第35話 荒原は静かに戻り、声だけが荒れ始める
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荒原は、すぐには変わらない。
それは、最初から分かっていた。
一夜で緑が戻ることもなければ、
一週間で獣が消えることもない。
荒原は、時間を食べて回復する。
ログイン完了。
行政盤に表示される数値は、どれも控えめだ。
《荒原:植生 回復兆候(微)》
《地下水位:局所安定》
《モンスター接触率:減少傾向》
レリィが、静かに言った。
「……数字にすると、
ほとんど変わっていないように見えますね」
私は頷く。
「ええ。
でも、
“戻らなくなった”兆候は消えた」
それで十分だった。
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◆ 第一節:何も起きない日々 ― 回復とは退屈なもの
荒原の見回りは、単調だ。
倒す敵も、派手なイベントもない。
草が一本増え、
土が少し締まり、
水溜まりが一つ消える。
若手技師が、ぽつりと呟いた。
「……地味ですね」
私は、少し笑った。
「ええ。
“正しい回復”は、
だいたい退屈よ」
モンスターは、減ったわけではない。
だが、散った。
密集しなくなり、
動線が分かれ、
こちらを避ける距離が一定になった。
敵意ではない。
共存ですらない。
ただ、ぶつからなくなった。
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◆ 第二節:数字に残らない成果
西領の物流報告も、似た調子だった。
《通行停止:なし》
《遅延:軽微》
《護衛要請:減少》
派手な成功ではない。
だが、毎日続く。
レリィが帳簿を閉じて言った。
「……これ、
“イベントクリア”にはならないですね」
私は頷いた。
「ええ。
だからこそ、
守れた」
この世界では、
戦って倒すとログが光る。
だが、倒さずに済むと、何も光らない。
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◆ 第三節:週末の夜 ― カレンツ不在
その夜。
現実側の通知が鳴った。
【週末定例:王国オンライン会議 開始】
私は、接続しなかった。
理由は単純だ。
今日は、行かない方がいい。
レリィが、少し心配そうに言う。
「……呼ばれていますよ」
「ええ。
でも、
今日は“居ない方が評価される”」
彼女は、少し考えてから頷いた。
「……なるほど」
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◆ 第四節:音声チャット ― 集まる領主たち
王国会議の音声ログは、後から確認できる。
全国のプレイヤー領主が集まり、
いつもの軽口から始まる。
「荒原、どうよ?」
「まだ出てるな」
「うちの偵察、数は減ってる」
そして、議題が出る。
〈議題:荒原地帯でモンスター大量の出現に伴う連合軍の結成〉
一瞬、
空気が変わる。
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◆ 第五節:カレンツの名前が出る
誰かが言った。
「……そういや、
辺境伯のところ、
落ち着いてるらしいな」
別の声。
「西領の物流も、
戦闘なしで通ってるって聞いた」
誰かが、軽く笑う。
「何やったんだ?
あいつ」
ここで、
評価が始まった。
「正直、
上手いと思う」
「環境弄っただけで、
敵減らしたのは凄い」
「連合軍組まなくて済んでるの、
カレンツの対応のおかげじゃね?」
カレンツは、いない。
だから、
素直な評価が出た。
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◆ 第六節:沈黙のあとに出る声 ― 戦争狂
しばらくして、
低い声が割り込む。
「……で?」
一瞬、
空気が張り付く。
その声の主は、
誰もが知っている。
レベル百を超えた、
古参の戦争プレイヤー。
「荒原にモンスターが出てるのに、
戦わないって選択、
俺は嫌いだね」
別の似た声が続く。
「経験値、
捨ててるだけじゃね?」
「連合軍組めば、
一気に狩れるだろ」
そこから、
層がはっきりする。
戦争狂。
戦争でレベルを上げ、
国民もNPCも、
数字としてしか見ない連中。
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◆ 第七節:価値観の断絶
中堅プレイヤーが、慎重に言う。
「……いや、
荒原は回復し始めてる」
戦争狂が嗤う。
「回復?
何ターンかかるんだよ」
「その間、
他領が困るだろ」
「だからこそ、
一気に叩くんだろ?」
数字と効率。
短期成果。
彼らの言葉に、
感情はない。
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◆ 第八節:評価と反感が同時に生まれる瞬間
誰かが、言った。
「……でもさ、
現実問題、
今は“戦わずに済んでる”」
別の声。
「連合軍、
まだ組めてないのも事実」
「カレンツの対応、
結果は出てる」
戦争狂の一人が、
低く言った。
「結果?
俺たちは、
結果を“取りに行く”側だ」
評価はされた。
だが同時に、
目をつけられた。
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◆ 第九節:中堅プレイヤーたちの本音
音声ログの後半は、
雑談に近い。
「(厄介なのに目ぇつけられたな、
カレンツ……)」
「(正直、
可哀想だわ)」
「(でも、
カレンツ頑張れ派)」
「(ぶっちゃけ、
戦うところは見てみたい)」
「(俺も)」
笑い声が混じる。
冗談半分。
本音半分。
皆、知っている。
カレンツは、
戦争でレベルを上げていない。
それでも、
結果を出している。
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◆ 第十節:会議の結論 ― 決まらない連合
司会役が、話をまとめる。
「……じゃあ、
連合軍は“保留”で」
「各領、
引き続き独自対応」
誰も反対しない。
誰も納得もしていない。
ただ、
戦争狂だけが不満を残す。
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◆ 終章:ログアウト後 ― 静かな荒原
会議ログを閉じる。
私は、荒原の定点観測画面を見る。
草が、
ほんの少し増えている。
レリィが、静かに言った。
「……評価されましたね」
私は、肩をすくめる。
「ええ。
だから、
面倒になる」
「……怖いですか?」
私は、少し考えてから答えた。
「怖いのは、
戦争じゃない」
「……?」
「“戦わない選択”を、
許さない人たちよ」
荒原は、
ゆっくり戻る。
だが、
人の価値観は、
そうはいかない。
それでも――
私は、荒原を見る。
戦わずに済む道を、
今日も選ぶ。
そして、
いつもの言葉を口にする。
「――今日も、
地味に正しかったわね」
レリィが、静かに頷いた。
「はい。
とても、
重たい正しさです」
荒原に、風が通る。
それは、確かに、
回復の風だった。
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