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10/野望

「――――ッ!!」


 接近を、斬撃によって拒む。


 近接戦闘では圧倒的に不利。

 間合いを許せば、簡単に命を刈られるだろう。


 だが武器のリーチはこちらが長い。

 力、速度、技術、経験。

 何一つ勝てないがただ一つ、射程の利だけはこちらにある。


 ならば狙うはカウンター。

 相手の牙の届くその前に、渾身の一撃にて勝利する――――!


 狙え、狙え。

 敵は体躯を低く屈めている。

 次の瞬間、意識は攻撃へと傾いて、首筋への必死の一撃を繰り出すだろう。


 後は簡単なこと。

 タイミングを合わせ、その速球を切り伏せようとし――――


『勝負あり、だな』


 ……気付けば、天井を向いていた。

 体はウルフに押し倒され、首元には暑い吐息を感じる。


 鋭い牙がほんの少し、肉に食い込む感触。

 こらこら。甘噛みしたら死んじゃうぞ?


『狙いは良いが見え見えだな。それに技量も追いついていない』


「あー……速すぎだよウルフ。ギリギリで目で追えるし、タイミングも合うようになってきたけど、こっちを見てから合わせられるんじゃどうしようもない」


『己より速い敵など幾らでもいる。倒す術が見つからないのはお前が弱いからだ。精進するんだな』


「くっそー……」


 水を口に含むと、寝転がる。

 厳しい話だ。まるで勝てる自分が想像できない。


『さ、少し休んだら次はリザードマンですね』


 反省は短くだ。ずるずる引き摺っていても仕方がない。

 次の予定を告げる水晶へと質問をする。


「盾がきついんだよね。全部受けられちゃう」


大盾(シールド)ならともかく、リザードマンのは円盾(バックラー)ですからね。

 アレは受けるためではなく逸らすための装備です。最小限の被害で攻撃の転機を作り出すための、言わば攻めの武装にあたります。受けられる時点で論外ですよ』


「力不足ってこと、だよなぁ……。僕も盾持つのはどうかな? そしたら結構良い勝負になるんじゃない?」


『そういうことは、まず剣を扱えるようになってから言ってください。

 右手と左手を同時に動かすことの難しさを草十郎は舐めています』


「はい……」


 確かにその通りである。

 右手すら満足に使えないのに、左手を使おうとするのは傲慢が過ぎる。


 まずは剣からだった。


 大きな外傷はなく、気力も体力も充分。

 僕は腰を上げると、次の訓練相手の元へと歩き出す。



 あの日から僕は、削ることに決めた。


 嶽野草十郎の本質は何も変わっていない。

 他より劣っているのだから、その分何かを捨てなければ、重すぎてまともに上がれない。


 睡眠時間をまず削った。

 人間の平均睡眠時間は七時間。偉業を成したナポレオンは三時間。

 僕は偉人や英雄になどなれやしない。だから常人と超人の間を取って、五時間を休息に使う。


 食事を削った。

 水晶に栄養管理をしてもらい、肉体を素から入れ替えていく。

 腹が膨れて尚、詰め込んだ。この細くて貧弱な体をまず変えなければならなかった。


 甘えを削った。

 弓を捨て、剣を握ることにした。

 前だ。この臆病者は前に出なければならない。

 すぐにでも逃げ出しそうになる心を抑え、命のやり取りに耐性を付ける。


 練習方法を変えた。

 黙々とやる反復練習の数を減らし、模擬戦の数を増やす。

 実戦は何よりのトレーニングだ。血を流し、肉を打ち、骨すら折れる危険性を伴って、初めて僕は経験を得る。


 代償を払うことで何かが得られる保証はない。

 それでも、ほんの少しでも成長できるのなら、その行為には価値がある。


 少なくない苦痛を伴う自制の生活を自らに課す。

 強くなるために。


 ……強くなるために、ささみを食べていた。


『だからって、鶏のささみばっかり食べなくていいと思うんですけど……』


「正直飽きてきた。でもおいしいとも感じるようになってきたよ」


『朝はささみ、昼にささみ、夜もささみ。間食もささみとか頭おかしいです。

 精神状態大丈夫ですか? 味覚壊れてません?』


「付け合わせも変えてるし、水晶が色々とおいしくしてくれてるよ?」


『見てるこっちが嫌になりますよ。減量中のボクサーじゃないんですから。

 何というか、草十郎は極端すぎますよね』


「形から入るタイプなんだ」


 ささみは筋肉にいいらしいので、ここ数日ささみ中心の生活をしていた。


 なんだお肉を食べればいいのか、と最初は楽観視していたのだが、飽きる。

 味は変えるし形も変える。水晶も手を変え品を変え、飽きないようにと大量のレパートリーを用意してくれている。

 が、同じものを食べているというストレスが確かにあった。


 おいしいはずなのにな……。

 もうささみに関しては、どれだけ原形がなくなっていようが見分けられる自信がある。

 たった数日でささみソムリエだ。


『はぁ……こんなにささみばっかり食べて、脳みそまで筋肉にならないか心配です』


「失礼な」


『強くなれとは言いましたけど、オーガみたいにこん棒振り回すだけのムキムキボディビルダーみたくなってほしいなんて言ってないです』


「オーガ、カッコいいよね。僕もいつかはああなりたいなぁ」


『私の草十郎がむさい男になってしまう……』


 今の僕は、二の腕も腹筋もぷにっぷにである。

 サッカー部だったため辛うじて足の筋肉はそこそこあるが、オーガの大腿四頭筋と大腿二頭筋にはまるで敵わない。

 あのハムストリングスは世界を狙えるだろう。


「まぁ、極端かもしれないけれど……頑張るよ」


『……えぇ。不本意ながら応援していますよ』


 どうやら水晶は、僕がムキムキになるのが嫌らしい。

 人に成長しろと言ったのは君の方なのに、酷い話だ。


 ――――僕は、人間を殺さない道を選んだ。


 人は殺さない。否、そもそもの話殺せない。

 例え相手が赤の他人であろうと、犯罪者であろうとも。

 その電気椅子のスイッチを押すだけの役目だとしても不可能だ。


 それは弱さかもしれない。

 だが同時に、生涯覆ることのない僕の本質でもある。


 例え自分の命が賭かっていようが構わない。

 その行為の善悪に関わらず、僕は人を殺さないと決めたのだ。


「……これは、甘えなのかな」


『またその話で悩んでいるんですか?』


 自分の出した答えの居心地が良過ぎてに、不安になる。

 揺れる足元を確かめるために、水晶に聞いてしまった。


「水晶は、あまり嫌な顔をしないよね。呆れられるかと思ってた」


『思うところはありますよ? あれだけ言ったのですから、てっきり流されて人間の敵になると思っていましたもの。

 けれど――――自分で決めたのならば、その選択には意味がある。甘えや弱さ、逃げや逃避をないまぜにして、それでも出した答えがそれだというのであれば、そこには確かな価値がある』


 腑抜けた答えでも、腑抜けた目ではなかったから。

 だから、彼女は認めてくれたのだと言う。


 水晶は優しい声で告げる。


『誇りなさい草十郎。理念ある綺麗事を、人は野望と言うのです』


 前よりちょっとだけマシな顔になったと、水晶は言う。

 そうだといいなと思った。


「なら、頑張らないとね」


『並大抵の努力では敵わない野望ですからね』


 あぁ情けない。

 まだまだ彼女に頼ってしまう自分が情けなくて恥ずかしい。


 けど、情けないのは当たり前だ。

 人は簡単には変わらない。変えようとするなら、そこには何より硬い意志と絶え間ない努力が必要になる。口に出しただけでは実現はせず、行動しなければやがて朽ちてしまう。


 だから、頼るのだ。

 情けなくとも大望を抱いた。前例のない道を選んだ。

 嶽野草十郎は弱い生き物だ。故に、支えてもらうことで補わなければならない。


 人を殺さない。

 けれどモンスターとも争わない。


 それは、生殺与奪の権利がある者にのみ許される我儘。

 ならば必然、見合った強さを手に入れなければならない。

 そのためなら情けなさなど、許容を迷う余地はない。


 強くあれ。


『それにそれに? 草十郎がいつの日か人殺しを許容する日が来る可能性だって、今ならありますからね』


「……水晶は、僕に人殺しをさせたいの?」


『そっちの方が楽ですからね。取れる手段が圧倒的に増えますし、全ての障害が消え失せます。最弱キャラクターで縛りプレイするマゾヒストじゃないんですよ、私』


 なにか失礼なことを言われた気がするが、否定できないのが辛いところ。

 言われて気付く無謀さに、自分で笑いそうになる。


『どうせなら私好みのマスターになってくださいよ。巨悪になって、大陸中にその名を轟かせ、視線だけで人を殺せる悪のカリスマになるんです』


「それはもう生物の範疇を超えてる」


『夢は世界征服です』


「壮大だね」


『皆は草十郎を畏れ、敬い、尽くすんです。恐怖と暴力で世界を塗り替えていくんです』


「世紀末世界観すぎる」


『ある日、部下が失敗するんですよ。で、草十郎はそれを冷酷に切って捨てるんです。こう、ゴミを見るような目で。

 ……でも、そんな草十郎が、私を頼るんです。私にだけは苦悩を打ち明けてくれます。私だけが草十郎を分かってあげられる。理解してあげられる。あ、やだ、最高……』


 いきなり妄想が始まった。大丈夫か?


 多分、体があったならくねくねしてる。

 水晶は僕の言うことなんて一切聞かずに、バラ色の未来に閉じこもってしまっていた。たまに僕の名前を呼んでいるけれど、同名の別人が登場しているようだ。


 だが、僕が目指すのもそれと近しい未来だ。


 誰にも害されない世界。

 平穏と平和で彩られた、夢のような理想郷。

 裕福でなくたっていい。ほんの少しの喜びで笑い合えるような、小さな世界が僕の目標。


 ……思えば、僕がいた世界は恵まれていた。

 ただ平然と、レールに沿って暮らしていけば、それなりの生活を享受できた。

 こんな僕でも満ちた生活ができる素晴らしい世界だ。


 結局のところ。

 人間、身をもって体験しなければ言葉の意味を理解できないということだろう。


 水晶には悪いけれど、きっと彼女の理想にはなれない。

 けれど、きっと気に入ってくれると信じている。


『草十郎、水晶、ちょっといいか』


 などと。

 二人して夢の世界に揺蕩っていたところを、ウルフの声が現実に戻す。


『なんです? 今丁度、凄く良いところなんですけど』


『良いところ?』


『草十郎が演説しているところです。皆はそれに胸を打たれ泣き出しました。中には感動で失禁する者すらいます。草十郎はその者へと近づいて、優しく肩を叩くのです。あっ……いい……』


『……何を言っているのだこいつは』


「僕にも分からないかな」


 理解不能な世界だった。

 なんだ声だけで失禁って。お漏らしだぞそれ。

 これと近い未来を思い描いていたのか僕は……。


 トリップしている水晶は放っておくことにした。


「それで、どうしたのウルフ」


『少女が起きたぞ』


「……そっか」


 甲冑少女の来訪からもう数日が経っている。

 いつ目を覚ますかあやふやになりかけていたところだ。むしろ遅すぎると言ってもいいほどに、待ち焦がれていた。


 少女との会話こそ、僕の野望の第一歩。

 このファーストコンタクトの結果は、今後の方針に大きく影響する。


 大丈夫だ、心構えは出来ている。


「なら、行こうか」

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