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告白

 カジのホイッスルでステップを入れ替え、回転も逆にして雄一郎のシャドウが続く。最初こそぎこちなく見えたが、二ラウンド目には形になってくる。才能だな――時間が経つにつれ、生粋のサウスポーなのではないかと錯覚してしまうほどの自然さに小野木は感嘆の声を洩らした。

「スイッチヒッターにしようとしてるのか? 雄一郎を」

「ええ、よくお分かりで。スタイルが固まってしまう前に可能性のあることは試しておこうと思うんです。思った通りでした、長い腕は畳めばボディから顎までをガードする。天性のボディバランスはスイッチも違和感なく吸収してしまいそうです」

「カジさんの現役時代がそうだったろう。リアルタイムでは見てないけど、死んだ親父が大のボクシングファンでね。東洋太平洋タイトルを取った時のビデオがまだ実家にあるよ。雄一郎の左フックは、ダウンを奪ったシーンそのまま、スイッチはノーモーションの大砲のためだろう? まんまカジさんじゃないか」

「私はもう全て忘れましたよ」

 カジが遠い目をした。

「あ、気を悪くさせたなら、ごめん」

「いえ、そんなことはありません。こうして新しい才能に巡り合えた訳ですし、祐二もやっと一人前になってくれました。傍に居て目についたことをいちいち口にしていたのがあいつの成長の妨げになっていたようです。小野木さんの雄一郎達に対する接し方が参考になりました。私はここに来て良かったと思っています」

 小野木は照れくさそうにエヘヘと笑った。

「あ、そうだ。祐二のヤツ、結局じじいを告発しなかったんだな。あれだけ勢い込んでたのによく思い留まってくれたもんだ」

「それも、小野木さんのお陰ですよ」

「俺の? 今回は――いや、今回もだな、俺は何もしちゃあいないぜ」

「人を恨むことの虚しさに気付かせてあげたじゃないですか。紗江子さんの時も――失礼、あの事件でも、あなたは誰一人告発せず、ただ彼女を助けることしか頭になかった。祐二はそれを思い出したんですよ」

「いやあ、あの時はあの時で、他を考える余裕がなかっただけってのが本当のとこなんだけどな。まあいい、あいつが成長してくれたなら俺も嬉しい」

 他人の、それも一時は敵に回っていた人間の成長をも手放しで喜ぶ淳一の横顔を、カジは畏敬の念を抱いて見つめた。

「で、雄一郎はやっぱり羽鳥工業へ進ませるのかい?」

「ええ、あそこの指導者は優秀です。大山社長も私もあそこで鍛えられましたからね。先方も是非、見てみたいといってくれました。スポーツ推薦枠での入学も可能だそうです。午後からこいつを連れて行ってきます。たびたび留守にして申し訳ありません」

「気にしないでくれよ、そんなこと。カジさんはここに居なくても稼いでくれてんだし、こっちもうるさい女教師に例の件の説明を迫られてるんだ。俺が苛められるところを見られたくない。ちょうどいいや」

「ははは、小野木さんも女性には弱いらしい」

 小野木は微笑ましく雄一郎を眺めていた視線をカジに向ける。農園に来てからのカジが、ごく稀に笑顔らしきものを見せるようにはなっていることには気付いていたが、声を上げて笑う彼を初めて見た。何か胸に感じるものがあった。

 耳に馴染んだディーゼルエンジンの音とブレーキの軋み音が響く。戻って来たな、小野木は玄関を開けて美代子を迎えに出た。犬走りの先の落とし穴は、まだ口を開いたままになっている。

「おかえり――もとい、いらっしゃいだな。正と誠んちはどうだった?」

「ただいま――あ、こんにちはですね。もお、釣られちゃったじゃない」

 相変わらず中途半端にフランクな口調だった。

「御両親はそれほど思い詰めているのなら、もう一度話し合ってみるとおっしゃってくれました。思い通りにならないからって家出するのは容認出来ないけど、結果的にジュンさが正しかったことになるのかしら。私、自信なくしちゃうわ」

「どんなもんだい、って威張りたいとこだが、俺は運がいいだけだよ。いつもそれに助けられてる」

「その運も含めて今日こそは全部聞かせてもらいますからね。山田君のお宅にどう働きかけたのか、そもそもあなた方に何故そんなことができたのかを。適当な作り話は通用しないわよ、嘘もなし。納得するまで帰りませんからね」

「あはは、おっかねえな。俺は罪人か。長くなるぞ、また腹を鳴らさなくて済むようにどっかで飯でも食いながらにするか?」

「御心配なく、買い出しをしてきました。御馳走になってばかりじゃあ悪いから夕飯は私が作ってあげます。中華は好き?」

 頷く小野木に美代子は両手に持ったスーパーの手提げ袋を持ち上げて見せる。

「重いのよ、これ。いつまで私に持たせておくつもり?」

「持つよ、持ちゃいいんだろう」

 受け取った袋の中を覗いてみると〝肉入り麻婆豆腐の素〟〝羽根付き冷凍餃子〟と書かれた文字が見える。作ってあげますって、これ冷凍食品じゃねえか、と文句を言おうとしたが、目線が交わった美代子は「何か文句ある?」といった顔をしている。やれやれ、こんな女を嫁にもらう男は苦労するぞ。別に文句はねえよ。ダブルミーニングで小野木は首を振った。

 

「とは言ったものの、どこから話せばいいのやら。美代ちゃんの疑問を全部解いてやるには、端折って話す訳にも行かねえし……」

「時間はあります。夏休み中ですし、また行方不明の生徒でも出ない限り明日の予定は入れてありませんから」

 美代子は自分の発言を打ち消すように、慌てて言葉を継ぐ。

「泊まって行くって訳じゃありませんからね、誤解しないで下さい」

「そんなこたあ思っちゃいねえよ。俺の話の途中で怒り狂って帰るって言い出すんじゃねえかって方が心配なぐらいだ。ただな、俺以外の人のプライバシーは守ってやりたい。それと大掛かりな犯罪の話も出てくる。中には死んで罪を償った人も居るし、それを充分に悔いてる人も居る。ここでする話は君の胸の中だけに収めといてくれねえかな」

「分かりました」

 〝君〟ですって? そんな言葉も使えるのね、からかってやりたくなったが、偏屈な小野木のことだ。ヘソを曲げ、もう話さないとも言い出しかねない。今度は美代子が衝動を抑えた。

 小野木は話し始めた。かつて家庭を持ち妻と娘が居たこ、。自身の歪んだ倫理観で深く傷つけた女性の事、紗江子との出逢いと悲しい別れも全てを話した。敢えて伏せたのはカジが語りたがらない過去と、祐二の存在だけだった。

 時に過ぎた日々を懐かしむ目になり、時に涙で言葉を詰まらせ、ほぼ半生を語り尽くすような述懐だった。聞いていた美代子も共に怒り、涙し、笑いながら数時間に渡る小野木の独白を聞き終えた。

「ま、こんな感じだ。どこにでも転がってるような話だな。じじいの告発はしない。隠居の身だし被害者――亡くなった市議の家族も寛容になったみたいなんでな」

 その言葉が自嘲なのか謙遜なのかは分からなかったが、誰が聞いても平凡どころか波乱万丈であるとさえ言える内容だった。

「質問タイムはあり?」

「嘘も隠しもなく全部話したつもりだぞ。俺の人でなし時代から――いや、今もそう変わっちゃいねえけど」

 祐二の存在を隠したことに気付かれたのだろうか、小野木は少し身構えながら答えた。

「こう言われたことはない? あなたは不器用だって」

「手先は、自他共に認める不器用だ」

「そうじゃなく、あなたは人を真剣に愛しすぎるんじゃないのかな。女は愛する人の嘘に敏感よ。あなたが騙してたという人達も、きっと騙されてたふりをしていた、若しくは愛されていることだけは疑えなかったんじゃないのかしら」

「そのまんまを紗江子と、古い知り合いに言われたことがある」

「仕方ないわね」

 ふうと息を吐いて目線を落とす美代子の意図を掴めず、小野木は戸惑う。

「御家族の話、あなたが騙したといった女性の話、そして今朝も穴に落とされたこと。嫌いになれるかと思ったけどダメみたい」

 顔を上げた美代子は慈愛に満ちた目で小野木を見つめる。

「ええと、それって……」

 紗江子が告白で告げたのと同じ言葉を、知ってか知らずか小野木は口にしていた。

「ほんの数回あっただけだけど、あなたみたいな人は初めてよ。ガサツで乱暴で嘘つきで無神経で、悪戯っ子みたいだけど……」

「だけど?」

 ごくりと生唾を呑んだ小野木は次の句を待つ。 

「好きになっちゃったみたい」

 ゆっくりと向かいの席を立った美代子が小野木の隣に来て腰を下ろした。

「……ねえ」

「な、何だい?」

 まだ外は明るい。雄一郎がトレーニングをしているカジのログハウスまで距離はあったが、この女は声がデカイ。それに急に積極的になられても俺にも心の準備ってものがある。怖気づく小野木に上目遣いになった美代子が言った。

「あっちの椅子、ジュンさが作ったの? お尻が痛くてしょうがないわ。不器用ね」




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