9/選択
呻き声が聞こえる。
外敵を退けはしたものの、被害は大きかった。
――――甲冑の少女を倒した後も、ダンジョン防衛は続いた。
それも全員が少女との戦闘で満身創痍の状態で、だ。
意識を失っているものの方が多く、そうでなくともケガを負っている。
僕らはダンジョンの入口が閉じるその時を、必死に待たなければならなかった。
唯一喜ぶべき点は、少女を倒したことでそこそこのDPが増えていたことだ。
僕はそれでlv1のモンスターを数体購入し、怪我人の補填をした。
幸いにもオークキングが訪れることはなく。
今までと同じやり方で、僕らは今日を乗り切ることが出来た。
「ポーションの効き目って凄いんだね」
『俺も驚きだ。まさかあれだけの傷がもう癒えるとはな。明日には戦えるぞ』
「……ホント?」
『俺は嘘をついたことがない。今はちと痛むが、一晩眠れば充分だ』
得意げに笑いながら、目の前のウルフが笑顔を見せる。
その姿を見て安心する。ところどころ包帯は巻かれているが、あのボロボロの体と比べれば何倍もまともな姿にまで戻っていた。
ポーションは大怪我をしていたモンスターに優先的に使ってある。
中でも極めて重傷だったウルフとオーガも、今では五体満足になっている。ただ、やはり限度はあるらしく、所々に戦闘の痕は残ってしまってはいた。
しかしポーションは買い足しはしたものの、まるで数が足りていない。
他のモンスターたちにはフェアリーの作る〈妖精の粉〉や一般的な医療具などを用いて治療をしてもらっていた。
治りは早いものの、あと数日は前のような戦力には戻らないだろう。
ただ、誰も死んでいなかった。
それだけは、不幸中の幸いだ。
……考えたいことがたくさんあるのに、やるべきことは多い。
僕は他のモンスターたちの様子を見に行こうと、腰を上げた。
と、ウルフが服の端を噛んで、僕を縫い留めてくる。
『草十郎』
「……何?」
『水晶を許してやれ』
「……」
『俺たちもヤツも、嘘は言っていない。お前を謀るつもりも、害する気持ちもない。本当に、お前のためを思ってやっていたことだ』
「……それは、分かるけど」
『俺も水晶に言われ、俺自身が良いと思ったから黙っていた。そして今もその気持ちは変わらない。お前に伝えるべきではなかったと思っているし、上手いこと行く可能性は高かったとも思っている。ただ、歯車が少しズレただけ。不運だっただけなのだ』
ウルフは水晶の共犯者であることを平然と認める。
お前も敵かと恨む気持ちが湧くが、しかし意味のないことだと思ってやめた。
身を張って助けてくれたのはウルフたちだ。
それに彼らの考えも、今となっては理解できる。
――――このダンジョンに人間が来るということ。
それはつまり、僕が人間を虐げるということになる。
考えてみれば腑に落ちる。
僕はダンジョンを作っていて、モンスターを使役している。
古来よりモンスターは人間を襲う生き物であり、ダンジョンは人間が攻略する場所だ。僕の立ち位置は敵役のボスにあたる。そんな簡単なことを、僕は今まで気にしたことすらなかった。
けれど、人間が敵になるなんて一度も聞かされていない。
そして水晶は確かに外敵はモンスターだと言っていた。
『会いに行ってやれ。今お前がやるべきは、水晶と話すことだ。あいつと会話し、互いの思考を伝え合って、あの少女の処遇を決めるんだ』
◆
部屋に入ると、ゴブリンとすれ違った。
彼も重傷者だったのでポーションを飲んでもらったが、ウルフたちより効きが良い。今では足りない看護人の役目を任せてしまっている。
「彼女は?」
『起きない。包帯、今、換えてきた』
「そっか……ありがとうね」
ゴブリンの持つバケツからは、血の滲んだ包帯がはみ出ていた。
彼はそれを持って、また次の負傷者の元へと駆けていく。
僕は部屋に入ると、奥のベッドへと向かう。
そこにはあの少女が横たわっていた。
今では甲冑は全て外され、麻の貫頭衣のみを身に着けている。
彼女は眠り続けている。
ポーションを飲ませたが効きが悪いらしい。
危険な状態は脱したが、骨折しているし打撲の痕も残っている。
しばらくは目を覚まさないだろう、と教えられた。
「……」
幼い少女だ。
背丈だけでなく、年齢も僕と同じぐらいに見える。
この少女があの剛剣を振るっていたなんて信じられない。
綺麗な金の長髪に、鼻筋の通った美しい顔。
整ったその横顔は見たこともないほど綺麗で、命の通った人形のよう。
……その顔を見て痛ましい気持ちになる。
彼女のおでこには、小さいが切り傷が入っていた。
いつ負ったものかは分からないが、先の戦闘のもので間違いない。
僕は傍にいた水晶に問いかける。
「この傷は治せないの?」
『……ポーションは万能ではありません。状態によりますが、必ず治らない傷が存在します。その子の場合は、それがおでこの傷なのです』
この先一生残るかもしれない傷を、僕が負わせてしまった。
その事実は、謝って許されるようなものじゃない。
『ですが、地上に出回るポーションの中には、治せるものもあります』
――――なら僕が彼女に出来るのは、償いだけだろう。
過去は変わらない。
なら、未来で取り返すしかない。
「ねぁ水晶、話があるんだ」
『はい』
「全部教えてほしい。覚悟は出来てる」
『……分かりました、マスター』
◆
『この世界は草十郎のいた世界とは違う点が多く存在します。魔法やモンスターが存在し、スキルやステータスで能力が可視化され、地質や気候も異なります』
「……地球じゃないんだね」
『それは断定できません。過去や未来の地球という可能性はあります。似たところや同じものも多く存在しますから。ただ、草十郎の認識している世界とは全く別の世界だと頭に入れてください』
現実的ではない話だが、認めなければいけない。
僕の世界にはモンスターなんていないし、魔法なんてものは存在しない。
そして何より、甲冑を着て戦う少女なんて、いるわけがない。
例え地球の裏側であろうと時代が違う。前時代的なあの子の姿は、ここがどうしようもない異世界であることの証左だ。
僕は、出来れば間違っていてほしいと思いながら、答え合わせをしていく。
「ダンジョンには、外があるんだね……」
『はい。このダンジョンはとある山の内部に生成され、毎日繋がっている入口は山の中腹に位置しています。山には木々が生えており、麓は森になっています。そして、森を抜ければ、そこにはこの世界の人々が暮らしています』
「……」
『この世界の人々はモンスターに対抗すべく戦闘技能を鍛え、一部の者はある年齢になると冒険者として世界中を巡ります。彼らは生活を脅かすモンスターを狩り、そのモンスターが生まれ出るとされるダンジョンを潰すことを生業とします』
すみません、と水晶は言う。
『私は最初から、ダンジョンの外敵として人間が来ることを知っていました。知っていて、黙っていました』
「……なんで、教えてくれなかったんだよ」
『だって教えたら、草十郎は嫌がるじゃないですか。聞いちゃったら、ダンジョンマスターなんてやめて、私を壊すじゃないですか』
「……」
『そしたらもう、草十郎は、戦えないじゃないですか……』
――――あぁ、そうだ。
それを知っていたら、僕は戦わなかった。
こんなに沢山のモンスターを作らず、ただ最低限のモンスターを倒して、初めて訪れた人間に助けを求めていた。
そんなの当たり前だろ……。
『ダンジョンマスターとコアは、ダンジョンの外に出ると死んでしまいます』
水晶が、今まで話さなかったルールを話し出す。
『そして、どちらか片方が死ねば終わりです。私が死ねば窓の機能がなくなり、草十郎はダンジョンの中で無為の余生を過ごします。草十郎が死ねば私は身を守るものがなくなり、死を待つただの鉱石に成り果てます』
「……外の人に助けを求めて、生き永らえればいいじゃないか」
『この世界においてダンジョンコアは絶対に破壊される運命にあります。私が存在する限り、そこからモンスターが生まれ続けるからです』
「僕がモンスターを買わなければいい。なんとか外の人たちに説明して、説得すれば……」
『守るべきものを持つ人が、赤の他人の戯言を信じ、死の危険を放っておくと? DPは毎日貯まります。100ptも積み重ねれば、いつかオークやオーガになります』
「毎日僕が、ポイントを使い切れば……!」
『そのルールを、彼らは草十郎の口から聞くんですよ? 信じますか? 人を殺せるモンスターを瞬時に、しかもどれだけの制限があるのかを知られることなく、ダンジョンメイカーは召喚できるんです』
それに、と水晶は付け加える。
どこか悲しそうな声で、彼女は心情を吐露する。
『草十郎にはまだ分からないかもしれませんが、人間は怖いですよ……。信じられずに殺されるのならまだ幸せです。もし、草十郎を騙し、モンスターたちを悪事に使う人間だったら? もし、草十郎を監禁し、無理やり物品を購入するよう恐喝してきたら? 私も草十郎もこの世界の人間にとっては珍しい。研究と称して悍ましい実験をされるかもしれません』
「……そうならないよう、僕が何とかするから!」
『甘い』
――――冷水をかけられたようだ。
搾り出した僕の精一杯の希望を、彼女はどこか悲しそうに切って捨てた。
水晶は泣きそうな声で続ける。
『甘い、甘いんですよ草十郎……。世界は貴方のような子供が幸せに生きていけるほど、甘くないんです』
だから、
『だから、教えませんでした。私たちが生き残るには、強くなるしかなかったから。そのために、草十郎を騙しました。戦闘への忌避感を失くすために、殺すという表現を使わないように徹底しました。ダンジョンに外があるなんて思わないように誘導しました。もし人間が入ってきたら、ウルフに入口で食べてもらうよう伝えました。だからウルフのリーダーには、意思疎通がしにくいワイルドウルフの進化をさせないように、進化の選択肢を誘導しました。ゲームみたいな楽しさで覆い隠し、毎日新しいことを教えて忙しくさせました。余計なことに気付かないように』
「――――ッ」
全部、身に覚えがあることだ。
今までの充実した数日間を、彼女は引き剥がしていく。
『そしてその間に、草十郎に色んな知識を伝えて、成長を待つことに決めたんです』
それはきっと、ある日の話。
僕が現実を知っても、耐えられるようになる日。
今は無知で無力な僕が、人を殺せるようになる日。
「バカにしないでくれ……! 僕はそんな成長なんてしたくない!」
『選択肢がないんです。人とモンスターは共生できません。喰うか喰われるかの世界なら、喰う側に回らなければいけない』
……理屈は、正しいのかもしれない
だがそれは洗脳だ。
論理で武装されてはいるが、そうされる僕は、彼女たちにとって都合の良い主へと祀り上げられる傀儡でしかない。
気付かぬ内に倫理がすり替わり、気付けば調教が終わっている。そんなの、家畜と同義だろう。
……その行いは、堕すべき悪だ。
「自分たちのために、人の屍を積み上げろって言うのか」
『そうです。他者を犠牲にして自己を守るんです。草十郎の生きていた社会もそうでしょう? 食肉として何億もの動物を食らい、数ある関門で他者を蹴落して自分を上げ、競合がいれば何かを賭けた争いが始まります』
「でも……ッ!」
『世界は弱肉強食を強いてきます。そして弱者の草十郎が生き抜くためには、命の区別が必要です。モンスターという味方と、人間という敵を秤にかけて、その傾きを正しく理解できるようにならなければならないのです』
弱肉強食なんて聞き飽きた言葉の意味を、僕は理解していたつもりだった。
いいや、全く分かっていない。
ただ辞書に書いてある言葉を眺めていた。自分には関係のない河岸の出来事だと思い込んで、それを疑いもしなかった。
当たり前だ。今まで僕は腹を満たせたのだから。
だがそれは、僕より弱い生き物がたくさんいたという、ただそれだけのことで。
それなのに僕は、たくさんの死骸の上に立っていることに気付きもせず、今までのうのうと生きてきた。
『辛いことを言っているのは分かっています。それでも貴方は、やらなければならない。大多数が無意識でやっていることを、草十郎には意識的にしてもらわないといけないんです』
――――あぁ、耳が痛くなってきた。
『子供なんです。どうしようもなく、草十郎は子供なんです……! 初めて見た時、不安でどうにかなりそうでした。貴方は子供で、しかも善悪も強弱も覚束ない、生まれたてのひな鳥だったからです! 私がなんて言ったって、きっと最後には同じ外見の人間を頼ると分かってしまったんです!』
「そんなことない……。僕だって、そりゃ水晶から見ればバカかもしれないけれど、ちゃんと自分で考えられる……」
『さっき自分でなんて言ったか覚えていますか……? ルールを伝えられたのに、貴方は人間との道を模索したんですよ……? 草十郎はもう気付いているんです。自分が人間の敵に回ってしまったということに。でも、気付かないフリをしてしまう。仲間だと思っている人間を信じてしまう』
「――――ッ」
それも仕方がないですよね、と。
諦念の混じった呟きが漏れる。
『仕方がないんです。草十郎が悪いんじゃない。環境が悪かったんです。周りの皆が優しくて、利便性に富んで、幸せで充実した裕福な生活をしていたんです。だから、そう考えるのが当たり前。草十郎のような人間に育つのは善いこととされる世界だったんです』
だが、この世界はそんなぬるま湯を許さない。
『けれど、ここは違う。この世界では草十郎は悪であり弱者です。理性より野性が何より必要な世界だから。……だから、今まで培った道徳では戦えない』
「……」
『思想なく、教養なく、理念なく、体験も伴わない綺麗事。無価値どころかお荷物でしかありません。いずれ圧し潰されてしまう』
言葉の刃の切れ味は、あまりに鋭くて。
まるで考えもしなかったし高次元の違いに、何かケチをつけたくなる。
幼い感情が、心にあった。
思わず目の前の生き物を殺してしまいたいという衝動に駆られる。
早く黙らせて、静かな世界が欲しいと願う荒れた感情が膨らんでくる。
この、正しいだけの悪者を。
僕を操ろうとした悪党を、胸のすく方法で倒してしまいたいと背中を押す自分がいる。
……けれど、そんなこと、できるわけがなかった。
『私は、草十郎を育てると決めました』
その声は、既に覚悟を決めていた。
『立派なダンジョンメーカーにします。モンスターを使役し、人を殺すことも厭わず、自分でこの迷宮を守れる一人の王に育て上げます。――――いいえ、成らねばならない。私のために。そして草十郎自身のために』
僕だ。
僕のために、彼女はこの道を選んだのだ。
この世界に降り立った貧弱な子鹿を見て、彼女は何を考えたのか。
この小鹿と力を合わせなければならないと知って、どれだけ苦悩したのか。
そしてそのために、どれほどの労力をかけたのか。
なぜ黙ってやり過ごすことなく、こうして壊されるリスクを背負ってまで話すのか。
それは偏に僕を守るためだ。
ダンジョンマスターに選ばれた、ただそれだけの無能を守るためでしかない。
彼女には、本物の覚悟がある。
僕が口にした覚悟など、吹けば飛ぶような塵芥に過ぎない。
自分に言い聞かせているだけで、中身の入っていない伽藍洞の飾り物。
ならば喋ることは許されない。
この場では、彼女と同じく覚悟を決めた者のみが、返答の権利を持つ。
――――自分で自分が嫌になる。
言わせてしまっているんだ。
水晶は言いたくて言ったんじゃない。必要だったから言ったのだ。
僕が何も分かっていない子供だから、言い聞かせなければならなかった。
きつい口調。
目を背けたくなる現実。
迫られる選択肢は生理的嫌悪を孕んでいて、今にでも逃げだしたくなる。
だが、逃げ出してはならない。
水晶は僕を支えてくれる。
きっと誰もが最初に悩み何らかの結論を出して歩んでいるであろう道。
それに気付きすらしない僕を見捨てずに、見守ってくれている。
……そういえば、そうだったな。
自分の手を見る。
誰かが僕のために動いている時、何も出来なかった綺麗な手だ。
何か出来るようになりたかった。
けど結局は、スタート地点にすら立っていなかったという話。
最初に解かなければならない問題を、素通りしてきた結果に過ぎない。
ここにいるのは空っぽの人形。
成したことなどない。
無意識で逃げて、幼稚さを鍛えもせず、ただ漠然と作業をこなしていただけ。
ならばせめて、覚悟に報いるだけの応えを出さねばならない。
「……僕はそんなにも、大切にされていたんだね」
『騙していて、本当にすみません』
「いいや、僕が悪かった。皆に気を使わせてしまった、僕の弱さが悪かったんだ」
僕がもっと強ければ。
全てを受け入れるだけの器があり、善悪を弁え、論理的な思考が出来る人間であったなら。
或いはまた別の幸運な。
人と出会わないまま、誰が来ても要求を押し通せるぐらい強くなり、しっかりとした思考能力を持つ人間に育ったならば。
そしたら、こんな話はなかったのだろう。
だがそうはならなかった。
少女は迷宮へと訪れてしまった。
僕は現実を知ってしまった。
進んでしまった歯車は、もう二度と易しい噛み合いを許すことはない。
――――伏せる少女の顔を見る。
かつて同族であっただろう異世界の住人。
彼女をこれからどうするか。
僕が今後どのような形で人間という種族と向き合うのかを、決めなければならない時が来た。
長すぎたチュートリアルはここに終わる。
「水晶、僕は人間を――――」