第1章 第30話 女神の裏切り
面倒な予感がする。
僕は隣に現れた女神を横目に、胸中で溜息を吐いた。
久しぶりに姿を見た。
異世界レネイストに〈邪神族〉として転生する際に、異界で会った以来だ。
これといって感情は動かないが、億劫さは感じる。
何故、いま出て来たのか。
どういう理由か、異界に閉じ込められている、と言っていたが――。
「偶には身体を動かさないとな。健康にも悪い」
その女神が片腕を解すように回す。
人知を超越した存在である女神も、体調には気を使うらしい。
「……聞いてほしそうな雰囲気を出しているので、聞いてあげますけど……そのティッシュは何ですか?」
僕は女神様の鼻を指す。
その両穴には、ティッシュが詰められていた。
「鼻血だ。見れば分かるだろ」
「エッチな妄想でもしてたんですか」
「馬鹿を言うな。お前じゃあるまいし」
僕もしない。
〈邪神族〉になる前から、性的な欲求は皆無に近い。
「安心しろ。私も枯れている」
「……いらない共感だ」
「私は週に三回、自慰行為に及んでいます」
「お前の性事情は聞いてねぇよ、エリアル」
「ちなみに、おかずは?」
「おい、エロガキ。そこ広げんな」
「フレッシュマンさんです」
「いや、誰だよマジで」
「最近、隣国で流行っているアニメーションのキャラクターですね。私でも知っていますよ、エリアル様」
暁灯瑠刀フォルラリスに斬られたカノンの首――。
砂浜に転がったその物体が喋る。
「元気そうだね」
「ええ、お陰様で。ヤドカリの気分を味わっています」
どちらかと言うと、打ち上げられた海月に思える。
死にそうな瀕死の状態だ。
「楽しそうだね。僕も混ざっていいかな」
「勿論ですよ。是非とも御一緒に、ヤドカリになりましょう」
「やめとけ。救いようのない阿呆から、恥ずかしい阿呆になる」
僕が遊びに混ざろうとするが、それを止められた。
別に良いだろうに。
「――やるならせめて、私の視界に入らない場所でやれ。ここで見せられると、共感性羞恥を覚える」
「何か興奮しますね」
「僕もだよ、カノン君」
「……変態どもが」
頬を紅潮させるカノン。
僕も赤みを増した。
「――で?」
と、僕は興奮した表情を完全に消す。
メノア様に視線をやった。
「ん? なんだ、どうかしたか」
「どうかしたか……ではないですよ。何でいま、引きこもっている異界から出てきたんですか。正直、邪魔なんですけど」
「……酷いな。管理者の閲覧会に、濡れ衣で執行されている哀れな邪神を、慈愛溢れる女神の私が、わざわざ助けに来てやったというのに」
「ワー、ウレシイナー」
「――だろう?」
笑顔で喜ぶ。
僕の表情と内心は真逆だった。
慈愛溢れる女神、そのフレーズを聞いたのも今朝ぶりかな。
気に入っているようである。
「まあ……濡れ衣を被っている原因の大半は、メノア様にあるんですけどね」
「知らんな。私は何もしていない」
「犯罪者は皆、そう言うんですよ」
「証拠を出せよ、証拠を」
と、メノア様がほざいたので。
僕は自分を指で差した。
「管理者の閲覧会に許可申請を通さず、貴方が無断で僕を〈邪神族〉に転生させた。結果、僕は《星を喰らう獣》などといった、あらぬ疑いをかけられている。誰がどう見ても、発端は貴方にありますよ、メノア様」
「知らんな。私は何もしていない」
「壊れた《機巧人形》かな」
それしか言わない。
明後日の方向を見ている。
僕と目を合わせようとしなかった。
「そう責めないであげて下さい、ノワールさん」
カノンが女神様を庇う。
まだ、ヤドカリごっこの最中のようで――。
砂に頬をこすりながら続けた。
「女神メノアさんは《虚無の巫女》としての、お役目を果たそうとしただけのこと。叱責は、女神ベルザさんにどうぞ」
「お役目? 《虚無の巫女》が《星を喰らう獣》を封印する目的で創られた存在なのと、関係があるのかな」
「ええ――」
頭だけのカノンが頷いた。
蒼い目を細めて、女神様を見る。
「そうでしょう、メノアさん? 貴方はノワールさんに対して、一つだけ伝えていない事がある」
カノンは確信を持ち言っていた。
僕に黙っている事か。
色々とありそう。
賭博で大負けして、多額の借金を背負っているとか。
「――それもありますけど、《星を喰らう獣》とは関係ないですね」
「……あるんだ、借金」
「はい、貴族の別荘を建てれる程度の」
相場が分からないが、少額ではなさそうかな。
それなりの建築費だと思う。
「まあ、いいや……続けて」
「分かりました。では、まずは《虚無の巫女》の概要からおさらいしましょうか」
「……面倒だな。やっぱり良いよ。とりあえず《星を喰らう獣》の疑惑をかけられている僕は、君たち管理者の閲覧会を退ければ済む話でしょ?」
「ノワール、難しい話を聞いたら即座に思考を放棄して暴力に訴える……お前の考えなしな、その性格だけは好感を持てるな」
「それはどうも」
メノア様が口角を上げた。
考えていないわけではない。
僕なりに悩んだ末の答えだ。
「お前のような偽善者に、悩みなんて無いだろうが」
「ありますよ、大きな悩みが……」
「ほう……?」
「いま、猛烈にお腹が痛い事とか」
「……ちっさ」
「多分、メノア様の下痢が伝染りました」
「私の脱糞に、そんな感染能力はねぇよ」
「……でも、女神の肛門から出るソレには、多量の星力が含まれているって……そう、お母さんが言ってました」
「私をお母さんと呼ぶな、気色悪い」
「割と本気で漏れそうです」
「知らん。そこでしろ」
僕が暁灯瑠刀フォルラリスを持たない左手でお腹を抑える。
実を言うと、僕にも黙っていた事があった。
それは、腹痛だ。
カノンとの戦闘中、ずっと痛かった。
矢の暴雨を走るとき、肛門が緩んでしまい出そうになった。
どうにか踏ん張ったが、限界が近い。
いつまでも、我慢は出来ない。
僕の中にある糞が、外に出たがっている。
「――でしたら、手伝って差し上げましょう」
カノンの首から上のない身体、その指先が僅かに動いた。
そして、砂浜に転がる頭が黄金の粒子となり消失。
「私は仕事柄、人体から臓物を取り出すのは得意なので、ね」
「出すのは、粘着性のある汚い糞だけどな」
カノンの頭部に黄金の粒子が集まる。
弾けると、王子様のような堕天使の顔があった。
《女神の聖なる息吹》などの回復系統の《魔法》を使った形跡は感じられない。
これもまた、カノンが所有する《異能》なのか。
「……ああ、言い忘れていましたが……私にも《固有体質》――《不老不死》があります。なので、首を斬られようと身体を細切れにされようと死にません」
「何度、遊んでも壊れない玩具だ」
「お前と同じでな」
良いことを聞いた。
僕は自然と顔が緩む。
「〈邪神族〉に転生してから、色々と面倒に巻き込まれてさ……あまり、遊ぶ時間が無かったんだよね」
「セラスには犯されるし」
「未遂だよ」
僕は食い気味に是正する。
あの淫乱な〈聖女〉とは、少し戯れただけ。
行為には及んでいない。
「――だから、ちょっとだけ欲求不満なんだよね」
「ほらみろ。溜まってるんじゃないか、エロガキ」
「そういう意味ではない」
さっきも言ったが、性欲は殆ど無い。
僕にある欲望は――。
「前世で〈勇者〉をやってた頃は、王から貰った特権で、好き放題に人を殺して愉悦を得ていたんだけどね……〈邪神族〉に転生してからは、まだ一人も殺せていない。嗚呼、凄い不満だよ……」
「……本当に何でお前のような人間のクズを、〈勇者〉に選んでしまったんだかな。私にとって、生涯の恥だ」
「僕を選んで下さってありがとうございます、メノア様」
素直に感謝をする。
それは偽りのない本音だ。
僕は〈勇者〉に選ばれた運命を、至上の幸運だと思っている。
女神様に選ばれなかったら、片手で人を殺せるような強大な力を手に入れられなかった。
法律や倫理を無視して、僕の思うがままに無辜の民を虐殺出来なかった。
それが実際に可能だったのは、ひとえに女神様の力添え。
「メノア様、貴方のおかげで僕は〈勇者〉から〈邪神族〉に転生することが叶いました。これでまた……いえ、前世以上の殺戮を披露できると思います。何せ、いまの僕には《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》がありますからね」
〈邪神族〉ノワール、この個体に宿った《理を変転させる幻惑の坩堝》。
昔の僕には無かった力だ。
「――これがあれば、世界を……このレネイストをメノア様の遊戯会場に仕立て上げられます。僕なら、それが容易に可能だ。メノア様もまた、あの頃みたいに遊びたいでしょう?」
僕は平常時と変わらない顔で、しかし流れるような口調で告げた。
女神、メノア様の心底に眠る欲望、いや渇望――。
彼女に選ばれた〈勇者〉だった僕だけは、知っている。
この性悪で意地汚い、人を玩具としか思っていない、女神の皮を被った化物の本性を。
僕の問いかけに、メノア様が笑う。
ニコリ、と女神さながらの美しい笑み。
「……そうだな。確かに、お前の言う通りだ。否定はしないよ。それに興じられたら、私の永劫の寿命における良い暇潰しになりそうだ」
「でしたら……」
「――だが、私は女神である以前に《虚無の巫女》だ……そう《星を喰らう獣》を封印する要の、な」
と、僕が開いた口が引き裂かれる。
頬まで斬られ、顎が落ちた。
僕は《不老不死》で再生する。
「……これは何のつもりかな、クソ女神」
見ると、メノア様の右手には番傘が握られていた。
骨組みは重厚な作りだ。
持ち手は太い竹。
装飾はなかった。
無地の和紙が貼られている。
僕は、その番傘を知っていた。
「――暁灯瑠傘アルランレイブ、《星を喰らう獣》が顕現させる大太刀、暁灯瑠刀フォルラリスに対となる得物だ」
メノア様が番傘、暁灯瑠傘アルランレイブの先端を此方に向ける。
僕が持っている大太刀と同様に、星力を感じた。
「酷いな、メノア様まで……僕を《星を喰らう獣》呼ばわりするなんてさ。僕は何度生まれ変わろうと未来永劫、女神様の下痢処理係だよ」
「……それもどうかと思いますが」
カノンが眉を下げる。
他者から受ける印象は気にしない。
僕が自ら望んでいる願望だ。
口出しされる筋合いはなかった。
「そうか……」
と、メノア様。
僅かに視線を下にやって――。
「お前の口から、それが聞けて良かったよ。これで、ベルザとの約束を果たせる……《星を喰らう獣》討伐、いや異世界から招かれた世界の異物、〈勇者〉灰の滅殺をな」
メノア様の身体に、星力が漲る。
それは本物の〈神族〉が有する、莫大な超常の力。
見えない、しかし重厚な圧迫感が僕を押し潰そうとする。
僕の星力とは質が違う。
純粋な自然の暴威だ。
「……おやおや。ここにきて、そっちを優先させましたか。少し意外ですね……」
「そっち?」
「ああ……ノワールさんがご存知ないのも当然です。貴方が〈邪神族〉に転生をする前に、メノアさんとベルザさんの間で交わされた約束ですので」
――なるほどね。
僕の記憶にないわけだ。
転生をしている最中は、あまり覚えていない。
何年も眠っていたような。
だけど、一瞬の出来事だったような、時間の感覚が狂っていた。
大方、その間に女神同士で約定を締結させたのだろう。
その内容は――。
「僕、灰の魂を完全に滅ぼして、転生も不可能にすること」
「ええ、お仰る通り。まあ、詳細な内容は私も知りませんが……女神メノアは、最初からノワールさんを、いえ灰さんの魂を滅ぼす為に、貴方が〈邪神族〉に転生するのに協力をした、といったところでしょうか」
僕は転生前、即ち〈勇者〉カインの最期の記憶がない。
夕食にパンを口にしたのは覚えている。
それ以降は――。
駄目だ。
思い出せない。
気付いたら、あの女神様の異界にいた。
その前日にメノア様と、誓約を結んだ気がする。
何だったかな。
興味が湧かなかったから、脳が自動的に処理をしていた。
兎も角、僕は女神様に――。
メノア様とベルザに、泳がされていた。
そういうことか。
悲しいな。
メノア様は僕の唯一の理解者で、味方だと思っていた。
その信頼を裏切られた。
涙が出てしまいそうだ。
「――でも、何で現下なのかな」
僕、〈邪神族〉ノワールの身体はメノア様に創造された代物だ。
女神様の一存で、僕の生命活動を止められる。
何時でも殺せる。
その機会は、これまでにあった筈だ。
なのに、わざわざ女神の聖杯機にまで赴いた。
「――それは……いえ、これから滅びるノワールさんには必要のない情報ですね」
僕の後方、魔力の波を感じた。
管理者の閲覧会のカノンが、碧軌弓トラウディクスに魔力を流しているのだろう。
そして、前には暁灯瑠傘アルランレイブを持ったメノア様。
二者に挟まれた状態だ。
逃げれるわけもない。
そんな隙は無かった。
カノンとメノア様。
双方、立場や目的は違う。
カノンは管理者の閲覧会の規則に基づいて。
メノア様は、ベルザと交わした約定の履行。
しかし、滅ぼす対象だけは合致していた。
「信頼していた女神様に裏切られた挙句、二対一で虐められるなんてさ、あまりにも僕が可哀想じゃない?」
「そうだな、可哀想だ」
「可哀想ですね」
「――でしょ?」
「悪かった謝るよ……ごめんな。これで、いいか」
無表情で謝罪をする女神様。
心にもない共感を見せるカノンを――。
「頭が高いね、やり直し」
僕は魂にかけられた制約を解除する。
本来の〈勇者〉カインで得た力、そして〈邪神族〉ノワールになり手にした力を合わせる。
刹那の抜刀術で、女神と堕天使の首を斬り落とした。
【次話予告】
ノワールは異界、女神の聖杯機でカノンと戦っていた。
彼の首を斬ったときに現れたのは、これまで意識の中で念話で繋がっていた存在、女神メノアで――。
何故、いまになって出て来たのか。
半ば面倒事を確信していたノワールに、ティッシュを鼻に詰めた女神は、ノワールを転生させた真の目的を告げる。
状況的に利害が一致した堕天使と裏切った女神により、ノワールは二者を同時に相手取る事となった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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