第二ダンジョン探索部
「ヴェルガ、今日は部活をしていきますか?」
「そうだな。もう体調に問題はないし、ダンジョンにもぐるのも悪くないだろう」
朝食を摂りに大食堂へ向かう道すがら、ヴェルガは小さく頷いた。毎朝、ロランと一緒に大食堂に行くのはもはや習慣だ。
大食堂の扉を開ける。広い食堂にはその大きさに見合った白いテーブルクロスのかけられた長机がいくつも並べられていた。
朝食の時間帯の一つであることもあってそれなりに混み合っているが、席はほとんど定位置と化していた。席取りなどをする必要はない。
飾り棚に並べられた料理を取るため列に並び、それぞれ食べたいものをトレーに載せていつもの席に着いた。同じテーブルに着いているのは、ヴェルガの派閥に所属している少年達だ。彼らに挨拶し、神への祈りを捧げて食事を始める。
ヴェルガの派閥に属しているのは、ヴェルガを含めて三十人だ。正確に調べたことはないが、“派閥”とみなされる中でも力のあるグループとしては恐らく最小規模だろう。
ライドワイズの男子が七人と女子が六人、ブレイラブルの男子が四人で女子が二人、フィランピュアが男女で三人ずつ、そしてローリネストの男子が二人と女子が三人。学年にばらつきはあるが、全員ヴェルガを主と仰いでくれる者達だ。
派閥。社交界の練習場であるこの学院において、どの派閥に属するかというのは重要だ。たとえ消極的であれ、学院に通う生徒達はみな誰かの派閥に属している。
入学したばかりの一年生はまだ所属する派閥を決めあぐねているかもしれないし、すでに自分で派閥を作ろうと動いているかもしれない。在校生の中でも、新しく生まれた派閥に移籍することを考えている者もいるだろう。派閥の主は在学中だけでなく、卒業後に自分を庇護してくれる相手でもある。
所属する派閥は、先のことまで見据えて選ばなければならない。その意味では、王族であれど臣籍に下るヴェルガについた彼らは稀有な者達だった。
彼らの生殺与奪権はヴェルガではなく、いずれヴェルガが跪く何者かに握られる。
だが、ヴェルガは己の主をいまだ見定めていない。ヴェルガは立太子については国王派、つまり国王の決定にすべてを委ねる立場を取っている。国王派の貴族とは、有力な王子を推薦するでもなく、与えられた結果を受け取りそれに従う者達のことだ。
ヴェルガと親しい者の実家は、この国王派であることが多かった。第四王子派を明言する家もあるが、それはヴェルガを王太子に推すのではなく、次期レヴィア公爵となるヴェルガを支える、という意味合いだ。少なくとも立太子問題で第四王子派という言葉が使われることはなかった。
国王派は安定しているが、だからこそ大きな利益は望めない。第一、第二、第三、そして第五王子。誰が王太子になったところでその地盤は揺るがないが、新たな王が立てば当然重要な役職には彼の昔からの支援者達がつくだろう。国王派は国王派で派閥を作るか、あるいは派閥というよりも一つの家同士が横に繋がることが多かった。
主が国王派の派閥に、両親も国王派の生徒以外が入るうまみはほとんどない。どの派閥よりも玉座に座る者に左右される、先行きも見えない者に従っていては、自分の出世など望めないからだ。
大抵の派閥の主は、すでにどの王子を支持するか決めている。支援の多さは王子の立太子に有利に働くし、最初から支援していた者達がむげに扱われることもない。たとえ支持する王子が王太子になれなくても、彼らは王族のままなのだから相応のうまみはある。国王派であり、継承権を持たないどころかいずれ王族の籍すらも失うヴェルガより、一人の王子に決め打って派閥を築いた者に従うほうが後の宮廷では幅を効かせられるだろう。
その役割から、いくら学生だろうと所属する派閥には家の意向も反映されるし、それなりの誠意を示せば鞍替えできる。親も第四王子派だという貴族は少なかったが、ヴェルガの派閥にいる者達は自分の意思でヴェルガを選び、今日もこうしてヴェルガを慕ってくれているのだ。
もちろん、それは他にふさわしい派閥の主がいなかったから許されたというのもあるだろう。それでも彼らはヴェルガを選んだ。ヴェルガを生涯の友とし、ヴェルガに忠誠を誓ってくれた。だから彼らを守りたいと思うし、彼らの信頼に応えたいと思う。それが自分を選んでくれた者達にヴェルガができる唯一のことなのだから。
彼らはみなヴェルガにとって大切な仲間で、気の置けない友人だ。だが、時に彼らの忠誠は重く、自分では背負いきれない重責に感じてしまうことがある。自分は彼らにかしずかれるほどの人間ではない。
だが、かつてそんなヴェルガをリディーラがたしなめてくれたことがあった。「貴方が自分を卑下することは、貴方を選んだ人達を卑下することと同じなのよ」……これは自己評価の低いヴェルガが、どうやったらその態度を改めてくれるかリディーラなりに考えた言葉だ。他者を引き合いに出すこの言葉の効果はてきめんだったようで、それ以来ヴェルガは彼らときちんと向き合うことに決めた。
いまだに人の上に立つ器ではないと思っている。より優れた人物に居場所を奪われる恐怖はある。それでも彼らの前では、彼らが求めてくれる限りは、彼らにとっての理想のリーダーでいよう、と。
こうしてヴェルガは自分の派閥を作り上げた。友人達が"派閥"となるのを受け入れた、と言ったほうが正しいのかもしれないが。
多くの場合、派閥は部活として学院側から正式に認められている形で存在している。部活動という形を取っているが、派閥に無関係な生徒はその部活に所属できない。
そのため学院の部活は、"派閥用の部活"と、"純粋な活動としての部活"の二種類がある。派閥をいくつも掛け持つのは、ある一つの大きな派閥の派生で生まれた小さな派閥同士でもない限り難しいが、兼部自体は自由だ。純粋な部活動を楽しむため、複数の部に所属している生徒も多かった。
“派閥”の一人として数えられている生徒は実際に部活に参加していようがしていなかろうが派閥の一員であり、"派閥"に名を連ねてさえいれば部活そのものへの参加は強制されない。
派閥の主、すなわち部長が卒業する時期になれば、その部長の座は新たな派閥の主に譲られる。派閥がそのまま受け継がれるかは新たな部長の腕とやる気次第だ。無事受け継がれたところで、大抵は派閥の主の代替わりが起きるのだが。
ヴェルガの派閥は、第二ダンジョン探索部として認可されている。第二があるということは当然第一があり、第一ダンジョン探索部はヴェルガとはまったく関係ないとある公爵家の嫡男が作った派閥だ。派閥の主が部長を兼ねるのが通例のため、二つのダンジョン探索部は合併することなく共存していた。
ダンジョン探索部。読んで字のごとく、ダンジョンを探索する部活だ。学院の敷地にあるダンジョンには強力な魔物が巣食っているが、結界のおかげで魔物がダンジョンの外に出ることはない。学院側の見解ではダンジョン探索も立派な課外授業の一環となっていることもあり、生徒達がダンジョンに出入りするにあたて規制はかかっていなかった。
ダンジョンには未踏破の階層も多くあり、今までも色々な宝が発見されている。おまけに強い魔物を狩れば希少な素材も手に入るとくれば、挑戦しない手はなかった。
その危険さからまともな神経をした生徒はあまり近寄ろうとしないが、少し頑張れば多くの見返りが手に入るこの魅惑のエリアに浪漫を求める生徒は後を絶たなかった。だからヴェルガは第二ダンジョン探索部を立ち上げたのだ。
もちろん彼の派閥に所属している全員が全員ダンジョンに潜っているわけではないが、活動自体は全員喜んでしてくれている。ダンジョンに入らない部員の仕事は、校内に残ってのサポートだ。ヴェルガとしても忠誠心だけで危険な場所に連れ回すのは気が引けるので、後方支援を選んだ者達の選択は賢い判断だと思っていた。
ヴェルガをはじめとした、法術関連の講義を多く取っている生徒にとって、魔物が落とす希少素材はまさに宝の山だ。ものによっては店売りしていないものもあるし、いくら貴族の子女とはいえ一個人で動かすにはためらう金額を必要とするものもある。それがただで手に入るなら安いものだろう。
それに、本物の魔物と戦うことは実力を磨き実戦に慣れる有効な手段だ。騎士を目指す生徒にとってもダンジョンの探索は悪い話ではない。第一ダンジョン探索部より規模は少し劣るとはいえ、第二ダンジョン探索部のやる気も中々のものだった。
放課後、部室棟の部室に行くと、すでに部員全員が揃っていた。総数三十人のうち、ダンジョンに潜るのは最大十七人だ。これはほぼ固定となっているメンツで、ヴェルガはもちろんリディーラ、ロラン、ティリカ、アディンもこの中に含まれていた。
残りのメンバーは、物を転移させる法術具や遠視用の法術具を使用して、急に必要になった物をダンジョンの中に送ったりダンジョン内で不測の事態があったときに教師に助けを求めたり、探索中では持ちきれない戦利品を素早く受け取り鑑定したりするために待機をしている。
得られた宝は待機していた者も含めて山分けする決まりで、当然一人当たりの報酬は少なくなる。だが、ダンジョンに潜る十七人は、それならそのぶん長く潜っていればいいだろ? と公言してはばからない者達だ。満足いくまで魔物を狩る実力と気概を揃えた彼らにとって、報酬の山分けなど大した問題でもなかった。
「今日は十二階あたりまで行くか。十二階に多く出る、スパルトイの骨がそろそろ足りなくなりそうなんだ」
「スパルトイの骨は、調合演習でもよく使われる素材だものね」
ヴェルガの言葉にリディーラが頷く。他の生徒も異論はないようで、その日の探索は地下十二階をメインに行われることになった。念のための通例として全員それぞれの寮に夜間外出の手続きを取っておいたが、明日は平日だ。遅くても夕飯の時間帯には帰りたい。
ダンジョンは、部室棟から少し離れた場所にある。ぽかりと口を開けた洞窟がダンジョンの入り口だ。もともとこの学院はダンジョンを併呑するようにして建てられたものなのだが、当時の資料は百年ほど前に起きた大火事で焼失してしまったため、何故わざわざダンジョンが敷地内に含まれるよう学院を建設したのか、そしてこのダンジョンがいつからこうしてここにあったのかを知る者は誰もいない。学院側でもダンジョンの調査はしたようだが、その全貌はいまだ謎に包まれていた。
このダンジョンは広大な地下迷宮だ。現状学院が調査できているのは地下十二階までで、そこから下は立ち入り禁止ということになっている。
しかし、調査したと言っても、地下十二階までの階層の全容がすべて解き明かされているわけではない。あまり知られていないが、地下十二階までのダンジョンの様子を調べて新たな事実を見つけると成績に加点されることからわかるように、学院もいまだにダンジョンの構造を把握しきれていないのだ。
当然のことながら、有志が作り上げた地下十二階までの地図にも欠けている部分は多い。とりあえずヴェルガ達は一年かけて地図を補足しようとした。まだ踏破できていないエリアはあるが、素材集めの旅としては十分なわかりやすさだ。
第二ダンジョン探索部が改めて書き上げた地図には、出現系統にある魔物と彼らが落とす素材がまとめてある。自分達で作った地図はなかなか使い勝手がよく、学院の事務局でも褒められる出来だった。
ヴェルガ達は今回も地図を頼りに地下十二階を目指す。光源は召喚の法術が使える者が召喚した光の精霊達と、持参したカンテラだ。大荷物になりすぎると戦闘や逃走の際に不利になるので、荷物は必要最低限しか持ってきていない。必要なものがあれば待機組が送ってくれるので不自由はしなかった。
湧いて出てきた魔物を次々と狩っていく。法術で、あるいは武術で。落とす素材は一つも無駄にしない。
魔物の解体など貴族の子女には身に着けたところで何の役にも立たない技術だが、そうやって得た素材を売れば自分が自由に使える金にもなる。家の名にあぐらをかかない、一人の人間として自立していく方法を模索するのはヴェルガの派閥の課題でもあるため、解体作業を嫌がるような者はいなかった。そもそも、全員平気で魔物を狩れるような者達だ。解体程度でひるむようなら最初から探索組にはなっていないだろう。
それでも、戦闘後の処理に時間はあまりかけたくはない。簡単に解体を済ませるか役目を終えた心臓である魔石を回収するかして、もし解体に時間がかかるようなら死体を待機組のもとに送る。待機組の中には数こそ少ないが解体したがりの生徒がいて、より専門的で繊細な作業を必要とする場合は彼らに任せるのが常だった。
好き好んで解体作業を担当してくれるのは、魔物を検体とみなす学者志望のベックと医者志望のマオ、そして嗜好が少しばかり危険なラナの三人だ。あの三人なら、多少数が多くても捌ききれるだろう。
ダンジョンの探索という活動内容から、第二ダンジョン探索部は広い部室を三つ与えられている。
一つ目は部員達が集まって休んだり喋ったりする部屋、二つ目はダンジョンで見つけたものの使い道がよくわからないガラクタの保管場所、そして三つ目が魔物の解体部屋だ。
魔物というのは、魔力を持つ部位をすべて切り離されれば魔力のない部位は塵となって消えてしまう。肉になったり毛皮になったり素材になったりすればもう用はないので、解体を終えた魔物の処分には困らなかった。
目標である地下十二階に到達したころには、全員息が上がっているなどということはまったくなかった。みな、いい準備運動だったとばかりに爽やかに笑っている。
今日の目当ては地下十二階のスパルトイだ、前哨戦でスタミナ切れを起こす者などいない。定期的に休憩は取っているし、そもそも魔物と遭遇した時に戦うメンバーは交代制でヴェルガがきちんと管理している。体力や魔力が尽きる心配はまだしなくてもいいだろう。
「五時か。思ったより早く着いたな」
懐中時計を開き、ヴェルガはそう呟く。地下十二階まで魔物を狩りながら進んできたとはいえ、すでに慣れている道のりだ。一時間ほどでここまでくることができた。
夕方の六時から夜の十時までが大食堂の解放されている時間帯だ。このぶんなら少し粘っても夕食を食べ損ねることはないだろう。
「……ん。でも、油断は禁物、だから」
小さな声でぼそぼそとそう言ったのはティリカだった。ヴェルガは苦笑して懐中時計をしまう。
「わかっている。さあお前達、ここからが正念場だ。行くぞ」
発破をかけるには静かなその声だけで十分だ。やる気に満ち溢れた表情の友人達を伴って、ヴェルガは地下十二階に降り立った。