第1章 第22話 女神と邪神の合言葉
カノンが握る碧軌弓トラウディクスから、不可視の矢が射出される。
彼の斬られた右手は治っていない。
片手しかない状態だ。
しかし、カノンはそんな不憫を微塵も感じさせず動作を行った。
別に碧軌弓トラウディクスは、手を使わずとも射出が実行されるのだろう。
使い手の思考と、魔力で繋がっているとみえる。
カノン本人が、撃つのを念じるとそれが碧軌弓トラウディクスに伝わるようだ。
『――なら、それと似たように私が思えば、お前は思い通りに行動するわけだな……よし、その場で全裸になり奇天烈な踊りを披露しろ』
残念ながら、僕は都合の良い道具ではないので。
そんな、ふざけた命令は聞きませんよ。
『……やれやれ、本当に使い勝手の悪い玩具だよ、お前は』
「この後、エリアル様とのデートかありますので、早急に終わらせましょう」
と、カノンが高らかに告げる。
不可視の矢が、眼前に迫った。
やはり、視覚では矢は認識出来なかった。
だが、僕は何かを斬るように、暁灯瑠刀フォルラリスを横に振った。
何も無い彼我の中空に、粒子が散る。
不可視の矢を、僕は斬っていた。
「おやおや……貴方は目が良いんですね」
カノンは僅かに驚き笑う。
後方、僕の背後に目をやって――。
「そこの皇子とは大違いだ」
カノンが断続的に追撃をする。
――と。
弦から射出された、数瞬後。
矢が中空で分裂した。
数は50を超える。
そんな暴れ雨の如き矢が、僕に降り注いだ。
放たれ分かれた矢、その全てに同様の効果が付与されている。
一本でも当たってしまえば、僕は異次元に行ってしまう。
客室は狭い。
カノンが乱入する際の暴風で、室内の家具などが壊れたとはいえ、そこまでの広さはない。
あまり自由に動けるスペースはなかった。
窓から逃げるのも難しいだろう。
それを、カノンが見過ごすとも思えないし。
本当に外に出られるかも分からない。
この客室までの階段は《次元歪曲》により、歪められていた。
いま、現在地が神都アリオンの何処に位置するのかも不明だ。
或いは、まるで知らない土地かもしれない。
出られたとして、そのあとが問題となる。
――なら。
と、僕は暁灯瑠刀フォルラリスに星力を流した。
「《更待月》――《蜃滅幻》」
暁灯瑠刀フォルラリスを持った右手が霞む。
瞬間、全ての不可視の矢が粒子にされ滅された。
それは幻影の斬撃《蜃滅幻》。
『暁灯瑠刀フォルラリスにある本領、その秘技である《開闢》の一つか』
僕が使っている大太刀、暁灯瑠刀フォルラリスには全部で、14の《開闢》がある。
《開闢》とは、それ即ち暁灯瑠刀フォルラリスを覚醒させる、秘技のこと。
そのうちの一つとなるのが《更待月》――《蜃滅幻》。
目には見えない幻の斬撃だ。
『《開闢》は強力な反面、星力の消耗が激しい筈だが……』
暁灯瑠刀フォルラリスの性能を完全に発揮させるには、魔力では意味がない。
魔道具ではないからである。
この大太刀は、星力を使わなければいけない。
現にいまの《開闢》により、僕の体内に残存する星力が明らかに減った。
『澄ました顔をしているが、内心辛いんだろう?』
と、メノア様が問いかける。
気遣う言い方だが、僕には挑発にしか聞こえない。
この程度なら、何も問題はありませんよ。
僕、ノワールの身体が女神様のお手製なので。
耐久と体力には自信があります。
『クックック、それはなによりだ。〈魔女〉の鞭打ちにも耐えられる性能に創った甲斐があったな』
――待て。
なんだ、その理由は。
僕の身体は、女神様の趣味と嗜好によるものではなかったのか。
『無論、それもあるが……この先の未来で起こりうる、ありとあらゆる可能性を想定して、お前の身体を創造した』
その未来に考えられるのが〈魔女〉の鞭打ち。
限定過ぎる出来事なうえに、あまりにも曲解な可能性な気がする。
『気に留めるな。仮の話だ』
そうならないよう願おう。
異界から嫌な微笑が聞こえた。
「流石は元〈勇者〉。この位では仕留められませんか……」
「何の話かな。僕はノワールだよ。恥ずかしいから、種族は秘密ね」
――スッ。
と、カノンの蒼い双眸がこちらを見据える。
そして言った。
「貴方は本当に分かっていないのですか?」
――それとも。
カノンが冷徹な眼差しで、僕の胸中を射抜いた。
「転生前の記憶があるというのに、記憶喪失のフリをして〈邪神族〉ノワールとして振舞っている」
「僕がそんなに演技派な人物に見えるのかな。そんなことが出来るなら、女神の玩具なんてつまらない仕事はやめて、俳優にでも転職するよ」
『私が子供のときに抱いていた将来なりたかった職業は、お花屋さんだ』
そうですか。
また、随分と可愛らしい。
とても、お似合いだと思います。
僕も花は好きですよ。
というより、植物全般に関心があります。
生命が朽ちる様子が、目に見えて分かり易いので、観察していて愉しい。
『クソみたいに、歪んだ感性だな』
どうでしょう。
僕は、そう思いません。
人が桜など、綺麗な木々や植物を見て、感動を覚えるのと同じように、僕は生命の生涯を見届ける過程を愉しんでいるだけですよ。
何も、おかしな感情ではありません。
『性根の腐った私も大概だが、お前の曲がった感性は死んでも治らんな……ああ、本当に治療のしようがないよ』
メノア様の声音には諦めがあった。
女神様が仰っていたように、僕は自我が強いらしいので。
『……だからこそ、元転移者の〈勇者〉から〈邪神族〉に転生するなんていう、本来なら不可能な所業が成功したわけだ』
あれ、その事実はもう公言してもいいんですか。
気を遣って、折角これまで知らない態度を取っていたのに。
〈邪神族〉ノワールも、なかなかに愉快な役なので愉しめていましたよ。
『その無機質な感想は、私たちの会話をずっと盗聴している、その王子崩れの狂信者にでも言ってやれ』
「――おや、やはり私に聞かれている事に気付かれていたのですね」
カノンが笑う。
表情は変えず、僕は淡々と言った。
「うん……僕がメノア様に殺されて、異世界レネイストに〈邪神族〉として、転生したときから現在に至るまで、ずっと会話を聞いていたんでしょ……?」
それに感付いたのは、転生をする前――。
異界で女神様と、話しをしているとき。
だけど、僕たちは気にせず会話を続けた。
「どうだった? 聞いてて楽しかったかな。何か有意義な情報でも得られたかい」
「心底、盗み聞きする価値のない、無駄な会話でしかありませんでしたよ。ええ、本当にね……」
『はてさて、どれのことを言っているのか……無駄話には心当たりが多過ぎるな』
そんな、異界にいるメノア様の声が聞こえているのだろう。
カノンの表情が乾いた笑みに変わる。
無駄話というと――。
女神様の部屋が汚いこと。
絶賛、下痢気味だということ。
〈竜種〉ミネルヴァが最近、バニーガールのバイトを始めて、それから――。
「……もう、結構ですよ。全部、聞いた事のある話なので」
と、カノンが止める。
どこか、うんざりした様子が滲み出ていた。
「……そう? 残念だな。まだ、色々とあったんだけど……メノア様の糞が、バナナの形だった事とか」
「何ですか、その話は……」
『私が今朝出した糞に関して、そこまで詳細には言ってないだろ』
そうだったかな。
僕の記憶違いか。
「……いや、これは失敬。耳を汚してしまって、ごめんね」
僕は軽い謝罪をする。
それから、冷めた声で続けた。
「カノン君? さん?……は、どうしたいのかな。もしも、万に一つの可能性だけど、僕の前世が〈勇者〉で、何らかの理由で〈邪神族〉に転生をした。それも偶然な出来事と偽った、意図的な転生で」
客室の内装、置かれていた家具はあらかた壊れてしまっている。
しかし、手前側のソファーはかろうじて無事だった。
その背もたれの裏面に、僕は寄りかかる。
手に持った暁灯瑠刀フォルラリスを弄びながら、カノンと向き合い話をした。
「君でも、さんでも……なんなら、ちゃんでも構いませんよ。好きに呼んでもらって結構です」
『じゃあ、カノンたん』
「それはやめて頂きたい。何か、馬鹿っぽいので」
『好きにしろって言っただろう……』
と、メノア様が不満げにぼやいた。
カノンにも、許容範囲があるのだろう。
たん、を付けられるのは僕だって嫌かもしれない。
これといって明確な表現は言葉にできないのだが、とりあえず何か嫌悪感がある。
「なら、カノンちゃん」
「はい」
『……それは良いのか。基準が分からん奴だな』
僕が改めて名前を呼ぶと、カノンが笑顔で応えた。
今後は、ちゃん付けで行かせてもらおう。
「メノア様のはからいで〈邪神族〉ノワールに転生をした僕が、実は前世の記憶を、つまりは〈勇者〉であった頃の記憶を持った状態で、しかしそれを忘れたフリをしていた、と……カノンちゃんは、そう思っているのかな」
すると、カノンは――。
碧軌弓トラウディクスを手に緩慢に頷いた。
「ええ……その上でずっと女神の戯れで、異世界に〈邪神族〉として転生をした、無知な人物を演じていた……私に行動や言動を監視されているのが、分かっていたから」
そして、僕を直線上に見つめて。
否、僕と意識が繋がっている女神に向けて告げる。
「……勿論、メノアさんはそれを全て承知でしたよね? ノワールさんの前世、灰という人間を殺したのも適当な理由ではない。最初から〈邪神族〉に転生をさせる為の、計画された所業だった。単なる女神の暇潰し……などではありませんよ」
『――だったら、どうする? そいつを、ノワールを殺すか? 確かに、管理者の閲覧会の規定に基づけば、ノワールは紛れもない世界の異物だ。管理者の閲覧会は、異世界を調整する秩序の番人として、その間違いを正す必要があるな』
そう朗々と言い返すメノア様は、笑いながら喋っていた。
管理者の閲覧会が、僕を執行するのは不可能だと馬鹿にしている。
物騒な話になってきたな。
僕は世界の異物らしい。
だけど、執行されるのは怖いし嫌だ。
どうにか、許してはもらえないだろうか。
僕は、まだ何も悪い行いはしてないんだからさ。
『宿屋の器物破損』
それは僕の責任ではないと思う。
セラスが悪い。
こちらは無実だ。
問い詰められたら、知らなかったと言って通そう。
知らなかった。
記憶にない。
うん、良い言葉だよね。
僕が大好きな単語だ。
『それで済むなら、管理者の閲覧会はいらない』
なら、解体しましょう。
そんな組織、不要ですよ。
「……一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
カノンが人差し指を立てる。
視線はエレンに向けられていた。
「何かな? 答えられることなら言うよ」
僕はソファーの縁に乗っかる。
足をぶらぶらとさせながら返答した。
「これは質問というより、確認になりますが……貴方の前世は〈勇者〉、それも神殺しの大罪を犯した、元転移者の〈勇者〉灰。当時はカインと名乗っていたようですが……そんな貴方の身に何があったのか、死に至る出来事を経て、女神メノアの手により〈邪神族〉に転生をした」
僕は途中で口を挟まない。
静かにカノンの話を聞いていた。
「そうして意図的な転生を偶然の産物だと装った貴方たちは、まるでお互い初対面のように振舞い接していた……何故なら、私に盗聴されていると気付いていたから」
――しかし。
と、カノンが怪訝に問いかける。
「……不思議なのは、何故女神メノアはノワールさんに、前世の記憶が残っていると分かったのでしょう。元〈勇者〉とはいえ、所詮は人の身。それを無理矢理、神の力で〈邪神族〉に転生させるなど、あまりにも危険な行為です。最悪、魂諸共滅んでいたでしょう」
――怖いな。
そんな末路になっていたかと想像すると寒気がする。
転生が成功して良かった。
自我の強さに、万歳。
『万歳!』
「一般的な転生でさえ、前世の記憶が残らないのが殆ど……いえ、寧ろ記憶を残したまま生まれ変わる事例の方が稀です。だというのに何故、ノワールさんに記憶があると確信していたのですか?」
それがカノンの疑問らしい。
――良かった。
凄い難しい専門的な回答を要求されないか、ひやひやしていたけど。
それに関する事なら答えられる。
「合言葉だよ」
「……合言葉?」
カノンが眉を寄せた。
ゆったりとソファーの縁から下りると僕は言った。
「転生をする前に、メノア様と合言葉を決めていたんだ。〈邪神族〉に転生をした後、記憶と意識がはっきりしているかどうか……その確認をする為にもね」
『ああ、私は別に必要無いと思ったんだがな。しかし、過去の実験の結果からしても、転生をした後に副作用が起こる可能性もあったからな。定期的に、事前に決めた合言葉を口にするよう、ノワールと約束していた』
カノンが興味深そうに片眉を上げる。
異世界レネイストに転生をしたのは、今朝のことの筈なのに、どこか懐かしさがあった。
まだ、半日しか経っていないのにね。
僕と女神様、二人の間だけで通じる合言葉。
それを僕が口にする。
「気持ち悪い」
他人が聞けば、ただの暴言でしかない。
そんな言葉を僕は、異界で女神様の姿を目にした瞬間に言った。
あれが、最初の確認だ。
記憶と意識が残っているのか。
下界に行った後も、僕は定期的に言っていた。
転生の副作用は、時間の経過で発症する場合もある。
そうなると意識が混濁して、暴走を起こすかもしれない。
実際、女神様が過去に行った実験では、そうなった事例もあったと前に聞いた。
だから、僕は意識がはっきりしているのを示す目的で。
「気持ち悪い、その合言葉で確認を取っていたんだよ」
『そのせいで私の繊細な心は、深い傷を負ったがな……』
知らないな。
女神様の精神状態なんて、どうでもいい。
【次話予告】
ノワールは『竜脈の畔』の客室にて、管理者の閲覧会の刺客、カノンと対峙をする。
彼が扱う得物、碧軌弓トラウディクスから放たれる不可視の矢を、暁灯瑠刀フォルラリスの秘技である《開闢》で切り伏せる。
その技を見たカノンは〈邪神族〉ノワールと女神メノアが、演技をしている事を見抜いた。
合言葉を教えたノワールは、星凱帝エレンを《魔法》で蘇生させたのだった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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