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34/さようなら

「草十郎、飲んでください」


 ……ぼんやりとした意識で、声を聞く。


 差し出されたものを、言われた通りに口にする。

 慣れた行為。身体を癒す魔の液体が喉を通り、体中に融けていく感覚がある。


「――――応援してるよ」


 その青年は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 憎らしいことだ。僕から何もかもを奪っておいて、何を一人だけ救われやがってと――――思う気持ちもまた僕で。

 同時に、彼の想いも理解できるが故に、何を言うべきか定まらない。


 彼の毒は、彼の苦痛を写し取っていた。

 それは身体的なものだけではない。

 精神的な飢餓であり、絶望であり、喪失と別離の耐え難い慟哭でもある。


 分かるよ、理不尽だよな。

 被害者だというのに、どうしてか、痛いほどにこの男の気持ちが理解できてしまう。

 毒を浴びすぎたようだ。憎む気持ち、恨む気持ちは抑えきれないほどあるというのに――――それでも、彼の境遇、彼の心情に自身を重ねてしまう。


 彼は、強かった僕だ。

 選択一つ誤った、いつかの僕の姿に他ならない。

 許せはしない。しないけれど、拒絶することはできなかった。


 処理しきれない感情を抱きながら、命が燃える音を聴く。


 ……焼かれていく彼の後ろ。

 迷宮の入口に、人がいることに気付く。


「おにい、さま」


 金髪の少女は、地を這って兄の元へと近付く。

 手足は力なく引き摺られている。胴と腹だけで彼女は身をよじり、衣服と血と土で汚しながら、己が大切な人の元へと引き寄せられる。


「――――」


 燃える炎が、何かを言った。

 それが最期。銀騎士は妹へと手を伸ばし――――燃え尽きる。


 跡には何も残らない。

 肉も骨も、消し炭一つ残さずに、彼は世界から消えていった。


「あ、――――」


 舞う火鱗を目で追って。

 アネモネは、ローリエが死んでしまったということを、認識する。


「――――にいさん」


 しばらくの間。


 少女はそこで、蹲る。



「草十郎」


「僕がやる」


 なんとか動けるぐらいまで回復した。

 疲労で削れ切った身体を動かし、懐から剣を取り出す。


 何の変哲もない鋼の短剣。

 自害用にとある男に渡されたソレを、小瓶と一緒に放り投げる。


 届け先は、資格ある少女の元に。


「……なによ、これ」


 がらん、と音を立てて落ちたソレを、アネモネが確認する。

 穴だらけの肺から絞り出すように、僕は最後の仕事を遂行する。


「君には、僕を殺す権利がある」


「――――」


「君の兄を殺した。僕を殺したいというなら――――それは、受け入れる」


 責務は果たす。


 散った仲間の想いは何よりも大切なものだ。

 けれど、死者のために動く自身を正当化するのであれば――――死者のために殺されるのもまた、正当な報復だろう。


 自害の刃の柄は君に。

 生殺与奪を、自分より幼い少女に託す。


「ちょっ、と待ってよ」


「遠慮はいらない、僕はそうされるだけのことをした」


「待てって言ってるでしょう!? 私の気持ちを無視して話を勝手に進めないでよ!」


 小瓶の液体を強引に飲み干し――――アネモネは短剣を弾き飛ばす。


「確かに大切な兄さんよ。今でも信じられない。整理なんて、ついてない、けど……でも、違うわ。草十郎のせいじゃない。あの人は苦しんでいた。死人だったお兄様を救ってくれたのは、貴方なのよ」


「――――」


「謝らないといけないのは、こっちじゃない……草十郎が大切にしていたものを、壊したのは、私たちでしょ」


 少女は懺悔する。


 何があったのかを、彼女は知っている。

 ローリエがこのダンジョンを潰したことも。

 そしてローリエがとうに死んでしまっていたことも、本人から聞いている。


 だから、彼女は悪いのは自分であると考える。

 身内の不始末は自身の責でもあるのだと。


「ごめんなさい。いくら謝っても足りないのは分かってる……だから! だから、私がこれからは草十郎を支えるわ。だから――――」




「――――なら、それを飲んで、帰ってくれ」




「なんで、そんな目でみるの」


 信じられないと見開く蒼い瞳から、視線を切って。

 僕は沈黙を以って、彼女を拒絶する。


「やだ、やだよ」


 ゆるりゆるりと、首を振り。

 その姿はまるで別れを嫌う年相応の子供のようで。


「謝るから。なんだってするから。償いをさせてよ……私、強いから。だから、ずっと草十郎のために生きるから、だから……っ」


 だからこそ、僕は首を振る。

 彼女と共に歩く日は、来ないだろうと。


 彼女は悪くない。分かっている。

 僕のためを思って行動をして、僕のために決死の覚悟で兄を止めようとした。

 その姿に何の責もない。ただ、歯車が。友の言葉を借りるのなら、巡り合わせが悪かっただけだと、僕はちゃんと理解している。


 だが、頭と心は別だ。


 彼女が兄を呼ばなければと、何度思ったことだろうか。

 彼女を外に出さなければと、何度考えたことだろうか。

 彼女と出会わなければ。彼女と仲良くならなければ。彼女を信じなければ――――今もまだ、彼らとここで笑い合えていたのではないかと、何度何度何度何度何度想像したのだろう。


 今でもまだ気を抜けば、こんなのは夢だと逃げ出してしまいたくなる。

 僕を支えてくれていた彼らが、寝て起きればまた笑いかけてくれるのだろうかと、期待して止まない僕がいる。


 ごめん、僕は弱いんだ。

 彼女は悪くない。彼女は悪くない。彼女は悪くない。けれど――――どこかで彼女が、悪いんじゃないかって、考える疚しい心があるんだ。


「おねがい……」


 ――――僕らは被害者だ。


 傷を舐め合うことは出来るのだろう。

 互いに親しいものを失った者同士、手を取り合って仲良く支え合い。

 そしてやがては、幸せになっていけるのかもしれない。


 けれど、僕にはソレが想像できない。

 どうしたって、昏い気持ちが湧いてくる。

 抑えることは出来る。優しく接することだって。気にしないフリも、忘れたフリも、きっと出来る。でも、それは一時的なものでしかなくて、やがてボロが出てしまう。


 これ以上、一緒にはいられない。

 これ以上、嫌いにはなりたくない。


「じゅうろう…………すき、すきなの……だから」


 知ってる。

 僕も君が好きだった。別れるなんて考えられなかった。

 君となら、一緒に歩んでいけると思っていた。


「う……うぅ……あぁぁぁぁぁ……」


 少女は涙を零す。

 嗚咽の声が闇に響く。それを受け止めながら、彼女に背を向ける。




 僕にはもう、君を愛せない。 

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