仮初め勇者、決意する。
タンクトップ体育教師の講義はパンチを一回かわしただけで終わってしまった。あれだけで何がわかるのだろう。僕にこれといった才能は無いはずなんだけど…
それより問題は魔術のほうだ。僕にとって魔術はファンタジーの世界のものだ。現代日本で魔術だなんだって言ってたら痛い奴だし。
「それでは私の方から魔術の基礎から応用までを教えていきたいと思います。勇者さんは魔術を見たことがないと大臣の方から聞いています。百聞は一見に如かず。私が簡単なものを披露しましょう。」
そういうと銀縁眼鏡の魔術師は黒ローブの腕の裾を捲って肘より先を露出させた。
「ハッ!!」
気合いのことばと共に魔術師の手から、実体を持たない、ふよふよとしたものが出た。
「これは、魔力彈の前段階です。体内にある魔力を手のひらに集約することで、可視化しているんです。ここから更に濃度を高めて……」
彼は手を前に突きだした。
バアアァァン
地下室の壁に当たり、轟音を響かせながら、魔力彈は消えた。
「このように実体化させて相手への攻撃を可能にするわけです。勿論、魔術の全てが攻撃の手段と言うわけではありません。自身の体に働きかけて身体能力の向上も図れますし、人によっては水や炎を生み出すことができる、なんてこともあります。」
「すごいですね!!僕のいた世界では魔法が無かったので、使ってみたいです!!」
SF映画のようなことが目の前に起こったことで僕は興奮していた。自分があれを使えるようになると思うと気が逸る。
「それなんですがね、魔術を使える者と使えない者がいるんですよ。適正の有無については簡易的に知ることができるのですが、何故魔力を保持して生まれる者と持たずして生まれる者がいるのかは解明されていないんですよね……」
うーむ。と言って頭を抱えてしまう銀縁眼鏡を見る。そんな小難しい話はどうでも良いので早く魔力の有無を知りたい。
「あの、魔力を持っているのかって、どうやったらわかるんですか?」
「それは魔術を使える者が、測りたい者の体の一部から魔力を流すんですよ。持たざる者は何も反応しませんが、持つ者は魔力が活性化して可視化されますから。」
やるしかないだろう。
「僕の魔力を測ってくれませんか?」
「良いですけど、あなたの世界では魔術が存在しないのですよね。でしたら、あなたが魔力を保持している可能性は限りなく低いと愚考しますが……」
「構いません!!」
そう言って僕は目の前の男に手を差し出した。
「それなら良いのですが、魔力が無くても落胆しないでくださいね。別に魔力が無いからと言っても、人である限り蔑視されませんから。」
彼は俺の手に触れた。
光は・・・・・・生まれなかった。
「どうやらあなたには魔力が無いようですね……む!?」
(うおおおおお!?)
男は何かに強烈に吸い込まれるような感覚に陥った。別に体が動いているわけではない。自分の中の根幹が揺るがされるような、そんな恐怖を覚えた。
(目の前の少年には魔力を吸い取る能力でもあるんですか?)
そんな能力は聞いたことがない。ただ、自分が直面している状況はそれを示しているようだった。
(流石に苦しくなってきましたね)
男は宮廷魔術師の中でも相当に保有する魔力が多いのだが、あと数分もすれば枯渇してしまいそうだ。
眼前で何が起こっているのか理解できていない少年を見て嘆息する。そのときだ。
(((・・・・・・っ!!)))
「「「……光った」」」
少年の身体から淡い光が洩れ出ている。
(どういうことだ?)
僕には魔力があったんだ!!と喜ぶ少年を見て男は思考を巡らせる。
聡明な男はある結論に達した。
(これで外れだったらまずいですが……)
男は魔力視と同時に今、自分が撃てる最大級の威力の魔術を実行する準備を始めた。
「おいっ!!おまえ、なにやってんだ!!」
戦友が此方の動きに気付いたようだが関係ない。
「ハアアアアッッ!!」
魔力の奔流が実体化し、圧倒的な熱量と威力を誇りながら男の魔術は、未だこちらに気付いていない少年に迫る。ついに無防備な背中に到達した瞬間、男は目にしてしまった。
(なんなんですか、この少年は……)
男の魔術は少年に当たることなく、その規模をどんどん縮小し、結果消えてしまった。そんな現象が起こるのは一つしかあり得ない。
━━━━圧倒的な彼我の差。
━━━━魔力保有量の差。
赤子と大人が相撲を取るようなもの。少年の前では男は取るに足りない赤子なのだ。此方に背を向ける無防備な背中に、歴戦の猛者である自分は、全く攻撃手段を持たないというのは冷静であると自称している男にも認めたくない事実だった。
(あまりにも器が大きく、魔力保有量が多い。)
ですが、と男は首を振る。
「あなたは魔力を有しています。それも私を軽く凌ぐほどだ。しかし、大きすぎる力は制御するのが難しい。あなたの力は多くの制約がかけられるでしょう。」
「え?なんででですか?魔王を倒すんだったら、できるだけ強い力が必要ですよね。じゃあ、僕の魔力を限界まで高める必要があるんじゃないでしょうか?」
(魔力があると判って浮かれているようではまだまだ若いですね)
「強すぎる力というのは羨望と同時に畏怖の対象でもあります。この力が誤った方向に進み、自分達に危害をもたらすのではないか、と人々は思うわけです。」
「僕がそう思われるって言うんですか!?』
「そうですよ。強すぎる力には責任が付きまといます。あなたとて例外ではありません。それゆえに力を制御し、扱えるようになるのが必要です。これから私がその術を教えます。ものにしてください。」
(私では力不足かもしれませんが……)
男は天を仰いだ。見えたのは蛍光灯が点滅する白く塗装された天井だった。
◇◇◇
僕は上を見て感傷に浸る男の前で戸惑っていた。銀縁眼鏡の話から察するに僕の魔力は結構な量らしい。異世界召喚され、魔王を討伐しろと言うのに、強すぎる力は得るなと言う。僕に何を求めてるんだ……
「あの……僕は結局どれくらいで十分な力が得られるんでしょうか?」
「ああ、お前は勇者に選ばれただけあって、素質はかなりのものだ。少しいじるだけでもそれなりのものになる。ただ、その上達速度はお前次第だ。今俺の口から無責任なことは言えねえ。」
「そうですね……魔術にとってもそれは言えることです。魔力量の点から見ても素質というのは十分過ぎるほど備わっていますが、魔術が扱えるか、どれ程の錬度でそれを実行できるかといのは別問題です。」
(つまり僕次第ってことか……)
二人揃って言葉を濁している。ただ僕は強くなりたい理由がある。正直魔王討伐なんてどうでもいい。でも僕の脳裏からあの少女が離れない。あの黒髪、鈴の音のような声。大臣からは僕が十分な強さになったとき彼女に会えると言われている。
(僕は強くなる。そして彼女と会う。)
彼女と話したことは一度もない。笑顔も見たことがない。しかし、彼女の着ていた服からして彼女は決していい生活は送れていないことがわかる。
(だから僕は強くなる。)
彼女のために動きたいという欲求が僕の中には存在する。それは渇望に近い。彼女には幸せにってほしい。そして願わくば僕の手によって。
(それは図々しいかな……)
僕は二人に向かって頭を下げる。
「僕を強くしてください。お願いします!!」
久しく大声を出していなかった喉に引っ掻かれたような痛みが走る。
これは僕の決意だ。
地獄の日々の始まりだ。
◆◆◆
薄暗い部屋の中で男二人が話していた。一人はブクブクと太った腹を気だるそうに触りながら胡座をかいている。もう一人は細身の教師然とした男だ。
「それであの小僧にはまだ何も伝えていないんだな?」
「はい。あなたのお申し付け通りに致しましたよ、大臣様。私たちが求めるのは、無知の勇者。愚者の強者。彼はこの世界について何も知りません。それに勇者様はあの女に御執心の様子。上手くやりましたねえ。」
男はニヤリと口角を上げる。対する大臣はポンと手のひらを叩いて、演技臭く言った
「あ、そうだった。今度、勇者と女を引き会わせて街を散策させるつもりだ。しかしあの女の身元が知れないゆえにお前に同伴して貰いたい。やってくれるか?」
男は苦笑した。自分に拒否権などあるはずがない。
「わかりました。」
男は深く礼をする。
それはまるで自分の表情を相手に見せないようにしているようだった。