70話 おくられる暗殺
ワンダホくんの巡回を避けて病院内を移動するイグナーツ・ロヨンは内心で【クィルサ】に悪態をついていた。
(あの役立たず共、なにが特殊部隊だ! ここまで手引きしてやったのに纏めて捕まりやがって!)
計画を台無しにした後進国の野蛮人を怒鳴り散らしたい衝動に襲われるが、吐息さえワンダホくんに悟られる可能性がある今、それを実行するほどイグナーツは直情的ではない。
警戒心を露にイグナーツは壁に背を集めながら廊下を移動する。
アゲラタ病院は曲がり角の死角をなるべく減らして衝突を防止する為に壁の角が削られており、見渡しの良さが恨めしい。
見慣れた見渡しの良い清潔な廊下が、今だけは脱獄中の囚人が自由を求めて走る通路に見える。ここを乗り切れば自由に近づけるが、少しでも計算が狂っていれば二度と機会が訪れない。
希望と恐怖が隣り合う薄氷の道だ。
息をひそめ、足早に廊下を通り過ぎると即座に近くの空室に入り込む。その一秒後、曲がり角から巡回中のワンダホくんが現れて通り過ぎた。センサーに感知されやしないかと冷汗を隠せなかったが、イグナーツを探してはいないのか素通りしてほっとする。
NGO【イブネス・メディスン】は今回の計画の為にあったのだ。
【クィルサ】が役に立たないなら、彼らなしでもやるつもりだった計画を実行するしかない。非常時を想定して準備もしていた。
問題はただ一つ。
いまワンダホくんを操っているのは誰なのかだ。
最初はモルタリスカンパニーの保安部にバレたものかと思ったが、それにしては動きが大人しい。別口の産業スパイの中に飛び抜けて優秀な者がいたにしては逆に派手にやりすぎだ。
何にせよ、保安部の介入でないのならばまだ希望はある。
システムを乗っ取った者は監視カメラの映像をすり替えている理由をよく理解している。もしカメラが正常に戻ればその瞬間にモルタリス側に感知されるからだ。
(まだだ……まだ道は途切れていない……モルタリスめ企業という名の人食いの怪物め! 人の正義まで飲み込めるなどと自惚れるなよ!!)
イグナーツは警備の穴を縫い、地下へとひた走った。
◇ ◆
ユアの宿題もある程度片付き、オウルがなかなか内通者の行方を掴みきれないことからワンダホくんの巡回プログラムを解析されている可能性を考慮してシステムを弄りだした頃――サーペントから通信が入った。
『オウル、鼠の名前が分かったよ。イグナーツ・ロヨン、三十二歳男性。イデアル値は15。でも社会の監視システムを上手く掻い潜っていくつかの名前と地位を持っているようだ』
イグナーツの個人データが次々に送られてくる。
偽装された地位は計四つで、どれも表になれば公安にマークされてもおかしくない。特別目を引くのはNGO【イブネス・メディスン】のメンバーであることだ。
『【イブネス・メディスン】か。国連には応援されてるがジルベス政府には嫌われ者だな。世界の医療格差の是正が行動理念だったか』
『医療関連技術を海外にわざと流出させることで医療独占を防ぐとか言ってるけど、実際には医療分野で一位のジルベスを狙い撃ちしてるような組織だ。ジルベスは国連に嫌われてるからねぇ』
【イブネス・メディスン】がこれまでに流出させた技術や薬は、全てがジルベスの独占技術だ。
ジルベスより狙い目で医療技術二位の筈のラキスランドは一切被害を受けていない。
彼らの理念からすれば独占率一位を狙い撃ちにすることは効率的にも見えるが、情報の流出で最も得をするのは医療独占の程度で言えばジルベスと大差ないラキスランドだ。
変動しているのはジルベスとラキスランドのパワーバランスだけで、彼らの行動が医療格差の是正にそれほど寄与しているとは言い難い。いくら技術を流出させたところで貧困が理由で割を食っている人々が救われることはまずないからだ。
貧困は病院を奪い、薬を買う金を奪い、健康を保つ資源や環境、知識さえ奪う。
ジルベスはそうした国家や地域に相応の金をかけて支援しているので、碌に支援もしないどころかジルベスの支援を妨害するごろつき国家やお高くとまったラキスランドに比べればまだマシな方である。
つまるところ、【イブネス・メディスン】はパルジャノ連合の勢力圏の意向を強く反映した彼らの尖兵のようなものなのだ。
『そんな組織に身を置きながらアゲラタの上級職員クラスにまで上り詰めるとは、モルタリスも間抜けだな』
『いやはや、イグナーツ医師は気合いの入った人物みたいだよ? ジルベス生まれのジルベス育ちな生粋のジルベス人でありながら自分の国を捨てる選択をするなんて、そうそう出来ることじゃない』
『……亡命か』
『当たり。【エンネス】のデータと引き換えに彼はパルジャノを経由してラキスランドに飛ぶ段取りを整えてたよ』
現時点でサーペントが掴めたような話なら、時間をかければモルタリスカンパニーも辿り着く。そのことも見越した上で、彼は海外に亡命する予定であったようだ。
恐らくは【クィルサ】と共に病院から忽然と消えるつもりだったのだろう。オウルとしては条件を呑むなら勝手に出ていけばいいと思うのでとっとと見つかって欲しいのだが、よほど用意周到な男だったのか未だに見つかっていない。
『しかし、分からんな。【クィルサ】が拘束された今、イグナーツに逃げ場も逃げる方法もない筈。一体どこを目指して逃げ回っているんだ?』
『それなんだけどさ、オウル。この病院の地下、なんかあるっぽいんだよね』
『曖昧な物言いだな』
バックドアを開いてアゲラタ病院を実質的に掌握した筈のサーペントが何故そのような曖昧な物言いをするのかオウルは疑問に思った。
サーペントは説明の為にデータを更に送ってくる。
それは、病院のデータログだった。
オウルはしばしそれを眺め、不自然なことに気付く。
『なんだ? 隠してあるが、定期的に妙なデータ送信ログがある。バックアップか?』
『メインコンピュータを確認してるときに見つけたんだ。スパイの仕業とは思えないほど深くシステムに組み込まれている。普通バックアップは災害等に備えて離れた場所に設けるものだけど、外部とのネットワークは掌握してるからこのデータは外には送られていない。病院の敷地内のどこかにつぶさに送られている』
『それが地下だと?』
『アゲラタ病院の構造を考えるとそれが最も合理的に可能性の高い場所だ。いわゆる地下にある秘密のラボだね。男の子ってみんなこういうのが大好きなんだろ?』
『マッドサイエンティストの人体実験場は別物だろ』
『そうなの? 巨大ロボでもあればテンションあがるのかなぁ……』
相変わらずたまにずれたことを口にするサーペントに突っ込みながら、オウルは荷物の整理を始める。オウルが動き出したことにユアが気付いた。
「あれ、もしかして病室に戻るの?」
「一旦病院の外に出る」
「え、それ大丈夫なの?」
その「大丈夫」には彼女なりの色々な不安が込められていたが、オウルからすればユアがここにいる時点で大丈夫ではないことが起こる可能性を否定できない。が、それを彼女に言っても仕方が無いのではぐらかす。
「男の子として地下に巨大ロボットが隠されてないか見に行くだけだ。なければ病室に戻れる。夜までには片付くだろうから晩飯の心配はするな」
「??? まぁ、それならいいか。流石にずっと天井裏だとおトイレ困っちゃうし。オウルはしないの?」
「魔法のトイレがあるからな」
「オムツ?」
「世界で一番高性能で贅沢なオムツだ。名をユニットと言う」
ユアは予想外の答えだったのか、ぶふっと吹き出した。
テレビのプロパガンダで流れているヒロイックなユニットたちが最高級オムツ扱いされたのがおかしかったのか、それともオウルがオムツ着用を否定しなかったのが面白かったのか、ユアは暫く笑いをずっと堪えて俯いていた。
「こっ、高性能オムツっ……ふふっ、くっ……ご、ごめ……駄目、自分でも止めらんないかも……!」
(勉強が終わって集中力が切れてるせいかずっとツボってるな……)
――まぁ、何か不安を察知して「皆に危険が及ぶのに一人だけ逃げられない」などと無意味な使命感に目覚めなかっただけ有り難いのでこのまま和やかな空気で避難して貰う。
とりあえずユア護送用に作ったユニット専用ポッドに詰めれば、その後万一病院が崩落して患者たちが瓦礫に押し潰され無惨に散っていっても彼女は気付かないし幾らでも言い訳がきくのだから。
現実を覆い隠すことは、条件さえ揃えばそう難しいことではない。
なんか集中力切れて同じワードで延々笑っちゃうことあるよね。




