エピソード7.5:アイスクリームと雨の空
これは、いつもの姿に戻ったユカが、経過観察のため、政宗の部屋に居候していたときのエピソード。
土曜日の21時過ぎ。明日への時間を惰性的に過ごしている2人は、こんな時間に、こんなやり取りを続けていた。
「政宗……あたし、政宗のこと、本当に、心の底から、それはもう大切に思っとるよ?」
「そうだなケッカ、俺はそれも同意見だ」
「本当に? だったら、大切なあたしのために一肌脱いでくれたって……いいんじゃなかと?」
ビーズクッションに体重を任せて床に転がっているユカが、椅子に座っている政宗を、それはもう雑に見上げた。
対する彼は椅子に座ったまま動くこともなく、それはもう冷たい視線のみを向ける。
「……はぁ」
その返事は生返事と呼ぶには強すぎて、でも、本気で首肯しているわけでもない……何とも形容し難い彼の心情を表している、ように感じた。
しかし、そんな彼の繊細な感情を、目の前にいる花より団子娘が把握する日など来ないのである。
「だから政宗、アイス買ってきてー☆」
「だから、明日外に出た時に買ってやるから今日は我慢しろって言ってるだろうが!!」
先ほどからこの不毛極まりない言い争いを続けている2人は、互いに引く気配がない。
このどーでもいい話は、10分ほど前に遡る。
「……あのなぁケッカ、いくらもう寒くないとはいえ、髪の毛は乾かせって言ってるだろうが……風邪ひくぞ」
床に膝立ちになっている政宗が、強制的に座らせたユカの頭に、ドライヤーの熱風をふきかけていた。そして反対の手で彼女の髪の毛をわしゃわしゃと動かし、全体的に風を行き渡らせる。
というのも……ユカは「髪の毛なんか自然乾燥でよかたい」という、女子力が枯渇した意味不明な理由で、風呂上がりのドライヤーを面倒臭がっているのだ。
勿論髪が乾いてから寝ているのだと思うが……しっとりした髪の毛のユカは、普段よりも少しだけ大人びて見えたり、たまに水滴が床に落ちていることがあって、それを靴下で踏みつけたら水分がじんわり足の裏に浸透して残念な気分になったりすることもあるため、恥を忍んで政宗が率先して乾かしている……という、なんともよく分からない事態が常習化してしまっているのである。
最初こそ慣れずに手つきがソワソワして、「痛い」と言われたらワタワタしてしまっていた政宗だが、慣れとは恐ろしいもので……今ではユカが「ちょっと痛い」と言っても「我慢しろ」と突っぱねられるようになっていた。そしてユカもまた、自分が何をしなくてもいいため、「ま、いいか」と大人しくしているのだ。
今日もあらかた乾かし終わった政宗が、スイッチを切ってため息をついた。そんな彼をユカが見上げ、キラキラした瞳でこんなことを言い出す。
「政宗……アイス食べたい!!」
そんなユカへ、政宗はドライヤーのコードをまとめながら、残酷な現実をつきつけた。
「悪いが、今すぐには無理だぞ。今日の冷凍庫は空っぽだ」
「えー!? じゃあ買ってきてよー。コンビニあるやろ?」
と、いうわけで。
「明日な」と言い放って立ち上がり、ドライヤーを片付けて(放置していると統治に怒られる・前科あり)椅子に座っている政宗に、ユカは床に転がったまま延々と訴えているのである。
「政宗ー、買い食いしようよー。絶対美味しいよー。ほら、じゃんけんしてどうせ負ける政宗が買って来ようよー」
「勝敗を捏造するな!! まだ何の勝負もしてないだろうが!!」
「えー? じゃあ勝負しよう!! あたし、政宗に負ける気がせんよ!!」
「何だその根拠のない自信は……」
今日は珍しく食い下がらないユカを、政宗がうんざりした表情で見おろし、一言。
「太るぞ」
この指摘に、ユカはドヤ顔でこう言った。
「アイスは太らんもん!!」
「またそんなことを……」
堂々と言い放つユカに、政宗が何度目なのか分からないため息をついた次の瞬間。
部屋着――ペンギンのイラストがプリントされたTシャツとハーフパンツ――のユカが立ち上がると、政宗の後ろを通り過ぎてリビングの扉のところへ向かい、「じゃっ!!」と片手を上げた。
「しょうがない、ケッカちゃんが買ってきてあげよう!! 行ってくるねー」
「待て待て待て待て」
政宗は慌てて立ち上がり、ユカの方へ近づいた。
そして彼女が……それはもう「フフフ小僧、罠にかかったな」という小憎たらしい表情で、自分を見上げるから。
「過保護やねぇ、政宗」
「……」
まんまとはめられた政宗は、悔しそうな表情で敗北を宣言するしかない。
「……コンビニに行くだけだぞ。車は出さないからな」
「分かっとるよ。ありがとね、政宗」
ユカはそう言って、屈託なく笑う。
あーあ、絶対このパターンは悪用されるやつだ。
政宗はもう数えるのも嫌になったため息をつきながら、自室にある財布とパーカーを取りに移動するのだった。
当然ながらユカは帽子をかぶり、2人でコンビニを目指す。
政宗の部屋から最寄りのコンビニまでは、徒歩で5分程度の道のりだ。ただ、大通りから一歩奥まった住宅街をすすみ、最終的に大通り沿いにあるコンビニを目指すので……この時間帯ともなると、住宅街には人通りがほとんどない。遠くから生活音の聞こえる夜の空気をかき分けるようにして進む2人。点在する街灯が、2人の道標になっていた。
「なんか……こげんして外を歩くの、久しぶりな気がする」
曇り空の暗い夜空を見上げ、ユカがどこか楽しそうに呟いた。
そんな彼女を見下ろし、政宗がからかうように言葉を返す。
「この間、病院に行っただろうが」
「それはそうなんやけど、何というか、自分の意志で外に出るんが久しぶりっていうか、夜の買い食いが久しぶりっていうか……」
「……おいケッカ、お前はしょっちゅうこんなことをしてるのか?」
「え? 毎日じゃなかよ?」
「そういうことじゃなくてだな……」
暗い夜道を1人で出歩くことに心配する政宗の気持ちなど、今のユカが汲み取れるはずもなく。
その後も買い食いするなら買い置きしておけ論争が続きつつ、2人で並んで歩いていると……。
「なんか……やっと、もとに戻った気がする」
ユカはそう言って、隣を歩く政宗を見上げた。
彼女の大きな瞳が政宗を見つめるから、思わず、首を傾げてしまう。
「ケッカ?」
そんな彼の反応を少し笑ったユカは、改めて前を向いてから……ポツポツと、自分の中にある思いを言葉にしていった。
「なんというか……ここ1週間? ううん、2週間近くになるんかな……自分にも何が起きとるのか分からんかった。その間、統治や政宗に、沢山、苦労かけたみたいで……」
「それはもういい。俺こそ昨日は、みっともないところを……」
思い出すと少しだけ赤面してしまう。昨日、泣きながら彼女にすがってしまった自分。
そして、そんな自分を抱きしめて、受け入れてくれたユカ。
改めて……彼女に敵わないと思った、そんな瞬間だった。
そして昨日、政宗を奮起させてくれたユカは……昨日よりも更に魅力的な、小悪魔的な笑顔で、政宗の心をえぐっていく。
「そうやね。あげん肩出しの服が好きとか、知らんかったけんね」
刹那、政宗はそっぽを向いて懇願した。
「ケッカさん、その話はもうやめよう」
「ねぇねぇ、どうしてあげな服が好きと? やっぱり上から見下ろしてニヤニヤしたいけん? それとも単に、露出が多い方が好きってこと?」
「ケッカさん、人聞きの悪いことをいうのはやめよう。今日のアイス代、出さないからな」
視線を彼女の方へ戻し、少しだけ眼光鋭く言ってみる政宗だが……残念ながらこの程度で怯むようなユカではない。
「えー? このこと、片倉さんや伊達先生あたりに告げ口してもよかとですかー?」
「……」
自分の支局長としての威厳を保つため、政宗はアイス代を出すことに決めた。
コンビニでアイスと飲み物を買った2人は、同じ道を歩いて家路につく。
しかしその途中、曇り空から雨が落ちてきた。しかもポツポツとかいう可愛いレベルではなく、肌の上で雨粒がはじけ飛ぶような、ゲリラ豪雨的に唐突な強さのやつである。現にユカの帽子のつばの上を、雨粒がボタボタと音を立てて跳ね始めていた。
「嘘!? 降ってきた!!」
住宅街のため、雨宿りできるようなスペースもなく、加えて迂闊にも傘を持っていない2人は、マンションまでの道を走るしかない。
しかし、ただでさえ病み上がりのユカが政宗の足についていけるはずもなく、走り始めてすぐに遅れが出る。
「ケッカ、大丈夫か?」
少し速度を落とした政宗が、両肩で呼吸をして、足をふらつかせているユカの様子を確認する。
帽子を深く被っている彼女はその場で立ち止まり、呼吸を整えた。そして、かろうじて見える口もとに無理やり笑みを浮かべると、政宗へこんなことを言う。
「だ、大丈夫……政宗はアイスを先に持って帰って……」
「バカなこと言うな。行くぞ」
政宗はそう言うと、左手でユカの右手を掴んで再び走り出す。
彼に引っ張っられるようにユカも半強制的に足を進め……2人は、何とか屋根があるマンションのエントランスまで戻ってきた。
更に強さを増した雨が、マンションの壁を叩いて大きな音を響かせる。
政宗は雨の粒が滴り落ちる前髪に顔をしかめつつ、ユカの名前を呼んだ。
「はぁっ……ケッカ、大丈夫か……?」
「……った……」
「……ケッカ?」
彼女はうつむいて呼吸を整えると……政宗と繋がっている手を強く握り、彼にいきなり笑顔を向けて、こんなことを言い出した。
「良かった……政宗、あたし、ちゃんと生きとるよね……」
「ケッカ……!?」
突然何を言い出すのかと絶句する政宗に、ユカは引き続き呼吸を整えながら……言葉を紡ぐ。
「何だろう……なんか、1人ですっごく不安やったみたいで……『生命縁』に異常がある、とか……記憶が、ない、とか……1人で立ててない感覚が、ずっと、あって……あたし、本当にちゃんと、生きとるのかなって……」
深くかぶった帽子のつばから、雨のしずくがこぼれ落ちていく。表情を悟らせないまま、ユカはとても嬉しそうに言葉を続けた。
「でも、今、走って苦しくて……雨が冷たくて……政宗の手も、ずっと温かくて。なんか、嬉しかった。変だね、あたしは、ちゃんと……ここにいるのにね……」
そう言った彼女の頬に伝う雫は、雨なのか、それとも涙なのか。
ユカの中にくすぶっていた不安を少しだけ感じ取った政宗は、繋いでいた手を少し動かして、少し冷えた彼女の手を――改めて、しっかりと握る。
本当は……1人で佇む華奢な彼女を抱きしめたかった。
そして、一番近くで「大丈夫だ」と言ってあげたかった。
でも、今は――違う、そんな気がした。
今のユカに必要なのは、折れそうな彼女を優しく包み込んでくれるような、そんな存在ではない。
共に寄り添い、支えて……隣に並び立つ存在だと、そう思ったから。
隣にいる。倒れないように支える。
そう伝えたくて……繋いだ手を、強く握った。
「政宗……?」
「ケッカはここにいる。ちゃんとここにいるから」
そう言ってくれた政宗の表情をしっかり見たくて、ユカは帽子のつばをそっと持ちあげて、彼を見上げる。
自分を見下ろす彼は、強くて、安心出来る……ユカがよく知っている、そんな笑顔。
会いたかった。
ユカの中にいる『誰か』が、そんなことを呟いた気がした。
「ほら、さっさと帰るぞ。アイス、一緒に食べるんだろ?」
一緒に。
その言葉を少しだけ強調した政宗に、ユカはホッとした笑顔を向けると、一度、コクリと頷いて。
「……うん、帰ろう。帰って……一緒に食べよう」
そして2人は……手を繋いだまま、同じ歩幅で部屋を目指した。
「そういえば……今日はどうして、アイスにこだわってたんだ?」
エレベーターの到着を待つ間、隣にいるユカに尋ねる。
ユカは少しだけ口ごもってから……ボソリと、こんなことを口にした。
「……よう分からんけど、なんか、無性に一緒に食べたくなったと。なんか、前にもあたしの体がしんどかったとき、政宗と一緒にアイスを食べたような気がしたんだけど……でも、それがいつだったのか思い出せんっちゃんねー。政宗、覚えとる?」
そう言って不思議そうに自分を見上げる彼女に、政宗は目を細めて……少し意地悪に返答した。
「そんなことあったか? ケッカ、アイスが食べたいからって、いい話を捏造してるんじゃないだろうな?」
「なっ!? そ、そげなことなかよ!! 失礼なこと言わんでよね!!」
機嫌を損ねたユカが、視線をそらして頬を膨らませた。
この思い出は……まだ、自分の胸の中だけにとどめておこうと思う。
きっと、彼女はいつか、思い出してくれる。そんな根拠のない予感があるから。
「はい、美味しかったです。ごちそうさまでした」
あの時、政宗を動揺させ、無邪気に笑っていた女の子は……こうしてまた、彼の隣にいてくれる。
一緒にアイスを食べられる。そんな日常が……今は、とても愛おしい。
「……政宗?」
彼が自分を見つめていることに気づいたユカが、不審者を見るような眼差しで彼を見上げる。
「なんね、言いたいことがあるならはっきり言わんね気色悪か」
「気色悪いって……」
政宗がため息をついた瞬間、エレベーターが1階まで降りてきて、扉が開いた。
ようやく乗り込んだところで、ユカがボタンを押し、扉が閉まる。
「それにしても……服までびっしょり濡れちゃったなぁ……あー気持ち悪か……」
ユカはそう言いながら、自分の上半身を見下ろした。
ただでさえ病み上がりなのに、ユカが風邪を引いてしまうのではないか、そんな心配がよぎった政宗もまた、彼女の状態を確認しようと、あらためて彼女を見つめて……。
「……」
豪雨にさらされてびしょ濡れのTシャツがピッタリとくっつき、体のラインと下着の線までを浮き立たせているという現状から、政宗は思わず目を背けた。狭いエレベーターの中は照明も明るく、先ほどのエントランスよりも、より鮮明にユカを映し出している。(ような気がしてしょうがない)
「……ケッカ、着替えろよ」
「は? 当たり前やん。こげな状況、ドライヤーでも乾かせんよ?」
当然のことを口にして黙り込んでしまう政宗に、ユカは真顔で首を傾げるのだった。
「……あーあ、折角乾かしてもらったとに、また髪が濡れとる」
その後、部屋に戻ってきて着替えを済ませ、アイスを早々に食べ終わったユカが、毛先がじっとりしている髪の毛を掴んだ。
そして、同じく食べ終わって一息ついている、正面に座っている政宗を見つめ……。
「……あ」
何かに気づいたユカが立ち上がると、一旦リビングを後にする。そして、その手にドライヤーをもって、政宗のところに戻ってきた。
「政宗、今度はあたしが乾かしてあげようっ!!」
「へ?」
事情が飲み込めない政宗が、振り向きながらユカを見つめた。彼女はなぜかとても嬉しそうにドライヤーを掲げると、無邪気にこんなことを言ってのける。
「いっつも見上げてばっかりやけん、たまには政宗を見下したいよね!!」
「……」
見下すのは、やめてください、ケッカさん。
政宗は心のなかに浮かんだ俳句をそっと押しとどめて……たまには彼女に任せてみてもいいか、と、苦笑いを浮かべたのだった。
このエピソードは、第3幕本編完結後、Twitterで実施したアンケート結果をもとに書いたものです。
時系列的に第3幕の時系列の中に組み込んだ方がいいかな、と、思いまして、今回このような形でアップしてみました。また増えたよ第3幕……多分あと1話、外伝的に増えるんじゃないかと思います。
今回はケッカ(いつもの幼女)と政宗(いつもの大人)の組み合わせということでしたので、これまで書いてきた2人の距離感を思い出したかった……の、ですが、やはり第3幕の時間軸なので政宗があんまりヘタれてない気がします。なんてこった。
そして挿絵に関しては、頂いたばかりの動画のデータから早速流用しております。この幼女が超かわいくてね……しかもこのイラスト3パターンあるので、後に本編に組み込んでも微妙に被らないから1枚使ってもいいよね、という、贅沢な使い方をしております。ありがてぇ。(https://twitter.com/ogachapin7/status/888377974193438724)
あ、最初のバナー的なものに、何の偽りも悪意はありませんよ?




