地下十二階
スパルトイは骸骨の魔物だ。歴戦の戦士が白骨化したような風体のスパルトイは、同じく骸骨型の魔物であるスケルトンよりも数段硬く、速く、そして強い。当然落とす素材もそれに見合った希少なもので、竜牙骨とも呼ばれるスパルトイの骨は武器として加工するもよし触媒にしてもよしの使い勝手のいい素材だ。いくつあっても困ることはない。探索組のやる気は十分だった。
彼らはすでに何体かのスパルトイを倒している。剣や弓や槍、あるいは己の身体を得物とする者が前衛に立ち、法術を扱う者が後衛から彼らの支援をしたり圧倒的な火力を見せつけたりしながら、探索組は着々と素材を集めていた。
ヴェルガは後衛での高火力と味方の強化や敵の弱体化を、ロランとリディーラは回復支援を、ティリカとアディンは前衛の肉弾攻撃と白兵攻撃をそれぞれ担当している。言わずもがな、探索組で最も高いダメージと回復量を叩きだしているのは彼らだ。この五人がいるというだけで味方の士気は上がる。連戦に次ぐ連戦でも汗一つかかない彼らを前に、他の生徒達もいっそう魔物狩りに励んだ。
しかし、疲労というのは本人も気づかないうちに蓄積していくものだ。スパルトイとの何度目かの戦闘のさなか、バルドという一人の生徒が喚んだ炎の精霊が、その炎弾の軌道を大きくそらしてしまった。
「ッ!? よ、避けてくださいっ!」
スパルトイを焼き尽くすために放った炎が、自分が精霊を御しきれなかったせいであらぬ方向に飛んでいく。それに気づいたバルドは真っ青になって叫んだ。
しかし不幸中の幸いというべきか、炎は生徒達の頭上遥か上を突き進んで突き当りの壁にぶつかる。壁の周囲には誰もいなかった。それとほぼ同時に他の生徒が残るスパルトイを倒しきれたため、バルドの暴発で被った被害はなかった。
「全員怪我はないか?」
一応ヴェルガも確認を取るが、返ってくるのは無事を告げる苦笑交じりの返答だけだ。バルドはほっと胸を撫で下ろした。
「そろそろ帰るか。これ以上は無理をしないほうがいいだろう」
「そうしたほうがよろしいかと。……あら?」
何かに気づいたのか、ヴェルガの言葉に追従しつつアディンはある方角を見つめる。首をわずかにかしげ、彼はふらふらと視線の先に向かった。
「アディン? どうかしましたか?」
そう言いながらロランが、そして他の生徒達も彼の視線を追う。恐らく先ほどのバルドの暴発のせいだろう、壁に大きな穴が開いていた。穴の向こうには道が続いている。
「どういうことだ……?」
ヴェルガは呟き、地図を広げる。しかし地図上のこの場所は行き止まりで、壁の向こうに道があるとは記されていない。
地図にこの壁の向こうについては何も書かれていないにもかかわらず、今目の前にはこうして通路が伸びている。
「……隠し通路か。よくやった、バルド。お前のおかげで見つけられたぞ」
「え!? あ、ありがとうございます!」
怪我の功名とはこのことか。バルドは破顔し、思いもしなかった功績に対する主君からの称賛を素直に噛みしめる。壁の向こうの道に鋭い眼差しを向け、ヴェルガは全員に尋ねた。
「バルドが見つけたこの通路だが、地下十二階に行ける実力があるのは俺達だけではない。明日、もしかするとこの先は他の誰かに探索されてしまう恐れがある。……この発見を、誰かに奪われてもいいか?」
答えは否だった。異口同音に否定の言葉が上がる。そんな彼らを横目で見て、ヴェルガは薄く笑う。
「ならば重ねて問おう。……この先を見つけた功績はバルドにあり、そしてこの先を探索したことで得られる成果は俺達全員に等しく分け与えられるものだ。だが、この先は何があるかわからない、正真正銘の未知の領域。そこに足を踏み入れるだけの余力がある者はいるか?」
「わたしはまだいけるわよ?」
「ええ、わたくしもです」
即答できたのはリディーラとアディンの二人だけだった。退いてもいいし、残ってもいい。示された選択の前に、多くの者は顔を見合わせる。
どちらを選んでもヴェルガは咎めないし、もし撤退を選んだところで入手できるかもしれない珍しい素材や財宝は平等に分配されるだろう。今までだってそうだった。だが、退くことを選べばヴェルガに自分の力を示せない。固い忠誠を誓った主に、己がどれほど優れた駒かをアピールできない。
そんな生徒達の困惑を感じ取り、ヴェルガは小さく肩をすくめる――――今さらそんなところで考えを巡らせなくても、彼らの力と忠誠心はよくわかっているというのに。
「休息も必要なことだ。引き際を見極めるのもな。お前達の働きを俺は高く評価している。だが、だからこそ無理をさせたくはない」
時刻は八時。予定していたタイムリミットにはまだ若干の猶予がある。しかし度重なる連戦で、探索組の魔力と体力の消耗はそれなりのものになっている。また地上まで帰るとなると、全員で未知の領域を調べるのは少し難しいだろう。
ヴェルガの言葉が後押しとなり、十七人のうち十人が帰還を選んだ。ティリカとロランは帰還組だ。彼らはまだ余力があったが、主戦力が全員残るわけにもいかない。回復のできるロランと戦闘力の高いティリカは、万が一の事態に備えて帰ることにした。バルドも自分が発見した未知の領域を探索したかったようだが、疲労が溜まりに溜まっているのは本人が一番よく知っている。バルドも帰還することに決めた。
残った六人を連れ、ヴェルガは先を進む。出没する魔物は先ほどまでのものと大して変わらず、極端に強い個体などもいなかった。この辺りが未踏破だったのは、入り口が発見しづらかったからなのだろう。だが、油断はできない。どんな罠が仕掛けられているかわからないのだ。事前情報がない以上、探索はいつも以上に慎重になった。
マッピング担当のフィフィとジューロを守りながら、ヴェルガ達は探索を続けた。いくつかの小部屋からは歴史的に価値があるかもしれない骨董品を発見したが、どれも古びたがらくたにしか見えなかった。価値がわかるのは鑑定してからだろう。明確な収穫かはわからないので、盛り上がりには若干欠ける。見つけるたびにみな苦笑しながら謎のがらくたを部室に転送した。
その部屋を見つけたのは、そろそろ探索し尽くしただろう、と全員が思った頃だった。黒い狼のレリーフで飾られた大きな扉を、リディーラが発見したのだ。
「月を噛み砕き、太陽を飲み込み、星を彼方にばらまき、闇に包まれた世界で吠える狼。ケルハイオスの紋章だな」
ヴェルガは扉に手をあててレリーフを見上げた。ヴェルガにとって邪神ケルハイオスは神の中でもっとも馴染み深い存在だ。闇と混沌の神とその眷属神についてならひとかどの知識はあった。
「そういえば、今までの階層には必ず神の間があったわよね。もしかしたらここは、ケルハイオスを祀る部屋なのかしら」
リディーラの言うとおり、地下一階から地下十一階までのすべての階層には必ずなんらかの神の紋章がレリーフとして刻まれた部屋が一つあった。それは神の間と呼ばれ、中には対応した神の祭壇がある。そしてその部屋には神の宝物があると言われていた。
ケルハイオスの間はいまだ見つからず、また地下十二階に神の間がないことから、学院側やダンジョンを探索する者達の間では、地下十二階はまだ探索し尽くされていないのではないか、という意見と、嫌われ者の邪神の部屋は最初から存在しないのだ、という意見の二つがある。前者の主張が正しかったことを、ヴェルガ達第二ダンジョン探索部は証明したのだ。
ヴェルガは後ろに控える仲間達をちらりと見る。みな真剣な顔つきでヴェルガを待っていた。ヴェルガは口角をわずかに吊り上げて扉を開ける。
まっさきに目に入ったのは、目も眩むばかりに輝く財宝の山だった。大人が十人ほど立てる空間の一角に、色とりどりの宝石や古い金貨、装飾品や杯などが無造作に積まれている。背中から聞こえる歓声に押されるように、ヴェルガは部屋の中央に進んだ。仲間達はわっと宝に近づく。だが、すでにヴェルガの関心は別のものに移っていた。
財宝が積まれている場所とは真逆の壁際に、石でできた大きな台座がある。台座には繊細な彫刻が施されていた。それは闇と混沌を司る神ケルハイオスの祭壇だ。ケルハイオスは邪神と名高く、十二の主神が一柱とはいえ信仰の対象になっているわけではない。ケルハイオスの祭壇など、めったに見られるものではなかった。
だが、ヴェルガがかつて住んでいた離宮の礼拝堂にはケルハイオスの像と祭壇があり、ケルハイオスへの祈りは日常的に捧げている。ケルハイオスの祭壇も、ヴェルガにとってはさほど珍しいものではない。
ヴェルガは吸い寄せられるように古びた祭壇に近寄る。他の者達の注意は変わらず財宝の山に向けられていた。唯一リディーラだけが、一人違うほうに意識を向けているヴェルガを怪訝そうに見ている。だが、そこにあるのがケルハイオスの祭壇だと気づいて彼女はすぐに納得した。
「……この世の悪を司りし我が神よ。善たる十一の神に背きし邪なる王よ」
ヴェルガの口から紡がれるのは闇と混沌の神を讃える祝詞だ。祭壇がそこにあるのなら、祈りと供物を捧げなければ。それがケルハイオスとその眷属からの寵愛を一身に受ける者として当然のつとめだ。……他の神に比べると、いきなり邪悪な文句からはじまるが。
「その御名を永遠に讃えよう。その御名を世界の果てまで知らしめよう。貴柱の犠牲を、貴柱の愛を、他の誰が忘れても。我ら闇に抱かれる幼子は、その献身を忘れない。……あ、供物になりそうなものがないな……」
祈りを唱えながら制服のポケットを漁るが、めぼしいものは見つからない。唯一あった神に捧げられそうなものと言えば、今日の昼休みにリディーラからもらったチョコレートぐらいだった。
「これでいいか。……ここに祈りを捧げよう。最も邪悪であろうとした、心優しき我が神に」
とりあえず個包装されたチョコレートを一つとカンテラを祭壇の上に置き、跪いて両手を組む。いつも指に嵌めている金緑石の指輪は、カンテラのおかげか美しい赤色に染まっている。
金緑石はケルハイオスを象徴する宝石だ。十二神を信仰の対象とする国では自身がもっとも加護を受けている主神の宝石を用いた装飾品をお守りとして持つ風習がある。闇の神とそのすべての眷属神からの祝福を持つヴェルガは、金緑石をお守りとしていた。
しばらく目を閉じて祈っていると、目の前でばさりと何かが落ちてきたような音がした。不審に思い、目を開けて立ち上がる。祭壇の上からは、先ほど捧げたはずのチョコレートが消えていた。
チョコレートの代わりに、豪華な装丁の本が置かれている。黒い表紙のその本には銀細工の装飾が施されていて、金緑石がちりばめられていた。カンテラの光を浴びて鮮烈な赤色に輝くその石に引き寄せられるように、ヴェルガはほとんど無意識のうちに本を手に取った。
「余の叡智を欲するか。混沌の神のしもべを名乗る者よ、混沌の神の愛し子よ、混沌の神の力を受け継ぎし者よ、貴様にはその資格がある。しかしその覚悟はあるか?」
「……ッ!」
ばちり、と。どこからか何かが弾けるような音が響き、それと同時に胸が痛む。ヴェルガはよろめき、左胸を押さえてがくりと片膝をついた。本も手から滑り落ちてしまう。
「ヴェルガ!?」
「……大丈夫だ、気にするな」
リディーラがさっと顔色をかけてヴェルガに駆け寄る。はっとして本を拾ったヴェルガは、彼女の手を借りて立ち上がった。
「それより、今何か聞こえなかったか?」
「え? なんのこと?」
リディーラは不思議そうに首をかしげている。ヴェルガは微苦笑し、「なんでもない、俺の気のせいだった」と首を軽く横に振った。だが、その腕は黒い本を抱えたままだ。何故だか手放す気にはなれなかった。