エピソード7:頑張りやさんの君へ①
ユカがこれまでの状態に戻り、状態も安定した木曜日の午前中、時刻は午前10時過ぎ。
ユカと政宗は、県北・登米市にある『透名総合病院』のロビーにいた。
長いソファが整然と並び、開放感と清潔感のある広い空間。白衣や作業服を着用したスタッフがそれぞれの目的地へ足早に移動していく。ここでは既に診療の終わった人が会計を待っているのだが、2人はむしろ、これからが始まりである。
いつものキャスケットをかぶり、ボーダーシャツの上からオーバーオールを着ているユカと、いつも通りの黒いスーツにビジネスバックの政宗。その身長差は約40センチであり、傍から見ると「妹の病院に付きそう兄」にしか見えない。
「政宗……ここで待っとってよかと?」
チラリと彼を見上げて尋ねるユカに、政宗は腕時計で時間を確認しながら返答する。
「そのはずなんだがな……お」
時計から視線をあげた政宗が、自分たちに近づいてくる2人を見つけて、軽く会釈した。
つられてユカも視線を向けると……エントランスの奥にある各診療科の入り口の方から、聖人と彩衣が歩いて来るのを確認。思わず背筋を伸ばす。
首から聴診器をぶら下げている聖人と、その手にカルテらしきものを持っている彩衣が、2人の前まで歩いてきて……聖人が笑顔で軽く手を上げた。
「2人ともお疲れ様。ようこそ、『透名総合病院』へ」
政宗がカバンから茶封筒を取り出すと、それを聖人へ手渡す。
「今日は宜しくお願いします。俺はどこで待っていればいいですか?」
「施設内にカフェスペースはあるけど……政宗君、自分は君からも少し話を聞きたいんだよね。今からちょっと、付き合ってくれるかな?」
「分かりました」
「じゃあ彩衣さん、ケッカちゃんのこと、宜しくね」
聖人は政宗からの茶封筒を彩衣に受け流すと、政宗に目配せをして歩き始める。
彼の後に続く政宗は、ユカに視線を向けてから、その口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃ、頑張ってこいよ、ケッカ。注射が怖いからって泣くんじゃないぞ?」
「そ、そげなことあるわけないやん!! さっさとついて行かんとおいていかれるよ!!」
慌てて反論する彼女にヒラヒラと手を振りながら……政宗は聖人の後に続き、ユカとは別行動になった。
聖人が政宗を連れてきたのは、『医療相談室』と銘打たれた、対面式の個別相談スペースだった。普段は通院や入院などに関する悩みを専門のスタッフに相談する際に使われている空間であり、高い間仕切りで囲まれているため、外から中をうかがい知ることは出来ない。
入り口にかかっている札をひっくり返して『使用中』にした聖人は、扉を開き、自分が机の向こうにある椅子に座った。続いて入る政宗が扉を閉めて、手前の席に腰を下ろす。
そして聖人はどこからともなくバインダーとボールペンを取り出してから……改めて、政宗を見つめた。
「さて……政宗君、先週から本当にお疲れ様。今回の事象をざっくり整理しておきたいから、いくつか質問に答えてくれるかな」
「分かりました。その代わり……伊達先生も、俺からの質問に答えてくれますか?」
「自分が答えられるものなら、喜んでお答えするよ。じゃあまず、月曜日から今日までのケッカちゃんの様子はどうかな。一応、大事を取ってまだ同棲してるんだよね?」
一部、絶妙に悪意を感じる彼の言葉選びに、政宗は頬を引きつらせてため息を付いた。
「……言葉をもう少し選んでください。『生命縁』に干渉したので、今週末までは逐一経過を観察する必要があるんです」
「そうだったね。それで、ケッカちゃんに変わったところはない?」
当然のように悪びれない聖人に、政宗は諦めて返答する。
「はい。食欲もありますし、体が辛そうな様子もありません。元通りです」
「政宗君の状態はどうかな。倦怠感や眠気とか、続いているものはある?」
「俺も大丈夫です。日曜日の夜が最後でした」
政宗は既に、自分自身に起こった体調変化――苦しんでいるユカに触れると自分も引きずられていた――や、ユカの『生命縁』に異常が発生し、自分が対処したことは簡単に報告をしている。
だから今日は、ユカがケッカに……これまでの彼女に戻ってからの話が中心となった。
「ケッカちゃん……体が大きかった頃のことは、何か思い出したかな?」
この問いかけに……政宗は膝の上に置いた両手を握りしめ、首を横に振った。
「いいえ。本人も記憶が抜け落ちていることに疑問を抱いているみたいですが……思い出した様子はありません」
あの日――ユカの体が元に戻ってから、初めて意識を取り戻した彼女は……自分がほぼ何も着ておらず(着ていたけれどサイズが違うので、本人的には着ていないも同然である)、しかも自室ではなく政宗の部屋のリビングで転がっていたことに、それはもう驚きを隠せなかった。
「ま、政宗……統治……あれ? あたし……あれ? なしてこげなところに……!?」
そんなユカに、起き上がった政宗は笑いながら問いかける。
「ケッカ……俺のこと、分かるか?」
「わ、分かるに決まっとろうもん!! 笑いながらそげなこと言ってバカにしとると!? バカ政宗!! ちょっと統治、そげなところで突っ立って笑っとらんで説明してよ!!」
自分の肩に引っかかっているサイズの違うパジャマを必死に体に巻き付けて、ユカが目を白黒させながら2人に説明を求める。
そんなユカを見てしばらく笑っていた政宗と統治は……さて、サイズダウンした彼女の洋服はどこにあるのかと、2人で視線を交錯させて、乾いた笑いを浮かべたのだった。
5分後……客間の一角に今のユカのサイズの洋服一式を発見した統治が、それを彼女に手渡して。
届けてくれた彼をリビングから追い出したユカは、やはり何も意味が分からないまま、とりあえず下着を身に着け、洋服に袖を通した。
「……一体、何が起こっとると……?」
どれだけ考えても理解が繋がらない。どうして自分は、こんな、まるで大人の女性が着るような洋服や下着を身についていたのか。そもそもどうして政宗の部屋にいるのか。何も、分からない。
帽子をかぶっていない頭のせいもあるのか、妙にソワソワした。
確か……雨の日に郊外で仕事をしてから、地下鉄で帰る途中に……。
「……ダメだ、思い出せん」
ユカは一旦考えるのをやめると、自分が着ていた大人ものの洋服をたたむことにする。下着……は、洗濯機に入れるべきだろうかと本気で思案して、とりあえずたたんだパジャマの間に入れておいた。何だか誰かの私生活を覗き見してしまったような気がして赤面してしまう。どうすればいいんだ本当に。
「……ん?」
パジャマの襟のところに、明らかに自分の長さではない長い髪の毛が一本くっついている。それをつまみ上げてみても……益々意味が分からない。
「……政宗の彼女のもの? いや、それをあたしが着とった意味が分からんよね……雨に濡れて着替えがなかったとやか……」
まるで自分が政宗の彼女みたいじゃないか。ハハッ。
ユカが苦笑いでパジャマをたたみ終えた時……部屋の床の上に、ハサミの持ち手のみが転がっていることに気付いた。
それを拾い上げたユカは――目を見開き、大声で彼を呼ぶ。
「――政宗!! ちょっと政宗!! 早く来て!!」
ユカの慌てた声にリビングへ戻ってきたのは、統治だった。
「山本、どうかしたのか?」
「って統治!? あれ……政宗は?」
「寝起きで顔を洗っている。それよりも、何かあったのか」
「いやその、コレ……」
ユカは困惑しつつ。近づいてきた統治に、拾い上げたハサミの持ち手を見せた。それを確認した統治もまた、軽く目を見開く。
「これは……佐藤の……?」
「だよね。でも、刃の部分だけ綺麗になくなっとる……ねえ統治、一体、何があったと?」
ユカに聞かれても、統治にも意味がわからない。
2人は、10分後に政宗が合流するまで……互いに言葉を探して、黙り込んでしまった。
政宗からあらましを聞いた聖人は、楽しそうな表情で問いかける。
「それで政宗君、ケッカちゃんにどんな説明をしたの?」
「ケッカの具合が悪くなって、一時的に『生命縁』に干渉しなくちゃいけなくなったから俺が対処した、ハサミはその時に壊れた……そう言いました」
淀みなく言い放つ政宗の言葉を書き留めた聖人は、眼鏡の奥の瞳を少しだけ細めて、質問を続ける。
「なるほど。じゃあ……ケッカちゃんにこの数日間のことは、どう説明をしたのかな?」
「ケッカは高熱を出して具合が悪く、1人に出来ないから俺の部屋で療養してもらった、と。『生命縁』に干渉しなくちゃいけないレベルだから、記憶が抜け落ちているのもしょうがない、生きてるだけで御の字だ……そう言いました」
そう言う彼の反応を確認しつつ……聖人はペンの動きをとめて、彼を真正面から見据える。
「了解。自分も彼女に聞かれたら、こう答えておくよ。さて……自分ばかり聞くのはフェアじゃないよね。そろそろ質疑応答を交代しようか」
その言葉に、政宗もまた、聖人を正面から見据えて――
「富沢さんが残した記録に書いてあった、『生きている人間の生命力を奪うもの』について、俺に納得出来る解説をお願いします」
当然のように予想していた質問に、聖人は無言で首を縦に動かした。そして、バインダーに挟んだ紙を1枚めくって……その下に記載してある、書いた本人しか理解出来ないような、走り書きばかりの内容に視線を落とす。
「政宗君は、どんな解説なら……納得してくれるかな」
「まず、伊達先生達がそれに気付いた理由です。あと、そのこととケッカの『生命縁』の異常は、何か関係があるのか。そして……どうして俺は、何ともなかったのか」
「なるほど、それなら全て答えられそうだよ。もっとも……全て確固たる証拠はない、仮説だということを前提に聞いてね」
政宗が静かに首肯すると、聖人は足を組み替えてから、話の続きを始めた。
「まず、自分たちがユカちゃんの異変に気付けたのは、自分たちが『縁由』持ちだから、だと思うよ」
『縁由』
5月に発生した秀麗中学における一件で、その存在が露呈した――『痕』や『遺痕』を呼び寄せる特異体質の少女・阿部倫子。
彼女が『痕』や『遺痕』を呼び寄せる理由が、彼女の持っている『縁由』という能力だった。
この能力を持っているのは、今のところ……倫子、蓮、聖人、彩衣の4名。ユカや政宗、統治は持っていない、『縁故』とは異なる力である。
そして、以前より『縁由』の能力を自覚している聖人は、他の『縁由』持ちにも気付くことが出来る。
「『縁由』が、『痕』なんかを呼び寄せてしまうフェロモン的なサムシングだということは、この間、政宗君にも話をしたと思うけど……ユカちゃんの変質している『生命縁』には、そんな『縁由』とは似て非なる物質が、ずっと隠れていた……というか、膿みたいにたまってたんじゃないかと思うんだよね。それが今回、『生命縁』のささくれで外に放出されてしまった。『生命縁』に巣食っているその物質は、生きている人間の生命力を奪って――苦しませ、とても深い眠りに誘う。自分はそう考えたんだ」
それは、目に見えない毒のように……生きた人間を脅かしていくもの。
生命力を奪われ、苦しみ、その果に深く眠ってしまった人間は――
「じゃあ、やはりあのまま放置していたら……ケッカは……」
「遅かれ早かれ、その物質が体内に回るか……放出され続けたものに侵されて、死んでいたと思うよ」
冷静に言い放つ聖人の言葉に、政宗は改めて肝を冷やす。
そして、ますます分からない。自分はどうして、そんな物質を出し続ける彼女と同じ空間にいて……何ともなかったのだろうか。
「伊達先生も、富沢さんも……具合が悪かったんですか?」
政宗はここで、ユカが倒れた初日、聖人と彩衣が一度外に出て、再び戻ってきたことを思い出した。
本当に買い物が必要だったこともあると思うけれど、あの部屋から出ることで、彼ら自身が倒れないよう、自己防衛をしていたのだとすれば。
そんな政宗の疑問に、聖人が苦笑いで言葉を返す。
「初日は特にね。限界だと思ったら、その都度外に出て休憩していたけど……いやー、あれは久しぶりの感覚だから、さすがにしんどかったよ」
「久しぶり……?」
「病院は、命が繋がる場所でもあるけれど、命が切れるところでもあるよね。今回のユカちゃんが出していたものは……病院内で感じたことがある、人が死ぬ直前に出しているものと、とても近いという見解で彩衣さんと一致しているよ。まぁ、こうやって日頃から接しているから、統治君より耐性はあったつもりだけど。職業病ってやつかな」
「……」
「死の直前――切れかけた『生命縁』が発していると思われるものの気配は、病院内でもよく感じることがあるからね。今回、ユカちゃんが出し続けていたものは、それと感覚的によく似ていたんだ。人が死ぬ直前に出す物質は、健康に生きている統治君や自分たちには、毒になっちゃうみたいなんだよね」
「ちょっと待ってください……じゃあ、俺はどうなってるんですか!? 俺もちゃんと生きてますよ!?」
先ほどからの話を総合すると、ユカが出していたという物質は、生きた人間に対してマイナスに作用するという。
それじゃあ……彼女とずっと一緒にいた政宗は、どうして何の健康被害も被っていないのか。
話を聞くほど困惑する政宗に、聖人は眼鏡の奥の瞳を少しだけ鋭くしてから……話を続ける。
「さっき、自分は『毒』という表現をしたけれど……政宗君にとっては、『毒』にならなかったんだよ」
「は……?」
「ユカちゃんが出していた物質は、政宗君にとっては……そうだね、麻薬みたいなものだったんじゃないかな。中毒症状というか、快楽状態というか……知らず知らずのうちに惑わされて、麻痺していたんじゃないかと思うんだ」
「俺が、麻痺……?」
当然ながら一切自覚のない政宗に、聖人が決定的な一言を告げる。
「例えば、だけど……政宗君、自分から死にたいって思ったこと、ある?」
「――っ!?」
彼の言葉に、一瞬、過去の自分が鎌首をもたげる。
育ての親である彰彦の死に絶望して、自ら命を終わらせようとした――あの瞬間のことが、フラッシュバックして。
政宗の反応に自分の指摘が正しかったことを悟った聖人は、淡々と話を続けた。
「その時の政宗君に、今回と同じような物質が発生していて……それが君にとっては、凄まじく魅力的なものとして記憶されたんじゃないかな。だから今回、ユカちゃんから発せられた物質に拒否反応を示すどころか、甘んじて受け入れてしまった。過去の自分がそれで快楽を得たことを、感覚としては覚えているからね」
「……そう、ですか……」
「ちなみに、拒否反応を示さなかった子がもう一人いるんだけど……誰だと思う?」
聖人の問いかけに、政宗はため息混じりに吐き捨てた。
「あの時に片倉さんを部屋へ向かわせたのは……そういうことですか」
先週の木曜日、聖人からの荷物を届けにやってきたのは、片倉華蓮――名波蓮だった。
彼がかつて自分の計画が完遂されなかったことに絶望して、軟禁された名杙家で命を断とうとしたことは……政宗もよく知っている。もしかしたら、過去にも似たようなことがあったのかもしれない。
「僕は……貴方のような大人になりたくないです」
あの時、政宗に向けて負け惜しみを呟いた彼の表情が、脳裏をかすめる。
もしも、10年前にユカが命を落としていたら……政宗もこうなっていたかもしれない、もしもの姿。
「俺達は交わっちゃいけない、出来るだけ……別の道を歩んだほうがいいんだ」
蓮に向けてそう言った言葉は、自分の経験から感じた、政宗なりの警告のつもりだった。
でも、もしかしたら……それは以前、自分が言われた言葉なのかもしれない。
かつて『死神』を恐れて絶望していた過去の自分が、『佐藤政宗』と名乗る前の自分が、必死で訴えていた――そんな言葉だったのかもしれない。
君はもう、『佐藤政宗』なのだから。
こっちに戻ってこないで、真っ直ぐ前を見て進み続ければいい――過去に決別したはずの小さな自分が、何度も、背中を押してくれていたのかもしれない。
「……ハハッ……そうですか……要するに俺は……あの頃の俺に助けられたってことですね」
政宗は机に肘をついて、両手で頭を抱える。
まさか、人生でどん底だった時の自分に救われる瞬間がくるとは……思いもよらなかったから。
そして……政宗は大きく息をつくと、口元に薄い笑みを浮かべ、ボソリと呟いた。
「おかげでケッカの……彼女の側にいられたんです。感謝してますよ」
それは、今の彼なりの負け惜しみ。
結局……過去の自分も受け入れて、進むしかないのだから。
そんな政宗の様子を見た聖人は、少しだけ目を細めて……凄まじく強引に話を変えた。
「そう、なら良かった。あ、自分からのプレゼントは、役に立ったかな?」
その言葉に、政宗はこめかみをピクリと動かしつつ……本日何度目か分からないため息をついて頭をあげると、棒読みで返答する。
「ええ、両方ちゃんと使わせていただきました」
「本当に? 嬉しいな。ユカちゃんはきっと喜んでくれるって信じてたよ」
「そりゃあもう喜んでましたよ……ただ、後片付けがとても大変でした。二度と自宅ではやりません」
何かを思い出した政宗が疲れた声でため息をついた。そして、聖人を苦々しい表情で睨む。
「……どうしてあんなものを、俺に渡したんですか?」
「さっきも言ったけど、政宗君は一種の麻痺状態だったからね。よくあるんだよ、こういうことは」
そんな彼に聖人はバインダーをボールペンで叩きながら……これ以上自分に火の粉が飛んでこないよう、再び話を強引に変えて、今後の方針を提案することにした。
「とりあえず……ケッカちゃんは要観察だね。記憶の忘却なんて、いつ、どんな引き金で爆発するのか分からないんだから。そのストレスの反動で、また『生命縁』に異常が生じたら……いや……むしろ……」
聖人はここまで言って言葉を切った。そして、更なる疑惑の目を向ける政宗に笑顔を返し、言葉を組み替える。
「とにかく今は、ケッカちゃんの様子に気をつけてあげないとダメだね。彼女の『生命縁』にどうして今回、こんな異常が発生したのかは……まだなんとも言えないんだ。恐らくは『縁故』の仕事から蓄積されたストレスも原因の1つだと思うけど、そろそろ彼女、何か道具をもたせたほうがいいと思うよ」
「そうですね……それは俺も考えてます。今回でさすがに懲りました」
今回のことは、ユカのキャパシティを過信した自分たちにも、やはり大きな原因があったと思っている。
政宗のハサミも壊れてしまったので、早急に、新しい相棒を探さなければならないのだ。まずはユカを改めて説得しなければ。
少し考え込む政宗に、聖人はバインダーを机上に裏返して置いてから、いつもの笑顔で問いかけた。
「その辺は任せるよ。他に何か、聞いておきたいことはないかな?」
そう言われた政宗は、一瞬躊躇ったが……意を決して、この質問をぶつけた。
「伊達先生は……ケッカの中から感情が消えている可能性を、どう考えますか?」
自分でどれだけ考えても分からない、考えれば考えるほど分からなくなる疑問点。
あれだけ自分を好きだと言ってくれたユカが、ケッカになるとその態度をおくびにも出さない……その理由について。
「政宗君に対する気持ちのことだね。逆に……政宗君は、どう思ってるのかな?」
聖人に尋ね返され、政宗は思わず口をつぐんだ。そして、少し考えてから……少し寂しそうに、ポツリと呟く。
「……忘れているんだと思います。今回のユカがそうだったように」
今回のことで、改めて実感した。
大切な人が、大切なことを忘れてしまっている、思い出が消えてしまっているのは……忘れた側も、忘れられた側も、とても、とても寂しい。
だから、政宗も時折……『今の』ユカにどう接すればいいのか、分からなくなることがある。
数日前、自分のことを好きだと言ってくれたユカは、もうどこにもいない。それは、今目の前にいるユカと話をしていて、その態度で、嫌になるほど察してしまうから。
目の前にいるのは……大好きだけど、大好きだと思われていない、これまで通り一方通行、過去の彼女を知らない彼女。
すっかり意気消沈してしまった政宗へ、聖人は頬杖をついてから……わざと視線をそらしつつ、こんな見解を示した。
「……確かに、表面的には忘れているんだろうけど……自分は、それだけだとは思っていないよ」
「え……?」
聖人の言葉に政宗が彼を見やる。彼は視線をそらしたまま、独り言のような口調で言葉を続けた。
「今のケッカちゃんの『生命縁』は回復していないから、今回みたいな物質が残っていた。ただ、彼女がこの物質に殺されることなく、この状態で10年間生き続けた理由が……彼女の体内でも『何か』が必死で、その物質と戦っていたことだとすれば……」
聖人はこう言って視線を動かし、優しい眼差しで政宗を見つめた。
「自分はそのことについて、例えば……具合が悪くなったときに、体の中で抗体がウィルスと戦う……みたいな印象を持っているんだ。常に総力戦で挑む必要があるその戦いには、とても膨大なパワーが必要になるから……体を最低限生かす以外のことに使える余力がないんじゃないかなってね」
「え……?」
「もっとはっきり言うと、政宗君を思い続ける力に回す余力がないんじゃないかな、と、伊達先生は考えたってわけ。だから、政宗君への思いを『忘れた』ことにして、総力戦で、『生命縁』から発生している物質を駆除し続けている。そうしないと、ケッカちゃんとして生きることも難しいんだろうね。まったく、我ながら何を非科学的なことを言っているんだと思うけれど……いやはや、『縁』の力は底が知れないというか、人間の手には余るというか……本当、凄いね」
呆然と話を聞くことしか出来ない政宗に、聖人が『もしもの可能性』を語る。
「ケッカちゃんが最初に苦しんだ時に、その物質が多く放出されて……彼女を本来の姿に戻した。ただ、体調の回復と共にその物質は再び体内に蓄積されていくよね。だけど、政宗君と一緒にいたユカちゃんは政宗君との繋がりにエネルギーを使ってしまって、物質の駆除を疎かにしてしまうことに気付いてしまった。だから……今回、彼女はまた、これまでの姿に戻ることを選んだんじゃないかな。いくら恋人同士になって楽しくても、自分が死んじゃったら元も子もないって……本能で、ちゃんと、分かっていたんだろうね」
政宗の目から、涙がこぼれた。
「もぉ……大人になったんやし、そげん泣かんでもよかやんね……あたしは……元に戻るだけなんやから」
あの時のユカの言葉が、脳裏に蘇る。
きっと頑張りやの『彼女』は今でも、『山本結果』の中で、彼女を生かすために戦っているんだろう。
政宗への思いを押し込めて……誰にも気づかれず、1人きりで。
全ては、政宗と、統治と――これまで出会ってきた全ての仲間と共に、この世界で生きていくために。
彼女はまた、1人になることを選んだ。
……この状況が、選ばせてしまった。
「何だよ、ユカ……結局1人で……!!」
政宗は震える声で、彼女の名前を呼んだ。
本当は呼びたくなかった。呼ぶと……すぐに思い出してしまうから。
また、抱きしめたくなってしまうから。
大好きだと言ってくれた彼女は、もういない。
彼の手を握って、笑顔を向けて、優しく「政宗」と呼んでくれた彼女を……繋ぎ止めることが出来なかった。
情けない。
また、『彼女』を1人にしてしまっている、そんな自分が……とても、情けなくて。
涙の落ちた手のひらを、見下ろす。
次の瞬間――左手の小指に糸が絡まって引っ張られたような、そんな感覚があった。
「あ……」
政宗は左手の指先に視線を向けた。当然ながら壁になっていて、その先を見ることは出来ないけれど。
でも――確実に繋がっていることは、誰よりも彼自身がよく理解している。
そして、ユカの言葉が、心の中で響いた。
「この『縁』が繋がってる限り、消えることはなかよ。『ケッカ』の中にもきっと、あたしと同じ……『好き』って気持ちが、必ずあるはず」
そんなの、あるに決まってるじゃないか。
政宗は口元に笑顔を浮かべると、当然の結論にたどり着くのだ。
だって、ケッカは――ユカなんだから。
「……伊達先生、よく、そんなことに思い至りますね」
政宗はズボンのポケットからハンカチを取り出すと、目尻を抑えて涙を拭いた。
そんな政宗に、聖人は過去のユカの発言を引き合いに出す。
「ケッカちゃんと初めて会った時に……本人が『恋愛をする余裕なんてない』って言っていたからね。だから、本当に余裕がないんじゃないかって思っただけだよ」
「そうですか……でも、これで分かりました」
ハンカチを握った政宗は、呼吸を整えて――聖人を力強く、真っ直ぐに見据えた。
やるべきことが、また、明確になった。
ユカの『生命縁』を正常な状態に戻し、彼女の体を脅かしている物質の発生を止めること。
そして……彼女の中で犠牲となり、忘れられている『ユカ』を、解放すること。
「俺……絶対にユカを助けます。だからこれからも、宜しくお願いします」
そう言って頭を下げる政宗に、聖人は一度、いつも通りの笑みで首肯した。
その後、簡単に今後の打ち合わせを終えたところで……聖人が、白衣の内ポケットから、一通の手紙を取り出した。
「これ、彩衣さんから預かっていたんだけど……ユカちゃんから政宗君に、って」
「あ、これが……」
政宗は特に驚く様子もなく、「ありがとうございます」と白い封筒を受け取った。その反応が、聖人にはあまり面白くなかった様子。
「政宗君……もしかして、知ってた?」
「えぇ、まぁ。統治宛のものもありますよね。預かりましょうか?」
「そうだね、じゃあ……お願いしようかな」
聖人が再び白衣の内ポケットに手を入れて、統治宛の封筒を手渡す。2通を自分のカバンに入れる政宗に、聖人がニヤニヤした表情でこんなことを言った。
「ちなみに、自分宛ての手紙には……なんて書いてあったと思う?」
「はい? 知りませんよそんなこと。おおかた、伊達先生ありがとうございましたーとか、そういうことでしょう?」
適当に返答する政宗に、聖人が「つれないなー」とわざとため息をつく。
「まぁ確かにそれもあったけど……政宗君のこと、宜しくって」
「え……」
「君は1人で頑張りすぎることがあるから、その時は止めてくれって書いてあったよ。本当に君たちは……お互いのために頑張りすぎなんじゃないのかな」
そう言って肩をすくめる聖人に、政宗は脳内で「ユカにだけは言われなくない」と愚痴を残しておく。
今は口に出さない。いつか直接、本人に伝えなければならないから。
いつも通りの表情で、カバンの中身を整理している政宗に、聖人はいつも通りの口調で、こんなことを言ってのけるのだ。
「自分はちゃんとその言葉を守って、ユカちゃんに怒られないように政宗君を監視しつつ……ぼちぼち、生きていくからね」
伊達先生の解説大会です。分かりづらかったらスイマセン……最後の結論だけ覚えていてもらえれば大丈夫です、ハイ。
ちなみに『縁由』については、動画で素晴らしく解説してもらいましたので、復習としてどうぞ!!(https://www.youtube.com/watch?v=hOd1iSSY4D8)
要するにユカの『生命縁』はずっと具合が悪くて、ポコポコウィルスを出して彼女の体を脅かそうとしているので、ユカさんが魔法少女に変身してウィルスを駆除している、ユカさんはウィルス駆除で忙しいから、政宗に構っている暇などないのです。このウィルス駆除という仕事がなくなれば、ユカの中に余裕が生まれて、抑制されているものも解放されて、政宗大好きだよになれるんしゃないかと思いますぜ。「今は恋愛にうつつを抜かすな!! 目の前の仕事をしろ!!」的な? 要するに、今のユカと同じなのです。
余談ですが、今回表に出てきたユカに10年間の蓄積がなかったのは、記憶は体内の別部署なので、横の連携が上手くとれてなかった、記憶フォルダが上手く紐付いてなかったんだー……とか思ってます。
ちなみに伊達先生が言っていたユカの発言は、『エンコサイヨウ エピソード7:その男、伊達男につき。④』の一文です。(http://ncode.syosetu.com/n7211cv/31/)
「それはさておき、正直、あとどれくらい生きられるのかも分からんあたしに、恋愛をする余裕なんてなかですよー。それに……万が一、億が一、兆が一、やけど……あたしがどちらかに想いを寄せていた場合、告白された方は過去の罪悪感から断れんと思う。それはあたしも不本意やけんね。だから、まずは自分の問題を解決する、それまでは……他人を自分以上に気にかけることなんか、出来んよ」
「なるほど……今、割と面白い解釈が出来る告白をしたよねケッカちゃん」




