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第1話 ストラテジック・デッドマン「戦略的死者」

イタリアはシチリア、パレルモ郊外。嵐の夜。

崩れかけた修道院の地下聖堂には、不釣り合いなほど上質な硝煙の香りが漂っていた。

「……カガリ、逃げろ。これは命令だ。お前という『脳』を失えば、ルチアーノ・ファミリーは完全に終わる」

血溜まりの中で、老獅子ドン・ルチアーノが喘ぐ。彼の傍らで、カガリは膝をつくこともなく、汚れ一つないハンカチで自身の愛銃――ベレッタの銃身を拭っていた。

「その命令は聞けません、ドン。私はあなたのコンシリエーレ(相談役)だ。ボスの命をコストに計上するような逃亡は、私の美学が許さない」

「馬鹿者が……。お前は、数字にしか興味がない冷血漢だと思っていたが……」

カガリは懐から銀の懐中時計を取り出し、時刻を確認した。

「冷血なのは事実ですよ。ですから、計算したのです。今ここで私があなたを見捨てて生き延び、ファミリーを再建するコストと――私がここで盾となり、あなたを逃がし、あなたが残した基盤インフラを維持するコスト。……後者の方が、数百万ユーロほど利益率が高い」

「……嘘をつけ。お前は、私を……」

「お喋りが過ぎます」

カガリは冷たく、だが慈しむように微笑んだ。

追手の足音が聞こえる。カガリはルチアーノを秘密の脱出口へと押し込み、重い石扉を閉ざした。

「さようなら、ボス。……不出来なコンシリエーレを、お許しください」

直後、聖堂の扉が爆砕された。

十数人の武装集団がなだれ込む。カガリは愛銃を構え、踊るような足さばきで弾丸の嵐の中へと踏み出した。

(計算通りだ。私の命一つで、ファミリーは守られた……)

最後に胸を貫いた衝撃。視界が白く染まり、カガリの意識は暗闇に消えた。






(……熱い。いや、この感覚は……痒みか?)

カガリは目を開けた。

そこは硝煙の匂いではなく、腐った木材と安酒の、鼻を突くような悪臭が支配する空間だった。

「……っ、ぐ……」

起き上がろうとした瞬間、視界に異変が起きた。

網膜に直接、無数の「数字」と「表」が投影されている。

「……なんだ、このノイズは。視覚情報の欠損か?」

カガリは自分のこめかみを押さえ、混乱を鎮めようと深呼吸を繰り返した。だが、数字は消えない。それどころか、焦点が合うたびに情報の精度が増していく。

目の前にある、脚の折れた木製のテーブルを凝視する。


【鑑定:廃棄予定の長机】

・資産価値:銅貨3枚(薪としての価値)

・状態: 致命的な構造欠陥。

・特記事項:12時間以内に自重で崩壊するリスク 85%。


「……まさか、別世界への転生か?あるいは死後の地獄か。どちらにせよ、世界の全てが『帳簿』として表示されている。……フン、私らしい呪い(スキル)だ」

数分。カガリがその異常な状況を理性的、かつ実務的に「把握・納得」するのに要した時間は、それだけだった。彼は混乱を「未整理のデータ」として脳内のフォルダに放り込み、次に自身の体を確認した。

生前と同様の二十代後半の若々しい手足。纏っているのはシチリアで仕立てた最高級の三つ揃え(スーツ)。素材こそこの世界の魔導繊維に置換されているようだが、その「隙のなさ」は一切変わっていない。




「ちょっと、あんた! 起きたの!? 死んでると思って、もう裏庭に埋める見積もり出しちゃったじゃない!」

耳障りな声。カガリが視線を向けると、そこには赤髪を乱暴に束ねた少女が、帳面を抱えて立っていた。


【鑑定:アリサ(職業:ギルドマスター)】

・経営者適正:G(致命的。算数ができない)

・資産状況:債務超過(借金が資産総額を上回っていること)。全資産差し押さえまで残り24時間。

・精神状態:恐慌パニック


「……お嬢さん。出会って第一声が『死体の処理費用』とは。シチリアの路地裏でも、もう少しマシな挨拶をするぞ」

カガリはゆっくりと立ち上がり、乱れたベストの裾を整えた。

そのあまりに堂々とした、そして冷徹な立ち振る舞いに、少女――アリサは毒気を抜かれたように固まる。

「な、なによあんた。その格好……どっかの貴族? でも、うちはもう金なんて一銭もないわよ! ギルド『アルカディア』は、明日で終わりなんだから!」

カガリは周囲を見渡した。

壁にはカビが生え、掲示板には数年前の依頼書が放置されている。奥では、熊のような巨漢が酒瓶を抱えていびきをかいている。

視界に入るすべてのものに「赤字」の警告が点滅していた。

「……終わっているな。この組織は、経営マネジメントという概念が何一つ存在していない」

カガリはアリサの持つ帳面をひったくるように奪い取った。

「ちょっ、何すんのよ!」

「黙れ。……5、12、30……。なるほど。収支計算が単式簿記ですらなく、ただの『家計簿』だ。これでは、どこに癌(赤字)があるかさえ把握できていないのだろう。……お嬢さん、質問だ」

カガリは氷のような瞳で、アリサを射抜いた。

「君は、この掃き溜めを再建したいか? それとも、明日、借金取りに首輪を繋がれて、売春宿にでも売られたいか?」

「……なっ……! も、もちろん、再建したいわよ! ここは死んだ父さんの残したギルドなんだから!」

「ならば、交渉成立コンシリエだ」

カガリは手近な椅子――スキルが「耐荷重に問題なし」と弾き出したもの――に、優雅に腰を下ろした。

「今日からしばらく、ここに身を置かせてもらう。その代わりに、私がこのギルドの『帳簿』を責任を持って預かる。……安心しろ。私は、不渡りを出すのが何より嫌いな性分でね」

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