斎藤、落ちる
「実はっすね――」
斎藤が話しだした途端、壁の時計に目をやった小野木が手を上げて制する。
「あ、ちょっと待て」
「何なんすか、一体」
勢い込んで話かけたところにストップをかけられ、斎藤は気勢を削がれたように息を漏らす。
「そろそろ小僧どもが来る時間だ。五分で終わる、話はその後だ」
小僧ども? 確か小野木には娘が二人いたはずだが、息子が居るという話は聞いていない。紗江子との死別に心を入れ替え非嫡出子でも引き取ったのだろうか、斎藤がそう訊ねるより早く玄関のドアが開いた。
「ちわーっす」
ジャージ姿の中学生と思しき少年が三人、玄関に姿を現す。
「おう、来たか。鶏舎の掃除は済ませたから今日は雑草引きだけでいい。それが済んだら正と誠はコースへ行ってろ。燃料は入れてある。乗るのはストレッチを充分にしてからだぞ。雄一郎はロードワークとロープだ。カジさんが戻るまではメニュー通りにやってろってさ」
「あいさー」声を揃えて叫ぶと、肩にかついでいた学生鞄を放りだした。駆け出してゆく少年達の背中を斎藤は見送る。
「何すか? あいつらは」
「ベガ農園丸の乗組員だ。これだけの果樹園と畑、鶏の世話までを俺とカジさんだけで出来る訳ねえだろ」
「アルバイトっすか?」
「いや、金は払わん。そうさな、言うなれば捕虜だ」
捕虜? 楽しそうに話す小野木だが、斎藤は彼が何を言っているのかさっぱり理解できないのか目をぱちくりさせる。
「説明するより見せた方が早いな、ついてこい」
斎藤の返事も待たずにログハウスを出る小野木を慌てて追いかけた。フェンスに囲まれた2メートル強ほどの高さの梨棚の下で、先ほどの少年達がしゃがみこんで草ひきをしていた。
「ようやく出荷出来そうに育つと、ああゆう小僧どもがフェンスを乗り越えて梨泥棒に来やがってな。ほら、低くなったあそこを乗り越えてくるんだ」
小野木が指差した所には、確かに中学生男子の体格なら乗り越えられそうに低くなった部分がある。
「高くすればいいじゃないっすか」
「それじゃあ乗組員が集まらない。いいから傍に行って見てみろ」
乗組員が集まらない? やはりこの男のいうことは訳がわからない。言われるままに低くなったフェンスに近づく。【梨泥棒はぶっ殺す】と樹脂製のパネルに物騒な言葉が書かれてあった。
「乗り越えてみろ、そこに脚立があるだろう」
一体、何をさせられるんだ。そう思いながらも斎藤は小野木の言葉に従った。
「これっすか? 乗り越えていいんすよね」
「おう、早くしろ」
小野木はにやにや笑っている。腰ぐらいの高さから斎藤は梨棚側へと飛び降りる。途端に地面が抜け落ちたような感覚になり、ニメートルほどの深さの穴に落ちて行った。
うわぁー 穴の底には安物のマットレスにでも詰められていそうな大小のスポンジが敷き詰められていた。斎藤が踏み抜いた土と一緒に穴を覆っていたと思われるブルーシートが降ってきた。
ぎゃはははは、と腹を抱えて笑いながら穴の上から見下ろす小野木に小年達も肩を並べて大笑いしていた。
「ジュンさ、この獲物はどうするん?」
ジャージに縫いつけた麻布だにはマジックで鈴木と書かれている。その少年が楽しげに言った。
「さあな、肉づきはいいけど不味そうだ。埋めて肥料にでもするか」
犬達には美味そうだといったではないか――いや、そんなことはどうでもいい。どうやらこの男、中学生と遊んでいるうちに知能程度まで中学生並みとなってしまったらしい。こんな男に例の件を頼んでも大丈夫なのだろうか? 斎藤は不安になった。
「いいから早く上げて下さいよ、もう。俺を騙すのがそんなに面白いんすか」
「騙す? 捕虜の意味と戦力確保の実演説明をしたんじゃねえか。こいつらも全員そうやって捕まえたんだ。言っとくがその穴を元に戻すのも大変なんだぞ」
だったら俺を落とさなきゃいいじゃないか。貼紙の文句といい中学生を落とし穴で捕まえて働かせることといい、相変わらずこの男はデタラメだな。頼み事さえなければ斎藤はいつかそんな不平を口にしていたはずだった。穴に垂らされた縄梯子に手を掛けようにも安定しない足場が邪魔をする。苦労して登りつめると洋服についた土を払い落しながら大きく息を吐く斎藤に、小野木が説明を続ける。
「学校に突き出すか、ここの仕事を手伝うかどっちがいいって訊いたら、こいつら働くっていってな」
「採算が合わない農園でバイト代を払えるんすか?」
「いや、タダ働きだ。その代わりに職業訓練をしてやってるんだ」
職業訓練? さっき小野木がいったコースとかロードワークとかがそうなのだろうか。
「別に小遣いには困ってねんだもん俺達。ジュンさ、カジさんはいつ戻るん?」
ジュンさと呼ばれているのか、その男は巡査とは正反対に位置するような男なんだぞ。斎藤は少年たちに教えてやりたくなった。
「何だ、ロードワークとロープじゃ不満か? シャドウでもやっとけよ、ミットぐらいなら俺でも受けてやれるぞ。お前よか二年長くやってんだから」
「年寄りの冷や水ってんだよ、そうゆうのを」
「なんだと? これを見てみろ」「遅いってば」
雄一郎と小野木はシャドゥボクシングを始めた。
「さっぱり分かんないっす」
肩をすくめる斎藤に小野木が言った。
「この二人にはバイクを――修理とモトクロスだな、それを教えてる。このぐらいのガキどもはすることがないから悪さに走る。ロックかスピード、どっちかを与えておけば大人しいもんだ」
「ガキってゆうなって。なあジュンさ、俺ギターも教わりたいんだってば」
名札に本田と書かれた少年が口を尖らせた。
「何度も言わすな、繊細な指使いが必要なギターと筋力の必要なモトクロスは両立しねえんだよ」
「ジュンさは、両方やってるじゃないか」
「だからどっちも大した腕前にはなってねえんだ。いいか、人は誰もが芸術家になれるんだ。先ずは自分が何に向いてるかを探せ。モトクロスに向いてないと分かったら、ギターでもベースでも教えてやらあ。それもだめならカジさんとこへ行け。それでもだめなら……」
「だめなら?」
少年たちが聞き返す。小野木は考え込むような表情になった。そして閃きも上手い引用も思いつかないと分かるとこう答えた。
「自分で探せ」
「何だよ、それ」
そういって三人は大きな声で笑った。
「ロードワークとかミットってのは何なんすか? ジュンさん、ボクシングなんかやってましたっけ」
「カジさんが教えてんだよ。しかし彼は全く得体が知れん。探偵に大工に車の修理にボクシングだとさ、それが今はひゃく……は差別用語だな。何ていえばいいんだ、こうゆうのは。農民か?」
小野木が訊ねると、少年達は再び大声で笑った。
「農民って、江戸時代じゃねんだから。農業従事者だろ」
あんたもこの農園も十分得体が知れないよ。斎藤はひとりごちた。
「で、何か気がつかねえか? こいつらを並べてみて」
得意げに語る小野木だったが、小生意気そうな少年達の顔をしげしげと見ても斎藤にピンとくるものはない。
「鈍い奴だな、お前も。ほれ、鈴木、本田、川崎 日本のオートバイメーカーじゃねえか」
小野木は斎藤の背中を叩いて心底楽しそうに笑う。
「これで山波とかゆうのが居れば完璧なんだがな、百歩譲って山田でもいいや」
「山田ならいるけど、あいつは来ないぜ。元市長だかの孫だってんで、お高くとまってやがるんだ。俺達なんかとは付き合えねえって、なあ」
正が誠に同意を求めるように顔を向ける。
「うん。山田のヤツ、弱っちいクセに金は持ってるから不良連中のボスになった気でいるんだ。おもしろくねえよな」
市長の孫――例の汚職事件の関係者か? 小野木は一瞬、過去に思いを馳せるような目をしたが、思い直すようにこういった。
「そう上手くはゆかねえか――まあ、お前らだけでも収穫だ。ほれ、手を動かせ。職業訓練の時間がなくなるぞ」
「あいさー」
少年達は作業に戻っていった。