第一話:慈悲なき閉門と、少女剣士の一刀両断
天を衝くようにそびえる、蒼。
「見て、ガラハッド! ウルヴァシアの蒼壁が目の前に――!」
壮大な城壁を見上げ、ヴァルは胸を躍らせていた。
「ボクたち、ついに『聖都』へ辿り着いたんだね!」
「ヴァル、あまり大きな声を出さないで」
傍らの相棒が、深いため息を漏らす。
法衣と同じ真っ黒な鍔付き帽子を押さえ、ガラハッドは呆れたようにこぼした。
聖都への受け入れを待ち望む漂流者の群れは、長蛇の列をなしている。
ヴァルを見る彼らの目は疲れによどみ、重苦しい空気が滞留していた。
「あの城壁の向こうには『露店』とか『酒場』とか……君が話してくれたすごい街があるんだよね! 今日からはもう、長い荒野を旅しなくて済むんだよね!」
「だから、もう少し声を小さく……! 頼むから、変に目立つような真似はやめてくれ」
相棒の曇り顔などどこ吹く風で、ヴァルははしゃぎ続けている。
あふれる感情のまま跳ね回っていると、背中に鈍い衝撃を感じた。
「――おっと」
「ご、ごめんなさい!」
どうやら勢い余って、後列の漂流者をはじき飛ばしてしまったようだ。
平謝りするヴァルに、白マントの被害者は涼しげに手を振ってみせた。
「ふふ、途轍もないはしゃぎっぷりだな。ここへ至るまでに、相当な苦労があったとみえる」
フードの隙間から、静かな笑みがこぼれている。
口調こそ堅い印象だが、その声質から、相手が女性であることが窺えた。
「いや、あはは……今日こそまともなご飯を食べられると思ったらもう、心の底から嬉しくなっちゃって」
「ふふ、そうだな。この王都には『災厄』の以前より変わらぬ賑わいが残されていると聞く。城門は目前だ――じきに私たちの番が来るな」
期待を膨らませ、ヴァルは彼女の指す方を背伸びして覗き込んだ。
――あれは「入都検問」のカウンターだ!
いよいよかと目を見張った、その時のことである。
咥え煙草の検問官とおぼしき男が、足早にこちらへと近づいてくるのが見えた。
「お前はもう行け。よし、お前もだ。ええと、お前は――」
男は順繰りに、漂流者へ向かって何やら指示を出している。
やがて彼は、ヴァルの真横でぴたりと歩みを止めた。
目が合うなり、男は三白眼を大きく見開く。
「ほお……なるほどな」
「ありがとう! お先に!」
前方に続き、ヴァルは浮かれた足取りで城門へ駆け込もうとした。
ところが――
「痛ぁっ!」
突然の浮遊感のあと、砂利だらけの荒野に鼻先を擦り付けたヴァルは、たまらず甲高い声をあげた。
「ひどい……今わざと足引っ掛けたよね!?」
「誰が行って良いって? お前は残れ。マントのお前と、帽子のガキもだ――ああ、もういい! とりあえずこっから後ろの奴は全員立ち止まれ!」
「帽子の……ガキ? ちょっと待ってください、あなたの目には僕が子供に見え――」
「閉門だ! いいからさっさと閉めろ!」
静かに苛立ちを滲ませたガラハッドを無視し、男が振り返りざまに叫ぶ。
途端に、すべてを受け入れていたはずの城門が、轟音とともに容赦なく閉ざされた。
「は……?」
静寂の中に、ヴァルの情けない声が響く。
しばし呆気に取られた後で、振り向くと男がいなくなっていた。
「お、おい見ろ――あいつ、あんなところにいやがるぞ!」
名も知らぬ居残り組の一人が指した先には、城門の上からこちらを見下ろす男が立っている。
「悪いな。お前らに恨みはねえが、時が悪かった――地獄で会ったら、きっちりこのツケは払う」
自嘲するように口元を歪めると、男は颯爽と城壁の向こう側へ消えていった。
「な、な、なんで? 何がどうなってるの?」
一陣の風が吹き抜け、カビ臭い匂いが鼻腔を突き抜ける。
その瞬間、マントの女が弾かれたように身を翻した。
べとつく風にフードがなびき、女の藍色の髪と、同じ色の精悍な瞳が露わになる。
「――なるほど。ヴァルと言ったか……背に負ったそれは『得物』に間違いないな?」
「え?」
ヴァルがぽかんとしていると、傍らのガラハッドが唐突に声をあげた。
「この匂い――瘴気の嵐だ!『奴ら』が来る!」
刹那、生ぬるい空気の塊がどっと押し寄せ、濁った霧がまとわりついてくるのを感じた。
やがて、ざらざらと鼓膜にこびりつくような、不快な「音」が近づいてくる。
「現れたか――『異形』ども!」
*****
「『ザハグ』だ……あいつらの音がする!」
相棒のガラハッドによれば、それは地上のどの言語にも属さない名称らしい。
砂擦りの音、行軍の足音、羽虫の飛び回る音――。
あらゆる不快と恐怖を煮詰めたような、耐え難い苦痛の凝集。
『ザハグ』の名は、いつしか誰かが呼び始めた、奴らの放つ「不協和音」そのものを冠した名なのだという。
「おいおい、聞いてねえぞ! 俺だ、ロナンだ! こんな軽装で締め出しはねえだろ、フィアハさん!」
何者かが、検問官のいなくなった城壁の向こうへ必死に叫んでいる。
聖都の関係者だろうか――ヴァルたちの列には並んでいなかった人物だ。
大柄な青年のいでたちは、街歩きの最中のような軽装である。瘴気の渦巻く危険な荒野を歩く姿だとは到底思えない。
「お、俺はもう戦えねえよ――さっきから、立ってるのだって精一杯だったんだ!」
「門兵のやつら、瘴気が濃くなってきたのを見透かして、門を閉ざしやがった!」
「い、嫌よ――死にたくない! いくらなんでも数が多すぎるわ!」
ロナンと名乗った青年の叫びを皮切りに、他の漂流者たちも一斉に騒ぎ出していた。
すると、彼らの叫びが呼び水となったかのように、渦巻く濃霧の中に、無数のザハグの息遣いが生まれてゆく――。
「ここは街のすぐ側だし、足手まといの数が多すぎるな。僕が暴れるには、少し都合が悪い……ヴァル、君ならやれるね?」
「分かった、任せて!」
意気揚々と声をあげたヴァルが、背中の得物に手をかける。
得物の覆い布を無造作に振りほどくと、背後にそびえる蒼壁とよく似た、鮮やかな蒼の刃が露わになった。
「お前たちはまだ充分動けるようだな――戦意を失ったものを見捨てるわけには行かぬ。私は後方で守りを引き受けよう」
「それを聞いて安心したよ――あとはボクらに任せて。みんなのことはよろしくね、お姉さん!」
息をつき、目を凝らす。
刃のグリップから流れ込んでくる、温かな魔力の脈動を感じながら、ヴァルは視覚を除く五感を次々と手放していった。
ザハグの放つ不協和音。
瘴気のまとうカビ臭さ。
汚泥を踏みしめる靴底の感覚。
すべてが遠ざかった瞬間、淀んだ霞の中に、無数の輝きが宿るのが分かった。
よし、見えるぞ!
ありったけの力を込めて、跳躍する。
――そこから先は一瞬だった。
宙を舞い、撫でるように星々のごとき光の群れを繋ぐ。ただ、それだけ。
刹那、稲妻に似た蒼い帯が星座を描き、すべての輝きを両断していた。
虹のきらめきが花弁のように飛び散るさなか、濃霧を振りほどいたヴァルは、再び地上に降り立つ。
「――見事だ」
マントの女の絞り出すような声が聞こえたことで、ヴァルは五感の戻りを自覚していた。
「お疲れ様。よくやったね、ヴァル」
黒手袋に包まれた相棒の手のひらが、頭のてっぺんに優しく触れたことに気が付く。
その手から、微かな震えが伝わってくるのを感じたヴァルは、慌てて刃を鞘に戻すと、相棒の顔色を窺った。
「ガラハッド――大丈夫? できるだけ早く終わるように努力したつもりだったけど」
「大丈夫だよ。まだ倒れるほど消耗してはいないから」
とろりと据わった暗紫色の瞳が微かにほころぶ様を見て、ヴァルは少しはにかんで笑った。
「良かった……いつもありがとう、ガラハッド」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブクマや★評価で応援していただけると嬉しいです。




