エピソード7:頑張りやさんの君へ④
扉のところに立っていたユカは、先ほど見たパジャマ姿から、櫻子からもらったと思われる洋服に着替えていた。
腰の下までを隠すオフショルダーの白いサマーニットに、ジーンズ素材のホットパンツ。帽子はかぶっておらず、足元は素足のまま、ドヤ顔で政宗に近づいてくる。
一瞬、土曜日に見たユカの姿と重なって……心がざわついた。ユカはそんな政宗の動揺など知る由もなく、棒立ちの彼を上目遣いで見上げ、心から楽しそうに問いかける。
「ねぇねぇ政宗、どげん?」
どげん、と、聞かれても……率直な感想をすぐに伝える勇気はない。そもそも彼女はどうして、こんな格好をしているのだろうか?
「い、いや、その……ど、どうしたんだ、いきなり……」
色々な感情が一気に押し寄せて、完全に挙動不審になってしまった政宗。そんな彼の前に立っているユカが、してやったりという意地悪な表情で、その理由を説明する。
「櫻子さんからの手紙に、政宗はこういう格好が好きなんだって書いてあったけんが。本当かなって思って」
「……」
また貴女か(ありがとう)、という正直な感想を喉の奥に押しとどめた政宗は、自分をニヤニヤした表情で見つめるユカを……案の定、直視することが出来ない。
視線が泳ぎ続ける彼を見上げ、ユカはジト目を向けた。そして、彼が着ているスウェットの上着を引っ張り、少し声を作ってこんなことを言ってのける。
「ちょっと政宗ー、何か言うことがあるっちゃなかとー?」
「へっ!? あ、その……」
何か言おうとして、しかし失敗して……結果、ガッツリ顔を赤くして黙り込む政宗に、ユカはたまらず吹き出してしまった。
「ハハッ……驚いた、本当に好きなんやね。あたしなのにこげな反応するとか、分かりやすいなぁ……」
無邪気に笑うユカに、政宗は負け惜しみを吐き捨てることしか出来ない。
「……悪かったな、分かりやすくて」
「ううん、ちっとも悪くなかよー政宗。今度から牛タン食べたい時は、この格好で頼めばいいっちゃろ?」
「……」
この幼女、凄まじい威力の鎧を手に入れたぞ。
政宗が脳内でユカの完璧な戦略に戦慄していると……彼女はどこか気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべ、左手で、自分が着ている上着の裾をつまみ上げた。
「……ちょっと、大人っぽすぎるかな」
「ま、まぁ……」
「でも……可愛く、見える?」
「か、かわっ……!?」
次の瞬間、政宗は右手で口元を覆って、更に分かりやすく視線をそらした。
それを受けて、ユカは無言で彼のスウェットを強く引っ張る。そして、不機嫌な表情を浮かべ、わざとらしくこんなことを言ってのける。
「えぇー? さすがにこれくらいはハッキリ言ってくれんと、鈍感なケッカちゃんには伝わらんけどなぁー?」
「……」
敵わない。
ここで政宗は完全に脱力して……脳内で白旗を大きく振るのだ。
結論なんかとっくに……ユカを見た瞬間に出ているのだから。
あれこれ考えるよりも先に、正直な気持ちを伝えてみよう。
約1週間前の自分は、そうやって……先に進むことが出来たじゃないか。
過去の自分がそっと、背中を押してくれた気がした。
「……可愛いよ」
政宗の言葉に、ユカが一瞬目を見開いたが……すぐに彼を真っ直ぐ見つめ、嬉しそうに目を細める。
「本当?」
「ああ、嘘なんか……つくわけないだろう?」
そう言っている自分が泣いているのが、はっきりわかった。
だって、目の前に……大好きな女の子がいて、可愛い笑顔で笑ってくれているんだから。
「政宗……」
ユカは一瞬困惑したものの……両手を腰にあてて、ヤレヤレと言いたげな表情でため息をつく。
そして、右手を政宗の服から離して……彼の左手を、そっと握った。
「ケッカ……?」
「……やっとあたしを見てくれたね、政宗」
どこか安心したようなユカの声が、彼に優しく届く。
何か言おうとした政宗を遮るように、ユカが言葉を続けた。
「ごめんね、政宗。あたしには……政宗がどうして苦しんどるのか、どれだけ考えても分からん。きっと政宗も、今は言いたくないと思う。でも、今の政宗は、凄く辛いことがあって……でも、また必死に隠そうとして、自分を奮い立たせようとしてるってことは、良く分かるよ」
それは、あの10年前の合宿で、ユカが初めて触れた彼の本心。
虚勢を張って、いつも誰かのために率先して動いて……傷ついて、傷ついて、ボロボロになった自分の心から目をそらして隠している、そんな、危なっかしい少年の本音。
それを知った時……本当の政宗に近づけたような気がして、とても嬉しかったことを覚えている。
「悲しい時は、こうやってちゃんと泣かないとダメなんだよ。政宗の泣き顔くらい、あたしにはいくらでも見せてくれていいんやけん」
こう言ってくれるユカの右手を、政宗は一度……強く、握りしめた。
そして……少し躊躇いがちに、心のなかにある言葉を吐き出していく。
「……ユカ、少し……弱くなっていいか?」
「よかよ」
「その……今だけ……抱きしめても、いいか?」
俯いて呟いた彼の言葉に、ユカはそっと握っていた手を離した。そして、優しい笑顔で彼を見上げて、両手を広げる。
「よかよ。おいで、政宗」
政宗はその場に膝をつくと、そのまま彼女を抱きしめた。
そして、彼女の小さな肩に額をのせて……声と肩を、震わせる。
「ごめんな、俺……ダメだったんだ。また、助けられなくて、また……」
ユカは政宗の大きな体に自分の腕を回しつつ、右手をのばして、彼の頭をそっと撫でた。
いつもはどう背伸びしても届かない距離。でも、今は……こんなに近い。
「やっぱり、あたしのことでまだ何かあったんやね。今はまだ……詳しいこと、聞かん方がいい?」
ユカの問いかけに、彼が静かに首肯する。ユカは「分かった」と了承してから、改めて、彼の体を抱きしめる。
すっかり大人になった、大きな体の政宗が……今は、抱きしめないと消えてしまいそうなほど、もろい存在に思えたから。
「また頑張りすぎたんやね、政宗。大人になったっちゃけんが、出来ることと出来ないこと、ちゃんと見定めんといかんやろうもん」
「……」
そう言われると何も言えなくなる。無言で呼吸を整える彼に、ユカがため息をつきながら……政宗の背中を軽く叩いた。そして、彼の耳元に唇を近づけて、そっと、声をかける。
「……お疲れ様。頑張ったんやね。そういう頑張りやなところ……本当、政宗らしいと思うよ」
あの別れの瞬間、政宗がユカに告げた言葉を……目の前のユカは、知らないはずなのに。
自分が告げた言葉をほぼそのまま返された政宗は、もう、笑うことしか出来ない。
結局、佐藤政宗に立ち上がる勇気をくれるのは……いつだって、山本結果なのだから。
「なんだよ……ユカにだけは……言われたくねぇよ……」
政宗は涙を流して笑いながら、もう一度、彼女を強く抱きしめる。
そして……心の中に残る恐怖を払拭したくて、静かに、ユカへ問いかけた。
「俺は……ここにいて、いいと思うか? ユカの側にいても……いいのかな……」
ユカを助けられなくて、結局、現状を変えることが出来なくて。
それどころか、目の前の女性の中に、違う女性の影を探してしまう。
そんな自分は……ユカとこのまま、一緒にいていいのだろうか。
微かに震える声で問いかけると、ユカもまた、彼を強く抱きしめて……力強く返答した。
「当たり前やろ。一緒だよ、みんな一緒。あたし達は……これからも、ずっと一緒なんだから」
その言葉が届いた政宗は、また、涙を流して体を震わせる。
一緒にいたい。
今はまだ、何もかも足りなくて……『ユカ』と並び立つことは、出来なかったけれど。
でも、今は……ここにいてくれる『ケッカ』と一緒に、統治や他の仲間と一緒に、未来へ進んでいきたい。
そうすればきっと、また……未来の彼女を抱きしめられるから。
ユカは背中を擦って彼をなだめながら……そっと目を閉じて、見える世界を切り替えた。
彼がこうなる時は、大体、『縁故』としてのストレスが限界を超えて、政宗の『関係縁』の、どれかがささくれていることがほとんどだ。今回もきっとそれが原因で、感情が不安定になっているに違いない。それを整えればきっと、この混濁した状態から、また、いつも通りの政宗に戻るだろうと思ったから。
ただ……。
「……あれ?」
いつも通りに、どれだけ神経を研ぎ澄ませても、ユカがよく感じる異変は見あたらない。政宗の『関係縁』は、いつも通りだ。この中のどこかに何か異変があれば、直感で「ここだ」と理解出来るのだが……その感覚が、ない。
「ケッカ……?」
予想外の事態に戸惑うユカに気付いた政宗が、少しだけ腕の力を緩めて彼女を呼んだ。ユカは慌てて視え方を元に戻し、思考を切り替える。
「あ、ううん、何でもない。っていうか……」
ユカもまた、少し力を緩めて……苦笑いを浮かべる。
「呼び方、どっちかに統一してほしいっちゃけど」
「あ……」
指摘されて気づいた。今の政宗が、ユカとケッカをちっとも使い分けていないことに。
その事実に気付き、困惑して、再び無言になる政宗。ユカはそんな彼の様子を喉の奥で笑いながら……いたずらっぽく、こんなことを言うのだ。
「じゃあ……今は、ケッカじゃない方で呼んで。そしたら、もうちょっと……このままでいてあげる」
昨日聞いた、誰に宛てたのか分からない『ユカ』じゃなくて。
今――目の前にいる彼女のことを、ちゃんと呼んでほしいと思ったから、
そう言われた政宗は、一度静かに頷いてから……心からの気持ちを、素直に口にした。
「……ありがとう、ユカ。これからも宜しくな」
政宗が大好きなユカは、ずっと側にいてくれている。
その事に改めて気付いた政宗は、もうしばらく……彼女の暖かさを噛み締める。
そんな政宗の体温を一番近くで感じながら……ユカはふと、再び、こんなことに思い当たった。
つい最近も、こんなことがなかっただろうか。いや、あるわけがないんだけれど……でも、どうしてもそんな気がしてしまう。
その時は今と逆で、政宗がユカの頭を撫でて、「お疲れ様、よく頑張った」って優しく労ってくれて、それで――
「……ユカ?」
腕の拘束を更に緩めたユカが、政宗を真正面から見つめた。
そして、戸惑う彼の顔に引き寄せられるように、自分の顔を近づけて――
「ゆ、ユカ!?」
「――っ!?」
次の瞬間、我に返ったユカの瞳が、数センチ先で顔を真っ赤にしている政宗をとらえた。
「ま、政宗!? どさくさに紛れて何するつもりやったと!?」
「それはこっちのセリフだ!! ゆ、ユカから近づいてきたんだろうが!!」
「なぁっ……!?」
慌てて顔を離したユカは、慌てて彼から腕を放して顔を背ける。そして、自分が何をしようとしたのかを理解した瞬間――流石に耳まで赤くなっていくのが分かった。
そして再び思考を切り替える。これまでの行動や脳内思考を考えると、やはり、今の自分は……。
「……やっぱり、おかしか」
たどり着くのは、当然の結論。
先ほど発生した現実を理解出来ずに放心状態の政宗だったが……いつの間にか顔面を白くして、泣きそうな顔で政宗を見つめるユカに気付いた。
「……ユカ?」
「政宗ぇ……あたしの『縁』、おかしくなか?」
「は?」
唐突に何を言い出すのかと目を丸くするユカに、政宗が訝しげな顔で問いかける。
そんな政宗に、ユカはすがるような目で、その言葉の理由を説明した。
「やっぱりあたし、まだどこか本調子じゃなかとよ!! もしかしたら誰かとの『関係縁』がささくれとるのかもしれん……ちょ、ちょっと見てくれん?」
『関係縁』がおかしいのは政宗ではない、自分の方だったのだ……という結論に達した。
自分の奇行の原因が『関係縁』のささくれだと予測したユカが、政宗にその判断を委ねる。
ユカ自身でもある程度、自分自身の『縁』は見ることも出来るが、やはり細かいところや、背中などの目に見えない部分は、誰かに見てもらわないと安心出来ないから。
さすがにこう言われると……先日、彼女の『生命縁』に異常が発生していたことが、政宗の脳裏に蘇る。
困りきった顔で懇願するユカから一度離れた政宗は……膝立ちのまま軽くまばたきをして、見える世界を切り替えた。
そして、注意深くユカを観察し、異常がないかどうかを見定めていく。
「……今のところ、どこもおかしくないぞ」
「ほ、本当に?」
「ああ。ただ、しっかり確認したいから、後ろを向いてくれるか?」
政宗の言葉を受けたユカが、素直に彼へ背を向けた。
相変わらずユカと目線をあわせて、膝立ちのままの彼は、彼女の背中周辺を漂っている『縁』をチェックしつつ……少しだけ、目を細める。
「ユカ、見えづらいから……ちょっと髪の毛をあげてくれるか?」
「こ、こう?」
政宗の指示通り、ユカが両手を使って、首にかかっている髪の毛を持ち上げた。政宗は見落としがないように、少しだけ顔を近づけて注意深く確認し――
「――ひゃぅっ!?」
次の瞬間、ユカの高い声が室内に響いた。
慌てて振り向こうとしたユカに、政宗が「ちょっ……そのままでいてくれ!!」と、すかさず釘を刺す。こう言われるとユカは動くに動けない。
「あー悪い。ちょっと手があたった」
「き、気をつけてよね!? あーびっくりした……」
首の後ろに突然感じた柔らかい刺激に、白黒させた目を更に泳がせるユカ。数十秒後、政宗は「手を下ろしていいぞ」と指示を出しながら、恐る恐る振り向いた彼女に、残酷な結論を告げた。
「ユカ……本当に特にどこも悪くないんだが……」
「嘘やん……」
思わず目を見開き、途方にくれてしまう。
自分の奇行を『縁』のせいに出来ず、原因が分からないユカは眉をひそめて首を傾げるしかない。
そんな彼女に、視え方を切り替えた政宗が、ニヤニヤした表情を向けた。
「いきなり変な声出して……ユカ、首が弱いのか?」
そう言われると、少しだけムッとしてしまう。ユカは楽しそうな政宗にジト目を向けて、疲れきった息と共に吐き捨てた。
「何それ。そげなこと知らんよ……」
「……知ってるよ」
そんな彼の独白は、今のユカには届かない。
「政宗?」
「何でもない。とにかく今のユカに目立った異常はないな。不安なら改めて、統治にも聞いてみてくれ」
政宗は、ユカが十分に実力を信用出来る『縁故』の1人だ。そんな彼から「異常がない」と言われると……モヤモヤは残るものの、納得するしかない。
「まだ体が疲れとるっちゃろうか……はぁ、今日はもういいや。お茶飲みたいけど先に着替えてくる……」
そう言って政宗に再び背を向けて、ユカは一度、リビングから客間へ戻っていく。
彼女の背中が見えたくなったことを確認した政宗は、静かに立ち上がり……ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。
そして、肘をついて頭を抱え、髪の隙間から見える耳まで真っ赤にしてから……その口元に笑みを浮かべ、人知れず、少年のように笑う。
まだ心臓がドキドキしているのが分かる。自分でも驚くほど冷静に行動していたので――全て終わった今、その反動がきているようだ。
ユカが首の後ろからのキスに弱いこと、それは先日、政宗自身が発見した、彼と『彼女』だけの秘密。
「……大人をなめるなよ、ケッカ」
再び誰にも気づかれない独白と共に、一旦落ち着こうとテーブルの上に置いたコーヒーをすすってから……政宗はとても穏やかな表情で、ユカが戻ってくるのを待っているのだった。
「例え、ユカがどんな姿でも……俺たちはこれからも、ずっと一緒だ」
数話前にそう言ったのは政宗自身です。やっと思い出したのか全く……と、呆れないであげてください。(笑)
ここでユカの強さを再確認しました。結局、どんな姿でも彼女は彼女である、それを体現しているなぁと思います。政宗、もう迷わないでね。
挿絵として使わせてもらっているイラストも、ユカの表情がただの菩薩です。今の彼女は幼いはずなのに、この表情が完全に大人というか……ユカさんに通じるところがあって大好きです。ありがてぇ。




