷を負いました」
「そうか。気の毒なことだ」
犠牲者と負傷者の話をイーグレッツがさらりと流したのは、それが特務課ではなくテロリスト側の話だからだ。特務課は全員無事であることは、常に彼らのバイタルをユニットで確認しているイーグレッツが誰よりも知っている。
目の前にはひしゃげた中古パワードスーツの中から引きずり出され、コンクリートの大地に両腕を拘束され頭を垂れる元軍人のごろつきがずらりと並んでいた。
「特務課長が配備したアクティブシールドのおかげで鎮圧はスムーズでしたが、敵側のパワードスーツが整備不良でシールドに殺されてしまいました」
「シールドの磁界発生を応用した電磁石化による引き寄せに中古フレームが耐えきれず背骨が粉砕でもされたか」
旧式パワードスーツは鉄製部品が多いため、さぞ電磁石と化したアクティブシールドによく張り付いたことだろう。その過程で運悪く妙な張り付き方をした者たちがへし曲がったフレームとクラブサンドにされたことをひしゃげたスーツが物語っていた。
「粉砕から窒息、内蔵破裂まで死因は様々です。引きずり出すのが面倒ですね」
淡々と告げるトーリスに彼らへの慈悲は感じられない。
彼らは我欲のために多くの人間を犠牲にしようとした犯罪者であり、同情の余地も擁護の必要も一切ないからだ。
と――ジルベス警察庁から専用回線で緊急の通信が入る。
『警察庁より特務課へ。こちら警視総監。聞こえているな、イーグレッツ・アテナイ特務課長』
(警視総監が直々に……?)
ガンブ警視総監はジルベス警察庁の頂点に君臨する人物だ。
イーグレッツとの関係性は特務課の性質上そこまでいいとは言えないが、さりとて目の敵にされている訳でもない微妙な関係にある。
「通信状態良好。何用ですか? 今し方マレスペードファミリーの内紛を助長した犯罪者のパワードスーツ部隊を鎮圧し、その処理の最中なのですが? 予め通信も送った筈ですよ」
『相変わらず不遜な物言いよな……まぁよい。今回は特務課をねぎらう。よくスーツ部隊を鎮圧してくれた。マレスペードファミリーを巡る内乱はこれにて終結だ』
「……? 組織内の内通者や首謀者がまだですが?」
『いいや、内通者も首謀者も計画内容も、全容は全て解明されている。あとはどう動くか読めないパワードスーツの実働部隊だけが懸念事項だったが、君たちが速やかに鎮圧した。あとは殆ど検察の仕事になる』
突然すぎる終結の知らせに、イーグレッツは訝しんだ。
イーグレッツとガンブの関係が悪い理由に、ガンブと政府有力者の繋がりがある。つまり、ガンブは政府や有力者の都合をある程度受け入れる側であり、完全に法や国民の味方ではない。
事実、イーグレッツが追いかける事件を牽制したり妨害とも取れることをする一方で特務課をいいように利用して犯罪者を検挙したりと油断ならないところがあった。
「素直には頷きかねますね。余りにも経緯が見えない」
『タレコミがあったのだ。警察より几帳面に思える程の信頼度が高い証拠と共に。それで全てが判明した』
「一体誰のタレコミですか」
『匿名希望だが……我々はマレスペードファミリーの本家によるものと見ている』
「本家? 内紛を起こされて慌てふためく本家が?」
犯罪組織が粛正方法の一つとしてその人物の犯罪歴や証拠を警察に送り届けるという方法はなくなはいが、もし今の話が本当ならばマレスペードファミリーはこの騒動が起きる前から怪しい人物を特定していないとおかしい。
そこに至って、イーグレッツの中で何かが繋がった。
死亡が確認されたのは古参の幹部ばかり。
一触即発の事態にも拘わらず消極的な主力派。
民間人への死傷者の少なさも、思えば奇妙だった。
イーグレッツは、今回の内紛は主力派とニクス派の双方に黒幕の協力者がいれば都合良く事は運ぶものの、双方の目がそれほど節穴であるとは考えていなかった。
では、逆だとすればどうだろう。
双方、最初から理解した上で利用するために獅子身中の虫を疑いもなく招き入れたふりをしていたとすれば?
イーグレッツは思い違いをしていたのかもしれない。
内通者はいない筈だから、物流と交通の中心に近い場所から逐次状況を把握して行動することで黒幕は状況をコントロールしている――その予想は半分は正解だが、もう半分は不正解だったのではないか。
『ルクレツィア・マレスペードは我々の想像を遙かに凌駕する女狐だったということだ。黒幕なる人物は、我々が現場のアパートに到着した頃には既に粛正を受けた後だった』
「ルクレツィアは最初からこの騒動を引き起こすつもりで動いていた――そういう、ことですか」
『業腹なことにな』
ガンブはうんざりしたように鼻を鳴らす。
『余りに凄惨な現場に到着した部下たちの何人かは胃の中身をひっくり返しそうになったそうだ。これほど猟奇的な死体は滅多にお目にかかれない。全ての指を丁寧に銃で撃ち抜かれ、全ての関節を丁寧に鈍器で砕かれ、あらゆる部位を切り取られ、生きながらにあらゆる苦痛を与えられた末に――ああ、まぁ、死んではいないが、彼からすれば殺してくれた方がマシだろうな。一生蛹になれない芋虫だ』
「自白だけでも取れるようモルタリスカンパニーに再生治療を頼んでみますか?」
『ナイスなアイデアだな。脳に電極を刺してイエスとノーだけ喋れるようにして貰おうか』
無論、それは二人のジョークだ。
現代の再生医療ではどうにも出来ない損傷なのだろう。
仮に再生できたとして、拷問で肉体ごと精神を破壊された人間の証言に信憑性が宿るか、そもそも本当に意思疎通が出来るようになるのかも分からない。
ただ、起訴出来るだけの証拠だけが警察の手元にある。
恐らく彼は百年をゆうに越える懲役刑を科されて一生管を繋がれた生きる肉袋になるか、或いは人道的見地の名の下にモルタリスの実験サンプルにでもなるのだろう。
犯罪者に同情はしない。
しかし、彼は半端に賢しいが故に余計に不幸になったとは思う。
『まぁ、少なくとも特務課の活躍が意義あるものであったことは認めるが、そこまでにしておくといい。計画的犯行だったと言うことは、マレスペードファミリーは更に深い場所へと潜ったということだ。組織構造も大幅に変化し、検挙は更に困難になった。今すぐ叩くことはできない』
実際にはそれ以外の含みがあるのだろうが、意見そのものは尤もであり、イーグレッツはガンブの言葉を素直に呑み込むしかなかった。
――それから間もなくして、マレスペードファミリーの内紛はニクス派の殆どが粛正される形で決着したが、肝心のニクスの死亡は確認されないままだった。【ネスト】は事実上の解体となり、散り散りになった者たちは逮捕されたり痕跡が途絶えたりでその後どうなったのかは定かではない。
マレスペードファミリーは現体制を完全に捨てて日常を取り戻した社会の中に潜伏し、その所在も実態も余計に知れないものとなったが、世間はただ平和な日々が戻ってきたことを喜んだ。
ただ、一部の人々の元に平和は戻ってこなかった。
たとえば、物流センターの騒ぎで荷物が破損して待ちに待った品が手元に届かなくなった哀れな一般市民……ユア・リナーデルとか。
「私の……私のなけなしのお小遣いで精一杯買った推し活グッズが……グッズがぁぁ……」
ベッドの上で枕に涙を滲ませて嘆き悲しむユアの沈みっぷりに、オウルは下手な慰めの声をかける。
「おいユア、もう泣き止めって。事情を話せば流石に返金対応はしてくれるだろ」
その言葉が火に油を注いだのか、ユアが以前安眠妨害してしまったときに匹敵する恨めしげな目つきでオウルを睨めつけた。
「今回だけの、何度も落ちた抽選を潜り抜けた、限定グッズだったのぉッ!! もう二度と受注生産されないのぉッ!! オウルなんかにこの気持ちわかんないでしょッ!? うえぇぇぇぇ……私のアクリルスタンド全種とタオルとパンフとバッジとゆるゆるフィギュアがぁぁぁぁ……!!」
「一杯買ってるなおい……」
特務課も最低限の被害に抑えられるよう頑張ったにも拘わらず山ほどの荷物の中の僅か一握りの中にユアの荷物が含まれていたのは不運としか言いようがない。流石にイーグレッツが悪いとまでは言い切れないが、やはりあの男がいると碌な事がない、と、オウルは辟易した。
(俺が直接会わなくてもこれとは、本当に疫病神だな)
このまま枕を抱きしめて泣きじゃくるユアを励ましきれない場合、クアッドは任務失敗かもしれないのでオウルからすれば恐ろしい話である。
壊した原因とも言えるテウメッサも重傷ですぐには謝罪に来られない。
頭を掻きむしったオウルは、大仰に宣言した。
「ああもう、俺たちクアッドで頑張ってどうにか同じ未開封品を探し出してやるよ! 勿論転売ヤーに頼らず合法的にだ! 全部は無理でも可能な限り探し続ける! だから、な?」
「うえぇ……ぐすっ……や、約束だからねッ!?」
「クアッドの名に賭けて嘘は言わない」
そこまで断言してやっとぐずるユアは少しだけ落ち着きを取り戻したが、殺し屋集団の名に賭けて合法的に推し活グッズを手に入れる宣言は冷静に考えると何の保証にもなっていない。
死ぬほど下らないことにクアッドの名を賭けてしまったオウルは、暫く方々手を尽くすことになるのであった。




