第十五話:変幻の刃と、刹那の玉砕
ガラハッドが治癒の術式を施し終えてすぐ、傷の治りを確かめるように、地下からの階段を全力で駆け上がってきたフェルガル。
「いやあ、すっかり良くなったぜ!」
力いっぱい地上の空気を吸い込むと、毛皮のマントを荒っぽく肩に引っ掛け、フェルガルは豪奢に飾り付けられた真紅の剣を勢い良く振り回した。
「心なしか、怪我する前より元気になったような気もするな?」
「調子の良いことを――」
呆れ返るガラハッドの後ろで、フィアハを含めた第一部隊の面々が、ほっと胸を撫で下ろす姿が見えた。
「何でまた、急に治療を受ける気になったわけ?」
意気揚々と剣の素振りを繰り返すフェルガルを冷ややかに見つめ、ラナが問いかける。
「そうだ――俺が治療を受ける気になったのは他でもねえ」
その問いかけを待っていたかのように、パッと顔付きを煌めかせたフェルガルは、くるりとヴァルの方を振り返る。
「ヴァル! 俺は――」
「敵襲――敵襲!」
――刹那。
円形砦の屋上から、けたたましい叫び声と、角笛を吹き鳴らす音が降り注いできた。
続けざま、あの鼓膜にこびりつくような、湿った不協和音が迫ってくる。
「見て! ザハグよ!」
ラナの指した城壁に向かって、ヴァルは素早く踵を返す。
すると、人の半身ほどもある羽虫型のザハグが、次々と城壁を飛び越え、こちらに向かってくるのが見えた。
「あいつら、ボウフラみてえに次々と湧きやがって……」
「飛行型かあ……オレの風の魔術で、撃ち落とせるかな?」
腰元に携帯していた小型の斧を取り出し、隙なく身構えるロナン。
いつの間にか意識を取り戻していたらしいザイオンも、ロナンと背中を合わせ、ザハグの動向を見守っている。
「負傷者の保護を優先しろ! 手の空いた奴は応戦するんだ!」
口元の煙草を無造作に吐き捨てたフィアハが、黒い刃の短剣を逆手に構え、早くも魔術の詠唱を始めた。
「上等だ。魔力は残り少ねえが、ハエ叩きなら朝飯前だな」
不敵な笑みを浮かべたフェルガルも、続けて詠唱を紡ぎ始める。
あれは、炎神グルナを讃える言葉――。
愛剣を水平に身構えたフェルガルは、どうやら炎の魔術の使い手らしい。
静かに目を閉じたフェルガルが神への賛美を締め括ると、真紅の刃に煌々と燃え盛る炎が宿っていた。
「さてと……何匹叩き潰せるかな?」
不意に薙ぎ払うような突風が射し込み、フェルガルのマントを彼方へと攫ってゆく。
――その瞬間、背筋に冷感が走り抜けるような感覚をおぼえたヴァルは、思わず叫んでいた。
「フェルガルさん、下がって!」
包帯だらけのフェルガルの半身を突き飛ばし、ヴァルが前方に躍り出る。
続けざま、不快な金切り声を撒き散らし、下方から突如として現れた巨影が、ヴァルの視界を覆っていた。
本能のまま背中の長剣に手を掛けたヴァルは、素早く抜き放ったそれを、渾身の力で地面に叩き付ける。
『打ち払え』――!!
思い描いた通り、その刃を蠍の尾のような『鞭』の形状へと変貌させたヴァルの得物は、空を裂きながら奔り、巨大な影を激しく打ち据えていた。
衝撃とともに歩廊の石畳に叩きつけられた巨影は、鼓膜を引き裂くような断末魔の叫びをあげる。
そして、仰向けの醜い腹部を晒すと、棘のような剛毛に覆われた肢を突き出し、虚空を掻きむしるようにバタバタともがき始めた。
いいぞ、今だ――!
またとない好機を実感し、ヴァルは視覚を除くすべての感覚を手放してゆく。
すると、ザハグの腹部の一点に、暗夜の明星のような輝きが宿るのが見えた。
『突き刺せ』――!
ヴァルが得物の柄をほんの少し持ち上げると、前方にしだれていた刃はたちまちヴァルの手元に収束し、針のように尖鋭な『刺突剣』の形状へと姿を変える。
「とどめだ!」
すぐさまそれを逆手に持ち替えたヴァルは地を蹴り、ザハグの腹部めがけて躊躇なくそれを振り下ろした。
枯れ枝の弾け飛ぶような、乾いた破裂音が響く。
やがて、灰のように色を失った巨大なザハグは、音もなく霧のごとく掻き消えていた。
親玉の消滅を皮切りに、群れ集っていた小物の羽虫たちも、次々と消え失せてゆく。
良かった……何とかなったみたいだ。
深く息をついたヴァルは、額の汗を拭い、ゆっくりと立ち上がっていた。
「ヴァル、すごいわ!」
黄色い悲鳴をあげ、真っ先にヴァルに駆け寄ってきたのはラナだった。
「あの武器、やっぱり不思議な構造をしてる……分解したい……」
興奮冷めやらぬ様子のラナと、またも眼鏡の奥を怪しく光らせるザイオンを尻目に、ヴァルが後方のガラハッドのもとへ駆け寄ろうとした――その瞬間のことだ。
「おいおい、すげえぞ!」
「なんて強さなのかしら……!」
いつの間にか、周囲にいた騎士たちに四方を取り囲まれていた。
歓喜に沸き立つ騎士たちは、割れんばかりの拍手とともに、ヴァルに強烈な礼賛を送っている。
「えへへ……ありがとう。頑張った甲斐があったな」
他人から褒められた経験などほとんどなく、どう応えれば良いものか、つい戸惑ってしまう。
ヴァルが助け舟を期待してガラハッドに視線を送ると、相棒は嬉しいような、困ったような複雑な表情を浮かべ、鍔付き帽子を目元に引っ張っていた。
「見事だった、ヴァル。お前がこれほど強い女だったとはな――おかげで暴れ損ねちまった」
その声が聞こえた途端、ヴァルを称える人だかりがパッと二つに分かれた。
狂騒を止め、しんと静まり返った騎士たちの中を悠々と突き進んでくるものがいる。
満足げな笑みを浮かべた、フェルガルだった。
「いや、そんなことはいい。聞いてくれ、ヴァル……大事な話だ」
紅蓮の瞳でまっすぐにヴァルを見つめたフェルガルは、肩に担いだ宝剣を鞘に納めると、ヴァルの眼前で恭しく片膝を折った。
縄目の文様の刻まれた朱の耳飾りが、肩にかかった金髪とともにさらりと前方へこぼれる。
「お前のような強く美しい女こそ、俺の隣に相応しい――どうだ、俺と『家族』の契りを交わさねえか。俺はお前を、一生守り抜くと誓う」
「はい……?」
そういえば、彼がまだベッドの上にいた先ほども、こんな風によくわからないことを言っていたような気がする。
後ろで白目を剥いて固まっているガラハッドのことは、おそらく頼れそうもない。
ラナやロナンはおろか、フィアハをはじめとした騎士たちまでもが、何故か固唾を呑んでこちらを見つめていることに気付いたヴァルは、一抹の不安を抱きながらも率直に応えた。
「あの……ごめんなさい。ボクはガラハッドと一緒にいるって決めてるから――他の人と家族になるっていうのは無理だと思う」
ヴァルがそう告げた途端、時が止まったかのように場の空気が凍り付くのが分かった。
ヴァルを見上げるフェルガルの顔付きからは、すべての色が失われ、虚無が漂っている。
ボク、何かまずいこと言っちゃった……?
背後の相棒を振り返ると、どういうわけか彼は、明後日の方角を向いていた。
「あのっ……フィアハさん……ボクは…………」
最後の希望とばかりに、ヴァルは次に目が合ったフィアハに救いを求める。
すると彼は小刻みに肩を震わせたかと思うと、唐突にくしゃりと破顔した。
「いや、取り付く島もねえってのは、まさにこのことだ――良かったな、ガラハッド!」
先ほどまでは、立っているのさえやっとという顔色だったフィアハが、腹を抱えてゲラゲラと笑っている。
すると、フィアハの笑いが呼び水となったかのように、騎士たちにも爆笑の波紋が広がっていた。
仕舞いには怪我だらけの騎士までもが、悲鳴のような声をあげて笑い始める。
「ダサいですね、隊長! ここはすっぱりと諦めましょう!」
「綺麗な娘を見ると、フェルガル様はすぐこれだからなあ……!」
「お、おう……そうだな…………ハハハ、そうだな!」
少し前まで抜け殻のように動かなかったフェルガルは、笑声の渦に触れてようやく我に返ったようだ。
ひとしきり笑ったところで、彼は颯爽とヴァルを振り返り、ビシッと人差し指を突き付けてくる。
「だがヴァル! 俺は諦めちゃいねぇ! いつかお前から『側に置いてくれ』とせがまれるような男になってやるから、覚悟しとけよ!」
そして順繰りに、ガラハッドの鼻先にも人差し指を突き付けた。
「お前もだ、ガラハッド! せいぜい油断しておけよ!」
尚も高笑いを響かせながら、フェルガルはくるりとヴァルたちに背中を向けた。
傍らにいたフィアハが、苦笑を浮かべてフェルガルの背中を叩いている。
「フェルガルがあんなにスパッとフラれてるの初めて見た! やるわね、ヴァル!」
「え……? 何が?」
コロコロと無邪気に笑うラナの意図を汲み取れず、ヴァルは大きく首を傾げていた。
*****
「フェルガル様……フェルガル様!」
「ん? どうした?」
階下からの呼び声に気付いたフェルガルが、驚きに目を見開いて応えた。
手早く騎士の制服に腕を通したフェルガルのもとに、一人の騎士が息を切らせて駆け寄ってくる。
「第二部隊のジュスト様がお見えになりました! どうやら癒し手を連れてきてくださったようです!」
「ジュスト……あいつはまた、余計な世話を」
はだけた襟元を正しながら、フェルガルは少しうんざりしたように小さく息を吐いた。
間を置かず、円形砦の中から足早に歩み寄ってくるものがいる。
「フェルガル! 無事か!」
短い銀髪を風になびかせ、精悍な眼差しの男がフェルガルの名を叫んでいる。
ジュストさんって……さっきザイオンの家で、ロナンが何か言ってたような――?
「げっ……お兄ちゃん!?」
ヴァルが思い出しかけたその時、顔色を蒼白に染めたラナが、悲鳴を押し殺すように口元を押さえ、あたふたとし始めた。
「ちょっとロナン! ここから絶対動かないでよね!」
ひとしきり泡を喰ったあと、ラナは半ば飛び付くような勢いで、ロナンの巨体の後ろにさっと身を隠した――。
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