突き進む闇
風の精霊の力を借りて高く飛び、カーテンの隙間からわずかに光が漏れる窓を叩く。なるべく人為的に聞こえるように、興味を引くような大きさで。部屋の主、ロランはすぐに顔を出した。
「ああ、ヴェルガ。お帰りなさい。随分遅かったですね」
「俺一人だとどうにもならないことがある。派閥の連中を部室に集めてほしい。全員揃ったら必ず事情を説明するから」
話を遮って持ちかけられた言葉足らずの唐突な頼みでも、親友は苦笑を浮かべて小さく頷いた。さすがヴェルガの親友をやれるだけのことはある適応力だ。ロランはすぐに窓を閉めて部屋を出ていった。ライドワイズ男子寮にいる他の五人のアルフェンアイゼ派の生徒には、彼が声をかけてくれるだろう。
地上に降り立つ。下で待っていたナディカはぽかんとしていた。まさかヴェルガが部屋に戻るためにロランの部屋を通ろうとしていたと思っていたわけではないだろうが、ヴェルガが何のためにライドワイズ男子寮に戻ろうとしていたのかわからないようだ。
「これは俺達だけじゃ解決できないことだ。だからロラン達にも頼ることにした。第二ダンジョン探索部の部室に来てもらって、そこで全部話す。……俺達は、全部自分で背負おうとしただろう? 友人を危険な目に遭わせないように、遠ざけてかかわらせないようにした。それがきっと間違いだったんだ」
「守りたいものを守るための行動が、裏目に出ていたということですか?」
「ああ。……今までずっと失敗し続けたんだ。今までの俺達とは違うことをしないと、違う結果はきっと生まれない。それに、人手は少しでも多いほうがいいだろう?」
もし初めから素直に友人の助力を願えるなら、ヴェルガ達は自分が犠牲になろうとは思わなかっただろう。助けを乞うて見放されることが、自分の言葉を信じてもらえないことが、ヴェルガは何より怖かった。余計な心配をかけたくなかったし、自分の力で何とかなると過信していた節だってある。けれどその臆病さが、その慢心が、その虚栄心が、終わらない循環を生み出してしまった。だから、同じ過ちは繰り返さない。
「フィランピュア女子寮に行ってきます。ディンヴァード派はアルフェンアイゼ派と共闘なんてできそうにない人達ばかりですけど……一人だけ、もしかしたら話の通じる子がいるかもしれないので。ついでにレヴィアさん達も探してきますね。男子寮は任せましたよ」
「早……!?」
ナディカは颯爽と駆け出した。外見こそおとなしげだが、ブレイラブルに入寮するだけのことはあるということか。ナディカの背中はすぐに見えなく――――なるということはなく、少し先で立ち止まってぜえぜえと肩で息をしている。瞬発力は見上げたもののようだ、瞬発力だけは。少し心配になるが、手分けして集めなければ時間がかかりすぎる。ナディカがペースを落として再び走り出したのを確認してから、ヴェルガは隣のローリネスト男子寮に向かった。
*
アルフェンアイゼ派の全員が部室に揃ったのは、時計の針が一時を示す直前だった。ディンヴァード派の二人の少女――――ナディカとシェルファがこの場にいることに疑問の目を向ける者もいたが、みなヴェルガが話し始めるのを待っていた。
アディンの話では、カイルの部屋をノックしても返事がなかったという。寝入っているというのは考えづらい。彼はもうダンジョン……否、理の塔に挑んだと見るのが妥当だろう。もたもたしていられない。だが、その前に通さなければいけない義理がある。
「ろくな説明もしていないのに来てくれたことには感謝する。こんな夜中に招集してすまなかった」
ヴェルガは口を開いた。すべての視線がヴェルガに注がれる。六十四の瞳を前に、それでもヴェルガは顔を上げてまっすぐ彼らを見た。
「俺が今から話すのは、作り話じみた話だ。くだらないことだと思うかもしれないが、まずは最後まで聞いてくれ」
抑えきれない感情を吐露しつつ語る。ヴェルガが見た惨劇を、これから襲う悪夢を。恐怖に顔を歪め、血の気を失い、それでも誰も耳を塞がなかった。
「あの怪物の封印が解かれたら、この国は滅びてしまうだろう。それはなんとしても防がなければいけない。……本当は、世界なんてどうでもいいんだけどな。だが、それを見過ごせば俺の守りたいものはきっと全部あいつに奪われる。それが嫌なんだ」
守りたいもの。愛するもの。大切なもの。それは友であり、恋人であり、家族の形をしていた。今ヴェルガの前にいる者達は、全員ヴェルガにとって何物にも代えがたい存在だ。一人として失うわけにはいかない。
「ディンヴァードは深夜のうちにダンジョンに行くはずだ。もしかしたらもうあいつは地下にいるのかもしれない。……魔王はダンジョンの最下層に封印されている。ディンヴァードを魔王のところまで辿りつかせるわけにはいかない」
そうなれば、魔王はカイルを依代にして復活する。それでは“今日”の二の舞だ。みんな、みんな死んでしまう。だから、絶対にそうなる前に食い止める。
「敵は魔王であり、雷と勝利の神サウィンダーだ。初めから勝ち目なんてない、無謀な戦いなのかもしれない。……そうだとしても、それは諦める理由にはならない」
たとえ相手が神であれども屈しはしない。臆しはしない。神に叛いた先にしか希望がないのなら、望んで背徳の道を征く。
「ただの妄想だと笑われても構わない。それでも俺は、止めにいく。こんな話を信じてくれとは言わない。……それでももしも、俺のことをまだ主と仰いでくれるなら。どうか、その命を俺に預けてくれないか。誰一人として欠けない未来のために」
言葉はなかった。そんなものはいらなかった。誰もが跪いて頭を垂れた、それが答えなのだから。
「俺から言うのはただ一つ――俺のために生きてくれ」
王子の号令が静かに響く。永い夜を巡る最後の戦いは、こうして幕を開けた。
*
実際にダンジョンにもぐる探索組と部室で支援を行う待機組に分かれ、各々が自分の役割をまっとうする。二人ばかり見慣れない少女が混ざってはいるが、やること自体はいつものダンジョン探索となんら変わらない。だからこそ、誰もが自然体で振る舞っていた。いや、つとめてそうあろうとしていたと言ったほうが正しいのかもしれない。けれどその恐怖を塗りつぶすほどの熱狂がアルフェンアイゼ派を動かす原動力となっていた。
主とともに世界の命運を賭けた戦いに挑む熱に浮かされ、主に頼られて肩を並べて戦える光栄に身悶え、彼らは一丸となってダンジョンを目指す。最初に異変に気づいたのは、斥候役のミケーとザムだった。剣を手にした見慣れぬ人影、それがダンジョンの方角からこちらに近づいてくる。
「あれは騎士……いや、人形……?」
「自律式の法術具か何かだろうか?」
ミケーとザムは顔を見合わせ、すぐに後方の探索組に声をかけた。みな各々の得物を構え、ちらりとヴェルガをうかがう。遠視の法術具をミケーから借り、ヴェルガは謎の人形兵士を確認した。
(なんだあれ……知っているような、知らないような……)
魔王の子ではないはずだ。がしゃんがしゃんと耳障りな音を立ててぎこちない動きでこちらに向かって来るその騎士はあれほどグロテスクではないし、むしろつややかな甲冑は神々しさすら感じられた。邪神だった時の記憶をひっくり返す。心当たりがあるものと言えば、軍神の眷属神ぐらいだった。ああいった手駒を生み出す力をツィーカが所持していた、ような気がする。
「……サウィンダーの兵士かもしれない。俺達を探してるのか……?」
「まあ、そうでしたの? ちょうど、放置していい気がするようなものではなさそうだと思っていたところですわ」
「ん。がちゃがちゃ……うるさい……。夜中なのに、迷惑すぎる……」
アディンが好戦的に笑う。ティリカが不機嫌そうに呟く。ざっと前に出た少年と少女は、神の使いを見据えて不遜に身構えた。
「動いているなら止められますわ。ね、ティリカ様」
「だね、アディン。生き物じゃなかったら、殺せないかもしれない……けど、壊せるよ」
その言葉に、何人かがくすりと笑う。バルド、エリエ、ジン、ロニカ。彼らもまた同じように戦う覚悟を決めていた。
「ヴェルガ、ここはわたくし達に任せてお征きなさい。わたくし達は、露払いをしてから追いますから」
「全部、壊しとく……ね? 見過ごして、後で邪魔されたら嫌だから……」
「……わかった。雷と勝利の神が……いや、闇と混沌の神がお前達を見守っている。何があろうと、最後に勝つのは俺達だ」
邪神の名において武運を祈る。人々から忌まれた闇の神のしもべ達は、自分の愛するもののためだけに突き進む。彼らの歩みを止められるものなどどこにもいない。
*
ヴェルガに従う者達は、一人、また一人と消えていく。兵士の対処や負傷した者の介抱で、一時的な離脱を余儀なくされていたからだ。それでも彼らから行軍の意志は潰えていない。先を行く希望をヴェルガに託し、後から必ず追いつくと力強い言葉を残し、彼らはいったん離れていった。
「待機組ができる支援にも限界がありますからねぇ……。一度戻って体勢を整えたほうがいいかもしれません」
「だけど時間がない、そうでしょう? 全員揃うのを待っているわけにはいかないわ」
「……」
ダンジョンまでそう遠い道のりでもない。それでも一行は、学院に散らばった兵士を取り逃がすまいとあっという間に散り散りになる。とうとうヴェルガについてくるのがリディーラとロランだけになったとき、三人の目は煌々と輝くダンジョンの入り口と――――その前に立つツィーカの姿を捉えていた。
幸い、茂みや木々があるうえまだ距離があるせいかツィーカはこちらに気づいていないらしい。三人とも、神の力を手にする者だ。その権能をより効率的に引き出す方法も、一度は神そのものだったヴェルガなら教えられた。だが、今のヴェルガはもう神ではない。寵愛者が三人、いざ神と敵対するには少々心もとない数字だ。ロランとリディーラの懸念も当然だろう。しかし、その憂いはヴェルガの前では意味をなさない。
「……ここは俺に任せてくれ。二人は、他の奴らを助けにいってほしい。絶対に誰も死なせないように」
ツィーカの相手は自分がする。最初から決めていたことだ。リートのふりをしている限り、ツィーカはヴェルガを殺そうとしない。ダンジョンの内部にさえ入ってしまえば、ツィーカはひとまずヴェルガを追えなくなる。ダンジョン内のある地点からならツィーカは瞬間移動できるらしいが、ツィーカが中に入れば後続の者達がダンジョンに入るまでの障害はなくなる。
とにかく、彼女の横をすり抜けて入り口まで足を踏み入れるだけでいい。降りるときに闇の精霊で姿を隠せば、ツィーカはヴェルガのことをリートだと勘違いしたまま追ってくれるだろう。
「……わかりました。貴方もどうか、お気をつけて」
「わたし、信じてるから。必ず全員一緒に追いつくから、それまで貴方もちゃんと生きてるって」
立ち去ろうとするリディーラ、思わずその手を掴んでしまった。白く細い手は変わらずそこにある。払いのけ、自ら死ににいくようなことはない。むしろこれから死地に赴くのは自分のほうだ。目を丸くするリディーラに、ヴェルガは気恥ずかしくなって俯いた。
「た、多分、俺達は元から呪われてたんだ。わざわざお前が呪わなくても、俺達は……その、ずっと……」
「この夜は繰り返されてるんだったかしら。……わたしは、自分が何をしたのか覚えていないわ。けれど、自分のことだもの。何をしたのか……何をしようとするかはなんとなくわかる」
そっと手を重ね、リディーラは柔らかく微笑む。重なる手からかすかな震えが伝わってくるが、抱き寄せると次第にそれは収まっていった。
「死にゆくわたしは貴方を呪詛で縛ったでしょう? だけど生きると決めたわたしも、同じ好意を貴方に捧げるわ」
死ぬまで愛するから、死ぬまで愛してほしい。とっくに両想いだった恋人達は目だけで頷き合う――――こんなところで死にはしない、死なせはしない。
「わたし、ちゃんとわかっていたのよ。わたし達の婚約の意味も、わたしに求められていた役割も。それでもわたしは貴方が好き。生贄呼ばわりされてもいい、枷扱いされてもいい。貴方と添い遂げられるなら、それ以上に求めるものなんてないの」
――わたし、ヴェルガとならけっこんしたいわ。
記憶の中で、ませた笑みを浮かべる幼い少女がそうねだる。ヴェルガは真っ赤な顔であたふたしながらもこくこく頷いていた。その時すでに二人はすでに許嫁だ。わざわざそんなことを口に出す必要はない。それでもリディーラは、幼さゆえの純粋さで自分の意思を表明した。その時点でリディーラの気持ちはわかっていたも同然で、彼女の想いは今になっても変わらなかった。
ヴェルガとリディーラの関係は、親に決められた運命だ。他人から見れば、その婚約は決して幸せなものではないのだろう。それでも、そんなことはどうだっていい。二人は確かに結ばれていたのだから。
「……こんな俺に、そこまで言ってくれてありがとう。俺も……俺も、リディーラが傍にいてくれればそれでいいんだ。だから……お前を傷つけるような選択は、もう二度としない」
ロランの咳払いが抱き合う二人を現実に引き戻す。真っ赤な顔をしたまま二人は離れた。苦笑を浮かべたロランはヴェルガを一瞥し、恥ずかしげに手で顔を覆って走り出したリディーラの後を追って去っていった。
一人残され、ヴェルガは大きく息を吐く。火照った頬を夜風で覚まし、ヴェルガはなるべく自然に微笑もうと努力した。
「思ったより……遅くないね、ツィーカ。カイル=ディンヴァードはもう理の塔に挑んだのかな?」
リートのような笑みで、リートのようなことを言い、ツィーカの前に姿を見せる。先ほど別れた恋人と同じ顔をした女神、けれど彼女と対峙することに不思議と恐怖は湧いてこなかった。




