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判明~そして

「あらら、こりゃまた意外な人が……」

 B4サイズの封筒から写真を取り出して眺める小野木が感嘆の声を上げた。 

「最初に派手に社内を闊歩してしまいましたからね、奴もなかなか尻尾を出してくれず苦労しました。こっちが日進設計の佐藤です」

 そういってカジが写真の男を指差す。隣に写る男は営業課長の成瀬だった。

「こうゆうのに現場の人間が関わることはないと思ったんだ。佐藤も営業畑の人間だし図面だけ渡されても、その価値がわかんねえんじゃないかな。そうするとそれを役立てようとする誰かが確認してからの報酬――つまり後払いだ。俺達が動き出したのを知ったら慌てて褒美の回収に走るんじゃないかと思ったんだよ。しかしこの写真だけだと飲み友達だとでも言い訳されるかも知れないな」

「そこは小野木さんお得意のブラフで締め上げてやって下さい」

 カジが口の端だけを上げて笑った。

「俺はハッタリ専門かよ」

 小野木が口元を歪めた。

「そうは言ってません、二年前の参議とのやり取りを祐二から聞きました。弁の立つ小野木さんならではでしょう。褒め言葉のつもりです」

「ちぇっ、そうは聞こえないな。メールの送信履歴は?」

「その程度の知恵はあったようですね。キレイに削除されていたそうです。ですが流出のルートが佐藤なのと日進設計とゼルダー社の繋がりは公然の事実です。成瀬もそんな言い訳が通用するとは思ってはいないでしょう。念のためにこちらを」

 カジがイヤフォンを淳一に手渡しボールペンのクリップ部分を押した。

 

――だから、こんなものは使い物にならないって言われたんだ。あんた、あの記者発表知ってるんだろ? この程度なら、うちの若いのでも思いつくって。ギアボックスのサイズを抑えるどころか、機能すら怪しいとまで言われたんだぞ。あんたんとこはアイソメ図と本図面はまるっきり別物なのか――

――約束が違うじゃないか、アイソメ図でも二本出すって言っただろう――

――そういうなら本図面を持ってきてくれ。それを材料に先方に交渉するから――

――管理が厳重で現場に下りたものは持ちだせない。だったらアイソメ図でいいといったのは佐藤さん、あんただろう――

――大きな声で名前を呼ぶなよ――


「さすがはカジさんだ、完璧だな」

 イヤフォンを外す小野木にカジが無言で頷く。

「そっかあ……俺はてっきり伊藤部長かと思ってたんだけどな、あの人は反社長派だったし」

「小野木さんが言ったんでしょう、怪しいヤツほど犯人ではない。それがミステリーの鉄則だって」

「違いねえ。ただ、これ裕之……常務が取ってきた仕事だって斎藤は言ってたよな? その常務にべったりの成瀬課長が犯人だとすると、あいつの立場も悪くなる。いや、あいつがどうなろうと知ったことじゃねえけど、社長が……」

 言いかけた言葉を切ると、宙に彷徨わせた視線をカジに戻す。

「で、図面は?」

「こちらです、祐二が拝借してきました」

 そういって別の封筒を鞄から取り出す。拝借か……祐二のヤツ、佐藤の家に忍び込んだな。眉をひそめた淳一の思いを汲み取ったカジが先回りして言った。

「堅いことはいいっこなしです。そもそも何の捜査権限もない我々なんです。証拠を掴むためには、多少の違法行為にも目を瞑ってもらわないと。あの図面は使い物にならないようですし、ああいったゼルダー社の発表もあった訳ですから先方にコピーが届いているのでしょう。被害届を出すこともないんじゃないですか? 自分の首を絞めようなことはしないと思います」

「うん、カジさんのやり方に口を出すつもりはないけど、あいつは紗江子の従兄…いや、いい。忘れてくれ。で、成瀬は幾らもらったんかな?」

「コンスキタドールがやっと買える程度のバンス――前金だけみたいですね。佐藤はそれも返せって口ぶりでしたが」

「ふうん、そんな端金で魂まで売っちまうもんかねえ」

「タイミングですね。欲しい物があり、手に入れるための材料がそこにある。それに手を伸ばすか伸ばさないかだけですよ、人間なんて」

「そうなのかもなぁ……あれ?」

 図面を眺めていた淳一の言葉が止まる。

「どうかしましたか?」

「いや、ちょっと気になることが――おい、板橋は居るか?」

 二年ぶりにじっくりと眺める図面ではあったが淳一の中に奇妙な感覚が生まれていた。熱心に二人の話を聞き入っていた斎藤に声をかける。

「検査課の板橋係長っすか? 居ると思いますけど図面を見せるんなら設計の連中の方がいいんじゃないすか?」

「木を見て森を見ない連中じゃ意味がねえんだよ。いいから早く板橋を呼べ」

 

「なっ? 変だろう」

「これが例の図面か、きったねえアイソメ図だな。こんなもんに仕上げ記号や寸法を書き込むんじゃねえよ。打ち合わせ途中だったのか?」

「そうらしい」

 手早く電卓を叩きながら板橋が毒づく。

「リダクションギアか、確かにこれが実現可能なら、ギアボックスのサイズは格段に小さく出来るだろうが夢物語だな。こんなもん製品化したら一時間ともたずにバックラッシュが倍に、いや、三倍になっちまうだろうよ。盗用する方もプロなんだからちょっと見れば強度不足は明らかだ、日置が笑うはずだな。しかしこんな風に耐久性も考えず、効率のみを追及したギアを作ろうってのは常務か? 俺達にも飯も食わずクソもせずの歯車みたいになれっていうんだろうな。ふざけやがって」

 言葉通りの感情でもないのか、諦観しているのか、板橋の顔には薄ら笑いすらある。

「バックラッシュがどうなるとかまでは俺にはわからん。ただリダクションギアでこの歯形状や肉厚はないだろうと思ったんだ。それでお前に見てもらおうと思ってな。呼びつけてすまん、なるべく人目に触れさせたくないんだ」

「構わねえさ。しかしど素人のお前がよく気づいたな」

 板橋は小野木をからかうように言った。

「ばかやろう、俺はいつかは現場に戻れると思って日夜勉強を欠かさなかったんだ」

 ええと、三年前までは。後半は言葉にせず心の中で唱えた。

「褒めてやろう、確かにこれは構想設計なんてもんじゃない。夢想設計、若しくは妄想設計ってとこだな」

 板橋はにこやかな目になって、小野木の頭を撫でる真似をした。

「あのお、このギアのどこが駄目なんすか?」

 おずおずと口を開く斎藤に、板橋が訝しげな目を向ける。

「ギア単体で考えれば悪くない。理想的とも言えるかも知れないが……ええと、誰だ、こいつは」

「総務の斎藤ってんだ、俺の後釜だよ」

「そうか、じゃあお前にも分かるように説明してやろう。ここに0.1ミリのずれもなく切り揃えた豆腐があるとする」

「冷や奴なら食いたいっす、そろそろ昼飯時ですし」

「馬鹿野郎っ! たとえ話だ」

 斎藤はビクッとして首をすくめる。

「そして、こっちには多少寸法はずれてるが煉瓦がある、お前ならどっちで壁を作る?」

 なんだ食う話じゃないのかと思いつつも、そんなことぐらい分かるさと、斎藤は胸を張って答えた。

「そりゃあ煉瓦に決まってるっす、豆腐じゃあ猫が乗っても崩れちゃうじゃないっすか」

「それと同じだ。単体では理想的に見えても、使う場所によっちゃあクソの役に立たないってこった」

 クソが多い人だな、小野木の同期は口の悪い男ばかりなのか。しかし木を見て森を見ないって意味はわかったぞ。確かに何の部品だか知らされないまま、パソコンに向かって図面を引いてるだけの連中では、機械製品として組み合わされた時の不備までは気づかないかも知れない。見るともなく図面に目をやった斎藤が首を傾げて呟いた。

「あれ? 俺、これと同じの見たことあるっす」

「そんな訳ねえだろ、接客室からなくなったってんだから。設計の連中ですら目にしてねえんだぞ」

 図面を取り上げようとする小野木を手を上げて制し、まじまじと見つめる。

「いや、でも確かにこんなだった。ちょっと待って下さい」

 そう言うと斎藤はバタバタと駆け出していった。

 

「ほら、これっす」

 食堂に戻った斎藤が、抱えた書類の束から一枚を抜き出して渡すと、先ほどの図面と照らし合わせていた小野木が目を剥いた。

「お前、これをどこで――」

「確かジュンさんちに行く前に、恵ちゃんにシュレッダーにかけておいてねって言われてデスクに持ち帰って、そん時かかってきた電話の用件を裏にメモったから捨てずに居たんす。処分しろって言われた書類ならいいだろうと思って」

「誰なんだ? その恵ちゃんてのは」

「常務の秘書っす。もしかすると俺、とんでもないもの抱え込んでたってことになるんすか? どうしよう」

 流出したはずの図面を持つことになってしまった斎藤は状況が理解出来ずにうろたえる。

「いや、お手柄かもしんねえぞ」

 二枚の図面を交互に眺めていた小野木は、カジさんちょっと、と席を離れ何事かひそひそと話し合う。

「どうかな?」

「突飛な発想にも思えますが、これが本当にそうなら、あり得る話ですね。調べてみましょう」

 カジは足早にドアを抜けて行った。

「もういいか? あの常務がきてからは就業時間中の小便にまで気を使わなきゃいけないんだ。戻るぞ」

 思案顔のまま椅子に腰を下ろす小野木に、板橋が言った。

 「おう、すまん。助かった。秋になったらでっかい梨を送ってやる」

 当てにしないで待ってるよと、ドアノブに手を掛けた板橋が小野木を振り返った。

 「あっ、そうだ」

 「ん? なんだ」

 「お前が十八年前に描いたハーモニックドライブな、あれ製品化されたぞ」

 「えっ、本当か?」

 「ああ、当時としてはオーバークオリティで見向きもされなかったが、電子制御ブレーキなんてものが登場してくれて陽の目を見たって感じだな。パシフィコの長尾部長が喜んでたぞ。」

 そうか、製品化されたか……北村さんはこんなロクでもないもの描きやがってとか言ってたけど、俺が先進的過ぎただけじゃねえか。小野木の顔は少年のような綻びを見せていた。

 

「どうするんすか? やっぱり成瀬課長が犯人なんでしょ。社長にいいつけるんすか?」

「いいつけるってのは何だ、お前は子供か」

「じゃあ、どう言えばいいんすか」

 斎藤はおちょぼ口を尖らせた。

「まあいい、常務は?」

「明日まで出張っす、また下川次長と打ち合わせだそうっす。明後日には出社するそうすけど……常務にも報告するんすか?」

 ソース、ソースって、お前はお好み焼き屋か。そう言いたくなるのを堪え、小野木は皮肉っぽく言った。

「てめえが取ってきた仕事をオシャカにしたのが誰だか知りてえだろうよ」

「そりゃあ、そうだろうすけど、それまで課長は泳がせとくんすか?」

「俺達は警察じゃねえぞ、泳がすとか泳がさねえとかいうな。それに俺の勘が正しけりゃあ、課長はもう舞台を降りてる」

「え? どうゆう意味なんすか」

 小野木の言葉が理解出来ない斎藤は瞬きを繰り返す。

「カジさんが戻ればわかるさ」

 明後日か――カジさん次第だな。こっちは関係者にあたっとくか。小野木は頭の中で調査の段取りを考える。

「長谷川は?」

「営業っすからね、デスクに居なきゃ外回りに出てるかも知れないっす」

「じゃあ、俺は営業部覗いてから秘書課に行く。それから義兄んとこも顔を出してくる。今日はもう戻らねえから、お前はここで冷や奴でも食ってたらどうだ」

 小野木は先ほどの斎藤の発言を思い出して揶揄するように言った。正午を回った食堂には社員がちらほらと姿を現し始めている。

「なんか食う気が失せたっす。俺、怒られないすかね」

 お前のズボラが事件解決の糸口になるかも知れねえぞ。そう言ってやろうとしたが、斎藤の困る顔をもっと見ていたくなった小野木は「さあな」と素っ気なく一言だけ残し食堂を後にした。


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