白昼夢
☆
「――よって、この婚約は無効となった」
この決定に至るまでの根拠を並べ立て、王の署名がなされた書類を掲げて宣言する。絶望する少女と、蒼褪める少年。信じられないと二人の目が訴えている。それを鼻で笑って言葉を続けた。
「残念だよレヴィア。お前はもう少し賢いと思っていたが、まさかこんなどこの馬の骨ともわからない男にたぶらかされるとは。自分が何をしでかしたのか、それによってどんな影響が生まれるのか、よく考えて行動するべきだったな。今さら言っても遅いことだが」
「そんなっ……! 待ってよ、こんなのおかしいわ!」
「そ、そうだ! いきなりこんなこと言われてもわけわかんねーって!」
婚約者のいる身でありながら他の男と通じた少女と、その相手である少年。不貞の証拠は山のようにあり、この場にいる全員が二人の仲の証言をした。たとえそれが捏造であり、すべて偽りのものだったとしても――――真を証明できないなら、嘘こそが唯一絶対になる。
「言い訳などどうでもいい。……俺も随分と侮られたものだな。こんな騒ぎを起こしておいて、のうのうと学院にいられると思うなよ。王太子を愚弄した罪、必ず償わせてやる」
ここは糾弾の場だ。裁きの場だ。二人の味方などどこにもいない。誰もが我が身可愛さで嘘の証言をした者達だ、彼らが手のひらを返すことはない。
否、ここだけではない。この学園に二人の無実を信じてくれるものなどいなかった。そうなるように、すでに手は回してあるのだから。
「二度と俺の前に姿を見せるな。不愉快だ」
吐き捨てるように言って踵を返す。茶番は終わった。もう二人にも、この場にも用はない。
人に勘違いされやすいこの顔が、この声が、今日ほどありがたいと思ったことはなかった。
*
「死刑!」「死刑!」「死刑!」傍聴席から響く怒号の前では、静寂を求める裁判官が打ち鳴らすガベルの音も掻き消える。異様な空気の中、臨時で結成された議会の議員達は粛々と投票を進めていた。積み重なるその一票一票が処刑台への階段だ。枚数を数えられるたび、命による贖いへと近づいていく。
下される判決、言い渡される刑罰。すべて予想できていたことだった。先に行われた、運命を共にした女の裁判でもまったく同じ判決を下されたはずだ。互いに赦されることをしたつもりもない、甘んじて受け入れよう。その先にあるのが神の座だなどとは、まったく笑えない話だが。
「悪を倒した民に喝采を。混沌を退けた英雄に称賛を。しかし大義はここにある」
浴びせられる罵声を聞き流し、最後の虚勢を張るべく嗤う。ただそれだけで場が静まった。
議長はわずかに眉をひそめている。革命を主導したからこそその座を与えられた若き英雄は、この先も純粋な正義感でもって国を導いていくのだろう。それならそれで構わない。彼が新たな統治者になろうが、権力とは離れて生きようがどうでもよかった。彼が正しく役目を果たしてくれさえすれば……善神の器でいてくれればそれでいい。それ以上に望むことなど何もない。
「ゆえに――愛しき祖国に、我が神ケルハイオスの祝福あらんことを!」
――――これでようやく、すべての茶番に終止符を打つことができる。
☆
星ノ日の午後、指定された時間よりいくばくか早く王宮リーリエ宮に着いたヴェルガはふらふらと人気のない回廊を歩いていた。リーリエ宮の端に位置するこの場所にヴェルガがいたことについて、特に深い理由があったわけではない。単純に、久しぶりに来訪したせいで道に迷ってしまったのだ。
王の住まうリーリエ宮、そこに馴染みがあるかと言えばそうでもない。王子の一人といえど、王太子でもなければ政務にかかわっているわけでもないからだ。王太子でなければリーリエ宮に住むことは許されないし、携わる政務がないなら日常的に足を運ぶ必要もない。よってヴェルガがリーリエ宮に行くのは父王エルドムントに顔を見せる時ぐらいしかない。年に数回あるかないかのその機会も、極端に短い時間でのものだ。そのため、はっきり言ってしまえば中の様子などうろ覚えだ。普段はあてがわれた客室と謁見の間にしか行かないというのに、今回は何故か呼び出された先が会議の間だったということも大きいだろう。
「……ッ!?」
ふと、目に入った窓から尖塔が見えた。その瞬間、頭がずきりと痛む。恐らくあれは庭園の端にあるカメーリエ宮だろう。何らかの理由で表に出せない王族を隔離したり、罪を犯したとされる王族の罪状が定まるまで――――あるいは処刑の日が訪れるまで幽閉したりするための離宮だと聞き及んでいる。
前者の理由から一時期ヴェルガもそこで暮らすことを余儀なくされていたと人づてに聞いたが、それは生まれてすぐの数ヵ月にも満たない間のことだったという。結局ヴェルガはラヴェンデル宮で育てられることとなったので、カメーリエ宮とはそれ以降かかわりがない。そこで暮らしていたことすらろくに覚えていない離宮だ。それなのに、あれを見た瞬間ひどい頭痛が始まった。まるで頭の中を掻きまわされるようなその痛みは、忘れた何かを思い出そうとするためのものにも思えた。
――黙れ。目障りだ、早くここから出ていくがいい。この私が、今さら無様に女の手にすがると思うか?
――――危険を冒して会いに来てくれた、彼女の白い手をはねのける。
――何をたくらんでいるのか知らないが、情に訴えようとしたのは間違いだったな。……復讐したいというのなら、特等席で処刑を眺めればいい。
――――振りかざした言刃は、己の胸をも突き刺した。
――それが済んだら、私のことなんて忘れてしまえ。……リディーラ、お前には幸せになる権利があるのだから。
――――そしたら彼女は、なんと言ったっけ。
「――ガ、ヴェルガ! おい、どうした!? 何があったのだ!」
「……ぁ……」
肩を誰かが揺さぶっている。それに気づいてようやく我に返った。金の髪に緑の瞳。それが目に入った瞬間、一番嫌な色を見たと即座に思った。けれどこれは彼の色ではない。この国の王、エルドムント=アルフェン=エスティメスのものだ。
「へい、か……」
いつの間にか膝から崩れ落ちていたようだ。どれほどそうしていたのかわからないが、それほど長い間だったとは思いたくなかった。
「お前がふらふらと回廊を歩いていると衛士から報告があったゆえ来てみたが、まさかこのようなことになっているとはな。大事ないか?」
「も、申し訳ございません。ただの……そう、立ちくらみですので、心配は無用です。まさか陛下にこのような無様を晒す羽目になるとは、出会いの神も中々意地が悪い……」
醜態をごまかすように、ぎこちなく笑って立ち上がる。エルドムントはまだ何か言っていたが、生憎そこまで気を回す余裕はなかった。
(俺は……あの景色を知っているのか……? 夢や既視感の類にしては……生々しかったが……)
見えた光景が脳裏に焼きついて離れない。暗く殺風景な部屋、泣きはらした目のリディーラ。リディーラは少し大人びて見えた。彼女は床に座り込んでいる。ヴェルガが彼女を強く振り払ったからだ。体勢を崩した彼女に手を差し伸べることもせず、それどころか馬鹿にするように見下して。……そんな自分が、ただただ信じられなかった。
(大人……)
少し前、嫌な夢を見たことがあった。よく覚えていないが、そこで大人の自分と会ったような気がする。どんな夢だったっけ。思い出そうとするが、嫌悪感と恐怖心しか残っていなかった。
「……まあよい。見た者をいたずらに不安にさせる真似は慎め。今後このようなことがないよう、自己管理に励むのだな」
「はっ、陛下のおおせのままに」
視界がくらむが、目をつむることでなかったことにする。頭痛もめまいもすぐに収まった。収まってくれなければ困る。だから、頭の中で反響する誰かの声も聞こえない。そんなものは気のせいだ。
「少し早いが行くぞ。今日呼んだのはお前だけではない。他の者はすでに着席しているかもしれん」
エルドムントは颯爽と歩きだした。そのたくましい背中には有無を言わせない何かがある。ヴェルガも慌てて王の後を追った。




