捕獲
「こんなことしていいのかよ。俺たちはまだ中学生なんだぞ」
落とし穴の中から雄一郎が抗議の声をあげるが、見下ろす男は取り合わない。西日に照らし出された顔は三分の一がヒゲに覆われている。父親ぐらいの年齢だろうか、愉快そうに笑っている。
「あはは、三匹も捕まったぞ。どうする? こいつら」
梨棚に忍び込もうと低くなったフェンスを飛び越えた瞬間、地面が抜け落ちたのだった。底に敷き詰められた大小様々なスポンジが足元を不安定にし、立つことさえ覚束ない。それでも這い上がろうと必死にもがく三人を無表情に眺め、もう一人の男が答えた。
「学校に連絡しましょう」
「だとさ、お前ら今夜は親父から大目玉だな。だいたい、そこに書いてあるだろうが、梨泥棒はぶっ殺すって。殺されないだけでもありがたく思え。泥棒に人権なんざねえんだ。西中だな、クラスと名前を言ったら上げてやらあ」
ヒゲ男がフェンスを指差して言った。確かに、汚い手書きのプラカードが下がっていた。
「だから、止めとこうっていったんだよ。学校にいわれたら、すぐ家にも分かっちゃうぞ。どうする?」
一番、気の弱そうな坊主頭の川崎誠が泣きそうな顔になる。
「学校はいいけど、家は困る。この間、万引きで捕まった時も外出禁止にされたからな」
雄一郎が苦い顔になる。
「外出禁止ならまだいいよ。俺と誠んちはここと同業だからな。そんなに欲しいなら食わせてやる、ってなもんで飯のオカズにまで梨を出されそうだ。それにあのヒゲオヤジを見てみろ。小指がないぞ。ヤクザなんじゃないのか? 引き上げられた途端、ブスリなんてのは嫌だぜ」
本田正が情けなさそうに一重瞼の上の眉尻を下げた。
「なあに、ぐずぐずいってやがんだガキども。さっさとクラスと名前をいわねえか」
ヒゲ男が穴の上から一喝した。それでも三人はしばらくの間ひそひそと話し合っていたが、意見がまとまったようだ。雄一郎がおずおずと口を開いた。
「あのお、おじさん」
「なんだ、お前からか? ちゃっちゃとカンセイメイを名乗れ」
カンセイメイって何だ? ヒゲ男は戦争映画に出てくる鬼軍曹にでもなったつもりかとても楽しそうだった。
「そうじゃなくって学校にいうのは勘弁してもらえないかな、何でもするからさ。梨園でバイトした経験はあるんだ。こいつらは家が同業だし。収穫を手伝うってのはどうかな、人手は要るんだろ?」
「ほお、なかなか建設的な意見を出してくるじゃねえか。で、逃がしたらハイ、サヨウナラってヤツか? その手には乗らねえぞ」
「嘘はいわないって、俺は三年一組の鈴木雄一郎、こいつが本田正、こいつは川崎誠。名前を教えたんだから、約束を守らなかったらいつでも学校に言えばいいさ」
「よし、わかった。取引成立だ」
「え?」
「わかったっていったんだよ。ほれ、登れ」
そんな簡単に信じちゃうのか? 万引きを疑われた時、親ですら自分を信じてくれなかったのに――そう思いながらも雄一郎はヒゲ男が垂らした縄梯子に手をかけるとスルスルと登ってゆく。他の二人は不安定な足場と揺れる縄に苦労していた。
「ええと、お前とお前。正と誠か、漢字一文字ってのが簡単でいいや。家が同業だっていってたな」
「うん」
ヒゲ男は無表情男と顔を見合わせてにんまりと笑う。どこからか大きな犬がニ頭やってきて二人の脇に伏せた。「ラブラドールじゃん、可愛いなあ」犬好きの誠がすぐに傍によって背中を撫で始めた。得体の知れないヤオヤジ二人に捕まっている今のこの状況を、こいつは理解しているのか? 正は呆れた。
「実は俺もカジさん――この人のことだ。二人共、農業はド素人でな。近くの農園や農協であれこれ聞いてはみるんだが、上手く行かないことも多い。やっと使えそうなのが捕まった。今までも八人ほど捕まえたが靴屋の息子とか勤め人の息子とかばかりだったんだ。金を払えば文句はないだろうっていったクソガキはケツを蹴り飛ばしてやったぜ。お前ら、俺がバイク乗ってるところをずっと見てたろう」
梨棚があったろう北半分を潰し、地形を生かして短いオフロードコースが作られていた。軽快に跳ねまわるバイクを校舎の屋上から見ているだけでは物足りなくなり、ここに忍び込んでは三人で見ていたものだった。ヒゲ男は気づいていたようだ。罠だったのか――梨棚のフェンスにもたせかけられたバイクを眺め、正は舌打ちをした。
「農園を手伝うならモトクロスを教えてやろう。それが気に食わなきゃロックだ、エレキギターを教えてやる。部活はやってねえんだろ? こんな時間にフラフラしてるくらいだもんな」
「どっちも教えてくれるってのは? 俺んちも誠んちも代々梨農園だからきっとおじさん達より詳しいぜ。この棚は香水だろ? 手がかかるんだよ、こいつは」
騙されたことに収まらない正が取引を持ちかける。黒い方の犬の背中をおっかなびっくりで撫でてみた。手を置いた瞬間、目だけを正に向けたが、犬はされるがままにしている。大人相手だからってビビっちゃいない。犬は脅しにならないぞ、そう言いたげな目だった。
「ちぇっ、その歳で駆け引きしやがるのか。一度に両方は無理だが、いずれって条件でならいいぞ。で、どうする? やるのかやらねえのか、今更学校には言わねえから安心しろ。お前らの意志で決めろ」
「やるっ!」
そもそも、梨を盗みに来た訳ではない、ヒゲ男が乗りまわしていたバイクに触れてみたかったのだ。それどころか乗り方まで教えてくれるという。二人は即座に頷いた。
「そうか、じゃあ明日から来い。俺は小野木淳一ってんだ。で、お前んちは何を――」
「こいつは私に預からせてもらえませんか」
小野木が言い終わる前に、カジが雄一郎を差して言った。控えめな彼が自分から何かを要求するのは珍しい。理由を訊ねようとすると今度は雄一郎が声を発した。
「何させられるんだよ、俺は。俺だってモトクロスやりてんだよ」
処遇の決まらない不安を打ち消すかのように乱暴な口調で雄一郎は言った。正や誠ほど素直な少年ではないように見えたが、三人の意見をまとめていたのも、一番最初に口を開いたのも彼だった。少年達のリーダー格なのだろうとカジは判断した。
「ボクシングだ、嫌なら無理にとは言わんがな。お前の体型とさっき見せたボディバランスはボクサー向きだ」
広い肩幅に長い手足、縄梯子をすいすいと登ってきた鈴木の身のこなしにカジは興味を惹かれた。
「へえ、面白そうだな。いいよ、やっても」
喧嘩に強くなれる、万引きの罪を着せたあいつらに仕返しをしてやろう。ほくそ笑む雄一郎にカジが釘を刺した。
「喧嘩の道具にはさせんぞ、そう思っているのなら止めておけ」
図星を刺されギクッとしてカジを見返すと小野木が高らかに笑った。
「あはは、カジさんに腹芸は通用しねえぞ。その人は優秀な探偵でもあるんだからな」
農園で働いていてボクシングに探偵だと?俺の企みを即座に見抜いた洞察力は何なんだ。軽く混乱したが今は素直に従っておこう。雄一郎はそう考えた。
「わかった、喧嘩の道具にはしない」
「モノになるかならないかはお前次第だがな。素質はそれに胡坐をかいた者からすぐに逃げて行くものだ」
無表情の上、抑揚を感じさせない声で語る。
「じゃあ明日から来い。解散っ!」
小野木がにこやかに言い放つ。
「バイクにボクシングだろ? どんな格好してこればいいんだろうな」
期待に満ちた表情の誠が、誰にともなく呟いた。
「俺とカジさんが可愛い女の子に見えるか? デートに来るんじゃねえぞ、そのジャージでいい。働きが良けりゃこっちで必要な物は揃えてやらあ」
「わかった」
「返事は、あいさー、だ。お前らはベガ農園丸の乗組員だからな」
得体の知れない二人の男との新たな関係に、三人は弾む気持ちを隠しきれなくなっていた。
「あいさーっ!」
西陽が少年達の顔を赤く染めていた。