第1章 第3話 慈愛溢れる女神の親切心
女神様が頭の中で何かを言った気がする。
誹謗に対する文句だろうが、それは知らないふり。
僕は意識を切った。
現下、眼前にいる女性。
声音から多分、そうだと思われる人物は――。
旧ベルザ教会、即ち孤児院の関係者。
責任者のような立場の者なのだろう。
彼女は言った。
女神メノア様の使徒様。
それに、メノア教。
色々と指摘がしたい。
説明も求めたい。
何か、知らない間に女神の使徒にされている。
そんなものになったつもりは、ないのだが――。
『おかしなことを言うな。お前は私の慈愛溢れる救済によって、転生しただろうが。その時点で、私の使徒になったも同然だ』
暴論過ぎる。
その慈愛溢れるなんとか、って台詞気に入っているんですか。
『救済だ。死に陥った哀れな弱者を救ってこそ、真の女神というもの』
どこか、芝居がかった話し方だった。
何か読んでいるのだろうか。
そもそも、死の元凶が言う事ではない。
平行線になる気がしたので、それは思うだけに留めておいた。
いまは、それよりも――。
「さぁ、こちらにどうぞ。使徒様の来訪をお待ちしておりました」
先程までの怯えた様子は消え、歓迎するように招き入れる。
最初は素性が判別出来ず、警戒をしていたのかもしれない。
それが使徒と分かったので、態度が変わったのだろう。
まあ、嫌悪を抱かれ敵対するような事態にならずに済みそうなのは、ありがたいのだが。
使徒といった呼ばれ方には、慣れそうもない。
無理に否定をして相手の機嫌を損ねるのも、あれなので乗っからせてもらおう。
「こんにちは、女神メノア様の使徒だよ。会えて嬉しいよ」
僕は表情を緩め、精一杯の笑顔を作る。
完璧な外面だ。
これで第一印象は、ばっちり決まっただろう。
『下手糞』
何故か、女神様からの評価が悪い。
不思議だ。
『女神の使徒感が、まるでない。だが、近所に住む餓鬼が挨拶に来たにしては、顔が薄気味悪い。中途半端な猿芝居のせいで、余計に不審者だ』
散々な言われようである。
頑張ったのに。
使徒の感じが無いと言われても、仕方ないだろう。
僕の中に自覚が、まだない。
それに顔に関して謗られるのは、おかしいのでは。
創造したのは女神様ですよ。
不満があるなら、それは女神様の手腕が問題かと。
『私を正論で殴るな羽虫。正論が一番嫌いだ。存在自体が間違いの私を、根本的に否定する』
メノア様は不貞腐れたように吐き捨てる。
そこまでは言ってないですが。
まだ、僕が知らないだけで、深い闇でも抱えているのだろう。
興味はないけど。
『教えてほしいか?』
いや、いいです。
本当に興味ないので。
『あれは約1000年前、まだ暦が出来る以前のことだ。私は知り合いの〈聖女〉セラスと《虚無の巫女》の母体となる存在について、議論を――』
聞いてもいないのに、勝手に話し始める。
僕は碌に耳を傾けず、途中で意識を逸らした。
まだ続きを話している。
「僕は女神メノア様の使徒、ノワールです。ここは、とても静謐で綺麗にされている教会ですね。常日頃から手入れをしているのが窺えます。メノア様も、さぞお喜びになられるでしょう」
と、僕は微塵も思っていない感想を伝える。
初対面の相手だ。
何が正解で地雷かは分からない。
なので、とりあえず褒める。
実際、この旧ベルザ教会が清潔なのは事実である。
嘘は吐いていない。
見て感じたままを言った。
『別に、そんなことで私は喜ばんぞ。何を訳の分からない事を言っているんだ、お前は。こんな都心から離れた僻地のドブ臭い路地にある時点で、たかが知れているだろう』
黙れ。
余計な事を言うな。
いや、女神様の発言は他者には聞こえないから大丈夫なのか。
「使徒様に、そのように仰っていただけるとは……身に余る御言葉で御座います」
こちらの会話など、つゆ知らず。
感激を受けたように身体を震わしたのだった。
「さぁ、どうぞこちらに。この矮小な信徒に、微力ながら旅路の助力をさせて頂きたいと存じます」
そう言うと、女性は扉の隙間を広げた。
なるほど、この先の援助をしてもらえるらしい。
断る理由もない。
この際、使徒の立場を存分に利用させてもらおう。
招かれた好意を受け、教会の中に入る。
女性は孤児院の修道女だった。
頭部から顔両脇、それから首を絹の薄地、女性用頭巾が覆う。
鴉の嘴のような濡羽色の鉄仮面により顔貌は見えなかった。
被るように着るのは、踝丈のローブだ。
その上に脇を縫われない肩掛け、修道女の肩衣を羽織る。
如何せん体系がわかりずらいが、しかしあまり筋肉の発達はない。
腰が細い、痩せ気味の体躯だ。
右手に持たれるのは、瑠璃の微光を放つ角灯。
それは生物の命の灯火、そのものに見え魂が燃え尽きるようにも思えた。
『死者の魂を黄泉に導き成仏させる神具、黄泉灯アルスタラだな』
メノア様が教える。
何の事だ。
修道女が持っている角灯のことか?
『それ以外に、何がある愚鈍』
いや、その黄泉灯アルスタラとやらを知らないだから、仕方ないだろう。
武具の名前からして、物騒ではあるが――。
『武具ではない、神具だ』
細かい訂正をされる。
どういう違いですか、それは。
『簡単に言えば、神が創ったか否かだ』
確かに簡潔な説明だった。
非常に分かり易い。
ありがとうございます、女神様。
『そんな暢気に礼をしている暇があるのか?』
――え?
どういう意味ですか。
「女神メノア様使徒、ノワール様……いえ、転生者灰。女神ベルザ様の神命により、貴方に神罰を下します」
修道女の口が微かに動き、術式を詠唱する。
黄泉灯アルスタラが小刻みに、からからと揺らされた。
――カランカラン。
と、鐘撞きのような、しかしそんなに重厚さはない音だ。
右から左に空虚な音色が流れる。
『《阻害魔法》――《其の灯火は他が為の祝福》だ。気を付けろよ、もろに食らえば魂が、あの世に直行だ』
親切心か、それとも唯の気紛れか。
メノア様が発動された《魔法》の情報を提供する。
変わらない淡々とした口ぶり。
だからだろう。
意外にも、この状況下で僕は冷静なままでいられた。
女神様は疑っていない。
〈邪神族〉に転生をさせた僕、ノワールの実力を。
負ける可能性など考えてすらいないのだろう。
それは期待でも願望でもない。
ノワールといった〈邪神族〉の個体を創造した自身に対する、絶対的な自信だった。
いや、もしかしたら――。
と、僕はある邪推をする。
この状況は、女神様が意図的に作り出した展開なのではないか。
つまり、転生をした僕が〈邪神族〉の力を使う、試験場を用意した。
そう、考えると納得出来る。
メノア様の信徒を自称するわりに、何故かこの教会の名称は旧ベルザ教会だった。
そこが、まず抱いた違和感。
旧ベルザ教会と路地の境を通る際に、女神様が言い淀んだのも気にかかった。
あとは、単純に僕の感。
こんな所に、孤児院があるのが不自然。
『想像力が豊かな使徒様だな。お前の中で、私はそんなに優しさに溢れた女神なのか?』
メノア様が揶揄うように嗤う。
勿論、露程も優しいとは思わない。
『おい』
そも、女神とも思っていない。
悪魔か、その亜種が妥当な評価だろう。
『言うに事を欠いて、この私を悪魔呼ばわりとは……いい度胸だな、愚鈍な羽虫』
そんな言葉とは裏腹に、あまり苛立ちは感じられない。
何か、蔑称が増えていませんか。
さっきから、僕のことを愚鈍と言っていますよね。
『そのベルザの使徒、零花に先手を取られた間抜けを、愚鈍と言わず何という』
どうやら、修道女は零花という名前らしい。
思わぬ情報だ。
それに――。
「先手を取られた、というのは少々気に入らないですよ、女神様」
はなから僕は修道女、零花を信用していない。
当然である。
旧ベルザ教会の入口で、お世辞を言い話を長引かせながら、その間に確認をしていた。
〈邪神族〉に転生をした僕が現在、どういう《魔法》や《権能》を行使可能なのかを。
でなければ、あんな見え透いた思ってもいない賞賛などしない。
『わざと私の、それから零花の掌の上で泳いでやった、と……そう言いたいわけか』
どうでしょうね。
それは、少し適切ではないかもしれません。
泳いだというより――。
「僕はただ、愉しんでいただけですよ」
そう、僕はいまの状況が愉しかった。
これは、何の虚飾もない紛れもない、本心だ。
メノア様に弄ばれようと、零花に嵌められようと構わない。
それも、一つの娯楽。
拒まずに享受する。
このさき、どういった展開になろうが気にしない。
仮に滅びる運命だとしても、それも結末だと受け入れる。
現在が愉しめれば――。
僕が満足すれば、それでいい。
『私が言うのもなんだが……お前狂ってるな。私とは違うベクトルで、頭のネジが外れている……ああ、実に私好みだよ』
ふふっ、とメノア様は不敵に、しかし妖艶に笑った。
本人の顔は見えない。
だが、陶然としているだろう表情が伝わった。
女神様は、ご機嫌だ。
『……まあ、だからこそお前を選んだんだがな。それでこそ――』
と、そこまで言いかけ、メノア様は口を噤む。
続きが気になったが、いまは零花に対応するのが先決だ。
「異世界より招き入れられたイレギュラー、レネイストの異物よ。女神ベルザ様の神託のもと、名もなき魂に還りなさい」
零花が問答無用に、厳格に告げた。
黄泉灯アルスタラの角灯、その水晶のような特殊加工がされた硝子箱から、瑠璃の灯火が漏れる。
それは魂を還す、黄泉の炎だった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
良ければ評価を貰えると嬉しいです。




