吹っ飛ばされた 3
初めてカイルと喋った日以降、ヴェルガの中でのカイルのイメージは「軽薄で怖い奴」というものになった。しかしその実力は疑う余地がなく、講義で生徒達が実技を見せる時などはまざまざと敗北を味わわされてきた。
そこにきて、この練習試合だ。ヴェルガが操る炎の精霊はカイルの操る風の精霊に敗れ去った。これは、ヴェルガよりもカイルのほうが召喚の法術師としての技量が上だという証明に他ならない。
あくまでも講義中の試合だということで、ヴェルガは通常より注ぐ魔力を減らして数段ランクを落とした精霊を喚んでいた。だが、ヴェルガからの干渉が間に合わずにカイルの精霊からの攻撃を受けてしまった以上、純粋な召喚師としての実力でヴェルガはカイルに劣っているのだ。今までは個々の実力しか見ていなかったが、対峙という形ではっきりそれがわかってしまった。
その事実にプライドが滅多打ちにされる。負った怪我の痛みとはまた別の心の痛みにうめきながら、ヴェルガは時計を見る。普段なら昼休みの時間だった。発展召喚の講義は四限なので、気を失っていたのはそれほど長い時間でもなかったようだ。
「あの後、どうなったんだ?」
「講義はいったん中止になって、すぐに貴方は保健室に運ばれたわ。先生達が治癒の法術を使ってくれて、大事には至らなかったの。ディンヴァード様は一週間の謹慎処分ですって。状況に合わせた加減ができないどころか術者本人に直接攻撃するような生徒に教えることはないって、グラート先生が……」
「加減……加減、か……」
ヴェルガは遠い目をして呟く。術者への直接攻撃は、実戦ならまだしも模擬戦ではご法度とされる行為だった。
だが、ヴェルガの力がカイルと並んでいたら、吹っ飛ばされるなどという醜態をさらすこともなかったはずだ。そんな風に自嘲するヴェルガを、リディーラはすぐにいさめる。
「ディンヴァード様の力は規格外だったわ。もしあの時ディンヴァード様の相手をしていたのが貴方じゃなかったら、相手は空中で全身の骨を砕かれて死んでいたはずよ。貴方だったから、着地まで含めても何本かの骨が折れたりひびが入ったりするだけの怪我で済んだの」
ヴェルガ以外だったらとても治癒の法術で治せるような怪我で済まなかったと、リディーラはこんこんと説く。ヴェルガは納得したように頷くが、やはり心のどこかではまだもやもやとした気持ちが残っていた。
ヴェルガの対戦相手がカイルになったのは、事前に行われた実力を測るための簡単な実技テストの結果だった。一位がカイル、二位がヴェルガだ。二人が組ませられるのはいたって自然なことだが、まさか一位と二位の間にそこまでの差があったとは教師も思っていなかったのだろう。ヴェルガも同じだ。負け続けはしているが、今まで以上に努力すればいずれ覆せる程度の差だと思っていた。だが、そうではなかったのだ。
法術師同士が同じ系統の法術を用いて戦った場合、勝敗は純粋な実力で決まる。実力とは即ち魔力の質と量、的確な戦略、判断力と決断力、そして精霊との絆の固さを総合したものだ。
たとえば今回なら、カイルの喚んだ風の精霊に対してヴェルガが横からその召喚式を乗っ取ればよかったし、実際ヴェルガはそうした。炎の精霊がかき消され、風の精霊が敵対術者である自分に向ってくることに気づいた瞬間、ヴェルガは頭で考えるより先に手を動かして、精霊と絆を結ぼうとしたのだ。
とっさのことではあったが、召喚式を上書きするための呪文は発動できていた。しかしヴェルガが結んだ急ごしらえの絆より、カイルが結んでいた絆のほうが強力だったのだ。ヴェルガではカイルの召喚式は乗っ取れず、召喚式に横やりを入れてわずかに風の精霊の力を弱めるだけで精いっぱいだった。それでも勢いは完全には殺せず、そのまま風の精霊は暴風の塊となってヴェルガに突っ込んできて、ヴェルガはあっけなく吹き飛ばされた。
講義中の怪我はあくまでも事故だ。学院に通うことで付きまとう危険を承知の上で、大抵の貴族達は我が子を送り出している。ここはそういう場所だ。いずれ築く地位と名声に見合うだけの実力を、生徒達は求められている。
ある者はいずれ訪れる命の取り合いより恐ろしい宮廷での日々を勝ち抜く知恵をつけるため、ある者は未来を切り拓く力を手に入れるため、ある者は生まれ育った国と愛する民を守る強さを磨くために日々邁進している。もちろん学院の卒業生という箔だけを求めて軽い気持ちで通っている者もいるだろうが、そういった手合いはなんでも手を抜くので、今回のような危険が伴いそうな講義には欠席するのが常だった。
特に実技の講義に出ているのは、生傷を負うことを了承している者ばかりだ。だからこそ、死人が出ない限りはカイルに過度の咎めはない。学院外であれば王族に怪我をさせれば死罪も考えられるが、結果的に何事もなかったのだからこの話はなかったこととして流れるのだろう。
ヴェルガは王子ではあるが、立場としては一生徒だ。それにヴェルガ自身、吹っ切れてからは、死んでも構わないと周囲から思われるような生き方をしてきたので、ヴェルガが大怪我をしたことを積極的に問題視するような貴族はそれこそリディーラや親友達の実家ぐらいしかなかった。
それにしたって怪我も治癒の法術で完治したようだし、表立ってカイルや彼の生家が非難されることはないだろう。陰でひそひそ囁かれたり、学院での立場が若干悪くなったりするかもしれないが。
その後、養護教諭によって念のためしばらく安静にしているように言われたヴェルガは、午後の授業をまるまる棒に振ることになった。幸いにしてどの授業もリディーラかロランと同時に受講しているものだったので、二人に板書を頼んで自分は保健室で自習していることにした。
その間、教師グラートとカイルが謝罪しに来たが、ヴェルガもそこまで事を荒立てたくなかったので穏便に済ませた。カイルの実力を見誤ったグラート、禁忌を破ったカイル、そして実力不足だった自分。正直この中だと自分を一番責めたい気分なので、むしろ二人からの謝罪はヴェルガをいたたまれない気にさせる。それが法術に関してのみはとにかくプライドの高いヴェルガのありようだった。
カイルが再び保健室に来たのは放課後だった。ヴェルガの鞄は昼休みのうちに同じクラスのロランが保健室まで持ってきてくれていたし、今日は部活に参加せずにまっすぐ帰るつもりだったのだが、リディーラとロランとアディンとティリカといういつものメンバーと帰るために彼らを待っていたのだ。
しかし誰より早くアディンが、そして彼と同じクラスのカイルが来てしまった。ブレイラブルのホームルームが一番早く終わったのだろう。アディンはカイルを疑わしげな眼差しで見ていて、何か不審なことをすればすぐにでもつまみだそうと言わんばかりだ。アディンが彼を連れてきたわけではないのは明白だった。そんなアディンには目もくれず、カイルは深々と頭を下げる。
「ごめん!」
「……それは何に対する謝罪だ?」
わかってはいるが、一応尋ねずにはいられなかった。あの慇懃無礼なカイルが、ヴェルガをとことん下に見るカイルが、まさか一人で保健室に来るなんて信じられなかったのだ。一回目は教師グラートに連れられての謝罪なのだからまだしも、まさか自主的な二回目があるとは。
「今日の発展召喚の練習試合のことに決まってるだろ! お、俺、まさかあんなことになるなんて思わなかったんだ! 俺はいつも通り精霊を喚んだだけで……だけどなんかあの時は変で、精霊が俺の言うことを聞かなかったんだよ!」
カイルは必死に弁明をする。一回目の時は謝罪のみで、それ以外のことはなにも言わなかったが、恐らく同じ説明はすでに教師達にもしたのだろう。
だが、彼の言葉が正しいかどうかなどヴェルガにわかるはずもない。それに、どんな理由があれ、もたらされた結果は変わらなかった。
「……いい。もう気にするな。言っただろう、あれは俺が未熟だったせいでもある」
なんとも言えない居心地の悪さを感じながら、ヴェルガはそう言い捨てた。同じことは一回目の訪問のときにも言っている。だが、続く言葉は初めて口にするものだ。
意図はどうあれ、とても教師の前では言えないものだったので言わなかったが、はっきり言ってしまったほうがいいだろう。カイルの顔など見られるわけがない。緑の瞳を直視するのが怖く、ヴェルガは顔を背ける。
顔を背けたヴェルガは気づいていないが、そう言われた瞬間のカイルは顔を上げてぱっと表情を明るくさせていた。そんなカイルの様子を、どういうわけかとアディンは冷静に分析する。単純にヴェルガに許されて喜んでいるのか、あるいはヴェルガからの恩赦を引き出すことでカイルへの罰が軽くなるのか。前者ならともかく、後者ならあまり面白くはないですわ、と心の中で呟いた。制服のスカートについた糸くずをつまんだアディンは、まるでカイルにそうしたいかのように糸くずをねじりはじめる。
「じゃ、じゃあ、」
「だが、だからこそ言おう。講義ならともかく、私的な時間で俺に話しかけるのはやめろ。もう二度と俺にはかかわるな。そうしたほうが、お互い幸せだろう?」
その言葉を聞いて、カイルの表情が完全に凍りついた。アディンは小さくため息をつく。低く静かな声、決して合わせない目。当然、ヴェルガは完全に怒っていると解釈されるだろう。しかしヴェルガは、単純に人と目を合わせるのが怖いからカイルのほうを見ないだけで、声音もいたっていつも通りのものだ。恐らく今の彼の心境としては、わけのわからない謎の男子生徒にペースを乱されたくないか……あるいは、法術師としてのプライドをぽっきりと折ってきたカイルにこれ以上土足で踏み込まれてほしくないかのどちらかに違いない。
だが、それに対してカイルをフォローするほど、アディンはこのクラスメイトにいい感情を抱いていない。ヴェルガ自身、自分が生む誤解を積極的に正そうという素振りもないので、アディンがヴェルガの言葉を補足する必要もないだろう。
カイルがヴェルガに対して少しでも恐れを抱いてくれれば、カイルはこれ以上ヴェルガに対して不敬な振る舞いをすることもなくなる。そのほうがアディンとしてはよかった。ちなみにヴェルガの現在の心境は、アディンが予想したものでほぼ正解だ。
(馬鹿にしている相手に二度も頭を下げてくるなんて、一体この男は何を考えているんだ……?)
恐々としながら、ヴェルガは心の中で呟く。カイル=ディンヴァードという存在は、もはやヴェルガにとって未知の生物に等しかった。
*
保健室を出たカイルは、とぼとぼと部室へ向かう。暫定的に部室として使わせてもらっているその空き教室の引き戸を開けると、すでに一人の少女が待っていた。
「カイル様! ヴェルガお兄様の様子はいかがでしたか?」
「あ、ああ。元気そうだったぜ」
そう尋ねる少女に、カイルは力なく微笑んだ。先刻絶縁宣言を下されたばかりだとは言えない。絶縁も何も、ヴェルガとカイルの間には大した縁もないのだが。
(……ふぅん。残念ですわ。でも、生きていてくれたほうがよかったのかしら。あんな男のためにカイル様が重い咎めを受けるなんて嫌ですもの。まあ、そうなってもわたくしが手を回すだけですけれど)
可愛らしい外見とは裏腹になかなか黒いことを心の中で呟き、少女はカイルに甘えたようにしなだれかかる。カイルは苦笑するが、彼女を引き離そうとはしなかった。
「ごめんな、エレナ。お前の兄貴を傷つけちまって」
「カイル様が謝るようなことではございませんわ。お兄様よりもカイル様のほうが優れていた、ただそれだけですもの」
「でも、怪我をさせたのは俺だぜ。普通に考えて、悪いのは俺のほうだろ」
ふと、カイルが怪訝そうに少女を見た。それに気づいた少女は取り繕うように微笑んだ。
「強いことはよいことであり、弱いことが悪なのです。それが我が国の貴族社会の“常識”ですわ、カイル様」
「そうなのか? ……やっぱ俺、この学院に来たのは失敗だったな。そんな変な価値観、ここに来るまでは知らずに済んだし……そんなもんに染まりたくねぇよ」
小さな声でそう呟き、カイルは少女からそっと距離を取る。少女は構わずに続けた。
「でしたら、それを貴方が是正すればよいのです。貴方なら、それができますわ。ねえカイル様、わたくしとともにこの国を変えましょう?」
「はははっ! 相変わらずエレナは面白いなー」
カイルは大声で笑う。少女が持ちかけた誘いの意味も考えず、ただの冗談だとしか受け取らず。少女は一瞬表情を歪めたが、すぐに可憐な声で歌うように語る。
「たとえ貴方がその気にならずとも、運命が貴方の進むべき道を示してくださいますわ。ええ、このエレナ=アルフェンリューク=エスティメスの名において約束いたしましょう。カイル様、貴方はなるべくして英雄となられるお方です」
そしてすべて終わった暁には、貴方こそわたくしの伴侶としてこの国の頂に立つのです――――
続く言葉は紡がずに。アルフェニアの第二王女、エレナはカイルに向けて綺麗な綺麗な微笑みを見せた。