表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/66

お見舞い?

「いいざまだな、ヴェルガ」

「エドリック……兄上……?」


 寮に帰ってきたヴェルガを迎えたのは、一番下の兄エドリック=アルフェンレクト=エスティメスだった。第三王子のエドリックはきょうだいの中で唯一同腹の生まれだが、だからといって仲がいいというわけでは決してない。

 身体がわずかにこわばるが、すぐ傍にリディーラがいることを思い出してヴェルガは深く息を吐いた。大丈夫、怖くはない。

 エドリックは男子学生寮区画の入り口である門の前にいた。第三王子という立場でありながら、供さえつけずに門のすぐ脇の壁に寄りかかるようにして佇んでいる。

 彼も去年まではこの先にあるローリネストの男子寮で生活していたが、この春に卒業していた。卒業生でヴェルガの身内で王子とはいえ、部外者は部外者だ。寮の中には入れない。だからこそここで待っていたのだろう。わざわざ兄がそこまでして学院の敷地に来た理由はよくわからないが、何かのついでで来て本当は中で待っているつもりが当てが外れたとかそんなところだろうか。


「話は聞いたぞ。安心しろ、父上や上の兄上達には知らされていない。私がそうなるよう手を回した。これでお前の醜態を知るのは私だけだというわけだ」

「……お気遣い、感謝いたします」


 くつくつと笑うエドリックに慇懃に頭を下げ、ヴェルガはリディーラとティリカに別れを告げた。女子寮の敷地内に男子生徒が入れないのと同じく、男子寮の敷地に女子生徒は入れない。二人とはここでお別れだ。二人ともヴェルガとエドリックを交互に見て不安そうな顔をしていたが、ロランとアディンが真剣なまなざしでエドリックを見ていることに気づいて渋々引き下がった。ここは自分達が出て話をこじらせるより二人に任せたほうがいいと判断したのだろう。

 別れの挨拶をした二人はそのまま女子学生寮区画へと向かう。遠ざかる彼女達の背中を一瞥して、ヴェルガは小さく「行くぞ」と言った。それはロランとアディンに対する言葉であり、自身を鼓舞する言葉だ。強く拳を握りしめ、ヴェルガは足を一歩前に進めた。


「アルフェンの名を冠する者が、どこの馬の骨ともしれん男に後れを取るなど感心しないな」

「か……彼は、ディンヴァード男爵家の子息……です。身元は、はっきりしているかと……」

「そういうことではない。いや、間違ってはいないが……しょせん相手は田舎の弱小貴族だろう。ディンヴァード家など聞いたこともない。いくらお前が臣籍に下るとしても、そんな輩に敗北するなど認められると思うか? もうこんな失態がないよう、せいぜい足掻くんだな」

「……善処、いたします」


 エドリックと目を合わせず、ヴェルガはまっすぐ前だけ向いてエドリックの横を通り過ぎた。ロランとアディンはエドリックに小さく会釈をするが、立ち止まることはせずにヴェルガのあとをついていこうとする。そんな二人をエドリックは呼び止めた。


「トゥードリック家とユース家はヴェルガについたか。だが、そんな男についてなんになる。今からでも遅くない、私に鞍替えしたらどうだ?」

「……申し訳ございません、アルフェンレクト殿下。我々は家の意思ではなく、あくまでも一人の人間としてアルフェンアイゼ殿下に従っているだけでございます。そのお話は、当主としていただけたらと」

「トゥードリック様の申した通りでございます。わたくし達がアルフェンアイゼ殿下と親しくさせていただいていることに、家の名は関係ありませんわ」

「ほう。では、当主が鞍替えするならお前達はどうする?」

「アルフェンアイゼ殿下はレヴィア家の次の当主となられるお方。我々の家の当主が何を言おうとも、私達とアルフェンアイゼ殿下の友情が途切れることはないかと存じます」

「ええ。ですから何の問題もありませんわよね、アルフェンレクト殿下?」


 笑顔でそう言うロランとアディンに、エドリックはつまらなそうに鼻を鳴らす。友人達が足止めされたことに気づき、ヴェルガは足を止めて振り返った。


「……兄上は、まだ玉座の夢を、見ていらっしゃるのですか?」


 冷え切った薄氷の瞳がエドリックを穿つ。だが、同じ瞳を持つ兄にはさほど効果を発揮しない。同じ色の瞳を愉しげに細め、エドリックは唇を三日月の形に歪めた。


「悪いか? あいにく、私は()()()()()()祝福の足りないできそこないだ。しかしそのおかげで、お前のように王太子になる資格を奪われてはいない。私が次の王になろうと思うのは、当然の権利だろう?」


 エドリックは三番目の王子だ。継承権は第三位。だが、それを覆すことは決して不可能ではない。

 異母兄である第一王子と第二王子、この二人を押し退けて立太子を目指すほどの野心が、実兄には備わっている。それはヴェルガにはない闘争心だ。

 同じ腹から生まれ、同じ血をわけた兄弟だというのに、似ているところは髪の色と目の色ぐらいしかない。それが少し不思議ではあった。母親譲りの髪と瞳は他のきょうだい達とは明らかに異なる。それがエドリックとヴェルガの血の濃さを示していたが、同時に二人の違いを際立たせていた。


「おっしゃる通り、です。……ですが、だからと言って……私まで王位の継承争いに巻き込もうとするのは、おやめください。私が臣籍に下ることは、もう決まっていることでしょう。私が何をしようと……それは、継承争いにはなんの影響も与えません」

「そうか、そうか。それはよい報せだ。兄上達もさぞ喜ぶだろう。いまだにお前の復権を恐れているような臆病者どもだからな」


 返答はそれだけで十分だった。ヴェルガはすぐに歩き出す。ロランとアディンももう一度慇懃に一礼し、ヴェルガのあとを追った。そんな三人の背中に向けて、エドリックは構わず言い放つ。


「しかし忘れるな。お前が何を思おうと、用心深い輩は何をしでかすかわからない。それに、王位を欲しているのは兄上達だけではないんだ。せいぜい身の回りには気をつけるんだな」


 エドリックはそこで一度言葉を区切る。一瞬目を泳がせてから、彼は再び口を開いた。


「……私につけ、ヴェルガ。私に恭順を示すなら、悪いようにはしないぞ」


 それだけ言ってエドリックは立ち去った。厳しい視線が消えたことに気づいたヴェルガは振り返り、エドリックのいなくなった庭を見回してひとりごつ。


「忠告……してくれたのか……?」 


 いやいやそんなまさか。あのエドリックに限って、そんな親切な振る舞いをしてくれるわけがない。おおかた、怪我をしたヴェルガを嗤いに来たついでに牽制しようとしたら思わぬ反撃を食らって、面目を保つためにとっさに適当なことを言ったのだろう。

 実兄とはいえ、エドリックの考えていることもわりとわからないとヴェルガは首をひねる。ブレイラブルの寮で暮らすアディンに別れを告げ、ヴェルガとロランはライドワイズの寮の中に入った。

 四階建ての寮の個室は一人部屋だ。ロランと別れて自室に戻る。治癒の法術のおかげで動くことに支障はない。明日は普通に登校できるだろう。

 部活をやらないで帰ったので、夕飯までまだ時間があった。ひとまず板書を写すかと、机の上に自分のノートとロラン達のノートを広げる。ヴェルガは黙々と作業を続けた。

 白いノートが一講義分の内容で埋められていく。午後の講義の分の板書をすべて写し終え、ヴェルガはふうと息を吐く。軽く痺れた腕を数回振り、小さく伸びをした。

 リディーラに借りた神学概論のノートは明日返すとして、ロランに借りた算術のノートは今日中に返せる。せっかくなので返してきてしまおう。ヴェルガは立ち上がり、ロランのノートを手に取った。

 ロランの部屋は、ヴェルガの部屋と同じ三階にある。部屋同士の距離は少し離れているが、さほど時間がかかるわけではない。名乗りながらノックをすると、すぐに扉が開いた。


「ノートを返しに来た。おかげで助かった」

「ああ、もう写し終わったんですか? ゆっくりでよろしかったのに」


 そう言いながらロランはノートを受け取る。ノートを受け取ったロランの指先がわずかに緑みがかっていることに気づき、ヴェルガは小さく眉根を寄せた。


「何かしていたのか?」

「ええ、ちょっとした調合を。……よければヴェルガの意見を聞かせてくれませんか? どうにも私だけでは行き詰ってしまって」


 ヴェルガ、ロラン、そしてここにはいないがリディーラの三人は調合演習の講義を取っている。だが、ヴェルガの覚えている限りでは課題は出ていなかったはずだ。それなのに何かを調合しているのは、ロランの趣味が薬作りだからだろう。二つ返事で了承し、ヴェルガは招かれるままにロランの部屋にはいった。

 ヴェルガの部屋と同じく、ロランの部屋も一人部屋だ。だが、もしここが二人部屋だったとしてもルームメイトは早々に逃げ出していただろう。おどろおどろしいインテリアが並べられた、奇妙な匂いの漂うこの部屋に長居したいと思う物好きはそうそういない。ちなみにヴェルガは、物好きのほうだった。


「これです。ドライアドの初芽とエントの若葉をすりつぶしてジャックフロストの解け水に混ぜ、イフリートの魔石で煮詰めてみました」

 

 ロランが見せたのは、薄黄緑色に輝く液体の入った小瓶だった。受け取り、ヴェルガはしげしげと眺める。小瓶を照明にかざすと、向こうが透けてよく見えた。


「興味のためなら素材に糸目をつけないところは嫌いじゃない。効能は何なんだ?」

「魔力の補給です。以前調合したものより、回復量を増やすことに成功したんですが……」


 そこで一度言葉を区切り、ロランは困ったように首をひねる。


「大幅に魔力を回復できる代償として、理性のタガが外れて狂暴化しまうみたいなんですよね。どうにかなりませんか?」

「それはそれで面白い使い方ができそうだが……誰かに試したのか?」

「ええ、やはりまずは自分で一杯」


 悪びれずににっこり笑うロランにヴェルガは顔をしかめ、小瓶を彼に返した。少し視線を彷徨わせれば、同じ液体がなみなみと入った大鍋が見つかる。


「魔力を急激に増やしすぎたせいで、それに合わせようと身体のほうが無理をしてしまうんだろう。これのレシピは?」

「書き留めてありますよ。道具や素材はこちらにあるので、自由に使ってください」


 差し出された羊皮紙を受け取ったヴェルガは、しばらくそれを眺めていた。ああでもないこうでもないとロランと言葉を交わしながら、素材のしまわれている棚に近づく。ヴェルガは新しい羊皮紙を取り出し、それに羽ペンでさらさらと似たようなレシピを書き記した。


「回復量はそのままに、代償の発生だけを抑えればいい。マーメイドの涙とアルラウネの夜露を少し混ぜてみたらどうだ?」

「なるほど。夜露の幻覚作用で魔力が回復していないと脳を錯覚させて、涙で幻覚作用の負荷を減らすんですね」


 ロランははっとしたように呟き、ごそごそと戸棚を漁る。透明な液体の入った二つの小瓶とピペットを手にした彼は、普段の爽やかで人当たりのいい笑顔とは想像もつかないような不気味な笑みを浮かべながら大鍋の中に小瓶の中身を数滴垂らした。


「ひひっ……。これで私の研究がはかどる……」


 ぶつぶつと呟きながら鍋の中身をぐるぐる混ぜるロランのことなど気にも留めず、ヴェルガは小さなスプーンを持ってくる。納得のいくまで混ぜ終わったロランが手を止めると、ヴェルガはスプーンで鍋の中身を掬い、迷うことなくそれを口に運んだ。


「……」


 そのままヴェルガは無言でスプーンを片付ける。涙目だった。


「……ん。効き目はあるな」

「本当ですか!」


 舌は痺れたが、その代わり身体の中から力が湧いてくる気がする。失われていた魔力が回復したのだろう。魔力自体は寝ていれば翌朝には元に戻るし、至急魔力を必要とするような用事もないが、魔力が戻るのはなんとなく気分がいい。


「これで、この魔力回復薬は実戦でも使えるようになったと思う。味は……まあ、これから改良していけばいいだろう」


 物は試しとばかりにロランもスプーンを取ってきて、一口舐める。その瞬間、彼は激しく咳き込んだ。


「これは……あ、新たな課題が……」


 それから二人は、どうしたらこの激マズ薬が飲めるような味になるか夕食の時間になるまで試行錯誤を繰り返した。

次回から三話ほどカイル視点になります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ