第1章 第19話 皇帝の座を追われた依頼者
ローズが立ち止まった。
後ろにいる僕も、自然と足をとめる。
どうやら目的の部屋に着いたようである。
この《次元歪曲》に歪められた長い階段は、生憎と窓がないので、外界の時間などが確認出来ない。
現在は何時位なのだろう。
僕が『竜脈の畔』に訪れたのが、昼下がりの13時過ぎ頃だったと思うけど。
それから、セラスとの戦闘があったので、体感では14時前後かな。
激しい戦いではあったが、そこまで長引いてもいない。
まだ、夜ではないはず――。
『いまは、14時52分だな』
と、異界からメノア様が時刻を教える。
ありがとうございます。
どうやら、僕の時間の感覚は正しかったらしい。
『そろそろ、おやつの時間だ』
メノア様が心なしかご機嫌な様子で言う。
何をつまむ予定ですか。
『秘密だ』
――なんで。
教えて下さいよ。
『恥ずかしいだろ』
だから、なんで。
おやつの話ですよね。
『女神が摘まむお菓子は、他言無用なんだよ。そう管理者の閲覧会が定めた規定にも書いてある』
絶対に嘘だ。
管理者の閲覧会は、異世界の秩序を調整する番人と聞いた。
そんな存在が、女神の個人的なお菓子の事情に、ルールを設けるのはあまりにも可笑しな話だ。
『おかし、だけにな』
「…………」
この階段には窓が無いのに、何故か急に寒さを感じた。
どこからか、隙間風でも入ってきているのかな。
「――続きは部屋に入ってからにしようか、少年。いつまでも、歩きながら話すのもあれだしね」
顔だけをこちらに向けたローズが、ニコリと笑う。
いつの間にか、彼女の前には部屋に繋がる扉があった。
素材は至って普通の木製で作られた扉だ。
しかし、そこには《魔法》の術式が組み込まれている。
階段と同様の《次元歪曲》。
その扉を潜ったら、また別の空間に飛ぶのだろう。
客室に繋がっていると推測される。
ローズが扉の取っ手を回すと、それは外側に開いた。
「それに……当人が同席した方が話す手間が省ける」
と、そう呟き部屋に入る。
僕も続いた。
扉を跨いだ瞬間、術式が発動するのが分かった。
《次元歪曲》だろう。
当人、というのは誰のことかな。
何となしに察せるけど。
嫌な憶測をしてしまった。
外れている事を願おう。
『無駄な祈願が好きだな、お前は』
願うだけなら、タダですから。
誰にも迷惑はかけません。
客室に入室すると、自動で扉が閉まった。
内装は簡素なものだ。
必要最低限の調度品だけが置かれている。
古風な備品が目立つが、それは宿屋の責任者であるローズの嗜好だろう。
目新しい物品を好まない傾向があるのかもしれない。
部屋の中央には色褪せたテーブルと、背もたれのあるソファーが対面に置かれている。
テーブルの上にはソーサーと、それからティーカップ。
カップに入れられているのは褐色の嗜好飲料、珈琲だ。
まだ僅かな湯気が立っているので、注がれてから短時間しか経っていないとみられる。
妙に薄暗いと思ったら、客室はカーテンが完全に閉められているからだった。
扉から見て正面に、正方形だろう窓があるが、しかし外から光は入らない。
その隙間から微光が漏れている程度だ。
然れど、暗闇ではないのは天井に埋められた魔鉱石のおかげである。
『竜脈の畔』の一階にあったのと、同じだろう。
魔力を含んだ鉱石が、照明の代わりとなっている。
そこからローズの魔力を感じた。
電気製品などは、電気を充電すると再使用する事が可能だ。
仕組みは、それと似たようなもの。
魔鉱石の内部に蓄積された魔力が切れたら、再び補給してあげればいい。
ローズの魔力が感じられたのは、その行為を彼女がしたからかな。
「お待たせしてすまないね、エレン君……少し、雑事を片付けていて遅れてしまった」
と、ローズが穏やかに陳謝する。
それで僕は気が付いた。
この部屋にいる先客に。
テーブルを挟んだ奥側のソファー、そこに座る人物がいる。
いや、本当は入ったときに認識はしていた。
だけど、知らないフリをした。
関わり合いたいと思わなかったからね。
「……い、いえ! 全然、大丈夫ですよ! ロ、ローズさん!」
そう声音を強張らせたように返答する。
ブンブン、と両手を顔の前で振っていた。
問題ない事を伝えているのかな。
ローズの斜め後ろにいる僕は、その人物を見る。
異世界レネイストに転生をして、ベルザにより神都アリオンに飛ばされた後――。
〈二角獣〉の馬車から降りて来た、二人組の男女。
その者達が纏っていた外套と酷似した格好をしている。
街中では声の判別はしかねたけど、同一人物と考えていいと思う。
深い位置まで外套を被っているので、いまも顔は見えない。
しかし、そこから金色の髪がのぞいていた。
声音も大分、中性的だ。
男性にも女性にも聞こえる。
どちらかといえば、女性のような気もする。
年齢は比較的、若そうだ。
成人はしていなさそう。
十代後半位かな。
「ぼ、僕なんかの為に、わざわざローズさんの貴重な時間を頂いて、その上こんな美味しい珈琲まで――」
彼、或いは彼女。
エレンと呼ばれた人物は、申し訳なさそうに御礼をする。
置かれたカップの中にある珈琲は、半分程度減っていた。
待っている間に、エレンが飲んでいたのだろう。
あはは、とローズが笑った。
「そんなこと、別に感謝される程でもないけどね。どこにでもある、市販品の珈琲だよ。淹れたのもヴェノム君だし」
僕は、ふと思った。
そういえば、あのバーテンダーの老人はどうしたのかな。
セラスと戦闘する直前までは姿が見えていたけど。
それに集中していたから、ヴェノムの動向は気にしていなかった。
『どこかの迷惑客様が、派手に荒らしたおかげで、無駄な仕事が増えたんだろう』
可哀想にな、とメノア様が言った。
――はて。
誰の事かな。
うん、セラスだろう。
間違いない。
だって、僕は一般客だからね。
「……それに、君のような肥えた舌からすれば、物足りない味だろう?」
と、ローズ。
嫌味のつもりで言っているわけではなさそう。
単純にエレンの反応を愉しんでいる。
「い、いえ! 僕は、昔から味音痴皇子というので、城内でも有名でしたし……珈琲とジュースを間違う事もあります!」
それは味音痴より、味覚に障害でもあるのでは。
どう考えても、普通に飲んでいたら間違いようがないと思う。
『〈醜小鬼〉の体液を珈琲に混ぜると、ジュースの味わいになるからな。間違えるのも無理はない』
いや、そんな汚い液体を混ぜるな。
無駄な豆知識だ。
試したことがある言い方ですね。
『前に興味本位で、どんな味になるのかやってみた』
――それで?
どうでしたか。
『実にフルーティーな風味を醸し出していたよ。ああ、二度とやらない』
と、メノア様の口調は柔らかいが断固とした意思を感じた。
余程、酷い味だったようだ。
想像は出来ないが、試す気にもならない。
なんで、そんな馬鹿な真似をしたんですか。
『下界の子供たちの間で流行っていた、虐めを見て……好奇心が湧いた』
それを参考にするメノア様も大概だが――。
珈琲に〈醜小鬼〉の体液を入れる虐めとは。
『聞きたいか……?』
いえ、結構です。
碌な話ではなさそう。
「君は頭が悪いのに、舌も悪いとはね……それに、運まで最悪だ」
フフフ、とローズが手を口にやり微笑する。
なかなかに遠慮のない物言いだった。
「す、すみません……」
と、エレンは俯いて。
しかし、顔を上げると毅然と言った。
「……でも僕、剣術はそれなりに出来ます!」
両手の拳をグッと握る。
エレンが自慢げに主張した。
「――だけど、その君の数少ない特技が、まるで役立たなかったから、いまの現状に立たされているんだろう?」
そんな正論に、エレンの動きが止まる。
現実を再認識したように固まった。
「まあ、いいさ」
と、ローズは――。
手前側のソファーに向かう。
「そんな無価値な皇子様が依頼をよこしたから、私もこうして奇異な出会いが叶ったんだからね」
――チラリ。
一瞬、僕を見るとソファーに腰を下ろす。
「ほらほら、いつまでもそんなとこに突っ立ってないで座りなよ。折角、ヴェノム君が淹れた珈琲が冷めてしまうよ」
ローズがソファーの空いている右側の座面を手で叩いた。
それに僕は素直に従う。
隣に座った。
改めて、エレンの容貌を観察する。
離れている位置からだと曖昧だったが、正面だと新たに分かる情報もある。
目深い外套の奥、蒼い彗星のような瞳が見えた。
それは右から左に、何度も動いている。
忙しない。
落ち着かないのか、それとも恐怖心からだろう。
彼女は何かに怯えている。
此処にはいない、何者かの存在に。
対面に座った僕にさえ、気が付いていない様子だ。
「さて……本来なら正式に小難しい契約書を交わすんだけど……いまは状況も状況だからね。ここは手短に行こうじゃあないか」
ローズが足を組んで。
それから穏やかに笑って続けた。
「ヴァミリド神教国の星族にして、当代の星凱帝エレン・ヴァミリド。そんな国の最高位でありながら、星灯録教会の奸計により、その地位を追われるばかりか、命を狙われている……ここまでは、間違いないかな」
と、ローズは確認をするように聞いた。
やはり、エレンの素性は星凱帝か。
予想はしていたけどね。
部屋に到着するまでの間に、ローズがあからさまに話したのも気にかかったし。
こうして、僕を同席させたのは意図的な目的があるのだろう。
面倒ではあるけど、少し付き合うしかない。
「君の身を案じた側近の計らいで『狂笑会』……つまりは私の元に依頼をしに来た」
これまでの経緯を、ローズが簡単に整理する。
僕に説明しているようにも思えた。
「その依頼内容は、端的に言えば護衛だ。うん、何も難しい事ではないね……対象が、エレン君でなければ……」
と、ローズは珈琲の入ったカップを手に取る。
そのまま口に運ぶと飲んだ。
「これは慢心でも驕りでもないけど……私自身、そこらの貴族連中なら片手間に潰せる。明日の朝には、何処かの川から死体が発見されるだろう」
だけど、とローズ。
カップの縁を指でなぞりながら。
「今回の相手は、少々厄介だ……ああ、ほんの少しだけね」
乾いた笑みを見せるローズ。
それは自分に言い聞かせているようにも感じた。
僕はセラスが口にしていた事を思い出す。
終始、話の通じない女性ではあった。
発言も意味不明。
しかし、そのなかに気になる単語も混ざっていた。
異世界を調整する秩序の番人。
通称、管理者の閲覧会。
それが当代の星凱帝、即ちエレンに対して何かをしたのが原因で、命を狙われる羽目になっている。
メノア様の言葉を借りるのなら、執行をしたのだろう。
管理者の閲覧会の執行が、何を意味するのかは不明だが、穏便な事柄ではないのは確か。
「……お、お願いしますッ! 僕を守って下さい! 彼女の為に、まだ死ぬわけにはいかないんです!!!」
ローズの態度から依頼を断られると思ったのだろう。
立ち上がると、前のめりに両手をテーブルについて言った。
その際に、エレンの首元にある貴金属が煌めいた。
蜘蛛の巣を模ったネックレス、それかペンタンドに見える。
「ああ、不安にさせてしまったのならすまないね。別に、君の依頼を反故にする気は、さらさらないよ」
――だから、落ち着き給え。
と、ローズが優しい口調で宥める。
瞬き、一つ。
ローズが横目に僕を見た。
「君の護衛依頼は完遂させる。その為の頼もしい助っ人も用意した」
――ニコリ。
ローズが妖艶な笑みを向ける。
もしかして、僕のことを言っているのかな。
承諾した覚えもないんだけど。
テーブルに手を突いたまま、エレンの蒼い瞳が横に動いた。
そこで、初めて気付いたように僕を捉える。
とりあえず、僕は無言で微笑む。
敵意は無い事を顔で表現してみせた。
『……気持ち悪い』
何か誹謗が聞こえた気がする。
エレンが驚いたように瞳を瞬かせた。
「……す、すみませんすみません! 存在が薄かったので、全然気が付きませんでした!」
それから慌てた様子で、頭を何度も下げる。
僕は存在が薄いらしい。
悲しい評価だ。
『妥当だろ』
僕は気分を害していないのを伝える。
笑顔のまま言った。
「あはは、そんなに薄かったかな……確かに、母親に似て影が薄い根暗で陰気なやつ、だと言われる事はあるけど」
「少年、君は虐められていたのかい?」
と、ソーサーにカップを置いて。
ローズが心配そうに訊いてきた。
『私は引きこもりだが、根暗ではない』
そんな女神の否定は聞き流す。
僕は誤魔化すように頬を掻いた。
「別に虐めのような被害を受けた経験はないよ。どちらかといえば、僕は虐める側にまわる。弱者をいたぶるのは、とても快感だからね」
「それも、どうかと思うが……」
ローズが若干、呆れている。
気のせいかな。
エレンが引いている。
「というわけで――」
『どういうわけだ』
「これから君の護衛依頼を手伝うことになった、ノワールだよ。短い付き合いになるとは思うけど、ヨロシクね」
僕は右手を差し出して握手を求める。
この流れで退席するわけにもいかない。
席を立ったところで、ローズも止めはしないだろう。
しかし、そのまま帰ると泊まる宿を見つけ直す必要がある。
余計な手間が増える。
いまは、ローズの思惑に乗る方が都合が良い。
『色々と思案をした結果のように語っているが、単に腹が減っているから、宿探しに奔走する選択を取らないだけだろ』
――どうかな。
そうかもしれない。
腹が減っては何とやらだ。
『――征服も出来ぬ、だろ』
いや、違うだろう。
誤った知識だが、否定する気力もない。
さっさと話し合いを終えて、ご飯にしたい。
『命の危険があるエレンより、己の食欲が大事か』
当たり前な事を聞かないでもらいたいな。
はなから、エレンの生命など考えていない。
彼女が生きていようが殺されようが、僕には関係ない。
他人の命に価値を見出す必要はないですよ。
『糞野郎』
それに僕は顔の笑みを深める。
反論はしなかった。
【次話予告】
ノワールは『竜脈の畔』で、セラスとの戦闘を終えた後、宿屋の責任者である『狂笑会』の首席、ローズに案内され客室に向かう。
そこに繋がる階段は《次元歪曲》により空間が歪められており、ローズに連れられて着いた部屋にいたのは道中で、ローズの口から聞いた当代の星凱帝エレンだった。
命を狙われる身にあるエレン、その護衛依頼に助力をする事になったノワールは、逆にある取引を持ちかける。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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