第1章 第16話 異形な聖女の乱心
セラスに異変が起こった。
身体の変異だ。
人の姿形じゃなかった。
それは、まさに異形。
下半身、両腕は電気配線の触腕に変貌。
浅葱の瞳は竜の眼に変わり、口を覆うように牙が生える。
「……ああ、カイン様! 貴方と結ばれるなんて光栄の至りですわ!」
セラスは瞳を爛々と輝かせ狂ったように叫ぶ。
ギョロリ、と竜に似た眼が僕を睨みつける。
セラスの口内からは、水蒸気の吐息が漏れた。
『神経麻痺や幻覚の作用がある《白濁な毒霧》だ。お前の場合、体質的に然程影響は無いだろうが……』
念の為に回避しろ、とメノア様が指示する。
体質というのは、僕が〈邪神族〉だからかな。
猛毒や幻覚の類に耐性があるのだろう。
便利な身体になったものである。
『素材が上質だった結果だ。粗悪品なら、そんな都合の良い転生は不可能だ。改造をする際に、精神崩壊を起こして終わりだろう』
メノア様の声は恐ろしいほど落ち着いていた。
ただ事実を告げているだけ。
僕は改めて感謝する。
転生が成功して良かった。
『ああ、自我の強さと頭の馬鹿さは転生をしたところで、そうそう変わりはしない』
それは褒められているのかな。
僕が〈邪神族〉に転生するのが出来たのは、自我の強さが起因している、そう言っていたけど。
――どうなんだろう。
自我が強いとは思わない。
僕の前世は普通の人間だった。
『お前の自己評価など、どうでもいい。私から客観的に見て、そう感じたものが事実だ。異論は認めない』
メノア様が断固として言い切る。
別に反論をする気もないですよ。
他人から受ける評価に影響はされない。
僕は全身に《魔力障壁》を張り《白濁な毒霧》を防いだ。
だが、セラスの白濁に閉ざされた口腔が仄かに光る。
瞬間、鬼のいや竜の咆哮の如き、淡黄色の息吹が放たれた。
『万物万象を腐食させる《浄化の息吹》だ。私の吐息より臭いから気を付けろ』
いや、嗅いだことが無いから知らないが――。
浄化とは名ばかりの、腐った息吹が《魔力障壁》を腐食させる。
それが完全に腐りきる前に、僕は動いた。
抜刀のような構えから、暁灯瑠刀フォルラリスを横一文字に振り切る。
――キィンッ!
と、硬質な音が響いた。
暁灯瑠刀フォルラリスを阻む、硬い障壁があった。
セラスの胴体を市松模様の竜の鱗が覆う。
『――これは驚いた。まさか、この淫乱聖女《市松の竜鱗》を会得しているとはな』
メノア様が素直な感想を口にする。
意外な事実のようだ。
『まあ、そんな大した話でもないんだがな……《市松の竜鱗》の会得には〈竜種〉と交尾をする必要性があるんだよ』
充分、大した話題だ。
何だその条件は。
『……クックック、セラスの奴《市松の竜鱗》欲しさに〈竜種〉と、いやミネルヴァと犯ったのか』
こいつは傑作だ、とメノア様が愉快そうに嘲笑する。
確かバニーガールになった〈竜種〉でしたか。
『そうそう……バニーガールになった〈竜種〉だ』
レネイストにおける最上位の種族である〈竜種〉でありながら、何故かバニーガールになり、そのうえ〈聖女〉と性行為に及ぶ。
少しばかり、ミネルヴァという〈竜種〉に興味が湧いてきた。
どういう性質なのだろう。
『お前が会いたかろうがなかろうが、どうせ向こうから来るだろうよ』
それを、メノア様は確信していた。
また、面倒事にならないと良いですけど。
セラスのような人柄でないのを祈ろう。
『無駄な祈願だな』
そうかもしれない。
――嫌だな。
憂鬱だ。
セラスの《市松の竜鱗》により、僕の暁灯瑠刀フォルラリスは打ち負けた。
『《市松の竜鱗》の硬度は《魔力障壁》の上位互換だ。無理もないだろう』
その衝撃に持ち手が跳ね返った。
僕は体勢を崩す。
その隙をセラスは見逃さない。
「カイン様、今夜の晩御飯は何に致しましょう!」
幻の世界でセラスは会話をしている。
それは陶酔だ。
現実に意識がない。
言葉の前後関係が乱雑である。
いきなり今晩の献立を聞いてきたセラスは――。
「そんな悲しい事を言わないで下さい!」
鞭のように触腕を放った。
僕は防ごうとするが、何分身体の構えが悪い。
触腕の激しい力に耐え兼ね、上空に飛ばされた。
『竜脈の畔』、その天井を突き破り身体が外に投げ出される。
視線を下に向けると、僕が飛ばされた箇所が穴になっているのが分かった。
――どうしよう。
これは破損で賠償を求められたりしないかな。
『私は弁護をしないぞ。責任は自分で取れ』
そんな淡泊な。
お金も無いのに。
いや、でも――。
これは僕の責任になるのかな。
天井の破損、その原因を作ったのはセラスでは。
ある種、僕も被害者のようなもの。
『そのセラスが話の通じる相手だったなら、それで良かったかもしれないがな……』
「……ああ! カイン様! 何故! 何故、私の元を去るのですか!?」
セラスは幻の世界に酔ったまま。
頭を左右に振り叫んでいる。
『当の本人があれでは、話し合いの席には着けないだろうよ』
「……だろうね」
それは見れば分かる。
少し期待しただけだ。
『そんなもの抱いたりするな。セラスに向けるのは嫌悪と侮蔑だけでいい』
「分かりました」
と、そこにセラスが追撃をかける。
僕の背に触腕を放った。
「私は! 私は! 貴方の事を何百年も前から、お慕いしています!」
髪を振り乱し叫び続けるセラス、その狂った瞳が僕を見上げた。
狂気と執着に歪んだ醜い笑み。
『良い貌だな』
「ええ、本当に」
そんな嫌味を交わしながら――。
セラスの言葉とは裏腹に、触腕は僕を襲った。
対抗策が無いなら、串刺しになるだろう。
そんな苦しい状況の僕は、触腕を横目に確認。
目前に迫った瞬間、身体を捻り避けた。
殆ど垂直に屹立した触腕、それを壁代わりに足場に見立て駆け降りる。
否、滑る。
足さばきは軽快に、それに滑らかに。
『器用な奴だな』
――いえいえ。
それほどでも。
暁灯瑠刀フォルラリスの刃先が触腕と擦れ、火花が起き摩擦音が反響する。
「あああああ!!! カイン様! 私に会いに来て下さったのですね!?」
セラスの歪んだ顔貌。
それが喜色に急変する。
さながら、待ち焦がれた初恋の相手に再会したかのように。
「ええ! ええ! カイン様のお考えは、私にしか理解出来ませんもの!」
セラスと視線が交差する。
その双眸は確実に僕を見ているのだが。
しかし、僕を――。
ノワールを見ていない。
彼女の目に映るのは、終始〈勇者〉カインだった。
「なのに! なのに!? あの女は!!!」
突如、セラスが態度を変える。
叫声を上げたかと思えば、表情を憎悪に歪めた。
セラスが両腕の触腕を僕に向ける。
すると、花弁が捲れるように先端が裂け、円柱の肉塊が押し出された。
それは回転式弾倉。
肉塊の弾倉だ。
回転式弾倉は高速で回転。
「どうして! なんで! いつもいつもいつも、あの女は私から大切なものを奪うのよ!!!」
セラスの表情は次々に様変わりする。
いまにも泣き出しそうな貌になった。
肉塊の弾倉からは、直径15cmの卵が断続的に射出される。
その卵には殻がない。
一見、ただの肉塊だ。
下から上に、卵の群が音速で飛ぶ。
視覚が可能なのか怪しい速度に思えたそれを、しかしながら僕は50個近い全部を確実に捉える。
暁灯瑠刀フォルラリスで卵を斬った。
しかし、振りかぶる直前、違和感を覚え咄嗟に避けに転じる。
僕は視界の後方に流れた卵を横目に見やった。
やはり、肉塊だ。
脅威には思えないが、何かが引っかかる。
その原因は分からない。
僕は突っ切った。
「……やはり、そうなのですね!? あの女、ヴァルノレイアに脅されているのでしょう!?」
セラスの目端から涙が流れる。
あえて、言動を無視して反撃に徹していたのだが――。
気になる名前が出てきた。
――ヴァルノレイア。
どこかで聞いた事があるような。
『レネイストの創造主だ』
メノア様が言う。
――そうだった。
思い出した。
興味無かったから、忘れていましたよ。
だけど、なんでヴァルノレイアが恨まれているんですか。
『私が知るわけないだろうが』
そうですよね。
だって――。
「メノア様、思っていたより無知ですし」
『お前と同じで、興味が無いだけだ』
僅かに必死な口調で言い返してきた。
図星ですか。
『違う』
絶対、そうだ。
その否定は肯定に聞こえる。
「安心して下さい、カイン様! 私が必ずや、その憎き反逆者からカイン様をお助けしてみせます!」
『この女は女で、ずっと何を言っているんだ……』
「僕が知りたい」
セラスの発言と態度は変化が激しい。
その上、内容にはまとまりがない。
意味があやふや。
いや、そんなもの考えて言っていないのかもしれない。
「いやああああああああああ!!! カイン様、助けてええええええええええ!!!」
『どっちだよ』「どっちだよ」
メノア様と僕が同時に突っ込みを入れる。
いましがたカインを助ける、と豪語していたセラスは、しかし一変して立場を変えた。
悲痛な表情で助けを求める。
回転式弾倉の回転は止まらない。
卵は群れを成す。
80個近かった卵は、数秒で250個程に膨れ上がった。
それらを僕は斬らずに避け続ける。
「――ん?」
と、背後にいや頭上に、かなりの数の気配を感知。
僕は視線を飛ばす。
卵の孵化だ。
産まれたのは、鮫。
円筒型の細長い、肉塊の鮫だ。
大きさは、全長10cm前後だろうか。
眼や口がない。
頭部に対し尾鰭が長かった。
形態は羅鱶だ。
『――《渇血鮫レクシラ》か。生物に類さない、血肉を貪り食らう鮫だ』
ということは。
生き物ではないのかな。
『正確に言えばな。《渇血鮫レクシラ》は術者、セラスの魔力で作られた人工的な存在……《機巧人形》とはまた違うが、魔力が源で構成されているのは同じだな』
しかし、とメノア様。
何か気になる要素があるようで。
『《渇血鮫レクシラ》は魔力で構成されている事もあり、分類的には《召喚魔法》に属する』
――《召喚魔法》。
術者が魔力で、魔物や魔獣といった人外の獣を従える術式だったかな。
『ああ……だが《渇血鮫レクシラ》は、少々特殊だ。それは術者との従属関係に於いてだ』
《召喚魔法》で魔物や魔獣を召喚し、それから従えた際には契約のような儀式を執り行うのが通常である。
それを経て互いに関係を構築しなければ成立はしない。
《召喚魔法》では必須となる過程だ。
中には例外もあるが、主に召喚された魔物や魔獣、通称従魔といわれるそれは、術者の命令に忠実に従う。
だが、しかし。
『《渇血鮫レクシラ》は、そうではない……いや、従属以前の問題だ。そいつらは哀れな玩具だよ。ただ、術者の意思に従って獲物を殺すだけのな』
術者の命令で動いている点では、従魔と差異はないのだろう。
しかしながら、肝心の過程に大きな違いがある。
術者との信頼関係、或いは契約における利害関係。
それらが《渇血鮫レクシラ》にはなかった。
都合の良いように無作為に、使われ消費される。
壊れたなら、それでお終い。
だからこそ、玩具。
『素晴らしい主従愛だな。ああ、実に泣けるよ』
と、そう言うメノア様は冷淡だった。
良いと思いますよ。
それも関係性の形です。
僕達も人の事は言えない。
「そうでしょう? 哀れな玩具さん」
『……なんで、私が使われる側なんだ』
逆だろう、とメノア様が苛立つ。
それに僕は無言の笑みを見せた。
【次話予告】
ノワールは『竜脈の畔』で、セラスと激しい戦闘を続けていた。
その最中、生物兵器である彼女は身体を変異させ、搭載されていた〈邪神族〉であるノワールに有効な武器で襲いかかる。
応戦をするノワールは、しかしながらそこに追撃をかけるように《渇血鮫レクシラ》が召喚された。
そんな徐々に追いつめられた状況に置かれたノワールは、仕込んでいた《魔法》を発動させたのだった。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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