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後日談 悪女収集家

 そこは神の棲み家。

 地上から連れてきた"悪女たち”がうごめくこの空間は、ひどくつまらなく、そして忌々しい。光の神アシュテルラは、今日も退屈していた。


「アシュテルラ様?」


 あるものは甘い声で呼ぶ。


「あああああああああああああああああああああああ!」


 あるものは悪夢に怯える。


 アシュテルラが女たちに触れることはない。穢らわしいからだ。悪夢と望む夢。それを交互に見せる。そのうちに大人しくなる。


 彼女らはここに来た瞬間人間ではなくなり、食べることも、眠ることも必要なものではなくなる。神に近しい存在で、けれども信仰されていないのだから、忘れられて消えていくのだ。そうして消えた者が、輪廻の輪に戻ることはない。

 ここは、さながら地獄である。



 ここから出たい。息苦しい。消えてしまいたい。

 けれども、アシュテルラがそこから出られるのは、一年のうち、たったの一夜だけしかなかった。


 ある時期、なぜだか力が強まった時期があった。そのときは人間界を混乱に陥れたりもしたのだが、自らが神にしてやった男に阻まれた。




「アシュテルラ様」


 ペルラニアが腕にまとわりついてくる。鈍色の目の中にありありと見てとれる媚びた色に吐き気がした。アシュテルラは絡められた腕を乱暴に引き抜いた。


 この女だけは何千年経っても壊れない。──いや、もとから壊れているのか。しかも、消えることもない。


 他の女たちが獣のように過ごしたり、夢の世界へ逃避したりする中、ペルラニアだけは棲み家の中に小さな自分の居場所をつくり、たまに女たちの姉のように振る舞いながら、壊れることなく過ごしていた。


「わたくし、とても暇なのです」


 ペルラニアはそう言ってすがってくる。 愛し子(稀代の悪女)たちの登ってこられない場所へと跳ぶ。ペルラニアの声が遠くなる。


「待って、アシュテルラ様……!」


 アシュテルラにとっては、空間を切り裂くことも、幼子が遊ぶ粘土のようにこねくり回すことも簡単だった。





 この"神の棲み家"はただ闇があるだけの空間だ。


 しかし、よくよく目をこらしてみると中央に塔がある。闇と岩を合わせて練ったようなつくりだ。その頂上には隠し部屋があった。


 ここだけが外と繋がっており、隠し部屋にごろりと寝そべると、天窓から地上の変わりゆく空を眺めることができるのだ。



 もう何千年、ここにいるのだろうか。このごろ、なにか大切なことを忘れているような気がしていた。そもそも自分はどうしてあのような者(悪女)たちを収集しているのだろう?


 神は眠らなくても死なない。しかし、眠りたいと思えばまどろむこともできる。久しぶり(数千年)に眠りについたアシュテルラは、悪夢に魘されることになるのだった。






 それははるか昔、まだ彼がアシュテルラなどという名前ではなく、シュテファン・ジュリアスという名であったころのこと──。


 身分はそれなりに高く、裕福な生まれだった。


 政略結婚であった両親はとても仲がよく、たくさんいた弟妹たちとも折り合いが悪くなかった。幸せな時代であった。──もう家族の声も顔も思い出せないけれど。


 父がこっそりと言った。


「これは長子だけに伝える大切な話だ。私たち一族は、この地を統べる古代神の血を引いているらしい。だから、高い魔力を持つ。しかしそれは両刃の剣で、心を失ったとき、僕たちは違うなにかに成り果てるのだそうだ。──まあ、このような嘘みたいな話、私は信じていないのだが……。

 それでも、一応は伝える決まりだ。君も将来、子どもに伝えるといい」




 当時、シュテファンの金色の髪は今よりずっと短く、まだあどけない顔立ちではあったが、星の光のようだと謳われた金色の瞳は令嬢たちを夢中にさせていた。

 女王の地位を約束されたこの国唯一の王女ヴェロニカまでもが、彼を見とめると黄色い声をあげた。


 しかし、シュテファンはいつでもそうした令嬢たちに対して一歩引いていた。幼いころから決められていた婚約者アマリリスがいたからだ。


 すみれ色のふわふわとした髪に、鳶色の理知的な目をした穏やかで優しい少女だった。

 花が好きだった。星を見るのも好きで、他国の星座に興味があった。


 ふたりは幼いころから交流を重ね、互いに思い合っていた。


「あんな平凡な女が」

「釣り合っていないわ」

「傲慢な女ね」


 令嬢たちの怒りは、婚約者アマリリスに向かった。だが、そうした者たちはまだましなくらいだった。




 ヴェロニカ王女は常軌を逸していた。そして、シュテファンは愚かにも、アマリリスから婚約解消を打診されるまで彼女の置かれた苦境にひとつも気がつかなかったのである。


 自分を詰る彼女の目にみるみる涙が盛り上がり、ぽろりとひと粒落ちた。なにかに怯えるように自分を抱きしめ、その体は小刻みに震えていた。

 それを見てはじめて、婚約解消がアマリリスの意思ではないのだ、と気がついた。




 二人は逃げ出した。遠い遠い辺境の森の奥まで。数年間は幸せだった。貧しくはあったが、平穏な日々を送っていた。


 だが、ついに見つかってしまった。正直なところ、ヴェロニカ王女がまだ自分を諦めていないなどと思ってもみなかった。彼は妻アマリリスをなんとか逃し、──捕らえられてしまった。





「おまえの妻は、わたくしが預かっているのよ?」


 王女──すでに王配を得て女王になっていたヴェロニカは、扇で彼の顎を持ち上げた。赤いくちびるがにんまりと笑う。むせ返るような香水の匂い。


「あれをここに」


 そうして見せられたのは、すみれ色の髪の毛。ひゅっと息を飲んだ。


「どう? おまえが反抗的な態度を取るならすぐにでも殺してあげるわ」


 呆然としていると、家族の死も告げられた。仲の良かった両親も、弟妹たちも。すべて、自分のせいで。証拠を見せつけられたとき、彼はその場に崩折れた。


 いろいろなことが重なり、同時に心もぽきりと音を立てて折れた。


 自分が逃げなけば。──ヴェロニカ王女の異常性は理解していたのに。目をそむけたせいで。自分たちの幸せを優先したせいで。


 それからはヴェロニカ女王の人形として過ごした。彼の心はすっかり折れており、何にも抵抗することはなかった。


 ヴェロニカは王配と彼自身だけでは飽き足らず、次々に男たちを後宮に押し込めた。けれども、シュテファンへの扱いは特別であった。それは恋人というよりも、妹のような家族を愛でるような。


「ふふ、わたくし、一人っ子なのだもの。可愛い妹がほしかったのよ」


 あるとき、ヴェロニカが言った。

 シュテファンの心はとうに死んでいたから、何も言わなかった。


「自分は男なのにって思っているでしょう? あなたのこと、恋人としても愛しているのだけれど、あなたほど美しい女がいないのだもの。妹にするなら美しいほうがいいでしょう?」


 ヴェロニカはうっそりと笑った。








 だが、そこまで執着されていたというのに、無情なものである。

 彼が少し年をとると、ヴェロニカ女王は途端に興味をなくした。いたぶられ、五体満足ではない状態で街に放り出された。


 アマリリスの行方を探した。自分を放り出すとき、女王が言ったのだ。あの女を捕らえられていたなら、まとめて殺してやったのに、と。



 投げつけられた銅貨はすぐに尽きた。物乞いをしながら、長い時間をかけて、ようやく森の家にたどり着いた。


 森の家はずっと前に焼かれたのだろう。その残骸はすでに緑で覆われていた。妻の足取りを探したが、それらしいものは見つからず、そこに形ばかりの小屋を立てて、ぼんやりと暮らした。






 一人の老人が訪ねてきたのは、森の家に戻って、半年ほど経ったころのことだった。


「──ああ、よかった。何度も来たんだ。これをあんたに」


 老人は手紙を差し出した。それは妻からのものだった。


「昔、アマリリスさんには世話になったんだ。いつか会えたら、あんたに渡してほしいと預かっていた。オレみたいなもんが城になんか近づけねえし、女王の目もある。しかも何度来てもあんたはいなくてさ。もう無理だろうと思っていたよ」


 手紙には双子が生まれて他国に逃したこと。森の家での思い出、そしてたっぷりの愛情が詰まっていた。けれども、手紙の入っていた封筒には黒い血がこびりついていた。


「妻は……」


 老人が顔を背ける。


「──ひどい死に方だった」

「事故で……?」

「いや、あんたも薄々気がついているだろう。アマリリスさんはオレたち夫婦に迷惑をかけまいと自ら出て行ったんだ。そして……。それが答えだ。──子どもも捕らえたと、兵士がそう言っていた。それさえ、もう何年も前の話だが……」


 目の前にあったものががらがらと音を立てて崩れていった。女王のあざ笑う声が聞こえるようだった。


 きっとあの女(ヴェロニカ)は、自分がアマリリスを探し、待ち続けることを見越して捕らえられなかったなどと話したのだ。


 そのとき彼は神に願った。時を巻き戻したい、彼女を救いたい。すべてを壊すための力がほしい、と。




『それじゃあ、おまえが神になるのはどうだ?』


 そんな声がした。──実を言うと、その後のことはあまり覚えていない。気がつくと女王の国は滅びていた。健康な、若い頃の姿に戻っていた。


 時を巻き戻す力ももらった。もらったといっても、なぜだか使い方がわかるというもので、誰かに何かを言われたのではない。

 しかし、それは自分のために使うことができず、後悔した。




 その時点では、神になったといわれても、不思議な力を手に入れたくらいで、見目にも意識にも大した変化はなかった。


 彼は、国を滅ぼしたあと、はっと我に返った。そして生き残った善良な人々とともに復興に励んだ。彼らは皆王家に、貴族に虐げられていたから、彼のことを責めるものは誰もいなかった。



 それからしばらく経ち、あのときの老人がどこからか子どもを連れてきた。

 孤児だという。菫色の髪をしたその子は、自分たちの子どもが女の子だったらこういう顔なのだろうなと思うような顔立ちをしていた。


 欲が出た。彼女を旗印に、新しい国を興させた。神の愛し子だからというと、皆しぶしぶながらも納得した。新しい国の名前はアシュテルラ。妻が好きだった星座の名前から取った。


 あのときはたしかに思っていたのだ。この国を守っていこう、と。身に過ぎる力を与えられた。これからは復讐に使うことなく、闇夜を照らす星のような存在でありたい、と。






 何代も過ぎた。──気がつくと、初代女王として見出したあの子のような、妻に似た子どもは生まれなくなっていた。しかし彼は守護をやめなかった。


 またあの女王のような悪女が現れた。彼はそれを排除した。

 また数百年が経つ。国を揺るがし、人々を自分の享楽のために陥れる者が出てきた。それも排除した。


 何度も何度も何度も何度も。抜いても抜いても生えてくる雑草のように、何度でも悪女たちは湧いてきた。


 だから彼は、閉じ込めることにしたのだ。





 はじめは自分たちのように苦しむ人を出さないために頑張っていたはずだった。だが、いつからこうなってしまったのだろう。捕まえて心を折る。それだけが目的になってしまっていた。

 守るべき民が踏み躙られているのをなんとも思わなくなっていた──。


「このごろ、よく眠っていらっしゃるのね?」


 アシュテルラは飛び起きた。ペルラニアが婉然とした笑みを浮かべて自分を見下ろしている。ペルラニアの膝を枕に眠っていたらしかった。


「……っ、どうやってここまで」


 ぞっとして後ずさった。


「どうやってと言われましても?」


 ペルラニアが首をかしげる。高く高くそびえ立っていた塔はとうに消えており、アシュテルラはこの空間内でいうところの"地上"に無防備に寝そべっていたのである。


「そういえば、神様ってどうやったら死ぬのかしら。ねえ、()()()()()()


 ペルラニアがぽつりと言う。ふたたび眠気が襲ってきた──。






「ああ、ヴィオ! わたくしのかわいいヴィオ!」


 ペルラニアの声でゆるゆるとまどろみを抜ける。体が重い。神になってから久方感じたことのない喉の渇きを感じた。


「よぉ」


 ペルラニアを押しのけながら、男が言った。


 黒髪に緑色の目をした、平凡な顔立ちの男だ。

 その後ろには、すみれ色の髪に金色の目をした女性が控えている。アシュテルラは飛び起きた。


「──君は……」


 目の色以外は、妻に瓜二つだった。


 アシュテルラはずっと昔、自分が言ったことを思い出した。

 巻き戻りの記憶を保持していた少女。それは古代神の血が流れているからで……。


「あんたを殺しに来た」


 男が言った。

 アシュテルラはほほ笑んだ。


「そうか」

「それで? どうやって神を殺すんだ?」

「──神は、信仰心でできている。あんたをすべての歴史から消せば。あんたを知る者をなくせば。消えていくだろう」


 満点の答えだと、アシュテルラは思った。

 そして、どうしてこの男に神の力を分け与えたのかに思い至る。ただの人間が恋人と引き裂かれていく。それを見てもなにも感じなかった。でも、本当は、自分がそうしてほしかったことをしたのかもしれない。


 恋人を守るだけの力がほしかった。それを、この男に託したのかも──。アシュテルラは長く生きすぎた。自分のことがもう自分ではわからない。




「──ひとつ、進言しよう」

「なんだ」


 男が怪訝な顔をする。


「古代の女王ヴェロニカを、歴史から抹消するんだな」

()()()()()()

「そうしないと、諸悪の根源は消えないと思うぞ。きっと何度でも戻ってくる」


 地を這うような声に振り向く。ペルラニアの目が怒りに燃えていた。


「ふうん、君は昔のような目もするんだね。ずいぶん変わったんだと思っていたのだけれど」


 アシュテルラは、空間を練っていく。闇色の檻の中にペルラニアを閉じ込める。それは、水に投げ入れたかのように、神の棲み家の地底へとつぷつぷと沈んでいく。最後まで、ペルラニア(女王ヴェロニカ)の声が響いていた。




 アシュテルラの体がくらりと傾いだ。ヴィオレッタの、金色の目の中に、同じ色の目をした男が倒れていくのが見えた。


 次はきっと目覚めない。それは、アシュテルラにとって幸福な確信だった。


「──祝福を」


 アシュテルラは心から言った。


 その日世界には、花宵の日でもないのに金色のアマリリスの花が降り注いだ。

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