エピソード6.5:ツギハギ
君がいなくなってしまったら……俺はどうやって生きていくんだろう。
「ん……」
喉乾きを感じた政宗は、ベッドの上に上体を起こした。
手元のスマートフォンで時間を確認すると、明け方の4時前。部屋の中は暗く、物音ひとつ聞こえない静寂の隙間。
寝ぼけた頭で暗い部屋を見渡して……自分のすぐ隣で寝息を立てている女性に気がつく。
「っ!?」
一瞬、自分が間違えてユカの布団に入ってしまったのかと焦る政宗だったが、記憶を辿って、それが違うことを思い出した。
そして……数時間前までの自分の行動を思い返し、顔が熱くなる。
「政宗……大好きだよ」
そう言って泣きじゃくる彼女を、政宗から抱きしめた。
ずっと聞きたかった言葉、ずっと聞かせたかった言葉、その全てを伝えあった。
「それに、統治はあたし達のことを理解して、ちゃんと応援してくれとる。統治は全部分かっとるよ。だから……あたし達3人は絶対に壊れない。大丈夫だよ、政宗」
不安を吐き出すと、彼女は力強く「大丈夫だ」と言ってくれた。
それだけで心が軽くなって、彼女のことがもっと愛おしくなった。
「ユカ……」
薄暗い部屋で彼女の名前を呼び、そっと、額にかかった髪を撫でる。
思わぬ形で叶ってしまった10年間の片思い。その喜びを噛み締めながら……政宗はそっと布団から抜け出すと、一口お茶を飲むためにキッチンへ移動した。
キッチンの明かりのみをつけた後、コップ半分くらいのお茶を飲んで喉を潤す。
使ったコップを洗って布巾で拭きながら……政宗はふと、こんなことを思う。
この状況は、いつまで続くのだろう。
「正直、あたしも理由はよく分からんけど……でも、こんな感じで、あたしと『ケッカ』は相反することが多いんよ。だからきっと、『ケッカ』に戻ったら……この数日間の思い出は、全部、忘れてると思う」
「だから今日は……沢山、政宗の顔を見ておこうと思って。あたしはこれで、見納めかもしれんけんね」
昨日の夜、ユカはこう言っていた。
それは、彼女のリミットが近づいている確かな予兆。ユカからケッカへ『戻る』――全てが元通りになるための前段階だ。
数日前の政宗であれば、この状況を待ち望んでいたのかもしれない。
けれど、今の彼にしてみれば……やっと思いが通じ合った最愛の人と引き離されてしまうことになる。
そのことが彼女にとって最善だということは分かっている。ユカの問題は根本的にちっとも解決していない。今回、どうして彼女の体が成長してしまったのか、10年間の記憶が欠落しているのか、確かなことは何一つ分かっていない。
『臨終』
彩衣が残した資料に記載されていた言葉を思い出し、慌てて頭を振った。
そんなことはない、そんなことにはさせない。
たとえ、彼女が『元に戻った』としても、ユカの『生命縁』は必ず――
「元に、戻る……ユカが、ケッカに……」
誰にも聞こえない独白。そしてふと、心がこんな意地悪な質問を投げかける。
もしも彼女がこのままだったら――ずっと、彼の一番近くにいてくれるだろう。
でも、政宗がよく知っているユカは――彼が『ケッカ』と呼んでいる少女は――政宗の気持ちに微塵も気付くことがないまま、彼の周囲で笑っているのだ。
政宗から手を伸ばせば届くけど、彼女から手が差し伸べられることはない。
いつだって、一方通行のまま。
好きなのは、最初から政宗だけ。
いっそここで、『ケッカ』がいなくなってしまったら――
「――バカか俺は……!!」
政宗は一瞬でも自分がとんでもない願いを思い描いたことを強烈に後悔しながら……近くにかけていた手拭き用のタオルを取ると、慌てて口元を抑えた。
寝ている彼女に、自分の声が悟られないように。
本当に馬鹿だと自分でも思う。
一瞬、彼女がいなくなることを想像しただけで……こんなに、涙が溢れるのだから。
分かっている。
この時間は所詮ツギハギ。期間限定の奇跡が寄せ集まって出来た、本来はあり得ない時間だ。
成長したユカと同じ時間を過ごすなんて……自分が彼女の問題を解決しなければ無理だ、政宗は今でもそう思っているし、それはきっと正しい。
だけど……この時間が、幸せで、愛しくて。
大好きな人が自分を笑顔で見つめて、「大好きだ」と同じ愛情を返してくれる。
笑って、泣いて、怒って、喜んで……そんな感情変化を、一番近くで見ることが出来る。
抱きしめると少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに体を預けてくれる。
そんな時間を知ってしまったら、もう、後戻りなどしたくない。
いっそ――
「……一緒に忘れさせてくれよ、ユカ……」
この記憶ごと――ユカを好きな思いごと、消え去ってしまえばいいのに。
政宗は顔をタオルで覆ったまま、切ない気持ちを涙とともに吐き出した。
政宗は一度だけ、ユカとの『関係縁』を切ろうとしたことがある。
10年前の中学2年生の冬、年が明けて3学期が始まったばかりの頃。
『縁故』としての修行からのらりくらりと逃げて、統治との対面を避けていた……あの頃。
合宿の成果もあり、政宗は通常生活で『縁』や『痕』を見ることはなくなっていた。
全てが普通に戻り、あの合宿も、『縁』も、『痕』も……統治も、ユカも、全てが遠かった、あの頃。
ある日の放課後、電車の接続がうまく行かず、政宗は仙石線の東塩釜駅のベンチで、次の電車を待っていた。
冬の冷たい空気が容赦なく頬に突き刺さり、思わずマフラーで目元以外を覆い隠す。雪が降り出しそうなほど重たい鉛色の空に、気分も憂鬱になるしかない。
家に着くまでに雪がふらなければいいけど……政宗はそんなことを考えながら息を吐いて、何となく周囲を見渡すと……駅の掲示板に張り出されたSuicaのポスターが目についた。
マスコットキャラクターのペンギンが、『遂に仙台圏デビュー!!』という謳い文句とともにSuicaの利用促進をアピールしている。普段ならば特に目に入らずスルーする内容なのだが……不意に、そのキャラクターが、政宗にある人物を思い出させてしまった。
「……ケッカ……」
名前を呼んだ瞬間に後悔する。
思い出したのは、地面に倒れた彼女の姿。
立ち尽くして何も出来なかった――そんな自分の、惨めな姿。
彼女の顔を思い出せなくて。
笑ってくれたはずなのに。
名前を呼んで、沢山、笑ってくれたはずなのに。
それを思い出せなくて――自分自身に嫌気がさす。
『もう、嫌だな。』
『変わらない、このままだよ。』
『なんてことないよ。』
頭で、心で、ずっと誰かが……政宗に語りかけている気がした。
そして――魔が差す。
政宗は久しぶりに視え方を切り替えて、世界を『縁』で満たした。
そして、自身の左手小指から伸びる、この期に及んで相変わらず色が変わったままの『関係縁』を見下ろし……右手の人差し指と中指の間に、はさむ。
これを切れば、きっと全てが終わる。
この、やり場のない後悔とも……縁を切ることが出来る。
簡単なことだ。
これ以上無駄な時間を浪費しても――ユカには、会えない。
全てを諦めた政宗が、ユカとの『関係縁』を切ろうとした、次の瞬間。
雪が、彼の左手の甲に落ちて――消えた。
冷たい雫が滴り落ちる感覚には、覚えがある。
あの時の笑顔が唐突にフラッシュバックして――政宗は思わず右手を引っ込めた。
そして、左手から繋がる『関係縁』を握って……目を閉じる。
思い出してしまった。
自分が初めて惹かれた――あの時の、ユカの笑顔を。
頬に暖かな涙がこぼれて……止まらなくなる。
「ゴメン……ゴメンな、ユカ……!!」
政宗はその場で『関係縁』を握りしめたまま、両肩を震わせて何度も同じ言葉を繰り返す。
助けられなくて。
忘れようとして。
忘れてしまって。
逃げようとして。
――君との『縁』を自分から断ち切ろうとして、本当にゴメン。
ユカに届かない言葉は、冬の空気に紛れて消えていく。
政宗はその場でうずくまったまま……記憶の中にいるユカを探し続けた。
あの時は、忘れたいと思って思い出したのに。
今は――ユカとの『関係縁』が完全に紫色になった今は、この幸せな記憶を全て忘れてしまいたいとさえ思う。
キッチンの電気を消した政宗は、そっと客間に戻り、ユカが寝ている布団の中に滑り込んだ。
寝返りをうったのか、先ほどまで彼の方を見ていたはずの彼女が、政宗に背を向けて、寝息を立てている。
「……ユカ……」
政宗が彼女の名前を呟いた、次の瞬間――
「……何?」
「え……!?」
思わず間の抜けた声を出した政宗を、寝返りをうったユカが至近距離から覗き込んだ。
薄暗い部屋でも表情が分かるほど近い距離で、ユカがどこか不機嫌そうな表情で不満を漏らす。
「政宗……どこ行っとったと?」
「あ、ちょっとのどが渇いて……」
「……本当に?」
「それ以外どこに行くんだよ……」
疑り深い彼女を安心させたくて何度も頷くと、ようやく納得出来たのか……ユカはホッとした表情になり、政宗の頬に手を添えた。
「良かった……政宗、おらんくなったかと思って。両思いになったのも……全部、夢かと思って」
「ユカ……」
そう言って、彼女が嬉しそうに笑うから。
政宗は自分の泣き顔を見られたくなくて、少しだけ強引に彼女を抱きしめた。
「……好きだ……」
「政宗……?」
「俺は……好きだよ、ユカ」
震える声で呟くと、彼女もそっと政宗に腕を伸ばして、そのまま優しく包み込む。
「あたしも……大好きだよ、政宗」
きっとこの瞬間、2人は同じことを考えていただろう。
もしも本当に、『元に戻る』ことで、ユカの記憶が消えてしまうなら。
このツギハギの時間と一緒に、このまま2人で……2人だけで、消えることができればいいのに。
ひのちゃんに作ってもらった動画(https://www.youtube.com/watch?v=OilUt54ffEw)を見たり、彼女と作品について語ったことを膨らませました。
見ていない人はゼヒ見て下さい。ここまで読んでくださった方なら、間違いなく泣けます。




