03 食事。
男性に抱き締められたのは、初めて。
いや抱えられていたけれども。
当惑する。
「そろそろ、喉が渇いた頃だろう?」
「へ?」
そっと囁き声は首筋に吹きかけられた。
ぞくりとする。肌が痺れていく感じ。
「俺はもう満たされた。俺の血を特別にくれてやる」
「え、血を飲む、の?」
また囁き声が首筋を撫でてきて、ぞくりとする。
ぽけーっとしてしまいそうな意識を必死に掴んだ。
「そう。初めての相手に俺を選ばせてやる。喜べ」
何それ俺様な発言。でも様になる。
「どこを噛みたい? 俺の手にするか? それとも首にするか?」
私の首に触れる手付きが、なんとなくいやらしい。
そうか。吸血行為をするのか。
今、理解した。
魔王の声は催眠術みたいで、頭が働かなくなる。
「吸血鬼になりたかったのだろう? ほら、好きなところを選べ」
「ふあっ」
ウエストに触れられて、変な声を出してしまった。
「クス……そら、言ってみろ」
するりと胸元のリボンをほどかれる。
あれ、私脱がせれてない?
「く、首……」
やっぱり首を噛みたい。吸血鬼になったから、そこがいい。
「じゃあ、どうぞ。エミリア」
くるっと回されて、向き合う形になった。
私を見つめて、首を傾げる。どっちの首を差し出そうかとしていた。
「はぁ」
息を零して、また両手で魔王の顔を包み込む。
「あなた、名前は?」
「ノーテ」
「ノーテ……じゃあその、えっと、いただきます」
差し出された右側の首筋を噛ませてもらうことにした。
でも噛むことに躊躇する。
「構わない傷はすぐ治る。思いっきり噛め」
ご指導をしてくれてよかった。
言葉に従って、私は牙を突き立てる。
二つの牙が刺さった。それを感じる。
その穴から血が溢れて、舌で舐めとった。
じゅるりと吸い込んだ。甘い。甘い血が溢れる。
爽快感を覚えた。炭酸を飲み干すような刺激も感じた。
ノーテにしがみ付いて、飲んだ。
ゴクリ。喉が潤う。快楽も感じた。
淫らにノーテに抱き付いて、また飲み込む。
美味しい。血ってこんなに美味しいんだ。
「んっ、ぅんっ」
「落ち着いて飲めばいい。もう一口、いいぞ」
頭を撫でられて、落ち着かせようとするが、興奮をしてしまう。
息を乱して、もう一口飲み込んだ。
もう離さなくてはいけない。
でも離れそうになかった。
しがみ付くことをやめようとしたが、腕が言うことをきかない。
「はぁ……」
やっと口が離れた。
息を吸い込んでも、口の中は血の味がする。
「んぅー」
「満足したか?」
そう問われると、そんな気もした。
満足はしたのだ。
でももっと浸っていたかった。
「ああ待て。今度は俺の番だ」
「?」
腕を離したが、ノーテの方は離してくれない。
ちゅっと頬にキスされた。
「さっきは俺にキスをしたな?」
覚えている。
キスをしたのだ。
初めてなのに、キスをした。
つい二回したのだ。
「キスはこうするものだ」
吸血鬼は特にな、と付け加えた。
唇が塞がれる。重なって、ついばむ。
深いキスをされている。
ムギュッと、目を閉じた。
あ、でも、なんか……。
これも美味しい。
なんて感じてしまった。
ちゅっ。
なんて音を立てて触れ合う唇。
味わうように何度も触れる。
「んっ」
舌が滑り込んで、絡み付く。
ぞくぞくと全身の肌が痺れる。
気持ちいい。
「軽い食事だ」
スッと唇が離れた。
ほけーっとしてしまう。
そんな私を見て、くつくつと笑うノーテ。
「覚えたか? まぁまたしてやってもいいぞ」
上機嫌そうなノーテに、ポンポンとまた頭を撫でられた。
「朝がくるか。俺は朝陽に弱い。中で休む。お前も来るか?」
「……えっと」
「来るよな?」
「拒否権ないじゃん」
「当然」
何この俺様好きかもしれない。
いや落ちたかな。どうだろう。
わからないわ。
とにかく彼に手を引かれるまま、船内へ入った。
中に入れば、古びたベッドの上にノーテは横たわる。
手を繋がれたままだと思っていれば、ぐいっと持ち上げられた。
ノーテの上にうつ伏せになる。
……雄っぱいを枕にして寝ろと言うのか。
ポンポン、とまた頭を撫で付けられた。
そうか。
ノーテの雄っぱいを枕にして寝るしかない。
ほどよいかたさのそれに頬を押し付ける形になる。
ドクドク、そう心臓が鼓動を鳴らしていた。それが心地いい子守唄になる。
いつしか私は力を抜いて眠りに落ちた。
小波の音がする。
なんだかとても近いと思った。
手を伸ばせば届きそう。
「!?」
手を伸ばしたら、本当に水に触れたものだから飛び起きた。
「ノーテ! この船、沈んでない!?」
「……ん」
ノーテの上で大慌てする。
水が侵入しているということは、沈んでいることでは!?
もうベッドの高さまで水が入る。
「ああ、廃船だから仕方あるまい」
「呑気だね!?」
海に沈むのかと不安になっているのに、ノーテは欠伸を漏らす。
「私、泳ぎは不得意なんだけど!」
「案ずるな。泳がせはしない」
水に入った立ち上がったノーテが私を抱え上げてくれる。
しかし、外に出る前に完全沈没。
私は息を止めてノーテにしがみ付く。
船から脱出して海面を突き破った。
「ぷはっ!」
息を吸い込んで、周りを見る。
もう太陽は真上に上がっていて、明るい空。目が眩む。
でも陸らしきものは見えない。海のど真ん中だ。
どどど、どうするんだ。
髪をオールバックにしたノーテに問おうとしたが。
「しっかり掴まっていろよ」
バサッと何かがノーテの背から広がった。
蝙蝠のような翼だ。
瞠目していれば、羽ばたいて浮き上がった。
海面から離れて、飛んでいる。
ボタボタと水滴を垂らしながら、バサバサと羽ばたく。
ヒューンッと、風を切るように突き進む。
キラキラと照り返す水面スレスレに飛んでいく。
三十分ほどしただろうか。陸が見えてきた。
そこに到着して、降ろされる。
「うひゃあ、びしょ濡れ」
私はまだ水を吸っているスカートを絞った。
「……」
「ん? 何?」
「いや、続けて構わない」
視線が私のスカートに向けられていることに気付く。
続けろと言われて、絞り続けた。
「んぅ……着替えたい」
「魔法で乾かしてやろう」
「出来るなら先にやって!?」
「クククッ」
おかしそうに笑うノーテ。
何を見ていたんだ。
ノーテに肩を掴まれて、引き寄せられた。
そのあと、パチンと指を鳴らす。
途端に現れる炎。それが私とノーテを包み込むように渦を巻く。
炎が赤や橙それに黄色に煌めく。それを目にした。
触れたら火傷をするだろうけど、触れてみたくなる。
熱風を感じていれば、スッと炎は消えた。空気に溶けるよう。
髪も服も乾いた。海水に濡れたというのに、不思議と髪がさらさらしている。ツヤツヤだ。人生で一番潤っているかもしれない黒髪。
流石に制服は海の匂いがしたけれども。
「何を不思議がっている」
髪を後ろに掻き上げてまたオールバックにしたノーテが声をかける。
「ああ、人間はすぐに傷むんだったな。喜べ、吸血鬼はそう簡単に傷んだりしない。美貌は吸血鬼の特質でもあるからな」
手入れしなくても、キューティクルを保ってくれる。
そういうことみたいだ。
なんて素晴らしき吸血鬼の特質!
「そして不老不死なのかな!?」
「不死ではないが、不老だ。もうお前は老いたりしない」
私はバンザイした。その場でジャンプしたら、高く飛んだ。
永遠の十六歳!
「さて喜ぶのはそれくらいにして、我が城に行こう」
「城?」
ポンと頭に手が置かれる。
首を傾げると、ひょいっと軽々と抱え上げられた。
またお姫様抱っこだ。わーい。
「そっか。魔王だもんね。城くらい持っているよね。でもどうなっているか知ってるの? 今」
「さぁな。家臣達が守っているとは思うが」
「そう言えば、どのくらいの間監禁されていたの?」
「だいたい十三年だ」
バサッとまた羽ばたき宙に浮く。
「十三年!?」
「そう十三年だ」
てっきりもっと最近のことかと思っていたのに、思いもしない年月にギョッとしてしまう。
なんてことないように、ノーテは笑った。
20181121