第六話 官民一体の「冬支度タイムライン」
城壁のコンクリート補強工事が軌道に乗り始めた数日後の夕方、最果ての街ガルガルドには、また一つ新しい課題が頭をもたげていた。
広場での配給を終え、住民たちがそれぞれの焚き火を囲んで一息ついている時間帯のことだ。ナオトが即席の執務机として使っている古い木箱の前に、人間の難民たちのまとめ役である少女、リーネが数人の住民を連れてやってきた。
彼らの腕には、ボロ布や古い毛布の端切れ、戦場から拾ってきたと思われる破れたマントなどが、これでもかと大量に抱えられている。
「あの……ナオト様。少しお時間をよろしいでしょうか」
リーネが申し訳なさそうに声をかけてくる。その表情には、明らかな困惑と焦りの色が混じっていた。
「どうしたんだい、リーネ。現場のほうで何かトラブルでも起きた?」
ナオトは手元の手帳から顔を上げ、ペンを置いて彼女たちを迎え入れた。隣で物資の在庫管理をしていたマルタも、鋭い視線をその布の山に向ける。
「いえ、城壁のコンクリート工事のほうは、マルタさんたちの手配してくれたオークさんたちの怪力のおかげで、予定を前倒しして進んでいます。ただ……建物そのものより、もっと切実な問題に気づいてしまいまして」
リーネが一歩下がると、彼女の後ろから、白髪混じりの頭を小さく下げた初老の男が進み出た。彼はかつて王都の仕立て屋で働いていたという、人間の職人だった。
「領主様、これを見てくだせえ……」
職人は抱えていた布地を机の上に広げた。どれもこれも、何度も継ぎ接ぎを繰り返され、生地自体が薄くなって向こう側が透けて見えるような代物ばかりだった。
「街の人間も魔族の連中も、今着ている服や、寝床に使っている毛布はこんなのばかりなんです。これじゃあ、どれだけ城壁が頑丈になって外の暴風を防げても、家の中にほんの少し吹き込んでくる隙間風や、夜の底冷えだけで、体力のない子供や年寄りは一発で凍え死んじまいます。防寒着や厚手の敷布団を作りたいんですが、とにかく圧倒的に『生地』が足りないんでさぁ」
「衣服と寝具の不足か……」
ナオトは顎をさすり、自身の【材質鑑定】スキルを頭の中で発動させた。
視界の端に浮かび上がる、住民たちの防寒能力の数値。平均して、これからやってくる大寒波をしのぐために必要な保温基準の「30%」にも満たない。これでは、どれだけ強固なシェルターを作っても、内部からの低体温症でバタバタと人が倒れる最悪の未来が待っている。
「ナオト、それならば魔族側の倉庫に、旧魔王軍の軍用テントの天幕がいくつか残っているぞ」
腕を組みながら話を聞いていたマルタが、ふと思いついたように提案した。
「あれは極寒の戦場にも耐えられるよう、地生蜘蛛の強靭な糸と獣毛を混紡して作った厚手の丈夫な布だ。破棄するには忍びないと、敗戦時に部下たちが持ち帰っていた。……ただし、問題がある」
「問題?」
「非常に硬くて重いのだ。人間のひ弱な鉄針では、とてもじゃないが縫い合わせることはできん。それに表面に魔獣の防腐脂がべったりと塗られているため、ゴワゴワしていてそのまま肌につければ酷いかぶれを起こす。とても服や寝具にできるような代物ではないがな」
「軍用の天幕布か……。マルタさん、その天幕の切れ端、今すぐここへ持ってきてもらえるかい?」
——
数時間後、領主館の作業場に運び込まれた軍用天幕の山を前に、ナオトは【材質鑑定】を発動し、その構造をじっくりと観察していた。
『素材:地生蜘蛛糸と双角山羊毛の特殊混紡。耐久性:極めて高い。保温性:極めて高。柔軟性:著しく低い(原因:表面の防腐脂成分の経年硬化によるもの)』
「なるほどね。これじゃあ針が通らないどころか、鉄板を触っているようなものだ」
ナオトは硬い布地を指で弾き、コツコツと硬質な音を立てさせた。
「やはりダメか。いくら丈夫でも、加工できなければただのゴミだな」
マルタが悔しそうに肩を落とす。
「いや、諦めるのは早いよ、マルタさん。これ、魔法を使わなくても、前世の『化学知識』と、この土地にある天然の資源を組み合わせれば、驚くほど柔らかく再生できるよ」
「本当か、ナオト!? 魔法も使わずに、この鉄のように硬い魔王軍の天幕を柔らかくできるというのか?」
マルタだけでなく、横で見ていたリーネや人間の仕立て職人も驚きに目を見張る。
「仕組みは簡単さ。この布が硬いのは、防水と防腐のために塗られた魔獣の脂が、何年も放置されたことでカチカチに酸化して固まっているからなんだ。これを落とせばいい。……確か、街の東側の渓谷に、温泉の泥水が湧き出ている場所があったよね?」
「ああ、魔族の間では『灰の湯』と呼ばれているな。硫黄の臭いがきつく、飲むこともできん不毛の泥水だ」
「あの泥水には、強いアルカリ性と、汚れを吸着する天然の界面活性作用――つまり、前世でいう強烈な石鹸のような成分が含まれているんだ。【材質鑑定】によれば、あの泥水でこの布を一度じっくり煮洗いをすれば、固まった古い脂分がきれいに分解されて、本来の柔らかいウール生地に生まれ変わるはずだよ」
「洗うだけで、だと……? よし、ならばその『灰の湯』の泥水の搬送は、我が同胞の力自慢たちに命じよう! オークのバケツリレーなら、半日で山ほど運べる!」
「助かるよ、マルタさん。そして、柔らかくなった布を裁断して、防寒着や寝具に仕立て直すのは――手先の器用な人間の職人たちや、エルフの生き残りたちの出番だ。リーネ、職人たちの手配をお願いできるかい?」
「はい! ナオト様! 街中の仕立て仕事ができる人に声をかけて、型紙の準備をして待っています!」
ナオトはすぐに羽ペンを握り、【製図】スキルを発動した。
脳内にある現代の衣類工場の大規模生産ラインのノウハウを、この未開の異世界に合わせてリサイズし、一枚の羊皮紙に効率的な工程表として書き出していく。
題して『冬季防寒衣類・大規模官民共同生産ライン計画』。
「魔族のオークたちが泥水を運び、広場の大鍋で布を煮て洗う。それを人間の職人たちが乾燥させ、ナオト様の引いた無駄のない型紙に合わせて一斉に縫い上げる。……これもまた、種族の壁を越えた『適材適所』の分業体制だね」
リーネが感心したように工程表を指でなぞる。人間と魔族が互いの得意分野で完全に噛み合う、完璧な都市管理のタイムラインがそこにはあった。
——
翌朝から、ガルガルドの街はコンクリート工事の時とはまた違う、新しい活気と熱気に包まれた。
広場に据え置かれた巨大な軍用大鍋には、オークたちがピストン輸送で運び込んできた、白濁した温泉泥水がなみなみと注がれ、その下では激しい炎が燃え盛っている。
「おい、人間! 煮上がった天幕を引き上げるぞ! 網をしっかり引っ張れ!」
「分かった、こっちに引っ張ってくれ! すぐに冷水に浸けて、叩いて泥を落とすから!」
湯気と硫黄の香りが立ち上る中、泥まみれのオークたちと、前掛けをした人間の男たちが、声を掛け合いながら巨大な布地を次々と大鍋から引き上げていく。
温泉泥水で煮洗いをされ、冷水で何度も叩き洗いをされた天幕は、マルタの言葉が嘘のように、その表面のガチガチした脂が完全に抜け落ちていた。天日で干され、乾いたその布地は、ふんわりとした極上の厚手ウール生地へとその姿を変えていたのだ。
「信じられん……あの鉄板のようだった天幕が、まるで王都の貴族が使う最高級の毛布のようではないか」
マルタが仕上がった布地を両手で挟み、その柔らかさに深く感嘆の息を漏らす。
「さあ、生地が揃ったら、ここからは私たちの番だね!」
リーネが仕立て職人たちを率いて、広場に設置された大きな作業台の前に並んだ。
ナオトが【製図】スキルで引いた型紙は、限られた布地から一枚の無駄な端切れも出さないよう、計算し尽くされたパズルのような配置になっていた。職人たちがその通りにハサミを入れ、一斉に針を動かし始める。
「お兄ちゃん! クロエも、森からお宝をたくさん持ってきたよー!」
そこへ、背中に巨大な木箱を背負ったクロエが、森から猛スピードで走ってきた。箱の中には、彼女が狩りのついでに捕まえてきたという、純白の「綿毛ウサギ」の極上の毛皮が大量に詰め込まれていた。
「この毛皮をね、コートの首元や袖口につけるんだよね? すっごく暖かくなるやつ!」
「最高だよ、クロエ。これでただの防寒着じゃない、完璧な保温性能を持った高級コートが完成するよ」
ナオトがクロエの頭を優しく撫でると、彼女は犬耳を幸せそうに伏せ、ふさふさの尻尾をブチ切れんばかりの速度で振り回した。
人間の器用な縫製技術、魔族の提供した強靭な素材、そして獣人のもたらした極上の毛皮。
ナオトという一人の内政官の頭脳を中心に、街のすべての種族がそれぞれの「強み」をパズルのように噛み合わせ、驚異的なスピードで防寒着や厚手の敷布団が量産されていく。そこにはもはや、かつて殺し合っていた者同士のわだかまりなどは微塵も存在しなかった。あるのはただ、「みんなでこの厳しい冬を生き延びるんだ」という、強い共同体としての連帯感だけだった。
——
その日の夜、中央広場では完成したばかりの特製防寒コートと毛布が、住民たちに次々と手渡されていた。
さっそく新品のコートを羽織った子供たちが、「あったかい!」「ふかふかだ!」とはしゃぎ回り、お年寄りたちは厚手の敷布団を愛おしそうに抱きしめながら、その温もりに涙を流している。
「領主様、本当に、本当にありがとうございました……」
昼間、絶望的な表情で相談にやってきた仕立て職人の老人が、泥と糸くずにまみれた手でナオトの手を強く握りしめた。
「これで、どんな大寒波が来ても、家の中で凍えて死ぬ者は一人も出やせん。あんたは、この最果ての街の、本当の救世主だ」
「いや、僕のアイデアを形にしてくれたのは、職人の皆さんや、危険な泥水を運んでくれた魔族の皆さんです。みんなが自分の仕事を完璧にこなしたからこそ、このライフライン(生存線)が繋がったんですよ」
ナオトがいつもの完璧な公務員スマイルで答えると、周囲にいた人間からも魔族からも、地鳴りのような拍手と、割れんばかりの歓声が沸き起こった。
「ナオト、お前という男は……本当に、次から次へと信じられない奇跡を起こすな」
マルタが自身の分の防寒コートを少し照れくさそうに羽織りながら、ナオトの隣に腰を下ろした。
「でも、これでやっと一安心ですね、ナオト様。城壁は固まり、服も寝具も揃った。これでいつ大寒波が来ても、私たちは笑顔で迎え撃つことができます!」
リーネも満足そうに、温かいスープの碗を両手で抱えながら微笑む。
ナオトは手帳を開き、冬支度の進捗状況に最後の大きなチェックマークを書き入れ、静かにペンを置いた。
大寒波がこの街を襲うまで、あと二十五日。かつて誰もが見捨てた無法地帯であり、最悪のディストピアだった最果ての街ガルガルドは、今やどの王国の都市よりも強固な絆と、温かいインフラで満たされた「要塞都市」へと変貌を遂げていた。
「さあ、冬支度はこれで完璧だ。でもね、みんな。冬を越した後は、もっと楽しいことが待っているよ。この街独自の新しい『産業』を立ち上げて、僕たちを見捨てた本国の貴族たちを、あっと言わせてやるんだからね」
ナオトの不敵で、しかし頼もしい文官としての笑みに、少女たちは顔を見合わせ、これからの未来に胸を激しく躍らせながら、力強く頷くのだった。




