第26話「探り合い」
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ゴルドの家にグラキウスを運び込み、暖炉のそばの寝台に横たえた。
マルタがどこからともなく薬湯を煎じてきて器を差し出し、ブルーノが無言で毛布を一枚持ってきた。村の入り口での騒ぎを聞きつけた村人たちが、遠巻きに窓や戸口から覗いている。辺境の村に、こんな大柄な見知らぬ旅人が訪れるのは、それだけで大事件なのだ。
グラキウスは寝たまま上半身を起こし、差し出された薬湯を一口飲んで、「ほう、うまい」と目を丸くした。
「何が入っておる?」
「ラヴェンダーと、甘草と、あとは秘密だよ」
マルタがにやりと笑った。この老婆は、相手がどれほどの武と威厳を纏っていようと全く動じない。
「秘密か。商売人だな」
「薬草師さ。ついでに、この村の特産、辰砂の取引も私が仕切ってる。あんた、どこから来たんだい」
「西の方から、ぶらぶらと。行く宛のない旅だ」
「行く宛がないのに、こんな辺境まで来たのかい。物好きだね」
「昔、この辺りを通りかかったことがあってな。まだ人が住んでいるか、確かめたかった」
「住んでるよ。しぶとくね」
マルタとグラキウスの会話には、どこか似た者同士の空気があった。二人とも、柔らかな口調の裏で相手の底を値踏みしつつ、それを悟らせない程度に和やかに話している。百戦錬磨の人間同士の、心地よい、しかし僅かにヒリつく探り合い。
リーナが、寝台の横にちょこんとしゃがみ込んでいた。
「ねえ、おじいさん。名前なんだっけ?」
「グラキウスだ」
「グラ…キウス。長い。グラさんでいい?」
老人が、目をぱちクリと瞬かせた。それから、腹の底から響くような声で盛大に笑った。
「グラさん! はっはっは! 七十年近く生きてきて、そう呼ばれたのは初めてだ。いいぞ、好きに呼べ」
「じゃあグラさん! お腹空いてる? おじいちゃんの芋の煮物、まだお鍋に残ってるよ!」
「芋の煮物! それは素晴らしい。三日ほどまともに食っとらんのでな。腹と背中がくっつきそうだったのだ」
「三日も!? かわいそう! 待っててね、持ってくる!」
リーナがパタパタと台所に走っていった。グラキウスはその小さな背中を見送りながら、深く目を細めた。
「…良い子だな」
「ええ。この村の太陽みたいな子ですよ」
「お前さんの娘か?」
「いえ。ゴルドさんの孫娘です。私は他人ですよ」
「他人、ねえ。そうは見えんが」
グラキウスの灰色の目が、私をじっと見た。何かを言おうとして、しかし、やめたようだった。
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リーナが湯気を立てる芋の煮物を木の器に盛って持ってくるなり、グラキウスは寝台に座り直して、恐るべき速度でそれを平らげた。
本当に、凄まじい速度だった。大きな口を開け、咀嚼しているのか丸呑みしているのか分からない勢いで、熱々の芋が次々と胃袋に消えていく。野犬が肉にかぶりつくような、本能むき出しの食べっぷり。
「うまい。これは誰が作った」
「おじいちゃんだよ! おじいちゃんの芋の煮物は村で一番おいしいの!」
「おじいちゃんというのは、さっきの赤い顔の御仁か」
「うん。ゴルドおじいちゃん。村長さん」
「村長の料理か。なかなかの腕だな。味付けが素朴だが、芋の甘みの引き出し方が見事だ」
ゴルドが戸口の影から「聞こえとるぞ」と渋い声を出した。だが、自分の料理をこれほど美味そうに食われ、しかも褒められて悪い気はしないらしく、耳の先が少し赤い。
「おかわりはあるか」
「…あるが」
「いただけると、この老いぼれは大変に幸せだ」
ゴルドが無言でおかわりを持ってきた。グラキウスはそれもまた嵐のような速度で食べ終え、器を空にして満足げに白い髭を撫でた。
「三日ぶりの温かい飯だ。五臓六腑に染み渡る。…ゴルド殿、ご馳走になった。礼を言う」
「殿はやめろ。ゴルドでいい」
「ではゴルド。重ねて礼を言う」
「…まあ、飯くらいはいくらでも食え。うちの村は、最近少しだけ余裕が出てきたところだからな」
ゴルドがちらりと私を見た。
この村の変化が、竹細工による収入が、行き倒れの老人一人を養えるだけの余裕を確実に生み始めている。
私は何も言わなかった。ただ、少しだけ嬉しかった。
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午後。グラキウスは飯と睡眠で足の疲れが取れたらしく、ゴルドの家の前に出てきて、丸太に腰掛けて日向ぼっこをしていた。
寝台から起き上がって歩く姿を見て、私は改めて彼の体格に驚いた。背が高い。私より頭半分ほど大きい。骨太の体躯は、老いてなお圧倒的な存在感と威圧感がある。左腕だけが、だらりと力なく垂れ下がっているのが痛々しかったが、それ以外は七十前後の老人とは思えない筋の通った立ち姿だった。
社殿に戻って午後の掃除を済ませてから、私はグラキウスの元を訪れた。薬湯のおかわりを持って。
「これ、マルタさんから。『あの爺さんに、もう一杯飲ませてやりな』と」
「ありがたい。あの薬草師、腕がいいな。この薬湯は関節の痛みにことのほかよく効く。配合が絶妙だ」
「お詳しいんですね。薬草の知識がおありで」
「戦場では、ちょっとした薬草の知識が命を分けることがある。…昔の話だがな」
グラキウスは薬湯を啜りながら、広場の方を眺めていた。
竹細工の作業が行われている音が、ここまで聞こえてくる。刃物が竹を割くパーンという乾いた音、子供たちの笑い声、ブルーノの低い指示の声。
「…活気のある村だな。さびれた辺境の村だと思っていたが、こんなに人が生き生きと動いている村は珍しい」
「最近、竹細工と漆塗りの仕事が始まりまして。マルタさんが商売にしてしまったんです」
「竹細工? あの竹林の竹を使ってか?」
「ええ」
「あの竹林は、普通ではないな。あれほどの密度で真竹が爆発的に生えている光景は見たことがない。それに、空気が妙に清浄だ。魔の森のすぐそばとは思えん」
グラキウスの観察眼は鋭かった。到着時に倒れていた老人とは思えない。たった数時間で、この村が抱える「異質さ」の核心に触れている。
「鼻が利くんですね」
「元々、嗅覚だけは良くてな。…それと、あの黒い門。あれは何だ?」
「鳥居です。私が建てた門ですよ」
「トリイ。聞いたことのない言葉だな。…あの門の周りだけ、空気が特に澄んでいる。門の中に入ると、骨にこびりついた古い疲れが抜けていくような感覚がある。ゴルドの家に運ばれる途中で、あの門の近くを通った時に感じた」
「気のせいかもしれませんよ」
「気のせいではないな。わしは長い間、自分の体と向き合ってきた。体の声には敏感だ」
グラキウスが、自分の左腕を見下ろした。動かない腕を、右手でそっと押さえる。
「…この腕はもう何年も動かん。王都の医者にも、教会の高位の治癒師にも治せなかった。過去の行いが招いた、古い呪いのようなものだと、自分では思っている」
「…」
「だがな、ハル殿。さっき、あの門の近くを通った時、ほんの一瞬だが、指先に血が通う感覚が戻ったような気がした。気のせいだと思いたいが、この歳になると、体の声には正直でいたいのだ」
私は、返答に迷った。
グラキウスの左腕に溜まっている穢れは、長い歳月をかけて血肉に凝り固まった、途方もなく重い業だ。鳥居の前をほんの少し通っただけでは、到底祓いきれるものではない。
だが、浄化が始まっているのは事実だろう。神域の中に長くいれば、少しずつ泥のような穢れは薄まっていく。だが、それを今この老人に説明すべきだろうか。
「グラキウスさん。もしよろしければ、もう少しこの村に滞在されてはいかがですか。足の疲れが完全に取れるまで」
「…迷惑ではないか」
「迷惑なものですか。この村は、行き倒れを拾うのが恒例行事ですから」
グラキウスがまた笑った。さっきの盛大な大笑いとは違う、穏やかな、しかしどこか自嘲するような寂しげな笑いだった。
「ゴルドと同じことを言う。…では、お言葉に甘えて、しばらく厄介になろう」




