69話 番犬による暗殺
兵士達を包囲するワンダホくんの集団が明らかに【クィルサ】を味方として見ていないことに、リーダー兵士は混乱する。
(病院の制圧が完了した時点でこのドローン達の指示機能は全て掌握した筈だったのではなかったのか!?)
あの内通者に騙されたか、単なる不具合か、或いは他の何者かによる干渉なのか。
混乱した兵士の一人がワンダホくんに怒鳴る。
「おい、何言ってるんだお前ら! 病院全体の監視に向かってねえのか!? ワンダホくん、俺たちは違反者じゃなくて正当な使用者だ! そこをどいてくれよ!」
『ワンダホくんには難しすぎて何を言ってるのかよく分からないワン! 犬だから許してワン!』
「こいつ腹立つ!!」
AIが言葉の意味を図りかねることは技術が発達した今もたまにある話だが、今ほどそれが腹立たしく感じたことはない。そんなやりとりをしているうちにも時間は刻々と過ぎていく。
ワンダホくんは嫌味なまでに正確に内部で時間を計測していた。
『残りカウント二〇秒だワン!』
『対象の興奮を検知! 念のためにFCS起動、攻撃準備だワン!』
ワンダホくんの下部暴徒鎮圧ブロックが展開されて中から武装が出てきたところで、リーダーを任されたh兵士ははっとして通信機能をアクティブにする。
「HQ! HQ! こちら捜索部隊! ワンダホくんの様子がおかしい! 至急指示機能に問題ないか確認されたし、オーバー! ……HQ! HQ!?」
仮設本部からの返答がない。
焦れた部下がリーダーにせっつく。
「おい、もう時間が無いぞ! 一度部屋に戻るか!?」
「駄目だ、ロックされてる!」
『逃げる事は誰だって出来るワン! でも間違いを認めて強くなるのが人の特権だワン!』
『あと一〇秒だワン!』
妙に人を諭すようなことを言うワンダホくんもそろそろ我慢の限界が近い。ここは一度素直に降伏し、後にHQがワンダホくんの不具合を修正すれば解放されるかもしれない。
それに集合したワンダホくんの数は既に五〇を超えており、いくら【スケルトン】の機動力でも全て薙ぎ倒すのは現実的ではない量になっている。突破しても騒ぎになるのは必至であり、作戦失敗を招きかねない。
口惜しいが、これ以上は抵抗できない。
「……全員、【スケルトン】より速やかに降機せよ……」
結局、捜索部隊は全員ワンダホくん軍団の手によって拘束されることとなった。
無人ドローンに捕虜にされるという屈辱を味わった末に彼らは病院の一室に連行される。そこは精神不調で暴れる患者を一時的に預かるのに利用されている部屋だった。
彼らはそこに広がる光景に膝から崩れ落ちる。
そこには、隊長以下HQで指示を出していた面々が拘束されて床に転がっていたからだ。
この瞬間、ワンダホくんの不具合を修正するという可能性が潰えた。
【クィルサ】は、何者かに嵌められて逃げ場を失った。
◆ ◇
天井裏で【クィルサ】の制圧を確認したオウルは、一息ついてタブレットを床に置いた。
「――ま、こんなもんだろ」
【クィルサ】のその協力者も、病院のセキュリティシステムを掌握したまでは良かった詰めが甘かった。
あくまでセキュリティシステムが持つのはワンダホくんへの優先命令権であり、ワンダホくん側のシステムと完全に連動している訳ではない。オウルたちクアッドがワンダホくんを自由に操れたのは、ワンダホくん側の根幹システムを既に書き換えていたからだ。
【クィルサ】の人数は三〇人にも満たないのに対し、この病院ではゆうに一〇〇機を超えるワンダホくんが稼働している。しかもワンダホくんを通して情報が筒抜けになれば、彼らを制圧するのは難しくない。
一部抵抗した者もいたが、テウメッサが物陰からこっそり仕留めたので被害は殆どゼロ。ついでに中枢コンピュータにバックドアを仕込んでおいたため、今現在病院の全てがサーペントによって掌握されている。
ユアはクアッドの鮮やかな手際に感心していた。
「すごい……死者、怪我人ゼロだ」
「いや、まだ病院内の協力者を全員あぶり出せてない。とはいえ大分盤面は有利になったかな」
慣れない仕事に肩が凝った気がして軽く伸びをすると、オウルは今度は臨床試験のデータを調べる。
ユアは監視カメラをジャックした映像を眺め、ふと不安げな顔をした。
「この人達さ、どうなるの?」
「警察なり軍に突き出してもいいが、一番面倒のない方法で母国に帰って貰う。さて、その方法とはなんだと思う?」
「うーん……」
逮捕しないのならば強制送還もない。
ならば国内に留まって貰うことになるのかとも思ったが、テロリストをわざわざ国内に置いておく判断をオウルがするかがユアには疑問だった。
「撤退するにしても、任務は失敗しましたじゃこの人達も帰れないよね……」
「ああ。だから、個人情報を除外した臨床試験データを握らせて当初の撤退ルートを使って帰って貰う」
「あげちゃうの!?」
まさか譲歩するとは思わず驚く。
「連中は当初、病院に集められたデータを丸ごと消した上で自分たちだけデータを持って帰る予定だった。それに比べれば、病院はデータが残るしあいつらも多少は成果を得て帰る口実が出来る。それに、データが漏洩したらモルタリスは損するが海外で特効薬の完成が早まれば結果的にシュトロイエンザで死ぬ人間はより減るだろう。それともジルベスの国益第一で考えるか?」
「……まぁ、そっか。医療格差ってあるもんね」
ユアはアゲラタ病院に来てからずっと地元病院との格差に驚いていた。
これがもっと田舎の病院なら格差は更に大きく、病院も殆ど無い地域なら更に差が開く。海外の見知らぬ人を助けると言われてもピンとこないが、【クィルサ】の任務には未来の大勢の人の命が懸っているのかもしれない。
「ジルベスは充分豊かだし、これくらいなら奪われても……ああでも泥棒入り放題っていうのは駄目かぁ」
「だから俺たちが釘を刺す。ま、お前が退院したら俺らも撤退するからモルタリスが後で工作に気付くだろ。そうすれば同じ手で病院が占拠されることはもうない」
「色々考えてくれてたんだ」
「当たり前だ。こんなの殺し屋の仕事じゃないんだがなぁ」
愚痴っぽくぼやいたオウルは、不意に作業を中断して立ち上がる。
「どしたの?」
「内通者を炙り出すまで病室に戻すのはなしだが、ここじゃお前が宿題しづらいだろ? 下の倉庫から適当に机になるものでも持ってくる」
「え! いい、いいよそんなに気を遣わなくても! ね!」
すっかり忘れていた、と、ユアは嫌な汗を背中にかく。
ユアの宿題はまだ今日の分だけでもあと十一問も生き残りがいるのだ。出来れば夜に回してしまいたい。決してやっている途中に眠くなって投げる未来でいいやと受け入れている訳ではないが、オウルの横で勉強を始めてしまうと言い訳で逃がして貰えなくなる。
オウルはそんなユアの性根をよく理解しているのか、的確に逃げ道を潰しに来た。
「ね、じゃない。炙り出しにいつまでかかるか分からないから無駄な時間のを浪費しないようにという俺の優しい心遣いだぞ? サボらずやれ」
「そ、そんなこと言ったらオウルだって学校サボってここに来てるじゃん!」
「学校にはシュトロイエンザに感染したと偽造診断書送ったので問題ない」
「せっこ! しかも不謹慎!」
高度な書類偽造の無駄遣いにも程がある。
きっとオウルはこのあと「そもそもお前のせいで来なきゃならなくなったんだぞ?」と悪びれずにちくちく言うだろう、とユアは内心抵抗を諦めかける。
しかし、オウルからかかった言葉は意外なものだった。
「データ処理の片手間でよけりゃ手伝ってやる」
「え……あの常に意地でも手伝ってくれないケチケチオウルが!?」
「ケチとはなんだ。はぁ……今回お前が狙われたのは俺のミスでもあるからな。今回だけ特別だぞ」
「……っ」
どきり、と、胸が高鳴った。
そのときのオウルの横顔は皮肉屋でも殺し屋でもなく、年齢相応にばつが悪そうで――彼の中にある数少ない『普通』が表出していた。
ずるいなぁ、と、ユアは思う。
そんな優しい顔で言われてしまうと、断るのが勿体なくなってしまう。
結局、ユアは嫌とは言えずに宿題に向き合った。
「オウル~……これ、この慣用句って……」
「森が含まれる慣用句だ」
「そんなのあったっけ? えっと、森、森で検索……」
「ちゃんと記憶になかったのはメモファイルにでも書いておくといい。コピペじゃ記憶に定着しづらいからな」
「はぁい」
オウルがヒントを出してくれても苦戦する問題はあったが、どうしてかユアはこの時間がもっと長く続けば良いのにと叶わない願いを抱いた。




