第四話:フィアハの思惑――そして、最果ての楽園へ
激情をあらわにするヴァルたちとは違い、ガラハッドは至って平静を崩していないようだった。
「な、なんで……?」
かすれ声で問い返すヴァルに、相棒は「はあ」と小さくため息をこぼした。
「街に危険が及ぶ可能性を考えてみなよ。多少の犠牲が出たとしても、あの状況で門を閉めるのは当然じゃないか。市街にザハグの侵入を許してしまったら、どうなると思うんだい? 戦えない人がたくさんいるって、想像がつかない?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
淀みなき正論を突きつけられ、ぐうの音も出なくなる。
見れば、隣で息巻いていたロナンもすっかりおとなしくなっていた。
「だから彼の判断は正しい」ときっぱり言ってのけたガラハッドを見るなり、弱りきったフィアハの目に再び光が宿っていた。
「おお……ガラハッドっつったか? お前はちゃんと、大人の事情ってやつを分かってんじゃねえか!」
追い風を得たとばかりに胸を張ったフィアハは、調子よくロナンの肩にしなだれかかっていく。
「そうだよ……生きるか死ぬかの局面に置いちゃあ、俺たち騎士は、時には残酷な選択もしなきゃなんねえ」
「あんた、俺があそこに居たこと絶対気が付いてなかったろ……調子の良いことばっか言いやがって」
「だからそんなに怒るなって。俺だって苦渋の決断だったんだ……お前は分かってくれるよな、ガラハッド?」
「……そうですね。でもあなたは、あわよくば僕らを見捨てようとしたわけですから、こうして恨まれるのもまた当然では?」
しかし、ガラハッドの冷静さは無情なほど万人に平等だ。
お調子者に加勢することもなく、彼は冷ややかに言い放っていた。
苦虫を嚙みつぶしたような顔つきで、フィアハが舌打ちをもらす。
「分かったよ……悪かったって。非常事態だったとはいえ、手酷い扱いをしちまったことは謝る」
肩を落とし、口元を尖らせたフィアハは、焦げ茶のパサついた髪をぼりぼりと掻いた。
「四の五の言ってられない状況だったのは間違いねえが、そこのお嬢ちゃんが勝つ可能性が高いことはある程度分かってた。だから、イチかバチかの強硬策を取らせてもらったのさ」
口端から煙草をつまみ上げ、静かに細長い煙を吐き出すフィアハ。
髭面を不敵に歪めると、彼はヴァルに向かってゆっくりと人差し指を突き付けた。
「お嬢ちゃんは『聖遺物』持ちだよな? そんな布っきれで隠しても無駄だ。フィアハさんには全部お見通しだぜ?」
「『聖遺物』――? なんのこと?」
その名を聞いた瞬間、ヴァルのこめかみに鋭い痛みが走った。
――聞き慣れない言葉だ。それなのに。
どこか懐かしくて、ひどく恐ろしい響きに聞こえるのはなぜなんだ――。
「――なるほど、聖遺物とは興味深いな」
ヴァルのぼやけた意識の中に、聞き慣れた声が響いてくる。
声の主は、先ほどから押し黙ったまま、こちらのやり取りをじっと眺めていたマントの女だった。
「神か、あるいはそれに近い上位の存在が、地上に置き忘れたとされる奇跡の遺物……か。実物にお目にかかるのは初めてだ」
彼女は再び目深にフードを被り直しており、どんな表情で話しているのかは、あまりわからなかった。
「ちょっと待ってくれよ……そいつが本当に聖遺物だとしたら、お前らそれをどこで手に入れたんだ? いやそれ以前に、お前らは今までどこにいて、どんな風に――」
「まあまあ、ロナン。質問攻めにしたくなる気持ちは分かるが、積もる話は後でも構わねえよな?」
ロナンを押しのけ、ヴァルの前に歩み出てきたフィアハが、勢い良く手と手を打ち鳴らした。
鋭い音が鳴り響くと、再び水を打ったような沈黙が訪れる。
「それよりも、英雄の凱旋を称えて礼がしたい。さっきからお嬢ちゃんの腹の虫も限界を迎えてるようだし……食事でもどうだ?」
胸に手を当て、恭しく頭を下げると、フィアハは再びにやりと微笑んだ。
「俺たち『蒼角騎士団』は、あんたらを歓迎するぜ」
そう言った直後、フィアハはさっと薄ら笑いを消し、真っ直ぐにヴァルたちを見据える。
「……本当に、よくやってくれた」
ぽつりとこぼれ落ちたその低音には、心からの安堵と感謝が滲んでいた。
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「悪いが、私は遠慮させてもらう。早々に済ませたい用事があるのでな」
「え、お姉さん……一緒に来てくれないの?」
唐突に別れを切り出された衝撃で、ヴァルは思わず声をあげていた。
「すまない、ヴァル。また会えたら、その時は共に酒でも酌み交わそう」
名残を惜しむヴァルの肩を、優しく叩くマントの女。
相変わらず表情はわからないままだったが、数段柔らかくなったその声音からは、彼女の微笑む姿が想像できた。
「待って! お姉さん――名前は?」
城門を離れ、大通りの向こうへ去ろうとする彼女の背中に必死で追いすがり、ヴァルは再び声をあげる。
「私の名、か? そうだな――」
片手を上げた女はぴたりと歩みを止め、しかし振り返ることなく答えた。
「私のことは『エニーデ』と呼んでくれ」
そう言い残し、彼女は今度こそ迷いなき足取りで、雑踏の中へ溶け込んでいった。
「やれやれ、まんまと逃げられちまったか。まあ、野暮用があるってんなら仕方ねえな」
少し残念そうに肩をすくめてみせたフィアハだったが、すぐさま気を取り直した様子で「行こうぜ」と声をかけてくる。
仕方なく、ヴァルは大通りに向かって歩き出した。
「ガラハッド……君が他人からの誘いをあっさり受け入れるなんて、珍しいね?」
鼻歌交じりで前方をゆくフィアハの後ろ姿をしばし眺めたあと、ヴァルはそっと傍らの相棒を仰ぎ見ていた。
「いや……僕もさすがにちょっと、どこかで休みたいと思ってたから。別にあの胡散臭い男を信用したわけじゃないけど。有益なものが得られる可能性があるなら、話くらいは聞いても良いんじゃないかと思ってね」
「そうだよね……ボクたちはまだこの街のこと、何も知らないもんね」
そう言いながら、ヴァルは四方をぐるりと見回す。
色とりどりの野菜や果実を売りさばく、威勢の良い露天商。
山と積まれた荷物を抱え、忙しなく走り回る職人たち。
そんな大人の周囲を、嬉々として駆け抜けていく子供たち。
昼どきを迎えた街の大通りは、最大級の賑わいに満ちている。
しかし、その喧騒の中にたった一つだけ。
ついさっきまで当たり前にあった姿が欠けている事実に直面すると、ヴァルの胸には、何とも言いがたい、もの悲しさがこみ上げていた。
「残念だなあ……エニーデさん、てっきり一緒に来てくれるものだと思ってたのに」
ぽつりとこぼし、ヴァルはエニーデが消えていった後方の雑踏を未練たらしく振り返る。
――その時だった。
突然、黒っぽい何かがドサッと足元に落ちてきたことに気付き、ヴァルは慌てて歩みを止める。
「え――?」
ふわふわした綿の塊のようなそれは「ミィ」と澄んだ声で鳴いた。
「わあっ……可愛い……!」
黒と白の二色の綿毛をまとったその生き物は、三角の耳をぴんと立て、宝石のような金色の瞳でじっとヴァルを見上げている。
「おい、ヴァル。そっちじゃねえよ、こっちだこっち!」
刹那、不思議な生き物に見とれていたヴァルの耳元に、刺すようなロナンの声が飛び込んできた。
「え? あ、あれ?」
――そこで初めてヴァルは、自分だけが他からはぐれて歩いていたことに気付いた。
今のは、一体――?
手招きするロナンに駆け寄ってすぐ、ヴァルは後方を振り返る。
しかしその時にはもう、綿毛の可愛い生き物は忽然と姿を消していた。
「――さて、到着だ。紹介するぜ」
得意満面で佇むフィアハが、指さした方角を追う。
そこには、小高い丘の上に佇む白亜の古城と、それを守護するかのように立ち塞がる、無骨な石造りの砦があった。
「ここが地獄の一丁目――『境界の灯火』だ」
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