第1章 第17話 竜脈の畔を管理する者
この鮫は生物に類さない。
数は、約180尾。
それが、口が無いというのに。
――キィィィィィ!
と、産声のような耳腔が痛むような、そんな鳴き声を上げた。
『うるさい。耳障りだ』
同感です。
特に身体に殺傷を与えるような能力はなさそうだが――。
しかし、不快である。
あまり長時間、聞きたいとは思わない。
『ババ抜きに集中できん。さっさと、殺せ』
「はいはい」
分かりましたよ。
いや、というか何しているんですか。
僕が頑張って戦っている最中に。
『いま旧友の女神と遠隔で、ババ抜きに興じている。……なに、お前が気にすることではない』
パラパラ、と紙が擦れるような音が聞こえてきた。
さっき少し席を外していたのは、そういうことだったのかな。
てっきり、お手洗いかと。
『それもあるが、ババ抜きで賭ける代償を取りに行っていた』
――なるほど。
興味本位で聞きますけど、何を賭けたんですか。
代償というのは、穏やかではなさそう。
『〈邪神族〉ノワールの魂だ。私が知人の女神にババ抜きで負けたら、お前の魂を滅ぼす賭け事をしている』
メノア様は何でもない雑談のように言った。
そこには罪悪感など、欠片も感じられない。
『あるわけないだろうが、そんなもの……まあ、お前が気にすることではない』
数瞬前と同様の発言だが――。
流石に気にする。
知らない間に、会った事もない女神との賭けに、魂が代償に差し出されている。
『心配するな。この私が負けるわけないだろうが』
ハッ、とメノア様が鼻で笑う。
自身の勝利を確信していた。
メノア様だからこそ、不安があるんですよ。
『私が遊戯で負けるなど、交通事故位ありえない』
結構、高い確率では。
それなりに発生件数はあるだろう。
一応、いまの手札の状況を教えてもらっても良いですか。
『嫌だ』
――なんで。
やはり、芳しいとは言えないんですよね。
隠しても無駄ですよ。
『負けてはいない……まだ……』
「まだ」
それはほぼ、負けの未来が確定している。
駄目そうだな、これは。
『……いま、集中しているから黙れ』
繋がっている意識から、メノア様の緊張が伝わってきた。
なかなかに珍しい感情を見た気がする。
そんなに緊迫した場面なのかな。
まあ、それは置いておいて――。
「ああああああああああ!!!!! カインさまあああああ!!!」
「キィィィィィィィィィィ!!!!!」
セラスが〈勇者〉の名前を叫び《渇血鮫レクシラ》が、それに呼応するように鳴いた。
どちらも煩い。
さっさと片付けよう。
僕は《渇血鮫レクシラ》から意識を背け、セラスに突っ込む。
既に産まれた個体は、しかしながら無視して構わないだろう。
ただ、鳴き声が鬱陶しいだけ。
まだ孵化前の卵は、斬り刻む。
案の定《渇血鮫レクシラ》が現れた。
それを僕は産まれた瞬間に殺す。
『ああああああああああ――ッ!!!』
異界から絶叫が聞こえた。
嫌な予感がするが、いまは放っておこう。
最後の卵を斬れば、距離は一気に縮まった。
どうやら《市松の竜鱗》も万能ではない。
首筋は覆われない。
そこに僕は狙いを定め、それからセラスの人工的な首筋に暁灯瑠刀フォルラリスを走らせた。
眼前、セラスの口元が僅かに笑ったように見え、僕は彼女の狙いを察する。
この至近距離に誘い込まれたのだと。
《渇血鮫レクシラ》は、その為に召喚をしたのだろう。
実際、それに煩わさを感じて触手を伝い、上空から退避をした。
セラスの描いていたように。
結果、僕は距離を詰めた。
どうやら、この〈聖女〉様は口では意味不明な言動をしているが――。
その実、なかなかに計算高い思考のようだ。
別に見下していたわけではないが、それでも意外であった。
――でも。
セラスの目的が何だろうと、勝敗は変わらない。
ここまで僕が追い詰められたのは、それに付き合ってあげたから。
戦う前に全力で逃げる手もあったが、それはしなかった。
力量の確認も終わった。
無論、セラスも本気は出していないだろう。
それも分かっている。
しかし、見たかった技はみれた。
これ以上の遊びは必要ない。
僕は事前に仕込んでいた《魔法》を発動させる。
「《呪いの灯火》」
それはセラスに抱き着かれ、僕が《巨人の撃砕》で頭を殴り飛ばしたとき――。
彼女に与えた裂傷から、時限式に発動が可能な《魔法》を忍ばせていた。
本来《呪いの灯火》は、そういった時間の前後を利用して使う術式ではないのだが、使い方が多様にある《魔法》でもある。
「――ッ」
いまになって、セラスは気が付いたようだった。
狂った色の瞳が見開かれ、それは驚愕に染まる。
素の驚き。
体内にある異物に、今に至るまで気にもしなかった事に対して唖然とする。
単に《呪いの灯火》の術式を仕込んでいたのなら、セラスは簡単に気付いた筈。
高度な偽装を施せる《魔法》で誤魔化しても、見破られただろう。
だから、僕は《理を変転させる幻惑の坩堝》を使った。
それにより、セラスの身体の中に《呪いの灯火》があるという認識を、誤認に変えさせた。
しかし、それは誤った脳の判断であり、事実とは異なる。
現実には《呪いの灯火》が存在している。
無い、というセラスの思い込みが招いた結果の驚愕だ。
「…………」
『……馬鹿な』
セラスが開いた目でこちらを見る。
口も開いているが、言葉は出ない。
双方、まるで状況は異なるだろうが、偶然にもメノア様との心境が一致した。
あちらは別の意味で驚いているらしい。
知人の女神とやらに、手札でも読まれたのだろう。
お願いですから、勝って下さい。
僕の魂が、かかっているので。
『何故、《転移》の札で入れ替えたババが、私の《♤》と変わっているんだ……』
どういうババ抜きをしているのかな。
それを遊んでいて、絶対に聞かないような能力のワードが出てきたけど。
僕が知っているルールとは、根本的に違いそう。
「……貴方様は――」
僕は《呪いの灯火》を発動させる。
と、セラスが何かを言いかけていたが、聞いてあげる必要性はない。
「《呪いの薔薇の鳥籠》」
僕は逃亡されないよう、念の為にそれを使った。
紡いだのは封印の《魔法》だ。
セラスの身体が浮かび上がる。
足元、その影から漆黒の薔薇の蔓が伸び、セラスを覆うように包囲。
蔓は大きな鳥籠となった。
その中にセラスは幽閉される。
「いやあああああ!!! 待って!!! やめて下さい!!!」
セラスが叫びながら、術式の停止を懇願する。
だが、僕は止めない。
術式に魔力を流した。
《呪いの薔薇の鳥籠》は反撃に強い。
無理矢理、脱出を試みると呪われる。
それは持続型だ。
更に毎秒、効力が強まる。
解呪も容易ではない。
「お願い! 待って下さい、カイン様!!!」
「だから、僕はノワールです」
これが最後の訂正になるだろう。
――やれやれ。
僕は何度も言っているのに。
結局、誤解は解けなかった。
仕方ないね。
「謝ります! 貴方様の星力を偽装した事を謝ります!!! ですから、どうか私をお許し下さい!!!」
《呪いの薔薇の鳥籠》の中に捕らわれたセラスは、やはり意味の分からない言動を繰り返す。
その瞳は未だに、幻の世界しか映していない。
現状を認識していない。
僕が知らない世界線の話をしていた。
ただの、セラスの戯言だろう。
話の通じない〈聖女〉が、頭のおかしな発言をしている。
考えるだけ無駄だ。
「きゃああああああああああ――ッ!!!」
《呪いの薔薇の鳥籠》の内部、閉じ込められたセラスは、突如喚声を張り上げ倒れた。
身体に突き刺さるのは薔薇の棘。
肉を裂き骨を断ち、魂に刺さる。
蚯蚓の如き蔓が器官を蹂躙、毒蛇のように血管に牙を剥いた。
名状出来ない胸痛だろう。
毛細血管が破裂。
眼窩、鼻腔、耳朶から血が垂れる。
セラスは意識が朦朧とする中、僕を見上げた。
とはいえ、本人が思うよりも視線は上がらない。
「……いや……やめて…………お願い……」
セラスが助けを求めるように手を伸ばすが―。
それは途中でだらりと下がる。
最早、その気力も残らないのだろう。
拷問はまだ終わらなかった。
仕上げはこれから。
「《呪いの灯火》」
僕は改めて、それを発動させた。
瞬間《呪いの薔薇の鳥籠》が漆黒の炎に包まれる。
雨露のような、だが苛烈な業火は臓腑を焼いた。
生きたまま焼かれるのは、凄惨だ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛――ッ!!!」
喚声が絶叫に変わる。
眼窩から血涙が流れ、荒い呼吸を繰り返すセラスが泡を吹いた。
「ワ゛タ゛シ゛ハ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛、ワ゛タ゛シ゛ジャ゛ナ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!!」
相も変わらず訳の分からない言動のセラスは――。
混濁とする意識、苦痛が身体の自由を縛る。
燃える《呪いの灯火》が脱出を許さず阻む。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!! カ゛イ゛ン゛サ゛マ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」
セラスは全身を《呪いの灯火》に焼かれながらも、こちらに手を伸ばす。
その指先は、いや腕に至るまで肌が溶け骨が剝き出しとなっていた。
そんな状態でも、まだ息があるのは凄い生命力だが。
しかし、セラスの身体にも限界はある。
僕の名前を、否――。
〈勇者〉カインの名前を叫んだのを最期に、セラスの声は漆黒の炎に飲まれていった。
瞳が明滅を繰り返し、徐々に光が失われる。
《呪いの灯火》とは対照的に、命の灯火が消える寸前だ。
セラスに抵抗する余力はない。
無様に倒れた状態だ。
《呪いの薔薇の鳥籠》の外部から、様子を覗き見る僕は睥睨する。
言葉を交わさず、静かに指を鳴らす。
それは《理を変転させる幻惑の坩堝》の発動だ。
「《死を誘う呪いの風》」
「――ッ」
僕は《理を変転させる幻惑の坩堝》で、セラスにとどめを刺そうした。
しかし、それを阻まれる。
咄嗟に半歩、後ろに下がる。
僕の頬を鋭い、それから冷たい風が掠った。
赤い血の線が頬に入る。
少し感知するのが遅れていたら、顔ごと切られていた。
「すまないけど、その位にしてもらえないかな」
聞こえてきたのは、中性的な声音だった。
穏やかだが、怜悧な切れ味を感じさせる。
「その躾のなっていない淫乱〈聖女〉の不始末は、私がするからさ……君が、無駄に手を汚す必要はないよ」
僕は声をかけてきた方に顔を向ける。
『竜脈の畔』、その二階に繋がる階段の半ば付近。
そこに立って、術式を構築した右掌が僕を捉えていた。
いましがたの疾風のような風《死を誘う呪いの風》だろう。
「君も、目的を完遂する為には、あまり星力を消費したいとは思っていない」
その人物は、こちらの事情を把握していると言わんばかりに問いかける。
声音と同様に穏やかな微笑みで。
「――ならば、それまでは体力を温存するのが最適だ。違うかな、少年?」
と、敵意は無いのか。
掌に構築していた《死を誘う呪いの風》の術式を破棄する。
僕もそれに応えるように、暁灯瑠刀フォルラリスを《異空間収納》にしまった。
「……どうだろうね。邪魔な障害を排除するのも、最適解の一つだと思うけど」
そうは言ったが、僕にも戦う気は無かった。
僕の顔を狙った《死を誘う呪いの風》も、僕が避けるのを確信して放ってきていた。
はなから、僕の殺害は考えていない。
単純にセラスが完全に滅ぼされるのを阻止したかったのだろう。
「ははっ、確かに確かに」
と、その者は。
両腕を組み鷹揚に頷いた。
「うん、君の言う通りだよ少年。君の、その持論は正しい」
そして――。
親指を立て言ったのだった。
「私だって、そうする。それが単純明快な最適の解決策だからね」
こちらの意見に共感を示す。
だけど、と続けた。
「世の中は、そんな簡単な道理では動いていない。君個人がどれだけ強大な存在でも、無限という概念には敵わないよ」
瞬き一つ、冷徹な表情に変え忠告する。
顔とは相反して、声音は穏やかなままだった。
ただ、冷たい双眸が僕を見据えている。
「何の話をしているのか分からないんだけど……とりあえず疲れたから休める部屋を用意してもらってもいいかな、ローズさん」
僕は友好的な笑みを返す。
相手の素性は検討が付いていた。
中性的な女性、ローズは僅かに微笑む。
案内をするように踵を返すと階段を上がった。
「お風呂は無し……それともある部屋が良いかい? お貴族様が泊まるVIPルームも空いているけど」
数段、上がった所で。
ローズは顔だけを後ろに向け聞いた。
「じゃあ、それで」
「贅沢な邪神様だね」
はははっ、とローズは愉快そうな笑いを零す。
正直、部屋の設備に拘りは無いけれど、折角なら厚意に甘えさせてもらおう。
戦闘をして疲れたのは事実だからね。
【次話予告】
ノワールは『竜脈の畔』に訪れたばかりの、セラスに抱き着かれたときに仕込んでいた《呪いの灯火》を発動させる。
それにより戦況は逆転、ノワールは完全に息の根を止める為に《呪いの灯火》に加え《呪いの薔薇の鳥籠》で仕留めにかかる。
しかし、最後に《理を変転させる幻惑の坩堝》で、セラスを滅ぼそうとした際に阻んだのは『竜脈の畔』の管理者、ローズだった。
彼女は敵意が無い事を示すと、ノワールに休息を取れる客室を提供した。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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