Home alone in Vega
ギターの演奏に鶏を絞める時の様な声が混じる。正と誠は中で何が起きているのか不安になった。それでも勇気をふりしぼって玄関のドアを叩いた。
「ジュンさー、居るかあ」
玄関先で聞こえた声に、小野木はギターを弾く手を止める。ふと目をやった時計は十一時を回ったところだった。ドアを開けると坊主頭が二つ並んでいた。
「おう、マルガリータどもじゃねえか。どうした、こんな時間に」
小野木の声が少しかすれている。どうやら鶏の断末魔は小野木の歌声だったようだ。
「俺達、家出してきちゃったんだ。進路のことで親と喧嘩しちゃってさあ。誠は自動車の整備を覚えるために中南工業に行きたいし、俺は……」
正は少し照れくさそうにしたが思い切って口にする。
「かおりと同じ井之口市の高校に行きたいのに、農園の息子は中ノ原農林に行くに決まってるっていうんだよ。顔を真っ赤にして怒るんだぜ、信じられねえだろ」
「おっ! するてえと告白が上手く行きやがったな、ちきしょうめ。まあ、親ってのはそんなもんだ。俺がガキだった頃も、部屋を燃やしたり、神社の賽銭箱の鎖引きちぎって盗んできたぐらいで、したたか殴られたもんだ。そうやっていつも親は大したことでもないのに大騒ぎしやがる。いいぞ、泊めてやらあ」
いや、そんなことをすれば殴られて当然だろう。それに〝ちくしょうめ〟はどこにかかるんだ。二人はそう思ったが、淳一の機嫌を損ねて野宿する羽目になるのは願い下げだ。歯だけを見せて同意をあらわした。
「ジュンさ、何かベルが鳴ってるぜ」
正が浴室の戸を開けると、髪を乾かす小野木の半裸の背中が見える。
「早速かかったかな、パソコンを起動しておいてくれ」
小野木は振り向かず鏡越しに答えた。既に寝巻だか作業着だか分からなくなってしまったシャツを身に着けた淳一が居間に戻り、マウスを操作してカメラ画面に切り替える。「あれ、階段の方か?」そう呟きながら画面を切り替えると、こんもりした塊が映し出された。
「ひい、ふう、みい――大漁だ、三匹もかかってやがら。しかしハイテク全盛のこんな時代でも網や落とし穴ってのは有効なもんだな」
網? 猪は夏には出てこないだろう。猿でも捕まえたのかな? 正と誠がモニタを覗き込むと、緑色の背景に網の中でもがく人影が目に入った。
「あ、山田と永田じゃねえか、こいつは誰だ?」
「むそう網猟なんか、よく知ってたな。うちのじいちゃんが猪猟に使ってたけど。で、どうすんだ? こいつら」
二人は口々に感想を述べる。
先ずは気付かなかったことにして一晩放置しておく。本当は映画みたいに仕掛けを踏んだら、こうブワッと網ごと吊り上げられるのが欲しかったんだけど、売ってなくってな――こんなチンケな罠になっちまったんだ」
小野木は心底残念そうな顔をした。
「朝までって、また、山田がうるさいこと言いださねえかな」
「不法侵入だぞ、そいつ等は。しかも、ほれ。そいつ見てみろ」
小野木が指差すモニタにはナイフを取り出して網を切り裂こうとする中山が映っていた。
「あんなもん持ってるぐらいなんだから警察に突き出してもいいぐらいだ。朝まで放っておけば、そのうち小便漏らすヤツも居て仲間割れを始める。排除すべき相手が集団の場合、まずは分断してからってのがセオリーなんだ。ま、俺に任せとけ」
「あれ? こいつ、こないだ雄にのされた中山先輩とかゆうヤツだぜ。仕返しにきたのかな? やばいじゃん雄もカジさんも居ないのに」
網を切り裂こうとしている少年の髪がモニタに白く映る。金髪にでも染めているのだろう。
「お前ら、俺じゃあ頼りにならねえってえのか? あんなガキどもの二人や三人……いや、三人はキツイかな。まあ、見てろ。あの網はカーボンケブラーって素材でな。なんせ猪の牙でも裂けねえってんだから、そんじょそこらのナイフじゃあ切れやしねえ。刃が欠けるのが関の山だ」
「ほんとだ」
音声はなくてもポキリと折れる音が聞こえるほど見事にナイフの刃が折れるシーンが映し出されていた。思うように体が動かせない網の中で、さかんに口を開く三人は互いに罵り合ってるかのようにも見えた。
「夜なのに、よく見えるもんだなこれ。でも、目が赤いのがゾンビみたいでおっかないけど」
「ノクトビジョンっていってな、いわゆる暗視カメラだ。ハイテクとレトロをこんな風に融合させるのは俺ぐらいのもんだぞ」
小野木が自慢気に胸を張る。
「さあ、もう寝ろ。野営ベッドとブランケットのあるところは知ってるな。よしんば奴等が網を抜けたとしても仕掛けはまだまだある。お前らがかかってちゃ笑えねえから、今夜は外へ出るなよ」
そう言うと小野木は意味ありげに笑った。
「出来たのか? あれも」
「おうよ」
正は小学生の頃にテレビで観たホーム・アローンという映画を思い出していた。子供みたいなイタズラに大真面目に取り組む小野木は、いつも楽しげだった。
けたたましい音に目覚まし時計を何度も押すがベルは止まない。なんだ、こっちかと小野木は携帯電話を手に取った。
「ふぁい」
不機嫌そうな声で応答する。カーテン越しに朝日が射しこんでいる。時計は午前五時を指していた。
――間宮です。朝早くに申し訳ありません。うちの生徒が昨夜から数名行方不明になっているようなんです。本田君と川崎君、そちらに伺っていません?
「あいつらなら居るぞ、親父と喧嘩して家出してきたっていってたな」
――本当ですか? 良かったあ。
二人は見つかりました。山田君と永田君は、ここではないと思います。電話の向こうで、誰かと話しているのが聞こえる。
――すぐ行きます。二人を逃がさないで下さいね。
「逃がすとか逃がさねえとか穏やかじゃねえな。心配しなくても、こいつらはどこも行きやしねえよ。で、その他の奴等ってのは誰なんだ? ヤマ――」
――ごめんなさい、急いでるんで話はそちらへ伺ってから。
電話は切れた。ま、いっか、来るって言ってたし。小野木は階下におりるとパソコンを起動させ、カメラ画面を映し出した。もがき疲れて眠ったのか昨夜かかった獲物は動かなくなっていた。
おはよう、ジュンさ。あいつらはあのまんまか?」
物音に目覚めた正が体を起こして訊ねる。
「ああ、そうみたいだな。三匹だとさすがに重い。こうやって棒に吊るして運びたいんだが無理だろうなあ」
イメージ通りの罠を探せなくて悔しがった昨夜同様、小野木は思い切り残念そうな顔をする。叱られた子供がしょげかえった時のようだ。大人なんだか子供なんだか分かりゃしねえな。正はそんな小野木を呆れて見ていた。
まだ起きない誠をそのままに、洗面台に並んで歯を磨きながら正が訊ねた。
「ジュンさは、あいつらをどうするつもりなんだ? 俺達みたいに働かせるんか?」
「人手はお前らだけで充分間に合ってるしな。すっぱだかにひん剥いて国道に放り出すってのはどうだ? 不法侵入の罰として」
「面白そうだけど、山田のうちはうるさいからなあ。二年の時、あいつにチョーク投げつけた先生が居て、クビにされちゃったんだぜ」
その時、玄関先で キャー と聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。玄関に駆け寄った正がドアを開けると、犬走りの向こうに大きな穴が口を開けている。
「大成功だ」
「もう来たのか? 今回は美代ちゃんを落とす予定じゃなかったんだけど――ま、動作は確かめられたしヨシとするか。お前らが家出なんかするもんで探しにきたみたいだぞ。早く上げてやらねえと、またヒステリーを起こす」
言葉の割には急いだ様子もなく、小野木は押取刀で穴に近づいて行った。
「悪い。さっき言おうとしたんだけど、途中で電話を切っちゃったろう? こんな早く来るとは思わなかったんだよ。わかってたらスイッチを切っておくつもりだった。でもすげえだろ、これ。梨棚のとは違って蝶番式だから元通りにするのも簡単だし。オン・オフもワンタッチなんだぞ。あ、今日はズボンか、残念だな」
(今更、スカートだろうがズボンだろうが、この前散々中身を見たでしょうに)
正の顔がひょっこりと小野木の肩越しに顔を出し、美代子は別の言葉を選んだ。
「穴の説明なんていいから、早く上げて下さいっ」
「でけえ声だな相変わらず。誰だ? そいつは」
小野木は美代子の下敷きになった白髪交じりの頭を指差す。でかい声――そのキーワードに美代子は顔を赤くした。
「やっべえ、横山じゃん」
遅れて駆けつけた誠が、美代子の代わりに小野木に告げた。
「生徒指導だかのか? 何でそいつがうちに来るんだよ? まあいい、縄梯子持ってきてやれ」
そう二人に告げると、小野木は穴に背を向けて携帯電話のフリップを開く。
「あ、カジさんか。朝早くにすまない。そっちの守備は?」
――信一との交渉は昨夜完了しています。ところが、言って聞かせる予定の孫が行方不明らしく気が気でない様子でした。それとナイフの方なんですが、入手経路の割り出しに手間取っています。どうやら中山本人が買ったものではないらしく――
「御苦労さん。ガキの行方とナイフの件は、こっちで片付きそうだよ。どうやら俺には天使がついてるみたいだ」
状況を早口で伝えて話を切り上げにんまりとして振り返ると、穴から這い出た美代子が凄い形相で睨みつけていた。
「こいつらか?」
人の気配に網の中の三人が目を覚ます。雄一郎も揃い農園組と教師を含む六人が、階段の中ほどで網にかかった少年達を見下ろしている。小野木の予想通り一人の股間が湿っておりアンモニア臭が立ち昇った。他の二人は狭い網の中で出来るだけ距離をとろうと努力していたようだ。
「そうです、早く出してあげないと」
「おっと、まだ手をつけるな。その金髪小僧の横に転がってるのが何だか分かるか? ナイフの刃のように見えないか」
網の隙間から乱暴に中山のポケットを探り、折れた刃が一センチ程残るナイフの柄を取り出した。
「じたばたするんじゃねえよ、往生際の悪いガキだな」
暴れる中山を蹴り飛ばそうとしたが、美代子と横山の存在を思い出して小野木は諦める。折れた刃と柄に残った部分を突き合わせる。当然の如くぴたりと合わさった。
「どうだ、これを見てもまだ雄一郎がナイフを出したって言うのか? で、嘘つき山田はどいつだ」
小野木は網の中でひっと首をすくめる少年に目をとめた。
「お前か、なるほど小狡そうなツラしてやがら。不法侵入の罰は何にしてやろうかな」
手を伸ばそうとする淳一に怯えながらも、少年は背一杯の強がりを見せる。
「近寄るなっ! うちのお爺ちゃんは元市長でお父さんは市役所の学校教育課にいるんだぞ。こんなことしてただで済むと思うなよ」
「それがどうした。俺にはそんなもん通用しねえぞ。だいたい、じじいがどうの親父がどうのとハナから備わってるようなもんを自慢するんじゃねえよ、みっともねえ。お前が努力して手に入れたもんはないのか。男ならそれで勝負してみろい」
子供相手だろうが、役人相手だろうが権力を振りかざそうとする行為にはすぐムキになる小野木だった。頭でも踏みつけてやろうかと足を持ち上げるが、再び教師の存在に気付いて思い留まり、ちぇっと舌打ちをする。彼の逡巡が手に取るように分かる農園組の三人は笑いを堪えるのに必死になっていた。
「君い、少年をこんなふうに拘束してはいかんよ」
横山が言った。五十がらみでしかめっ面をした男だ。美代子はむそう網の仕組みが分からず、苦労しながら中の三人を出してやろうとしていた。
「拘束? 畑を荒らしにくる猿用の罠にこいつ等がひっかかって、俺は朝まで気づかなかった。そんだけのことだぜ。しかもナイフまで持ってやがる。ここいらじゃあ、中学生の強盗でも流行ってるのか? こわやこわや。ところであんた専門は?」
「何の関係があるのかは知らんが現国だよ」
あのスケベ担任と同じか、俺は殴られなかったが同級生の恨みをこいつに晴らしてやったら、どこかで誰かが幸せになるんじゃねえかな。小野木の脳裏にバタフライエフェクトが浮かんだ。
「だったら言っておく。俺はあんたより若いかも知れないが部下じゃない。君って呼び方は不愉快だ」
横山は苦い顔になる。
「しかし不法侵入だろうと、中学生相手にこれはやり過ぎだろう。御家族が黙っていないぞ」
「だあから、気付かなかったって言ってるじゃねえか。あんた、耳が遠いのか? 御家族ねえ――じゃあ電話してみればいい。可愛いお孫さんが心配で仕方ない元市長のじじいに、悪たれ二人と一緒に農園にナイフ片手に忍び込んでとっ捕まっているとでも言ってやれよ」
単に強がっているようにも思えない小野木の啖呵に農園組の少年達は期待を隠せない。胸の前で両手を握りしめていた。耳が遠いとまで言われた横山は、小野木に怒りの目を向けている。
「き……、あんたに言われなくとも連絡はする。私は警告したからな」
美代子に助け起こされ、不貞腐れた様子で立ち上がった山田が勢いを取り戻した。口角泡を飛ばさんばかりに噛みついてくる。
「おっさん、あんた、君って呼ばれて不愉快だって言ってたけ、俺のことはお前呼ばわりじゃねえか。どうかしてるんじゃねえか」
「俺か? 俺はいいんだ」
かつて付き合っていた女性の決め台詞を拝借して苦情を受け流す。こいつは便利だ、今後とも使わせていただくとしよう。小野木はほくそ笑んだ。
「それと、お前」
ジーンズの股間を濡らした永田を指差す。
「いくら夏でも小便漏らしたままじゃあ風邪引くぞ。風呂を沸かしてあるから入ってこい。おい、正と誠、連れてってやれ。ついでにブランケットを持ってきてくれ」
「ええー、こいつを?」
小野木の指示が不服そうな二人だったが、「早くしろ。武士の情けって言葉を知らねえのか」と時代がかかった文句で急かされ、泣きべそをかきそうな永田を連れ、渋々階段を上がって行った