荷物
小野木が井之口市に発って二日後、農園に大きな荷物が届いた。要冷蔵と書かれた洋菓子店の箱もある。両方共、カジ宛になっていた。配送伝票を受け取った正がガレージのカジを呼びに走った。
「機材のようだな、梱包を解いて母屋に運び込もう。段ボールは畳んで裏口に積んでおいてくれないか。こっちは、お前達への土産のようだ。小野木さんはまだ帰れないのかも知れないな」
「機材を買いに行っただけじゃないのかな? ここを離れたがらないジュンさなのに変だよな」
「うむ、あの人もずっとお前達のお守りで息抜きが必要になったのかも知れない。たまにはのんびりさせてあげよう」
カジが頬を緩める。ぎこちなくはあるが、彼の笑顔も様になりつつあった。
「すっげえ! マーシャルじゃん。ジュンさ張り込んだな。おっ、エフェクターはLINE6だ。欲しかったんだよなあ、これ」
「こっちはオレンジだぜ。いいのかな? 家売った金がどんどんなくなっちゃうんじゃないか」
機材を運び入れる役目はロック組だった。段ボールを畳んでいた正が、A4サイズの茶封筒が貼り付けられているのに気づいた。
「あれ? なんか入ってるよ。手紙みたいだな、これは何だ?」
「どれ?」カジが受け取って封筒を開いた。出てきた物はICレコーダと白い封筒だった。間宮美代子様へと表書きがある。それを後ろポケットに入れると、ICレコーダの再生ボタンを押した。山田少年とのやりとり、信一老人との会話が録音されていた。
――こんなとこだ。出来ればガキどもの居ないところで聞いてもらうといいんだが、まあ、どっちでもいいや。あいつ等もそろそろ世の中の仕組みってもが分かってもいいころだろうしな。
続いて録音されたらしい小野木の声が流れ出す。
――カジさん、急なことですまない。少し留守にしようと思う。期間はまだ分からない。相手がある用件なんだ。色々考えるところがあって姉からの電話で決心した。我儘を許して欲しい。農園と犬の世話は、あいつ等に頼んでおいたけど、手に負えないようなら犬達は妹に引き取りに行かせる。春になればワクチンの接種にフィラリアの薬にと、色々手間もかかる。カジさんの仕事に支障が出るようならそう言ってくれ。もし面倒を見てくれるなら、獣医の電話番号と診察券はベッド脇の引き出しにまとめてある。キャッシュカードも一緒に入ってるはずだ。農園の経費も含め、それで賄って欲しい。光熱費や水道料金は自動引き落としだから……おっと、これじゃあ家出する主婦みたいだな。
小野木の高笑いが数秒続いた。
――何か不便を感じたら義兄の自動車ディーラーに連絡を入れてくれ。週に一度、俺もそこに連絡を入れる。義兄の名刺を引き出しに入れといた。急用もそちらへ頼むよ。出来るだけ早く返事をする。変な里心を起こさないよう、携帯は置いてきた。注意深いカジさんなら気づいてるだろうな。紗江子の遺影とプラネタリウムだけは持ってきた。農園の予定は全てカジさんに任せる。ガキどもが卒業してちりぢりになれば受粉も土壌改良もカジさんひとりじゃとても無理だろう。一年休ませて土を肥やすってのもいいのかもな。おっと、素人考えはいけねえな。正と誠に相談してもらうとしよう。
ようやく根を下ろしかけた農園を後にするのだ。理由がどうあれ、よほど思い詰めてのことだったろう。しかしICレコーダーから流れ出る小野木の声には、緊迫感の欠片もなかった。ことさら感傷的になるのを嫌うあの人らしいな。カジがそんなことを考えていると、少年達へのメッセージが始まった。
――ガキどもへ。こんな時ぐらいちゃんと名前を呼べよ、と文句を言うお前らの顔が思い浮かぶ。落とし穴での出会いがああだったんだ。文句ゆうんじゃねえぞ。あ、尚は違うか……剛も網だったな。まあ、細かいことは言いっこなし。俺はしばらく留守にする。詳しい事情は聞くな、つーても、その手段もないだろうがな。ざまあ見やがれ。
「また、さまあみやがれかよ」
正の突っ込みに少年達全員が沸いた。
――お前らのお陰で収穫も無事終わったし、何かを育ててゆくことの楽しさもお前らに教わった。ありがとうな。留守にする期間がどのぐらいになるのかは、まだ分からないんだ。お前らの卒業式に間に合うといいんだが……まあ、あんなものは単なるセレモニーだ。風邪引いて休んだって大したこたあない。うちで鍛えたお前らが、そんなヤワだとも思っちゃいないがな。ええと、何を言おうとしてたんだ俺は。
いつもながらの淳一節に少年達の笑いがこぼれる。
――とにかく、そこに出入りしてる間は、農園と犬の面倒を宜しく頼む。俺が戻った時にジェリーとホリーが痩せこけてたら、どこに居ようと探し出してぶん殴るからな。
「ぶん殴るったって――」
声を上げかけた誠を雄一郎が手を上げて制した。メッセージはまだ終わっていない。
――雄一郎、ずいぶん大人っぽい口をきくようになってきたな。話しててお前が中学生であることを忘れる時がある。ボクシングも背丈も俺を上回りやがって、悔しいけど嬉しいぞ。カジさんは素晴らしいトレーナーだ。そしてお前の才能は素人の俺が見ても非凡なものがある。素人の俺がか……説得力ねえな。
再び、小野木の笑いが流れてくる。
――高校チャンプ程度で満足するなよ。そしてボクシングがこけても悲観するな。人生は幾度でもやり直しが利く。親との確執があっても、いつか互いに歩み寄り、理解を深められる日が来る。諦めるのも切り捨てるのも最後の最後まで取っておけ。執念深いって言葉は悪いばっかりとは限らない。粘りが勝利を生むことだってあるんだからな。ガキどものリーダーは間違いなくお前だ。カジさんが留守の時は、船長代理を宜しく頼む。
「こける前から、こけた後の心配してるぞジュンさのヤツ。縁起でもない」
正の指摘に雄一郎が微笑んで頷いた。
――正、お前も俺よりバイクが速くなりやがって。どいつもこいつも俺を乗り越えて行きやがる。ちきしょうめ。言っておくが俺の助言がなかったら、お前なんか未だにかおりちゃんと仲良くなれてなかったんだからな。覚えておけよ。あのバイクはやる。ウエアもブーツもな。だからって訳でもないが農園を頼む。まだまだカジさんも農業従事者として、いっちょまえとは言えないからな。みんなで相談して決めてくれ。お前らの決定に俺は何の文句をいわない。信頼してるぞ。
「また、ちきしょうめかよ。本当に口の悪いオヤジだな」
そう行った正の声は裏返っていた。
――誠、中南工業へは行けそうか? 親父が許してくれなかったらバイトしながら定時制に通うぐらいの根性見せてやれ。で、どうしてもダメだったら、また家出してここに住め。高校の授業料はカジさんからもらえ。そのぐらいの金は渡しておく。その代わり仕事をちゃんと手伝うんだぞ。そのための工具だ。あ、アバクロの恨みは忘れてねからな。
「執念深いヒゲオヤジだ」
流れ出る涙を拭おうともしない誠の声はかすれていた。
――ファットボーイはお前にやる。もちろん免許が取れたらの話だがな。あれはシートが低いから足の短いお前でも乗れるが、免許試験場のバイクはそうは行かねえぞ。もうちょい足を伸ばしておけ。お前が農園の仕事には一番詳しかったな。カジさんの力になってやってくれ。見えねえだろうけど、こっちじゃあ頭下げてんだぞ。裏切ったら容赦しねえからな。
「見えやしねえよ。ここへ来て頭下げろってえの。俺だって好きでこんな短い脚してるんじゃねえっつうの」
誠の声が震える。少年達の瞳は潤み、口はへの字に結ばれていた。
――尚人、良かったろう、ロックやってみて。火事ん時、お前も駆けつけてくれたんだったな、ありがとうよ。剛ともいいコンビになれたじゃねえか。山田のガキをいつまでも恨むな。そしていいドラムスを見つけろ。お前のルックスと腕前なら、こんなちっぽけな日本のロックシーンを席巻するぐらい訳ねえはずだぞ。レスポールとテリーはやる。アンプもエフェクターも、これと一緒に届くはずだ。言っとくが、あの虎目レスポはヴィンテージだからな。買おうったって簡単には手に入らねえんだぞ。焼けなくって良かった、大事にしろよ。それと……もし売れたらおふくろさんに楽をさせてやれ。女手一つでお前を育てることがどれほど大変なことかを、お前はわわかっちゃいない。
ICレコーダーに向かって何度も頷いて見せる尚人の目も涙で光っている。
――剛、お前だけだな。うちの農園に来る前から技術を持ってたのは。小便漏らしたのは忘れてやる。
ガハハハと下品な笑いを挟んで、小野木のメッセージは続いた。
――爺さんの件は気にするな。人と人とのコミュニュケーションなんて不完全なもんだ。行き違いがあるのは当たり前だ。お前は偉かったぞ。しょうもない交友関係を断ち切ったのも、尚人に頭を下げたのも、そう簡単に出来ることじゃない。つまんねえ意地を張り続けたいがために農園を空ける俺も見習わないといけねえな。尚とお前は最強タッグだ。ベーアンは張り込んでやったから、頂点を目指せ。
畏まった言葉を残したいのか、おほんおほんと小野木の咳払いが聞こえた。最後の言葉となるようだ。
――ベガ農園の乗組員全員に告ぐ。梨よりトマトより、一番の収穫はお前らの成長だ。こんな頼りない船長をよくぞ盛り立ててくれた。ありがとう。ここを旅立ってもベガ魂を忘れるんじゃねえぞ。俺とカジさんが見込んだお前らだ。どんな障害も当たってくだけろの精神で行け。今を一生懸命に生きろ。船長より……あ、追伸だ。手紙は美代ちゃんに渡してくれ。これに録音しといて、お前らに聞かれるのもこっぱずかしいし、あの女のこった、こういったじゃないとかいって、またやいやいと俺を非難する言質にもされかね……手紙も残るか――まあ、書いちゃったからいいや。
そこで唐突にメッセージは終わっていた。
「山の裏から滑り降りたらグランドの横に出る。まだ美代ちゃん学校に居るよな? 俺、届けてくる」
正が梨棚の赤いモトクロッサーに向かって駆け出す。
「おい、これ」
手紙を持たなかったのを思い出し、差し出すカジの手から受け取ると手の甲で何度も目をこすった。正の目は真っ赤になっていた。
「なんだよ――ジュンさ、帰ってこねえつもりかよ」
「二~三日留守にするみたいな口ぶりだったのに」
「だいたい、何をしに行ったんだよ」
「俺に聞いても分かる訳ないじゃん」
それぞれの想いを声にする少年達だったが、言葉通りの不平ではないようだ。涙を流している顔にも、そうでない顔にも清々しい笑顔がある。彼等の意見をカジが引き取った。
「あの人にはあの人の事情があるんだ。心配するな、ちゃんと戻ってくる。小野木さんはこの農園もお前達も好きでたまらないんだからな。帰ってきたあの人をがっかりさせないよう、残った私たちがしっかりしないといけない」
「新船長に敬礼っ」「あいさー」
雄一郎の号令で、少年達がカジに向かって気をつけの姿勢をとる。秋の夕暮れは早い。正が走り去った方向へと目を向ける彼等の顔を、夕焼けが赤く照らし出していた。




