第1章 第2話 女神は楽な職業
拝啓、汚物より汚い性悪な女神様。
手紙の始まりは、こんな感じで良いだろう。
相手に敬意を払っているという、此方の心情を伝えながらも、女神様に対する誹謗を入れる。
素晴らしい手紙になりそうだ。
きっと、女神様もご満悦されるに違いない。
そんな感じの妄想を頭の中でしていた僕だが、現実を見なければならない。
僕、灰は女神様の暇潰しで殺され、半ば強制的に異世界に転生をさせられた。
それも人間ではない種族。
〈邪神族〉である。
別段、転生前の身体や種族に愛着があったわけではないが、まさか〈邪神族〉にされるとは想定外過ぎる。
〈邪神族〉と、種族名に神と入るからには、やはり僕は神なのだろうか。
そんな突飛な発想が次々に浮かぶが、それほどに現実感がない。
まだ、頭の整理が完全には終わっていない。
少し時間が欲しい。
いきなり殺され転生させられた挙句〈邪神族〉にされても困る。
それに僕が悩んでいる原因は、他にもある。
転生をする直前、女神様は言った。
――現地に行ったら説明をする、と。
僕は既に現地、即ち異世界レネイストにいる。
現在いる場所は、何処の大陸の何という国家なのかは、まるで存じ上げないが、それに関する情報も教えてもらっていない。
この世界、レネイストにおける知識が何もない状態。
騙された、そんな言葉が頭を過る。
しかし、本当にそうだろうか。
もしかしたら、女神様にも何かしらの事情があるのかもしれない。
そう、例えば僕との会話後、酷い腹痛に見舞われ、下痢と必死に格闘をしている、とか。
なるほど、ありえる可能性だ。
それなら納得出来る。
『ふざけるな。呪い殺すぞ、お前』
僕の周囲には誰もいない。
人の気配がしない。
なのに、何処からか声が聞こえる。
「……なんだ、この雑音」
『お前の方こそ、根本的に私の事を舐めているだろ』
そんな苛立ちを滲ませた声音が、僕の頭の中に響き渡る。
姿形は見えず声だけだというのに、相手の心情が手に取るように感じられた。
多分、いまごろ眉を顰めて不機嫌な様相になっているだろう。
しかし、僕には関係のない事柄である。
女神様の機嫌など、どうでもいい。
『やはり舐めているな……良いのか? そんな態度を取って』
メノア様が脅すように言う。
どういう意味かな。
『お前は〈邪神族〉に転生をした。それも、この私の慈愛溢れる救済によってな』
直接、顔は伺えないというのに、尊大な表情が思い浮かぶ。
凄い自尊心だ。
ある種の才能かもしれない。
僕は心の中で拍手を送った。
『慈愛溢れる救済によって転生を果たしたお前は、つまるところ私の作品だ』
メノア様が強調するように言う。
わざわざ、二度も繰り返さずともいいのに。
慈愛溢れる救済とは言うが、ただの自作自演だと思う。
でも、確かに過程はどうあれ、結果的に転生出来たのはメノア様の力によるもの。
それは、どうやっても覆せない歴然たる事実。
『――そういうことだ。ならば、分かっているな?』
分からない。
何を言っているのやら。
すると、大きな声が頭に響いた。
『お前の創造主は私だ! お前の生命活動は全て、この私が握っている! 生きたかったら、不遜な態度を改めろ! 以上!』
そう、メノア様は締め括る。
一方的に言いたい事だけを言い閉口。
矢継ぎ早に話して疲れたのか息が荒い。
そんなに体力を使うなら、普通に喋ればいいのに。
僕は気が長い方ですから、どれだけ長い話でも聞きますよ。
と、そんな風に思っていると。
ブチッ、と何かが切れる音がした。
気のせいだろう。
『もういい……必要最低限の事だけを伝える』
何かを諦めたように話し始めた。
底冷えするような声音だ。
『灰、お前が転生した種族は〈邪神族〉だ。これは、もう既知だとは思うが……』
ええ、分かっていますとも。
女神様にしつこいほど、言われましたから。
そんなぼやきは、しかしメノア様は無視して続ける。
『個体名はノワール、それがこの世界での名前だ』
いいな? とこちらに投げかける。
まあ、良いですけどね。
特に名前にこだわりはないので。
灰、と命名された由来すら知らないですし。
何なら、実の親も記憶にない。
人間である以上、無から生まれた訳ではないと思うが、あまり興味はない。
というか、転生したいまでは、親は女神様になるのでは――。
『気色悪い想像をするな……また下痢になったらどうする』
いやはや、すみませんね。
でも、創造主と仰っていたので、そういうことになるのか、と。
ん? また?
『身体は〈人間族〉で言うと、七歳位の少年に設定しておいたが……お前は〈邪神族〉になり不老だからな。年齢などあってないようなものだ』
そもそも、転生者ですしね。
灰だったときの実年齢は21歳ですけど、多分。
正直、あまり覚えていない。
それより、女神様の下痢についての事情を、もっと詳細に教えて下さい。
『お前の容姿に関しては、私の独断と偏見と趣味により、構成されている。ありがたいと思え』
心の中で感謝を伝える。
僕は初めて容貌を確認した。
中性的な見た目の、燕尾服を着た少年だ。
蜂蜜色の短髪は綺麗に切り揃えられ艶がある。
常日頃から欠かさない手入れの具合がうかがえた。
顔の造形は彫像の如き黄金律。
見惚れる程に整った容貌だった。
特徴的なのは、その耳だろう。
細長い尖った耳だ。
かけられた眼鏡の奥にあるのは、怜悧な糸目。
爽やかだが全体的に冷たい印象を受ける。
すらりとした佇まいだが、年齢に不相応な恰好に思えた。
「――こういうのが、趣味なんですか」
人工的に創られたのだろう、このノワールという身体に文句があるわけではない。
ただ、少し意外だっただけだ。
僕は身体を捻りながら、全身を確認する。
『その身体は私が以前から、時間をかけて創っていた代物だ……どうだ、なかなかに上質な身体だろう』
作品を披露するように、メノア様は自身満々だった。
こんなものを創造するほど、暇だったのだろうか。
思っていたより、女神とは楽な職業なのかもしれない。
『なんだと……こんなものと言ったか? いいか、その身体はな特注品なんだ』
好評を貰えると思っていた期待を崩され、メノア様は不機嫌だ。
ノワールの身体に関して説明をする。
『お前のその身体には〈魔王〉をも凌駕する魔力が漲っている。そういう風に設計したからな……それだけではない。レネイストにある全ての《魔法》……それから〈邪神族〉固有の《権能》が自由自在に行使が可能だ。そのうえ――』
と、そこまで聞いた時点で、僕は話を遮った。
思考が追い付いていないのもそうだが、単純に長話に飽きた。
『気は長いと言っていただろうが……』
はて、そんな事言ったかな。
記憶にない。
それより――。
「少し気になったんですが……」
『なんだ』
絶対に必要なわけではない情報。
しかし、この先聞いておいて損はないだろう。
「この世界レネイストには〈魔王〉とやらがいるんですね」
何となしにだが〈魔王〉という存在に対して、ある程度の想像は出来る。
そこから導き出される答えは、あまり関わりたいとは思えない、である。
面倒事の臭いしかしない。
避けるのが最適だ。
メノア様は無感情に淡々と教えた。
『ああ、いるぞ。私はとうの昔に興味を失ったがな。何の面白みもない生産性のない、無価値なガラクタだ……それが、どうかしたのか』
そこに感情など皆無。
本当に塵を見るような。
壊れた玩具に対する感想。
なかなかに痛烈な評価だった。
「……いえ、たんに女神様に〈魔王〉に関して、どういった存在なのか聞きたかっただけですよ。別に深い意味はありません」
それだけである。
何か思惑があっての質問ではない。
興味を失ったなら、それでいい。
はなから、僕も深入りしたいとは思っていない。
『――最近は、定期的に〈勇者〉と遊んでいるらしいがな……詳しいことは、私も知らん』
と、そこで区切った。
レネイストには〈魔王〉なる存在がおり、そのうえ〈勇者〉というのもいる。
遊んでいる、と女神様は表現したが、それが適切な言い方なのかはさておき、詳細な事情までは知らなさそうだ。
これ以上引き出せそうもない。
『他に聞きたい事がないなら、残りの要件を話すぞ』
それに、僕は胸中で無言の首肯。
こちらの意思を汲み取ったメノア様は口を開いた。
『現在、お前がいるのは紅凱暦852年のレネイスト。その大陸の一つ、ヴァルノレイア大陸。そのなかでも最も発展している大国、ヴァミリド神教国だ。その郊外の路地に、お前を飛ばした』
女神様の説明を頭の中で簡略的にかみ砕き整理する。
なるほど、現状は理解。
『嘘つけ』
本当だ。
何も嘘は吐いていない。
『強がるなよ』
僕はそれを無視。
改めて、周囲の状況を確認する。
人通りは殆どない。
『皆無だろ。お前のその目には、人がいるように見えているのか?』
勿論、誰もいない。
だけど――。
「いないより、そこにいるかもしれないと仮定した方が、孤独感が薄まりますからね」
『強がりじゃないか。なんだ、その無駄な虚勢は……』
良いでしょう。
別に誰にも迷惑はかけていない。
『私は不愉快に感じた』
「知らん」
『知れ』
喧騒が聞こえない静かな路地。
営業している店舗や、生活を感じられる住居も見当たらない。
廃墟らしき建物が乱雑に並ぶ。
それは、ある種過去の時代に置き忘れられた墓石のように思えた。
『お前は幸運な事に〈邪神族〉になったが……将来、世界の敵でもなって墓に骨を埋めるような最期にならないように気を付けるんだな』
それは、運が良いのか。
女神様の自己満足では。
「僕は世界を敵に回せるほど、肝が据わった人間ではないですよ」
『知ってる』
「否定しろ」
何か悲しい。
そんなに信用がないのか。
『永遠の愛を誓った妻でさえ、簡単に殺せるような薄情な点に於いては、お前の事を信用している』
褒められていない。
妻を殺害した過去もない。
僕は未婚だ。
『いまのは物の喩えだよ。細かい奴だな』
メノア様の気分が悪化。
そうでしたか。
「すませんでした」
『気持ちがこもってない。やり直せ』
――嫌だ。
面倒臭い。
「女神様の気分の度合いとか、どうでもいいので」
『……なんだと』
僕は周りを観察しながら路地を進む。
何時頃建造され廃墟と化したのか、それすら判別するのが難しい。
『約300年前だ……多分、きっと……いや、絶対』
「どっちですか」
記憶が曖昧過ぎる。
昔、この地で紛争でもあったのだろう。
建物の壁面には至る所に、何かが焼け焦げた跡が点々と存在する。
それは確かに外的な要因によるものだった。
大砲などの火薬か、或いは《魔法》による影響だろう。
『……紛争なんか、あったか? 記憶にないがな』
「女神様は忘れているだけでは」
『そうかも』
――そうなんだ。
認めてしまった。
住居に備わっている筈の窓硝子は、しかしその機能の一端すら果たせていない。
窓枠に硝子が残っている建造物は僅か。
外から荒れた内装が窺えた。
『覗き魔』
「誰がだ」
不名誉だ。
見えてしまったのだから仕方ないだろう。
最早、人が住むような環境ではないのは確か。
家具も無残に壊れ、小物類は床に散らばっている。
『私の自室に匹敵する汚さだな』
「これに近いって、どれだけなんですか……」
なかなか酷い気がする。
見たいとは思わないが――。
『そうか、知りたいか』
いや、いいです。
本当に。
『遠慮するな』
「してないですよ、糞女神」
『機会があれば、今度見せてやろう』
お断りしたい。
そんなときが訪れないのを祈ろう。
破れた窓からか、それとも地面から生えたのか。
何処からか侵入をした蔓植物が、我が物顔で四方を覆っていた。
『植物ではないが、私の部屋にも頻繁にゴキブリが侵入している』
「汚部屋の情報を追加するな」
どれだけ汚いんだろ。
掃除して下さい。
『興味が湧いてきただろう』
フッ、とメノア様が嗤う。
やめてもらいたい。
『――その先に旧ベルザ教会がある。まずは、そこに行け』
僕は素直に支持に従う。
足を前に動かした。
舗装された道が途絶え、むき出しの地面が露わとなる。
凹凸が激しいうえに、ぬかるみがある。
「家に帰りたい」
『お前に帰る場所など無いだろ』
そうでした。
歩きずらさを我慢しながら、薄暗い直線の道を前に進む。
不規則に明滅する街灯は、消える寸前。
「なんか、不気味だな」
空気が冷たい。
誰かに見られている気もする。
『安心しろ、私がいる』
何も安心できないのだが――。
いやに刺激的な臭いを感じ、目を向けると路上に投棄された老廃物などの腐臭が酷かった。
思わず顔を顰める。
だが、仕方がないと割り切るしかない。
『……私の部屋は、そこまで臭いわけではないぞ』
「別に何も言ってませんけど」
まあ、でも――。
少し考えはしました。
『やっぱり、気になってるじゃないか』
なってない。
そんな劣悪な環境に建っているのは、教会。
旧ベルザ教会。
目的地だった。
その教会が建った場所が、街の中心だったのなら、違和感は無かっただろう。
しかし、ここは汚物と湿気に満ちた路地。
外壁は白亜に輝き、美麗な芸術品のような教会は異質でしかない。
神々しさすら感じられる。
教会から発せれる聖なる浄化の発光は、さながら境界線のようでもあった。
敷地に足を踏み入れると、まるで世界が変わったようにも思える。
「入って良いんですか?」
旧ベルザ教会の入口に目をやり、僕は聞いた。
しかし、返答がない。
「女神様……?」
呼びかける。
今度は返事があった。
『……そこ、旧ベルザ教会は以前は教会だったが、いまは小規模の孤児院になっている。七歳児のお前が子供として過ごすうえでは活動拠点になるだろ』
返事までに妙な間があったのは、多少気になるのだが。
それに、こんな環境に孤児院。
子供が過ごすには、お世辞にも快適とは言えない。
『文句を言うな……居候出来る場所があるだけありがたいと思え。それに、旧ベルザ教会は女神の加護が付いている。孤児院の環境は、そこらの庶民の家と何ら変わらん』
さっき、感じた違和感はそういうことか。
旧ベルザ教会と路地の境、そこが女神の加護の範囲なのだろう。
「これは、メノア様の加護ですか?」
それ以外の女神を僕は知らない。
わざわざ、旧ベルザ教会の近辺に転移させたのには、理由がある筈。
『初めて、私の名を呼んだな』
そこ重要ですか。
どうでもいいでしょう。
『……だが、残念ながら私の加護ではない。別の女神だ』
違うのかよ。
じゃあ、なんでここに来させたんですか。
『特に理由はない。クジを引いたら、そこが当たった』
適当過ぎる。
もしも〈魔王〉の根城とかに当たったら、どうするつもりだったんですか。
『そのときは、そこに転移させていた』
鬼畜だ。
悪びれる様子はない。
『心配するな。お前は私が作った作品だ〈魔王〉如き小物にやられる事は、絶対にない』
メノア様の言葉には確信があった。
それは慢心でも驕りでもない。
絶対、ときましたか。
『ああ、絶対だ。仮に、お前が〈魔王〉にケツの穴をほじられる事態があったなら、そのときは私がバニーガールの衣装で土下座してやろう』
どういう事態は、それは。
何を想定している。
それに何故に、バニーガール。
『最近、都心のカジノで流行っているんだよ』
女神様も流行は気にするんですね。
下界の些事には興味ないのかと。
『それは、物事によるな〈人間族〉の戦争や〈魔王〉の侵略はどうでもいいが……最近の流行は入念に調査している』
優先順位が逆なようにも思える。
まあ、そこに僕が文句をつける筋合いもない。
『――ちなみに、そのカジノではバニーガールの衣装を身に纏ったキャストが、逆立ちをしながら接客をしている』
「なんだ、そのカジノ……」
僕は思わず心の声が口に出る。
人通りのない静かな路地だったので、予想外に声が響いた。
ガコン、と何か金具のような物が外れる音がする。
旧ベルザ教会の入口、鋼鉄製の堅牢な両扉が動き開いた。
地面の砂利をこすりながら、僅かに開いた扉。
その隙間から人が顔を覗かせた。
扉に隠れ全身は見えない。
顔には漆黒の鴉を模した仮面を付けていた。
こちらを警戒しているのか。
どこか怯えるような様子で言った。
「ようこそ、いらっしゃいました。女神メノア様の使徒様ですね。どうぞ、こちらにお上がり下さい。メノア教一同、心より歓迎致します」
仮面により、声が籠って聞こえる。
いや、そんなことより。
色々と指摘したいのだが――。
これだけは言わせてもらおう。
何が適当に転移させた、だ。
完全に意図的じゃないか。
ふざけるなよ、女神様。
気持ち悪い。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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