横山の落胆
「はっ、義信君は私が無事保護しました。ええ、例の怪しげな農園で。え? しかし……はっ、先生がそうおっしゃるのでしたら」
怪しげだと、この野郎。俺の目の前でよくもぬけぬけと――喧嘩売ってるのか。「私が」だと? こいつらをふん捕まえたのは俺じゃねえか、嘘つきオヤジめ。横山の電話を聞く小野木は面白くない。
姿も見えない相手に、はっはっと答える度に頭まで下げてやがる。馬鹿じゃねえのか。お前に教師が務まるのが不思議だ。腹の中で並べ立てる悪口雑言は止まらないが、声に出さない程度の分別はあるようだ。しかし言葉にせずとも彼の不機嫌はオーラとなって横山に襲い掛からんばかりだった。
山田と中山は、誠が持って来たブランケットにくるまれたまま所在なさげに、しかし不貞腐れた表情は失わずに突っ立っている。美代子の「大丈夫? 怪我はない?」との問い掛けにも鬱陶しげに無言で首を振るだけだ。
「で、元市長さんはなんだって? 俺を訴えるとでも言ってたかい? 横山先生よお」
首を傾げながら携帯電話をポケットに収める横山に、挑発するかのように小野木が言った。
「いや、保護していただいた感謝を伝えてくれと……一体、どうなっているんだ」
半ば独り言のように呟く。訴訟でも起こし、この無礼でチンピラみたいな口を叩く男に思い知らせてくれるものと信じていた横山は、当てが外れたように悔しそうな顔をしていた。
「義信君、私が送って行くよ。ええと、君は……中山君だったかな。君も一緒でいいんだね? 間宮先生、君は本田と川崎の二人を送ってやってくれないか。あ、永田君も頼むよ」
美代子にそう言うと、横山は階段を昇ろうとしていた。俺には挨拶なしかよ、なんで不法侵入小僧は君つきで、正と誠は呼び捨てなんだ。一言――いや二言ほど文句を言ってやろうと歩を進めようとする小野木の腕を美代子が掴んだ。
「やめなさい。本当に困った人ね、あなたって人は」
「なんでさ? 猿用の罠にかかったお坊っちゃまを保護しただけだぜ。感謝状でも――」
「お黙りなさいっ! あなたが考えることぐらい、私にわからないとでも思ってるのっ」
わかってんならそう何度も穴に落ちねえだろうと言い返そうとしたが、どうやらそんな雰囲気でもなさそうだ。小野木は美代子の剣幕に気圧されていた。
「おっかねえ顔すんなよ。ナイフの件は証明出来たし、山田のじじいだって文句は言わねえみたいだぞ。それに十一も年上の俺にお黙りなさいってのはなんだよ」
少し抑えた声になってしまうのが悔しい。
「あなたが幾つだろうと、やってることはこの子達と変わりませんっ!」
ぴしりと言い放つ美代子に圧倒され、小野木はもごもごと口の中だけで愚痴る。農園組の少年達は楽しそうだった。ここでは王様気取りの小野木が叱られるところなど滅多に見られるものではない。三人は美代子の背後で小野木を指差し、声を上げずに笑った。
「あなた達も、あなた達です。御両親が心配してるのが分からないの? どこに居るかぐらい電話ででも伝えられたでしょうに」
向き直った美代子の怒りが少年達に飛び火する。正と誠が首をすくめた。
「だって、どこに居るか教えたら家出にならないじゃん。それに、中ノ原農林に行けっていうばかりで俺達の話なんか聞いてくれねんだぜ父ちゃんは。ジュンさの方がよっぽど物分かりがいいや」
それなりに正当な理由を持った抗議ではあった。
「それにしたって……」
「まあまあ、こんなところで立ち話もなんだ。こいつ等の家には連絡したんだろう? とりあえず部屋へ行こう。まだ朝飯前なんだよ俺達。小便たれの面倒も見てやんなきゃいけねえしな」
怒りの矛先が少年達に向き、難を逃れたと思った小野木の呑気な発言が美代子の怒りを再燃させたようだ。振り返るその顔に笑いを浮かべ、目には断固たる憤りをあらわしてみる。どう? 私は冷静に怒ることもできるのよ、と。
「ええ、それでは部屋でたっぷりとお説教させてもらうわ。聞きたいこともたくさんあります。この状況でよくお腹が空くものね」
しかし、そう言った途端に美代子の腹がグウと鳴った。
「何だ、美代ちゃんも朝飯前か」
状況を理解していないのは美代子の胃も同じだったようだ。羞恥と怒りがないまぜになって化けの皮が剥がれた。
「朝の四時に、この子達の家から連絡を受け、そのまま走り回ってたんです。食べてる暇なんかないわよっ!」
「なるほど、それでピリピリしてんのか。じゃあ一緒に食おう」
美代子の思惑など、何も理解していないかのように、気安く肩に手をかけてくる。
「結構ですっ」
大きな声を出して手を振り払うと、消化器官にスペースが出来たのかもう一度美代子の腹が鳴った。
「ええと、パンだけいただこうかしら」
「今日は農園の作業は休みにしとく。俺の車を貸すから飯が済んだら、こいつ等を送ってやったらどうだ? ついでに進路の事も美代ちゃんが口添えしてやってくんねえかな。お前はどうする?」
「俺は家出した訳じゃないから、いつもの通りトレーニングをしとくよ、カジさんは?」
「そろそろ戻ってくるんじゃねえかな。まあ、好きにしろ」
家出に拉致まがいな拘束にと、この田舎町では大事件といってもいいことがあったばかりなのに、小野木の口調にはこれっぽっちの緊張感も含まれていない。雄一郎と話す彼を美代子は唖然として見つめてしまった。
「お借りするわ。返す時に形が変わってても知らないから」
そう言って美代子が小野木の手から車のキーを奪い取る。まだ怒りの炎が鎮まってない様子の美代子を見るに至り、もしかしてアレか? そう考えた小野木はピッタリとフィットした美代子のパンツに目をやろうとする。
「違うわよっ!」
と、激しい口調で美代子が体を捻った。心を読まれたかのような言葉に小野木は委縮する。そのやり取りの意味が分からない少年達は、全員が不思議そうな顔をしていた。
四人掛けの食堂のテーブルには収まりきらず、リビングのまん中に車座になっての朝食だった。小野木のジャージを着て、円周上から少し下がってしゃがみこむ永田も黙々とパンを口に運んでいる。
「食ってるか?」
「……うん」
「なんだ、その蚊の泣くような返事は。誰もお前を殴ったりしやしねえから、腹一杯食え。そんで食ったら送ってもらえ。これも美味いぞ」
小野木はベーコンの乗った皿を永田の前に差し出す。
「……はい」
「ったく、元気のねえ小僧だな。永田だっけ、え……永田? お前、ひょっとして…」
「……?」
永田が顔を上げる。
「お前んち、じいい居るか?」
「去年死んだけど、居たよ」
「で、そのじじ――いや、じいさんはやっぱり市役所に勤めてたのか?」
亡くなった人を、じじいと呼ぶのは罰当たりだなと思い、小野木は言い直す。
「うん、そう聞いてるけど、何で?」
例の出納課長かな? 世間は狭いもんだ。自身の思考に沈み込み急に黙ってしまった小野木に、美代子を含めた全員が怪訝そうな視線を送っていた。




