第1章 第7話 虚無の巫女
【前話のあらすじ】
女神メノアの戯れで、異世界レネイストに転生をした邪神ノワールは、女神の意図的(?)な導きにより、旧ベルザ教会に赴いた。
そこにいたのは零花と名乗る修道女であり、突然の奇襲を受けたノワールだったが《権能》を駆使して、零花を撃退する。
その末に零花という修道女の正体が、女神ベルザ本人であることをノワールは見抜いたのだった。
『拝啓、異世界に転生したら邪神になりました』を読んで頂き、ありがとうございます。
今週も平日、五日間に渡り投稿をしていきたいと考えています。
こちらの諸事情により、もしかしたら投稿がされない曜日もあるかもしれませんが、ご理解の程お願い致します。
嫌な静けさだった。
身体に纏わりつき、底なしの泥濘に引きずり込まれるような。
そんなありもしない、錯覚に見舞われる。
教会の聖堂には、これといった雑音はない。
女神の加護、つまりは結界を挟んだ路地も静かだ。
それは薄気味悪さを無意識に覚えるほどに。
聖堂には外界からの音は聞こえない。
雨風や木の梢が揺れる音、動物や昆虫の鳴き声、そういった自然が生み出す音がしなかった。
唯一、響いていたのは、歩行の際に鳴る足音。
しかしながら、それも立ち止まった事により消えた。
完全なる無音の空間。
心臓の鼓動が聞こえてきそうな静寂だ。
僕は〈邪神族〉にも心臓があるんだという、そんなどうでもいい事実を思ってしまった。
「違和感はあったんだけど……それが確信に変わったのはさっきかな。女神様……メノア様との意識が切れたんだ」
視線は逸らさない。
仮面の奥にあるだろう、零花の目を見据える。
転生後、メノア様と意識が途切れるのは初めての事態。
まだ、知り合って日も浅い。
メノア様の性質を深い箇所まで知っているわけではない。
単純に、何か用事があって席を外しており、連絡が取れないだけなのかもしれない。
だが、タイミングが少しばかり怪訝だ。
旧ベルザ教会に入るまで、意識は繋がっていた。
それは教会に足を踏み入れてからも、変わりはなかった。
零花の《其の灯火は他が為の祝福》を封じるまでは。
多分だが、それがきっかけ。
発動のトリガーだったのだろう。
いや、それは発動というより、変化。
入れ替わりかもしれない。
事前に組み込まれたプログラムか、或いは突発的な事態に対応した故の結果なのか。
それは本人に確認しないと分からないが――。
「僕が《其の灯火は他が為の祝福》の術式を破綻させたとき、君は一瞬だけ止まったよね……? あのときに、君の意識は零花からベルザに入れ替わったんじゃないかな。最初から、そういう手筈だったのかもね」
責めてはいない。
ただ、真実を告げているだけだ。
あの瞬間、零花の動きが停止したのが、少しだけ気にかかっていた。
《其の灯火は他が為の祝福》が破綻した事に呆然としているのか、と思いもした。
だが、それは勘違い。
零花は驚いてなどいなかった。
あれは、意識が入れ替わっていた最中だったのだろう。
そのあと、会話をしていたのは零花ではない。
女神ベルザ本人だ。
「異変に気付いたのは、君と《虚無の巫女》に関して話をしているときだよ。メノア様と、意識が切れたんだ」
僕は構わずメノア様の名前を口にする。
相手が女神なら、伏せた所で無駄なこと。
寧ろ、変に隠している方が怪しい。
それに、別に女神様から名前を他言しないよう、口止めをされてはいない。
仮にされても、言ってたとは思うが。
それを守る義理も無いしね。
「場所が此処ではなかったから、何も思わないんだけどさ……《虚無の巫女》の話の最中、っていうのがタイミング的にもね。偶然なのかな……と感じてしまったんだよ」
これが市街地だったなら、僕は何もおかしいとは思わなかった。
しかし、旧ベルザ教会で奇襲をされた直後のこと。
《虚無の巫女》に関する説明中に起きた。
色々と偶然にしては怪しさがある。
考えられる理由は何個かあるが、最も有力そうなのは――。
「まるで《虚無の巫女》の話を、メノア様に聞かれないようにした、とそう考えてしまうよね」
推測のように言ったが、僕は内心で確信を持っていた。
それ以外は考えられない。
わざわざ、そんな真似をしたのには、何かしら訳があるのだろう。
メノア様とは違い、考えなしに適当に行動するとは思えない。
――そういえば。
と、メノア様と比較したとき、ある会話の内容を僕は思い出した。
旧ベルザ教会に入る前に、メノア様が《虚無の巫女》が何とか、と言っていた気がする。
どうでもよかったので、碌に聞かなかったが――。
あれの続きは何だったのか。
まあ、いいか。
女神様の発言だ。
別に大したことではないだろう。
「何か不都合でもあったのかな。それをメノア様に限定して……聞かれたら厄介なことが」
僕は笑顔で問いかけた。
《虚無の巫女》の概要は、未だ不透明なまま。
判明しているのは、数々の異名だけ。
正直、然程《虚無の巫女》自体に、興味が湧かないのだが、このまま帰らせてはもらえないだろうし。
このさい、少しだけ首を突っ込むのも、良い暇潰しになるかもしれ――。
と、考えを纏め終わる直前で、僕は思考をやめた。
何か思考回路がメノア様と似通っている気がする。
それは、不服だ。
気持ち悪い。
いまはメノア様と意識が切れているので、思う存分に誹謗を言える。
もう一回位言っておこうかな。
どうせ聞こえないしね。
気持ち悪い。
女神様は、いや女神に括るとベルザ様も入るのか。
それは、可哀想だ。
メノア様は気持ち悪い。
うん、これでいいだろう。
完璧だ。
何か気持ちが晴れやかになった。
僕は表情が緩む。
ふふっ、とベルザが笑った。
「謝罪致します」
そう言い、少しだけ頭を下げ謝る。
何に対してかな。
「正直、貴方の事を舐めておりました……しかし、それは私の慢心だったのかもしれませんね。どこぞの放蕩女神とは違い、貴方は敏い……それに、内面が冷徹です」
ベルザは頭を上げると、再び背を向けた。
名指しはしていないが、誰の蔑称かは想像が容易い。
それに関して異議はないが、僕に対する評価はいただけない。
「僕の、どこが冷徹なのかな。そんな風に、ふるまった覚えは無いんだけどね」
記憶にない、と僕は肩を竦める。
ベルザとの、いや――。
あのときは、まだ零花だったのかな。
旧ベルザ教会の入口で、零花と初めて会ったときの挨拶も含め、僕の印象は良い方だったと自負している。
だというのに、冷徹と思われていたとは驚きだ。
「神は人間の真意を見定めます……まあ、貴方は人間ではありませんが……元が人間だったので例外ではありません。どれだけ外面を取り繕うと、内面の本性は完全には隠せませんよ」
特に私の前ではね、とベルザが言った。
旧ベルザ教会の地下に繋がる階段に足を向ける。
なるほど、女神には僕の心底など、お見通しらしい。
やはり、気持ち悪い生き物だ。
「先程のノワール様の疑問、その解答が欲しいのでしたら付いてきて下さい。勿論、これが女神ベルザの罠だと思うのでしたら、このまま帰っていただいても結構ですが……」
ベルザが階段の縁に足をかける。
視線は階段の先に向けたまま、こちらは振り向かずに言った。
同時に、女神ベルザであると自称し認めた。
どうやら、答えは階段を下りた先にあるらしい。
そこで《虚無の巫女》も教えてもらえるのだろう。
さて、どうしたものか。
帰ってもいい、そう選択肢を提示された。
――《虚無の巫女》。
気にはなるが、関わりたいとは思わない。
僕が断ったら、どうするのだろう。
これまでの試験や会話が徒労に終わる。
ベルザは、それで良いのかな。
こちらには背を向けているので、ベルザがどんな表情なのかは窺えない。
だが、それでもベルザからも、ある確信が伝わってきた。
僕が提案を断らない、と。
「うん、分かったよ。その《虚無の巫女》について、教えてもらおうかな。これが君の罠だったなら、そのときまた考えるよ」
ベルザから視線を外すと、承諾を示すように言った。
《虚無の巫女》が何であれ、関係はない。
こうしている間も、それに対する興味は微塵も湧かない。
――だけど。
いまのところ、このまま帰っても目的がないからね。
何かやることが見つかるまでの、都合の良い暇潰しにはなりそうだ。
「そうですか……では、こちらにどうぞ。ノワール様をご案内致します」
僕の返答を受け取ると、ベルザは階段を下りて行った。
それに追随――。
教会の地下に繋がる階段は螺旋状だ。
足元に築かれた石の階段は、しかし碌な維持管理がされず、長い間放置された状態だったのだろう。
表面に罅割れや欠けた箇所がある上に、苔が生えているせいで、若干の滑りがある。
踏み外し転ぶような事はないが、それでも歩きづらいのに変わりはない。
空気の通りも悪いのか、あまり息を吸いたい環境ではなかった。
呼吸を最小限に行いながら、前方を先導するベルザの背中を見やる。
薄暗い螺旋階段では、視認をするのにいまにも消えそうな、明滅を繰り返す壁際の角灯が頼りだった。
階段の終着点は、確認出来ない。
暗闇に包まれ、かろうじて少し先が見えるだけ。
何処に繋がっているのだろう。
この螺旋階段が長いのか短いのか。
どれだけの段数なのかも不明だ。
何段、下りたかなど数えていない。
それなりに地下まで来た気もするが。
想像を巡らせていると、不意にベルザは口を開いた。
「――《虚無の巫女》とは、ある種の器のようなもの。その時々により変貌をする、千差万別にして不滅の存在です」
ベルザが黄泉灯アルスタラを揺らしながら、そう語り始める。
階段を下りきる前に、道中で話してもらえるようだ。
僕は大人しい態度で耳を傾ける。
「それは世界を創造する神にもなれ、またあるときは世界を滅ぼす災厄にもなりえる。外的な要因とは無関係に、それは《虚無の巫女》という存在……いや不変の概念なのです」
ベルザは感情のない声音で続ける。
列挙された異名に、相反するような意味合いがあったのは、そういうことか。
世界だとか、大袈裟ではあるが。
つまるところ《虚無の巫女》は、善悪どちらにもなりえる。
そして、その断定は外側からは変えられない。
《虚無の巫女》という存在に根付いたものだから。
「彼女は、《虚無の巫女》は全てを宿した全能なる存在だが、しかし何も持たない虚無な存在。そんな矛盾している理の狭間に位置するのが、女神メノアなのです」
そうなんだ。
全能だけど無知。
神だけど神ではない。
その皿の上にあるのは、パンだけどパンではない的な。
いや、何だこの例題は――。
転生する前のご飯が、パンだった影響かな。
「何か面倒な謎解きのような理に縛られた存在なんだね。解こうとは思えないけど」
言葉遊びやクイズは嫌いではない。
どちらかというと、好きな方だと思う。
だけど、これは厄介そうだ。
そもそも、矛盾のある問題文で適切な解答が導き出せるのだろうか。
「……ノワール様は驚かないのですね」
ん? 何がかな。
別に驚愕する内容は無かったと思うけど。
「《虚無の巫女》が、メノア様だということに、かな?」
ええ、とベルザは肯定。
こちらに問いかけた。
「もしかして、知ってましたか?」
「いや、知らない」
僕は即答する。
それは、本当だ。
《虚無の巫女》の正体が、メノア様だというのは初耳である。
いま初めて知った。
同時に得心がいった。
だから《虚無の巫女》の話になったときに、メノア様との意識が切れたのだろう。
あれは、ベルザが何かしたからだろうが。
《虚無の巫女》がメノア様なら、聞かれないようにするのも頷ける。
「本当に?」
「ほんと、ほんと」
何故だろう。
ベルザが疑わしげに言う。
「マジですか?」
「マジですよ」
ベルザが言い方を変える。
なんだ、この質問は。
「女神に誓って?」
「女神には誓いません。気持ち悪い」
「魂を賭けますか?」
「賭けませんよ。メノア様の魂以外は」
さりげない流れで、とんでもない口約束をしようとするのはやめてもらいたい。
誓わないし賭けない。
「なるほど」
ベルザが独りでに納得。
何が?
「貴方は愚鈍なようですね」
罵倒された。
理不尽だ。
それもメノア様と同様の蔑称で。
「腐った臭いが漂うベルザ様は、失礼な方だね。僕のどこが愚鈍だというのかな」
僕は天才だと自認するほど、秀でた才能があるわけではない。
だが、馬鹿だとも思っていない。
蔑まれる謂われはない筈だ。
「貴方こそ、女神に対して失礼な物言いですね。私のことを、生ごみを凝縮したような異臭を放つ糞女神だと仰いましたね」
言ってない。
凄い被害妄想だ。
何か勝手に傷ついている。
まあ、女神が糞だとは思っているけど。
『……ふざけるな、呪い殺すぞお前。女神が糞だとすると、私も入るだろうが。ベルザは糞、に言い換えろ』
何処か懐かしさを感じる暴言。
それは昔、僕が牧師をやっていたときのこと――。
『おい……なんだその唐突な回想の始まりは。やめろ、酒の肴にもならんお前の語りは。傾聴する価値もない』
昼下がりのことだった。
僕は季節外れの枝垂れ桜の下で、一人の可愛らしい少女と出会ったんだ。
『話しを進めるな。誰が、聞きたいんだ。お前の初恋エピソードなんて』
巫女装束に身を包んだ、その少女は――。
血だらけで、首から上が無い死体だった。
『怖いっ! 全然、初恋とかじゃなかった!』
僕は呆然とした様子で、それを見下ろす。
興奮した。
『するな。気持ち悪い』
そのあと、なんやかんやあって少女と幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
おしまい。
『……どこがだ。物語で一番重要な箇所だけ省いてどうする。出来の悪い、バッドエンドだろうが』
おや、女神様。
久しぶりですね。
『さっきぶりだろ。なんだ、急に回想しだしたと思ったら、我に返って』
メノア様の困惑ぶりが、意識を通して伝わる。
いや、そんな深い意味はないんですけどね。
女神様の声が聞こえない状況も、転生したあとの出来事では、初めての事態だったので。
それが戻ってきて、少し懐かしさを覚えましてね。
懐かしさのあまり、過去の純情な初恋を思い出してしまいました。
『過去に戻り過ぎだろ。いつの話をしているんだ、お前は。そんな蜂蜜より甘い恋を、お前がしていたとはな』
メノア様が心底驚いたように呟いた。
気になりますか、僕の恋路。
『気にならん。ほんっとうに、どうでもいい……割とマジで』
そうですか、話しの続きを聞きたいですか。
分かりました。
『……おい、ふざけるな。誰が、聞きたいんだ』
また、今度。
気が向いたら話しますね。
『いま話さないんだ……』
何か残念そう。
本当は聞きたかったのかな。
別に大した内容でもないんだけど。
『なら、無駄に引っ張るなよ』
話す気分になったら言いますよ。
近いうちに。
「――あれはそう、紅凱暦以前の時代、まだ神と人が頻繁に交流をしていた頃、私達女神は星の摂理を滅ぼす異世界から現れし災厄《星を喰らう獣》を封印する為に《虚無の巫女》なる神の器を創造し――」
ベルザが朗々と語る。
なんか、話していたらしい。
女神様との会話に意識を割いてて、全然気が付かなかった。
『お前も、なんでまたそんな《星を喰らう獣》なんていう、過去の異物を持ち出してきたんだ。いつの話をしている。時代遅れの糞女神が』
メノア様は唾棄するように言った。
《星を喰らう獣》が、何かは存じ上げませんけど、それの対抗馬が《虚無の巫女》なら、メノア様も時代遅れでは?
糞かどうかは、さておき。
『……うるさい、黙れ。ばーか、ばーか』
メノア様の無駄に大きい声が頭に響いた。
子供かな。
精神年齢の低さが垣間見える。
こんな女神と会話をしていると、確かに馬鹿になりそうだ。
【次話予告】
ノワールに《虚無の巫女》の概要を説明したベルザ、そのとき意識が切れていたメノアと繋がる。
件の《虚無の巫女》の正体が、他でもない女神メノアだと判明、ベルザは《虚無の巫女》の本質と役割を語り出したのだった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
良ければ評価を貰えると嬉しいです。




