第107話「甘い宝石」
◆◇◆◇◆
最年長の老騎士が、分厚い眼鏡を中指で押し上げて立ち上がった。
普段は社殿の縁側でヨルンと魔物の生態について語り合っている渋い老騎士だが、今日のその目には、何かの大発見に興奮する学者としての情熱がギラギラと燃え盛っている。
「村長殿。先日、ファルコと共にメルヴァルクの森の南東部を調査した際に、ナツメヤシの群生地を発見しました。まだ背の低い、一メートルから二メートルほどの若木が、かなりの数自生しています」
「ナツメヤシ? あの南方で育つ木か」
「はい。この地域の冬でも凍えない温暖な気候は、ナツメヤシの生育に極めて適しています。提案はこうです。森の若木を村のあちこちに計画的に移植したい。ナツメヤシは成長すれば強烈な日差しを遮る立派な木陰を作りますし、定期的に栄養価の高い実をつけます。そして、その実の汁を煮詰めれば」
ジャコモが、劇的な効果を狙うように、一拍の長い間を置いた。
「砂糖になります」
集会所に、一瞬の完全な沈黙が落ちた。
次の瞬間、女衆の席が爆発した。「砂糖!?」「砂糖ですって!?」「あの宝石みたいに高いやつ!?」。甲高い声が幾重にも重なり合い、熱狂の波が燎原の火のように広がっていく。
リーナが、椅子からバネ仕掛けのように飛び上がった。
「砂糖! 甘いやつ! すごく高いやつ!」
「そうです。今は都市部の貴族や豪商の間で高値で取引される贅沢品ですが、ナツメヤシを村中で大量に植えれば、このルーテ村で安定的に生産できます。日々の食生活が格段に豊かになるだけでなく、砂糖は交易品としても極めて有力な切り札になります」
マルタの目が、あの特有の光を帯びていた。かつて朱(辰砂)の精製法を知った時と同じ、巨大な金脈を見つけた商人の目だ。
「ジャコモ殿! すでに森で実がなっている成木はあるのかい!」
「あります。奥の方に成木も数本見つけています。まずはそちらの実を採取して、試験的に煮詰めてみることは十分に可能です」
「やろう! 今すぐにでも大鍋を用意するよ!」
マルタの即断に、隣のソフィアが「お母さん、まだ村長が話してるよ」と慌てて袖を引いたが、マルタの耳にはもう何も届いていないようだった。
◆◇◆◇◆
二番目に手を挙げたのは、グラキウスだった。
丸太の上にどっかりと座ったまま、飄々とした、だがどこか悪戯めいた声が響く。
「わしからも一つ。…ブドウだ」
「ブドウは森から採ってくることになっているが、それ以上に何かあるのか」
「森の自生を採るだけでは到底足りん。ブドウは村の畑で大々的に栽培したい。この気候と腐葉土なら、極上のブドウが大量に育つ。そして…ワインを造る」
男衆の間から、地鳴りのような「おおおっ!」という声が漏れた。酒の話には男が本能で反応する。古今東西決して変わらない真理だ。
「ワインだけではない。辺境伯からいただいたあの大量の支援物資の中に、一つ、実に面白いものが紛れ込んでおっての」
グラキウスが、にやりと口角を吊り上げた。
「…蒸留器だ」
「蒸留器?」
「ワインを蒸留すれば、酒精の極めて強い酒ができる。ブランデーだ。あるいは、有り余る穀物からも蒸留酒を作れる。こういう酒はどこの街でも飛ぶように高値で売れるし、何年でも保存が利く。交易品としては、これ以上ないほど優秀な商材だ」
ゴルドが、険しい顔で太い眉をひそめた。
「蒸留器が支援物資に紛れ込んでいた、と言ったな。あれは辺境伯が意図的に入れたのか」
「さあな。荷の中にたまたま入っていただけかもしれんぞ」
グラキウスの目が、それが決して、たまたまではないことを雄弁に語っていた。
辺境伯の確信犯的な好意と実験。高価な蒸留器を、公式の支援物資として送れば政治的な角が立つが、農具に紛れ込んでいたなら知らぬ存ぜぬで通せる。あの剛毅な武人の領主は、なかなかどうして政治的にも底知れず老獪だ。
「…ただし」
グラキウスの声が、少しだけ低く、冷たくなった。
「蒸留酒の製造と販売は、この大陸ではソル・デウス教の修道院が事実上の専売のように扱っている。我々が公然と蒸留酒を造って売れば、間違いなく教会からの強い反発は免れんだろうな」
集会所が、冷水を浴びせられたように、しん、と静まった。
教会の名前が出た瞬間、あの七日間のヒリつくような結界の緊張を鮮明に思い出したのだ。
「ゴルド殿」
グラキウスが、村長の目を真っ直ぐに射抜いた。
「教会に、喧嘩を売る覚悟はあるか?」
ゴルドの顔が、一瞬だけ硬く引きつった。だが、すぐに太い腕を組み直し、深く息を吐いた。
「…その話は後だ。先に全部聞く」




